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■4487 / inTopicNo.1)  実験103
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/24(Fri) 13:04:18)
    もういっちょ♪
引用返信/返信 削除キー/
■4486 / inTopicNo.2)  実験102
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/24(Fri) 13:04:13)
    どやさ?
引用返信/返信 削除キー/
■4485 / inTopicNo.3)  アートポットさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/24(Fri) 13:04:09)
    No4484に返信(アートポットさんの記事)
    > パニチェさんが超越者である云々については
    > 全員返事くださらなくて結構です
    > ワタクシ個人の感想

    超越者なんてとんでもない。
    パ〜になったニーチェこと、パニチェです。
引用返信/返信 削除キー/
■4484 / inTopicNo.4)  Re[51]: minoriさんへ
□投稿者/ アートポット -(2020/07/24(Fri) 12:54:38)
    パニチェさんが超越者である云々については
    全員返事くださらなくて結構です
    ワタクシ個人の感想なので
引用返信/返信 削除キー/
■4480 / inTopicNo.5)  Re[50]: バーチャル・リアリティ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/24(Fri) 12:02:28)
    2020/07/24(Fri) 16:49:39 編集(投稿者)

    No4476に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > パニチェさま、横やり失礼しました。

    横レス自体は失礼でも何でもないし、真摯なレス交換を目的としたものなら歓迎します。

    > わたしも「私」について考えているので、ここはちょっと気になっているところです。
    > ここに来るのを控えるようにしますから、失礼ついでに、わたしが思ったことを書いて見ます。「説明」ではないです。

    今後もここに来るかどうかはお任せしますが、今回のような内容であれば生産的なレス交換はできると思いますし、私は歓迎します。

    > もしこの感覚がバーチャル・リアリティの世界になかったら、わたしはわたしが見ているものに疑いが生じてくると思います。わたしが見ている世界がバーチャル・リアリティであるかどうかを判定する術をわたしは持ち合わせてはいない、とは言いきれないと思います。

    私が持ち出したパトナムの思考実験である「桶の中の脳」とか映画マトリックスのバーチャル・リアリティは、現時点の科学技術では現実的に体験できるようなものではありません。現実的に可能か不可能かはともかく、科学の基礎原理に反しない前提条件設定を伴った思考上の実験を思考実験と呼びます。物理学でもよく用いられる科学哲学的手法です。
    Wikipediaでくぐれば出てきます。

    > 1で、〔現実として知覚させる〕ってあります。わたしは「知覚」を、視・聴・嗅・味・体性感覚などの異種感覚情報の統合、としています。バーチャル・リアリティの世界で、“わたしの意向”によって、視覚以外の感覚でわたしが見ている世界を確かめようとするとき、もしここに見ているものと違う事態が発生するとき、わたしが見ているものに対して、わたしは、ん?って思うのだと思います。
    > たとえば、わたしの目の前に美味しそうな食べ物があります。わたしは「あ〜おいしそう、たべたいな〜」って思って、それを食べようとします。でもバーチャル・リアリティーの世界では、わたしそれを食べることはできないと思います。

    食べれるし、匂いも現実と寸分違わずあるという前提です。全ての知覚や体験を再現できるバーチャルな世界という設定です。映画マトリクスで描かれているバーチャル・リアリティをイメージしてもらった方が分かりやすいと思います。

    > 2について、
    > 〔意識は脳の活動によって生じる〕っていうのはわたしもそう思っていますし、脳は身体の一部ともしてます。
    > 〔科学者が〕ということですので。科学者的な身体の分け方「神経系」の内で見て見ます。神経系は中枢神経系と末梢神経系に分けられ、さらに中枢神経系は脳と脊髄神経に分けているようです。

    ここは同意します。私は身体性全体は脳であるとも考えていますし、神経細胞はあるが私たちのような脳のない生物(例えばアメフラシ)も学習能力を有することから、これは間違いではないと思います。

    > このような分け方のうちで、身体ののうちから脳だけを取り出し、それとコンピュータを結びつけてみて見た、ということだと思います。
    > でもここには身体の一部(脳)のことしか話題にさせていません。
    > この方法で「私」を見てゆこうとするのはどうなのかな、って思います。わたしは、「私」は脳だけではないし、意識だけではないと思っています。
    > 身体の脳だけを取り出してみたところで、生の身体を捉えることはできないと思っていますし、生の私を描き出すことは見えてこないと思います。
    > 私のリアルな身体は、“バーチャル・リアリティであるかどうかを判定する術”を自ずともっているのはないか、ってわたしは思っています。
    > このようにわたしに思われているから、
    > 「今のわたしが水槽脳でない」とわたしが言えるのは「わたしはわたしがわたしの体を触わってみると、感じられるものがある」から、ってなって、「あんたの手であんたの体、触ってみて」ってなりました。

    身体性がなければ脳たりえないとか、私たちのような意識は生じないということには同意しますが、「桶の中の脳」の思考実験では私たちが日常的に体験するあらゆることは電気信号に還元可能であり、現実と寸分違わないような体験をするというのが思考実験の大前提になってます。

    ちなみに「わたしはわたしがわたしの体を触わってみると、感じられるものがある」というのは触らなくても再現できます。覚醒催眠でもかけられれば人の身体を触っても自分の身体の如く感じるでしょうし、壁を触っても自分の身体を触っているかの如く感じるでしょう。レモンは桃のような甘さに感じられるし、UFOでもお化けでも何でも見えるようになります。

    脳から手を動かすように筋肉に指令される電気信号を肩に近いところに電極を埋め込むことで読みとり義手を動かすように訓練した人たちは、電極を埋め込んだ箇所を触れば、ないはずの手を触られているような感覚が生じるそうです。

    世界的な脳科学者であるラマ・チャンドランは幻肢(ないはずの腕や足が痛む症状)治療法としてミラーボックスというバーチャル・リアリティを活用することで痛みの軽減に成功しています。

    何が言いたいのかと言うと悪魔さんが言っているような「わたしはわたしがわたしの体を触わってみると、感じられるものがある」というのは不確かなもの(頼りないもの)でもありえ、感覚なんてものはいくらでも脳を騙すことによって再現可能だということです。

    よって「わたしはわたしがわたしの体を触わってみると、感じられるものがある」ということもって、この世界がバーチャル・リアリティではないという根拠や証拠にはなりえないということです。夢の中でも「わたしはわたしがわたしの体を触わってみると、感じられるものがある」ことは可能でしょう。

    > わたしは、わたしの意識の志向性とわたしの身体の脳以外の体をなきものとして「私」を見ようとすることは現象学的じゃないと思っています。

    現象学が「わたしの意識の志向性とわたしの身体の脳以外の体をなきものとして「私」を見ようとする」なんてことは一言も述べてませんし、それは悪魔さんの誤読か妄想に対する意見でしかありません。

    フッサールの現象学はマッハ的光景が挿入されることも多々あり、またマッハの感覚的所与(マッハ著「感覚の分析」)の延長線上にあり、メルロ・ポンティの知覚現象学までその流れにあります。
    現象学の純粋意識が〈私〉に隣接するということと、バーチャル・リアリティがノエシス・ノエマの関係として考察可能であるということで、現象学に隣接する「こういう思考実験も知らないの?」という意味で返信しました。

    以下、苦言を呈します。
    正直に言いますが、上記のような自閉的な返信が多いですよ。何人もそういう投稿者を見てきましたが、貴方もその傾向が強い上に無自覚です。ちょっと思い込みとか決めつけが強過ぎる。相手に確認もせずに勝手に相手の意見を決めつけて、挑発的な横を入れる。何かのキャラを演じている、あるいは自分の個性だと思っているのかもしれないが、こういうところは無礼だからから謙虚に反省しないと私のようなタイプの投稿者とは衝突するか、まともに相手にされない。

    リアルで初対面の相手にはとても言えないような口調と勝手に決めつけた思い込みで話かければ、まともな対話はできません。これがネットで匿名、顔も見えないから許されるとか、誰にでも通ると思っているなら、それこそこういうネット空間に甘えた非常識な態度であって、私はそいう甘ちゃんは嫌いです。

    > ふだん言葉で書かないように気つけてみたけど、ちょっとつかれた。

    内容がこのようなもので、分からないことは検索して調べるという真摯なスタンスさえあれば言葉使いは、ふだん言葉でもタメ口でも気になりません。

    > パニチェさま、この記述には返さないで下さいね。あなた規定的で怖いから。

    いえ、返しました(笑)。規定的という意味が分かりませんが。。。

引用返信/返信 削除キー/
■4479 / inTopicNo.6)  Re[49]: minoriさんへ
□投稿者/ アートポット -(2020/07/24(Fri) 11:15:59)
    MINORIさん、はじめまして

    よろしくお願いいたします

    >中心点などない

    なんとなく分かります

    話は変わりますが、パニチェさんの凄さが分かってきました
    以前、パニチェさんが、マジモンさんや、悪魔ちゃんさん、と言い合いになってた
    時に

    恐らく、マジモンさんも、悪魔ちゃんさんも、

    型に嵌まってしまう危険性

    をパニチェさんに説いていると感じましたが

    パニチェさんは、そんなのとっくに通り越して「超越」していると
    最近、分かってきた率直な感想です

    流石、ニーチェクラブ
    ここの必要性を強く感じました
引用返信/返信 削除キー/
■4478 / inTopicNo.7)  minoriさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/24(Fri) 11:13:42)
    レスありがとうございます。

    No4475に返信(minoriさんの記事)
    >>観照というのは「主観をまじえないで物事を冷静に観察して、意味を明らかに知ること。(goo辞書より)」という意味でよろしいでしょうか。

    > はい。辞書的な意味としてはおそらくどの辞書でも同じようになってると思います。
    > ただ。非二元の探究の分野で「観照」という言葉が出てくるのですが、そこでの観照というのは、観察とは違います。
    > 具体的にヒマワリを観る例で言いますと。
    > 葉があり、太い茎があり茎の上に黄色い花があり、花は花びらと種になる部分から構成されている、というふうに分別して観るのが観察。
    > ヒマワリを観ようという意志なしに、ヒマワリが目に飛び込んではいる状態の時、ヒマワリだけでなく、背景の壁や周りの雑草なども一枚の絵のように観ている状態。それが観照になります。

    やっぱ先に確認して良かったです。またまた的外れな返信をするところでした。^^;
     
    > 「観照」ということと、パニチェさんの〈私〉というのは関係がありますか?
    > それは「観照」ということと関係がありますか?という質問になります。

    西田哲学に「純粋経験:主観・客観が区別される以前の直接経験」というのがあって、認識プロセスにある分別や加工、記憶との照合以前のコンタクトを「観照」と言うのであれば「背景の壁や周りの雑草なども一枚の絵のように観ずる」というところを除けば〈私〉は「観照」でもって観ずることが可能かもしれません。但し、〈私〉はその周りや背景がないため、それらと一如に観ずることはできません。

    で、以下は〈私〉の補足説明の意味も兼ねて、参考までに「観照」を「主観をまじえないで物事を冷静に観察して、意味を明らかに知ること。(goo辞書より)」と定義すれば以下の返信になりました。

    〈私〉に限らず対象を主観をまじえないで観察するということは不可能だと思います。
    自己反省や己の心の動きを観察する内観なら「観照」というか「中道」所謂「ニュートラルなスタンスで両極に偏ることなく」観ずることは重要だと思いますが、〈私〉に関しては観るのも主観(能観の体)なら観られるのも主観(所観の境)です。

    目で目を観ることができない、鏡で鏡を映し出すことができないのと同じく、〈私〉を観ることは不可能だと思います。
    さらに〈私〉自体には明らかにするような意味がない(言い換えれば、言語で表現可能な意味がない)とも言えます。
    よって「観照不能な対象」として〈私〉を捉えることができるという意味ではキーワードにはなりますが、〈私〉は「観照不能な対象」ということから無関係とも言えます。

    このまま返したらほんと的外れな返信でした。(笑)
引用返信/返信 削除キー/
■4476 / inTopicNo.8)  Re[49]: バーチャル・リアリティ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/24(Fri) 10:53:05)
    パニチェさま、横やり失礼しました。
    わたしも「私」について考えているので、ここはちょっと気になっているところです。

    ここに来るのを控えるようにしますから、失礼ついでに、わたしが思ったことを書いて見ます。「説明」ではないです。

    >今のあんたが水槽脳でないことを説明してみ<
    について。

    まず、「バーチャル・リアリティ」と「水槽脳」というのがよくわかりませんので、ネットのウィキを調べて見ました。一部抜粋して見ます。

    1.「バーチャル・リアリティ」について
    〔バーチャル・リアリティは、コンピュータによって作り出された世界である人工環境・サイバースペースを現実として知覚させる技術である。時空を超える環境技術であり、人類の認知を拡張する。〕

    2.「水槽脳」について
    〔水槽の脳(すいそうののう、brain in a vat)とは、「あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ている夢なのではないか」、という仮説。哲学の世界で多用される懐疑主義的な思考実験で、1982年哲学者ヒラリー・パトナムによって定式化された。正しい知識とは何か、意識とはいったい何なのか、といった問題、そして言葉の意味や事物の実在性といった問題を議論する際に使用される。水槽の中の脳、培養槽に浮かぶ脳、桶(おけ)の中の脳、水槽脳仮説などと訳される。
    ある科学者が人から脳を取り出し、脳が死なないような特殊な成分の培養液で満たした水槽に入れる。脳の神経細胞を、電極を通して脳波を操作できる非常に高性能なコンピュータにつなぐ。意識は脳の活動によって生じるから、水槽の脳はコンピュータの操作で通常の人と同じような意識が生じよう。実は、現実に存在すると思っている世界は、このような水槽の中の脳が見ている幻覚ではなかろうか?〕

    このようなもののことを言っている、として、このようなものと「私」との関係について、わたしが思ったことを書いて見ます。わたしはバーチャル・リアリティというものを体験したことがありませんので、上記の意味だけからとなります。

    わたしのいまのところの結びを最初に書いておきます。
    「わたしはわたしがわたしの体を触わってみると、感じられるものがある。」
    ということです。

    もしこの感覚がバーチャル・リアリティの世界になかったら、わたしはわたしが見ているものに疑いが生じてくると思います。わたしが見ている世界がバーチャル・リアリティであるかどうかを判定する術をわたしは持ち合わせてはいない、とは言いきれないと思います。

    1で、〔現実として知覚させる〕ってあります。わたしは「知覚」を、視・聴・嗅・味・体性感覚などの異種感覚情報の統合、としています。バーチャル・リアリティの世界で、“わたしの意向”によって、視覚以外の感覚でわたしが見ている世界を確かめようとするとき、もしここに見ているものと違う事態が発生するとき、わたしが見ているものに対して、わたしは、ん?って思うのだと思います。
    たとえば、わたしの目の前に美味しそうな食べ物があります。わたしは「あ〜おいしそう、たべたいな〜」って思って、それを食べようとします。でもバーチャル・リアリティーの世界では、わたしそれを食べることはできないと思います。

    2について、
    〔意識は脳の活動によって生じる〕っていうのはわたしもそう思っていますし、脳は身体の一部ともしてます。
    〔科学者が〕ということですので。科学者的な身体の分け方「神経系」の内で見て見ます。神経系は中枢神経系と末梢神経系に分けられ、さらに中枢神経系は脳と脊髄神経に分けているようです。
    このような分け方のうちで、身体ののうちから脳だけを取り出し、それとコンピュータを結びつけてみて見た、ということだと思います。
    でもここには身体の一部(脳)のことしか話題にさせていません。
    この方法で「私」を見てゆこうとするのはどうなのかな、って思います。わたしは、「私」は脳だけではないし、意識だけではないと思っています。

    身体の脳だけを取り出してみたところで、生の身体を捉えることはできないと思っていますし、生の私を描き出すことは見えてこないと思います。

    私のリアルな身体は、“バーチャル・リアリティであるかどうかを判定する術”を自ずともっているのはないか、ってわたしは思っています。

    このようにわたしに思われているから、
    「今のわたしが水槽脳でない」とわたしが言えるのは「わたしはわたしがわたしの体を触わってみると、感じられるものがある」から、ってなって、「あんたの手であんたの体、触ってみて」ってなりました。

    わたしは、わたしの意識の志向性とわたしの身体の脳以外の体をなきものとして「私」を見ようとすることは現象学的じゃないと思っています。

    ふだん言葉で書かないように気つけてみたけど、ちょっとつかれた。

    パニチェさま、この記述には返さないで下さいね。あなた規定的で怖いから。

引用返信/返信 削除キー/
■4475 / inTopicNo.9)  Re[49]: パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/24(Fri) 10:50:41)
    パニチェさん、レスありがとうございます。


    >>「観照」ということと、パニチェさんの〈私〉というのは関係がありますか?
    >>永井さんの言う〈私〉ではなく、パニチェさんの考える〈私〉です。
    >>それは「観照」ということと関係がありますか?という質問になります。
    >
    > これまでもあった的外れな返信を避けるため、返信前に質問に質問で返すことをお許し下さい。^^
    > 観照というのは「主観をまじえないで物事を冷静に観察して、意味を明らかに知ること。(goo辞書より)」という意味でよろしいでしょうか。


    はい。辞書的な意味としてはおそらくどの辞書でも同じようになってると思います。

    ただ。非二元の探究の分野で「観照」という言葉が出てくるのですが、そこでの観照というのは、観察とは違います。

    具体的にヒマワリを観る例で言いますと。

    葉があり、太い茎があり茎の上に黄色い花があり、花は花びらと種になる部分から構成されている、というふうに分別して観るのが観察。

    ヒマワリを観ようという意志なしに、ヒマワリが目に飛び込んではいる状態の時、ヒマワリだけでなく、背景の壁や周りの雑草なども一枚の絵のように観ている状態。それが観照になります。


    >>御迷惑でなければ、お願いします。
    >
    > 迷惑だなんてとんでもない。大歓迎です。^^


    ありがとうございます。^^  
引用返信/返信 削除キー/
■4471 / inTopicNo.10)  minoriさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/24(Fri) 09:16:42)
    minoriさん、おはようございます。レスありがとうございます。

    No4469に返信(minoriさんの記事)

    > テキストを離れたところで、お尋ねしたいのですが・・・

    了解しました。

    > 「観照」ということと、パニチェさんの〈私〉というのは関係がありますか?
    > 永井さんの言う〈私〉ではなく、パニチェさんの考える〈私〉です。
    > それは「観照」ということと関係がありますか?という質問になります。

    これまでもあった的外れな返信を避けるため、返信前に質問に質問で返すことをお許し下さい。^^
    観照というのは「主観をまじえないで物事を冷静に観察して、意味を明らかに知ること。(goo辞書より)」という意味でよろしいでしょうか。

    > 永井さんの〈私〉については、歯がたたない状態が続いています。
    > そちらは当面、置いておこうと思っています。

    了解しました。

    > 御迷惑でなければ、お願いします。

    迷惑だなんてとんでもない。大歓迎です。^^

引用返信/返信 削除キー/
■4469 / inTopicNo.11)  パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/24(Fri) 09:07:29)
    パニチェさん、おはようございます。

    テキストを離れたところで、お尋ねしたいのですが・・・

    「観照」ということと、パニチェさんの〈私〉というのは関係がありますか?
    永井さんの言う〈私〉ではなく、パニチェさんの考える〈私〉です。
    それは「観照」ということと関係がありますか?という質問になります。

    永井さんの〈私〉については、歯がたたない状態が続いています。
    そちらは当面、置いておこうと思っています。

    御迷惑でなければ、お願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■4467 / inTopicNo.12)  Re[46]: アートポットさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/24(Fri) 08:54:19)
    アートポットさん、はじめまして。


    > ワタクシは友人に思い込まされている
    >
    > 自分だけが主役ってわけじゃない
    >
    > ってほぼ確信に変わりました


    世界、宇宙には、そもそも主役というか中心点などないのではないか、と私は考えていますよ。
    しかし、とりあえず何か中心になるものを設定し、そこから世界や宇宙について考えていく、という方法を取らないと人間は抽象的な思考ができないようになっている、というのはあると思います。

    私を中心点として、周辺にaさん、bさん、cさんがいて、という形で世界は展開していく、というのを幼少から自然にしていますが、それはあくまで、その人が見ている世界だということ。


引用返信/返信 削除キー/

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