| レスありがとうございます。
>>なお、カントは認識の対象としては形而上学的なものを捨てましたが、認識の装置・形式としては「経験領域を超えた」ものを温存していると思います。感覚体験がそれを通して初めて可能になる時間と空間は、先天的(アプリオリ)な形式です。科学や哲学もそれなくして不可能といえる悟性のカテゴリーも先天的(アプリオリ)です。 > > なるほど。空間認識ついては私は体性感覚野をはじめとした脳の機能(DNAに組み込まれた設計図)と考えてますが、これをカントの時代に先天的(アプリオリ)な形式と捉えたところは慧眼だと思います。過去から未来へ不可逆に流れているかのような時間感覚は幻想であり、運動を記述するために持ち出した仮象だと考えていますが。。。
今日のやり取りの振り出しに戻りますが、Bの科学言語批判があてはまる局面といえないこともないと思います。哲学は科学的言語に先行するものであつて、科学の成果とは一応切り離すべきだというのがカント的だと思います。
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