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■4081 / inTopicNo.49)  Re[24]: 青空と〈私〉>パニチェさんへ
  
□投稿者/ minori -(2020/07/16(Thu) 08:40:54)
    お客さんからの質疑応答で話した内容からなんですね。

    〈私〉が客観的世界やその内部にいる「私」を観察したり影響を与える、というのがどうして可能なのか?
    〈私〉が娑婆世界に対して無寄与的な存在であるかぎり、それは不可能ではないのか?
    という質問に答えたもの。


    (以下、引用させていただきます。)


    私はまず、その二つのあいだの関係を独立の二つの実在的存在者のあいだのふつうの意味での関係と同じように扱うべきでないと言って、その後、対立する二種の答えを提示している。

    一つは、それは問題なく可能ではあるが、じつのところそれは、〈私〉という事実に気づいた「私」が、気づいたその事実を利用して、それとは無関係に実在している自分の心の内容をそういうものとして観察するという心理的事実であるにすぎないのだ、というものであり、もう一つは、そうではなく、じつのところはもともと(=普段でも)〈私〉だけが、この世界の外からこの世を観察しそこに影響を与えうる唯一の存在なのだが、瞑想的実践においては、通常はそこに纏わる夾雑物がすべて削ぎ落され、その事実そのものが剥きだしで明るみに出されるのだ、というものである。
    後者の場合には、〈私〉は無寄与的存在であるどころか、むしろ通常の客観的世界(娑婆世間)をその外から観察し結果として影響を与えうる唯一の存在であることになる。

    『〈仏教3.0〉を哲学する バージョンU』p280〜p281より引用。



引用返信/返信 削除キー/
■4078 / inTopicNo.50)  Re[23]: 青空と〈私〉>パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/16(Thu) 07:54:31)
    パニチェさん、レスありがとうございます。


    > ノンデュアリティ(非二元)ということはアドヴァイタ(梵我一如)ですよね?

    基本的にはそうです。

    > どういうところが仏教の方々に評判が悪いのですか?アートマンとブラフマンを立てるところとかですかね?


    ノンデュアリティ(非二元)では、気づき(意識)だけが実在で、すべてのものはそれが姿を変えてそのように見えているもの、とされます。
    それだと、一人一人の人間が修行するという観点が抜けてしまうのではないか、そして、非倫理的になってしまうのではないか、という批判になると思います。


    > 同意です。先入観なしに観る=正見=洞察だと理解してます。私も三冊くらいですよ。^^

    なるほど。そうかもしれないです。


    > そうなんですね。これは私にとって、ある意味で有難いです。
    > あまり進展がなければ読むまでもないし、読もうかどうしようか迷っていました。
    > 私からも質問させてもらいます。^^

    質問ですか〜(;^_^A  第一、二章の途中ぐらいまではなんとか理解できるところもあるようですけど、第三章はカント哲学が絡んできて全然わからないんです。
    そこはご了承いただければと思います。

    > 青空と〈私〉は図式としては合致しているが、同じものかどうかはヴァージョンTの段階では永井氏は確信が持ててないように思います。
    > それは良道さんの青空が自己の匂いが全くないのに対して、〈私〉は阿頼耶識みたく自己の匂いがゼロではない、あるいは存在するのは自己のみ(独我論)であるということです。
    >
    > ヴァージョンUでは青空と〈私〉は(minoriさんが読むかぎりにおいては)同じものとして両者が合意してますか?

    本文中p20〜21の内容から、表面的な判断で私は、「同じようだ」と考えたわけですが。
    実際には、パニチェさんが言われているように、中身そのものが純粋に合致しているのではない、ようですね。

    ※以下、本文から引用させていただきます。

    (永井) ええ、だっていちおう僕の考えと結合していますからね。つまらないって言ったら自分のことをつまらないって言ってることになる。(笑)

    (藤田) 内山老師の図と永井さんの議論とのつなげ方に無理はないですかね。

    (永井) いや、無理はないと思うんです。だって、この内山老師の図をこういうふうに解釈したのは、まさに私ですから。無理があるって言ったら、自分自身が無理になるわけで、無理かもしれないけれど、私はそうだと思います。

    『〈仏教3.0〉を哲学する バージョンU』p21から引用


     あとがきの永井さんの文章からの引用は、次の投稿でします。


引用返信/返信 削除キー/
■4051 / inTopicNo.51)  Re[24]: 青空と〈私〉>minoriさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/15(Wed) 17:38:23)
    No4046に返信(minoriさんの記事)
    > バージョンUの後書き代わりのような感じで、三人が対談の感想について書いてまして、その永井さんの文章を読むと、どうもパニチェさんが書かれているのと同じようなことになってるようです。

    へぇ〜。そうなんですね。^^

    > こちらを先に読むとよかったのかも。でも、普通、前から読んでいきますもんね。(;'∀')

    ヴァージョンTは2016年、4年前の出版ですからどれくらい進展してるのかは興味深いですね。

    > それと。永井さん、そこでかなり大胆な仮説を出していらっしゃいます。
    > そのあたり、あまり長くならない程度にタイプして(長いと問題もあるでしょうから)みますね。

    ありがとうございます。楽しみです。^^

    > アイスの食べ過ぎで胃の調子が悪いので、明日には出してみます。

    お大事に♪
引用返信/返信 削除キー/
■4046 / inTopicNo.52)  Re[23]: 青空と〈私〉>パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/15(Wed) 16:19:46)
    バージョンUの後書き代わりのような感じで、三人が対談の感想について書いてまして、その永井さんの文章を読むと、どうもパニチェさんが書かれているのと同じようなことになってるようです。
    こちらを先に読むとよかったのかも。でも、普通、前から読んでいきますもんね。(;'∀')

    それと。永井さん、そこでかなり大胆な仮説を出していらっしゃいます。
    そのあたり、あまり長くならない程度にタイプして(長いと問題もあるでしょうから)みますね。

    アイスの食べ過ぎで胃の調子が悪いので、明日には出してみます。
引用返信/返信 削除キー/
■4022 / inTopicNo.53)  青空と〈私〉>minoriさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/15(Wed) 09:33:59)
    2020/07/15(Wed) 10:46:08 編集(投稿者)

    No4007に返信(minoriさんの記事)
    > 先日、話題にさせていただいたラマナマハルシの弟子でプンジャジ(パパジ)という人がいて、そのあたりを源流とするアドヴァイタ、それが欧米に渡りノンデュアリティ(非二元)と呼ばれるようになり、エックハルトトール、アジャシャンティ、トニーパーソンズなどなどの人たちが教えてきています。
    > そのノンデュアリティ(非二元)が私には理解しやすいのでそれをツールにしています。
    > そして、これは、仏教の方々などにとても評判が悪いようです。
    > といったところです。

    ノンデュアリティ(非二元)ということはアドヴァイタ(梵我一如)ですよね?
    どういうところが仏教の方々に評判が悪いのですか?アートマンとブラフマンを立てるところとかですかね?

    > ええと・・クリシュナムルティの本を私は三冊しか読んでいなくて詳しくないんです。
    > ただ、アドヴァイタに分類されることがあるようではあります。
    > クリシュナムルティは、先入観なしに観るということが大切なのだ、と言っているという理解を私はしています。

    同意です。先入観なしに観る=正見=洞察だと理解してます。私も三冊くらいですよ。^^

    > なんと。。( ゚Д゚)なのですが。。。
    > 私が注文して届いたのは、「バージョンU」のほうで、パニチェさんの持ってらっしゃるのとは違うみたいです。
    > バージョンUというのは、第二版の意味だろうと思ったのですが、違ってたのです。
    > 今年の二月に発刊の本です。

    そうなんですね。これは私にとって、ある意味で有難いです。
    あまり進展がなければ読むまでもないし、読もうかどうしようか迷っていました。
    私からも質問させてもらいます。^^

    > 読み進めてみると、永井さんの〈私〉と山下さんの「青空としてのわたし」の「わたし」は同じものを指しているであろう、というのをお二人の間で了解されているというのがわかりました。
    > それがわかっただけでもよかったです。
    > 藤田さんも含めた三人のやりとりが気兼ねなく突っ込み合ってされていて、それだけに読むほうとしては理解しやすいし楽しめる感じもあります。

    ヴァージョンT(以降、私の読んだ「〈仏教3.0〉を哲学する」をヴァージョンTと表記します)で永井氏は青空と〈私〉について鼎談では「図式としてはまさにぴったり。中身が本当に同じかどうか別として、形状はぴったりです。ちょっとまずいかもしれない(笑)。あまりぴったりだと。」と述べますが、鼎談後の後書きには「私は仏教の(通常)の教説を(ほぼ)無視して自分の哲学に基づいて坐禅と瞑想をしてきた、ということである。それがじつは仏教と繋がっているのかどうか、繋がりうる可能性が垣間見えはしたが、鼎談を終えた今でも確信が(じつは関心もだが)持てない。他のお二人には決して言えない、私なら問題なく主張できる一つの可能性があって、それは仏教は間違っていて私の哲学が正しいという可能性である。私は当然のことながら、そうあるほうがよいとまでは思わないとはいえ、そうであってもよいとは思っている。」と記しています。

    永井氏の〈私〉とパニチェの〈私〉が同じかどうかも分からないところがあるので複雑なのですが(笑)、以下は同じという前提でカキコしますと。。。

    青空と〈私〉は図式としては合致しているが、同じものかどうかはヴァージョンTの段階では永井氏は確信が持ててないように思います。
    それは良道さんの青空が自己の匂いが全くないのに対して、〈私〉は阿頼耶識みたく自己の匂いがゼロではない、あるいは存在するのは自己のみ(独我論)であるということです。

    ヴァージョンUでは青空と〈私〉は(minoriさんが読むかぎりにおいては)同じものとして両者が合意してますか?

引用返信/返信 削除キー/
■4007 / inTopicNo.54)  Re[21]: 洞察と全体性>パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/14(Tue) 20:54:19)

    >>パニチェさんがおっしゃる「比類なき先言の<私>」と同じものかどうかは定かではないですが、私(minori)も、身体や心ではない自分の本質のようなものが身体の中にあるように感じる、というのが続きました。
    >>しかしそれは、身体の中にあるのではなく、制限のない閉ざされていないものなのだ、というのを知的理解で進めています。
    >>ただ、これは伝統的な道で進んでいらっしゃる方々にはかなり評判のよくないものなので、これ以上については触れません。

    > 興味あります。


    先日、話題にさせていただいたラマナマハルシの弟子でプンジャジ(パパジ)という人がいて、そのあたりを源流とするアドヴァイタ、それが欧米に渡りノンデュアリティ(非二元)と呼ばれるようになり、エックハルトトール、アジャシャンティ、トニーパーソンズなどなどの人たちが教えてきています。
    そのノンデュアリティ(非二元)が私には理解しやすいのでそれをツールにしています。
    そして、これは、仏教の方々などにとても評判が悪いようです。
    といったところです。


    >>クリシュナムルティなどもそこに分類されることもあるようです。
    >>一応、自己紹介を兼ねて書いてみました。
    >
    > クリシュナムルティはD・ボーム関連から数冊読みました。
    > 差し支えなければで結構ですが、洞察と全体性みたいなものですか。

    ええと・・クリシュナムルティの本を私は三冊しか読んでいなくて詳しくないんです。
    ただ、アドヴァイタに分類されることがあるようではあります。

    クリシュナムルティは、先入観なしに観るということが大切なのだ、と言っているという理解を私はしています。


    > こちらこそ、ありがとうございます。
    > お互い様で行きましょう♪

    はい。ありがとうございます。

    >>3.0の本が届いたので読み進めていきます。

    > 楽しみです。

    なんと。。( ゚Д゚)なのですが。。。
    私が注文して届いたのは、「バージョンU」のほうで、パニチェさんの持ってらっしゃるのとは違うみたいです。
    バージョンUというのは、第二版の意味だろうと思ったのですが、違ってたのです。
    今年の二月に発刊の本です。

    読み進めてみると、永井さんの〈私〉と山下さんの「青空としてのわたし」の「わたし」は同じものを指しているであろう、というのをお二人の間で了解されているというのがわかりました。
    それがわかっただけでもよかったです。
    藤田さんも含めた三人のやりとりが気兼ねなく突っ込み合ってされていて、それだけに読むほうとしては理解しやすいし楽しめる感じもあります。


引用返信/返信 削除キー/
■4004 / inTopicNo.55)  Re[21]: 洞察と全体性>パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/14(Tue) 20:24:37)
    パニチェさん、レスありがとうございます。


    >>なるほど。「比類なき先言の<私>」の探究により、身体的ではない〈私〉を認めざるをえなくなられた、しかし、その主体が転生するかどうかはわからない、ということなのですね。
    >
    > そうです。^^
    > 未だ言葉では説明しにくいのですが、そのひとつの根拠を無理矢理に言葉にするなら。。。
    > 〈私〉は原理的に科学の定義(再現性、普遍性、自然の斉一性、計測可能性など)とか唯物論(物質的な構成要素やその要素間の相互作用によって全てが記述可能とする論)の基本となるような条件に反する存在であるということです。


    もしかしたらですが、「時空間には属していない」ということですか?
    覚者と言われる人は(私が知る限りですが)、「私」(自我だと思っている私)の本質は、時空間には属さないという言い方をされるのです。

    >>そういえば・・ゴウさんが体験談として書かれていた文章がありましたね。
    >>人と出会った際の不思議な体験・・だったと思うのですが、ちょっと記憶が定かではなくて。 また再読してみますね。
    >
    > 見つかりましたでしょうか。
    > 「14.gouichi師6」の「12728 / inTopicNo.8)  Re[7]: ヘイフリック限界 □投稿者/ ゴウ -(2010/12/14(Tue) 23:25:31)」で投稿されてます。

    はい。再読させていただきました。第三者による証言があるわけですし、すごいですよね。
    凡人には計り知れないことというのが世界にはたくさんあります。

    まだ最後までは拝見してないので、これからまた順に読ませていただきますね。


    >>パニチェさんは、身体的ではない自己、主体については言語と論理による見性悟道であきらかにされた、のですね。
    >
    > 見性には至っていませんが「身体的ではない自己、主体の存在」は確信しました。
    > 自己探究は未だ途上で、多分この方法だと決着しないと思います。
    > ただ道元禅師の修証一等(修行と悟りは離れたものではなく一如)とか、禅宗の「一寸坐れば、一寸の仏」を灯明にしてます。


    そうなんですか。決着。。決着って「悟る」という意味ですか?

    >>たしか、ゴウさんにその方法を推奨されたというのを最近のご投稿でも書かれていましたね。
    >
    > そうです。「体験に頼らなくてもいい」というアドバイスはいただきました。
    > あと月輪観も薦めてはおられましたが。。。


    どこかで聞いた話ですが、体験というのはしやすい人とそうでない人がいて、その差というのは、脳や身体の器質的なものに起因するので、体験できなくても問題はない、らしいです。
    月輪観について調べてみたら、阿字観というのと並ぶもののようですね。


    >>私自身が前世の記憶が全くないというのと、自分が輪廻するかしないかには興味が持てない、もし仮にするとしても天に(?)任せておくしかないのでは?、と思ってしまいます。
    >
    > 同意です。さらに言えば輪廻転生があるかないかで自分の生き方や価値観が変わるのは違和感があります。
    > 死後、どうなろうが、どのような心をもってどう生きるかが(即、いかに死ぬか)全てだと思います。

    おっしゃる通りと思います。


     (文字数が気になるので、ここまでで一度投稿します。)
引用返信/返信 削除キー/
■3946 / inTopicNo.56)  洞察と全体性>minoriさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/13(Mon) 22:53:44)
    2020/07/14(Tue) 09:16:07 編集(投稿者)

    こんばんは、minoriさん

    No3934に返信(minoriさんの記事)

    > パニチェさんも、仏教、西洋哲学のどちらにも詳しくて素晴らしいです。
    > そして、お二人が互いに尊重しあいながらやりとりされていたのが伝わります。
    > 長期に渡り、それが継続されたのはお二人の人徳によるものではないでしょうか。

    ありがとうございます。
    でも、ああいうレス交換では調べながらやってることが多いんですよ。^^;
    あの長いやり取りを飽きずに読んでいただき、感謝です。
    私はともかく、ほんとゴウさんは人格者です。忙しい中、よく6年も付き合っていただけたと思います。^^

    > なるほど。「比類なき先言の<私>」の探究により、身体的ではない〈私〉を認めざるをえなくなられた、しかし、その主体が転生するかどうかはわからない、ということなのですね。

    そうです。^^
    未だ言葉では説明しにくいのですが、そのひとつの根拠を無理矢理に言葉にするなら。。。
    〈私〉は原理的に科学の定義(再現性、普遍性、自然の斉一性、計測可能性など)とか唯物論(物質的な構成要素やその要素間の相互作用によって全てが記述可能とする論)の基本となるような条件に反する存在であるということです。

    > そういえば・・ゴウさんが体験談として書かれていた文章がありましたね。
    > 人と出会った際の不思議な体験・・だったと思うのですが、ちょっと記憶が定かではなくて。 また再読してみますね。

    見つかりましたでしょうか。
    「14.gouichi師6」の「12728 / inTopicNo.8)  Re[7]: ヘイフリック限界 □投稿者/ ゴウ -(2010/12/14(Tue) 23:25:31)」で投稿されてます。

    > パニチェさんは、身体的ではない自己、主体については言語と論理による見性悟道であきらかにされた、のですね。

    見性には至っていませんが「身体的ではない自己、主体の存在」は確信しました。
    自己探究は未だ途上で、多分この方法だと決着しないと思います。
    ただ道元禅師の修証一等(修行と悟りは離れたものではなく一如)とか、禅宗の「一寸坐れば、一寸の仏」を灯明にしてます。

    > たしか、ゴウさんにその方法を推奨されたというのを最近のご投稿でも書かれていましたね。

    そうです。「体験に頼らなくてもいい」というアドバイスはいただきました。
    あと月輪観も薦めてはおられましたが。。。

    > 私自身が前世の記憶が全くないというのと、自分が輪廻するかしないかには興味が持てない、もし仮にするとしても天に(?)任せておくしかないのでは?、と思ってしまいます。

    同意です。さらに言えば輪廻転生があるかないかで自分の生き方や価値観が変わるのは違和感があります。
    死後、どうなろうが、どのような心をもってどう生きるかが(即、いかに死ぬか)全てだと思います。

    > パニチェさんがおっしゃる「比類なき先言の<私>」と同じものかどうかは定かではないですが、私(minori)も、身体や心ではない自分の本質のようなものが身体の中にあるように感じる、というのが続きました。
    > しかしそれは、身体の中にあるのではなく、制限のない閉ざされていないものなのだ、というのを知的理解で進めています。
    > ただ、これは伝統的な道で進んでいらっしゃる方々にはかなり評判のよくないものなので、これ以上については触れません。

    興味あります。

    > クリシュナムルティなどもそこに分類されることもあるようです。
    > 一応、自己紹介を兼ねて書いてみました。

    クリシュナムルティはD・ボーム関連から数冊読みました。
    差し支えなければで結構ですが、洞察と全体性みたいなものですか。

    > >> レスする価値がないと思われたらスルーされてくださいね。
    >>めちゃめちゃ価値あります。^^
    > ありがとうございます。^^   なくなったらほんと、スルーしてくださいね。

    こちらこそ、ありがとうございます。
    お互い様で行きましょう♪

    > 3.0の本が届いたので読み進めていきます。

    楽しみです。

引用返信/返信 削除キー/
■3934 / inTopicNo.57)  パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/13(Mon) 20:47:49)
    パニチェさん、レスありがとうございます。

    > あ、そうですか。あの長いやり取りを。。。ありがとうございます。^^
    > 私の返信はともかく、ゴウさんの投稿はやはり密教の行者、目が開いた人の言葉として説得力があります。


    パニチェさんも、仏教、西洋哲学のどちらにも詳しくて素晴らしいです。
    そして、お二人が互いに尊重しあいながらやりとりされていたのが伝わります。
    長期に渡り、それが継続されたのはお二人の人徳によるものではないでしょうか。



    >>ゴウさんはもちろんというか、輪廻を肯定していらして。
    >>パニチェさんも輪廻については、肯定もしくは否定はしていない、ということになられますか?
    >
    > 教説的には原始仏教の十四無記を支持していますが、正直に申し上げると「比類なき先言の<私>」を探究すれば、するほど、(宗教のドグマとは全く異なる文脈で)身体的ではない〈私〉というか主体を認めざるをえなくなります。
    > それが転生するような事態があるのかどうかについては全く分かりません。


    なるほど。「比類なき先言の<私>」の探究により、身体的ではない〈私〉を認めざるをえなくなられた、しかし、その主体が転生するかどうかはわからない、ということなのですね。


    >>ちなみに私は、輪廻のあるなしがなぜわかるのだろう?というのが素朴な疑問としてはあります。
    >
    > 上記の疑問については最後の方のゴウさんの返信が参考になると思います。
    > 私の場合は身体的ではない自己とか主体(どんな言葉を当てはめても違うのですが。。。)は、私の場合は言語と論理による見性悟道で(今のところ)あきらかになりました。

    そういえば・・ゴウさんが体験談として書かれていた文章がありましたね。
    人と出会った際の不思議な体験・・だったと思うのですが、ちょっと記憶が定かではなくて。 また再読してみますね。

    パニチェさんは、身体的ではない自己、主体については言語と論理による見性悟道であきらかにされた、のですね。
    たしか、ゴウさんにその方法を推奨されたというのを最近のご投稿でも書かれていましたね。


    >>ただし、「ある」という人の考え方を否定する考えには至らないです。
    >>思いたいように思うしかないのでは? と考えます。
    >
    > 基本的には同意です。


    私自身が前世の記憶が全くないというのと、自分が輪廻するかしないかには興味が持てない、もし仮にするとしても天に(?)任せておくしかないのでは?、と思ってしまいます。

    パニチェさんがおっしゃる「比類なき先言の<私>」と同じものかどうかは定かではないですが、私(minori)も、身体や心ではない自分の本質のようなものが身体の中にあるように感じる、というのが続きました。
    しかしそれは、身体の中にあるのではなく、制限のない閉ざされていないものなのだ、というのを知的理解で進めています。
    ただ、これは伝統的な道で進んでいらっしゃる方々にはかなり評判のよくないものなので、これ以上については触れません。
    クリシュナムルティなどもそこに分類されることもあるようです。
    一応、自己紹介を兼ねて書いてみました。


    >> レスする価値がないと思われたらスルーされてくださいね。
    >
    > めちゃめちゃ価値あります。^^


    ありがとうございます。^^   なくなったらほんと、スルーしてくださいね。

    3.0の本が届いたので読み進めていきます。
引用返信/返信 削除キー/
■3910 / inTopicNo.58)  minoriさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/13(Mon) 10:05:50)
    2020/07/13(Mon) 11:08:53 編集(投稿者)

    おはようございます、minoriさん

    No3907に返信(minoriさんの記事)

    > まだ途中ですが、パニチェさんとゴウさんのやりとりを興味深く拝見しています。
    > とはいっても、仏教の理論的な部分に関するやりとりなどは特に難しく、そのあたりは飛ばすようにしながら拝見しています。

    あ、そうですか。あの長いやり取りを。。。ありがとうございます。^^
    私の返信はともかく、ゴウさんの投稿はやはり密教の行者、目が開いた人の言葉として説得力があります。

    > ゴウさんはもちろんというか、輪廻を肯定していらして。
    > パニチェさんも輪廻については、肯定もしくは否定はしていない、ということになられますか?

    教説的には原始仏教の十四無記を支持していますが、正直に申し上げると「比類なき先言の<私>」を探究すれば、するほど、(宗教のドグマとは全く異なる文脈で)身体的ではない〈私〉というか主体を認めざるをえなくなります。
    それが転生するような事態があるのかどうかについては全く分かりません。

    > ちなみに私は、輪廻のあるなしがなぜわかるのだろう?というのが素朴な疑問としてはあります。

    上記の疑問については最後の方のゴウさんの返信が参考になると思います。
    私の場合は身体的ではない自己とか主体(どんな言葉を当てはめても違うのですが。。。)は、私の場合は言語と論理による見性悟道で(今のところ)あきらかになりました。

    > ただし、「ある」という人の考え方を否定する考えには至らないです。
    > 思いたいように思うしかないのでは? と考えます。

    基本的には同意です。

    >  レスする価値がないと思われたらスルーされてくださいね。

    めちゃめちゃ価値あります。^^

引用返信/返信 削除キー/
■3907 / inTopicNo.59)  Re[17]: パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/13(Mon) 09:49:15)
    パニチェさん、おはようございます。

    まだ途中ですが、パニチェさんとゴウさんのやりとりを興味深く拝見しています。
    とはいっても、仏教の理論的な部分に関するやりとりなどは特に難しく、そのあたりは飛ばすようにしながら拝見しています。

    ゴウさんはもちろんというか、輪廻を肯定していらして。
    パニチェさんも輪廻については、肯定もしくは否定はしていない、ということになられますか?

    ちなみに私は、輪廻のあるなしがなぜわかるのだろう?というのが素朴な疑問としてはあります。
    ただし、「ある」という人の考え方を否定する考えには至らないです。
    思いたいように思うしかないのでは? と考えます。

     レスする価値がないと思われたらスルーされてくださいね。
引用返信/返信 削除キー/
■3895 / inTopicNo.60)  Re[26]: 再び >「言語批判」について
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/12(Sun) 20:34:07)
    No3893に返信(knowing itselfさんの記事)

    > >>今日のやり取りの振り出しに戻りますが、Bの科学言語批判があてはまる局面といえないこともないと思います。哲学は科学的言語に先行するものであつて、科学の成果とは一応切り離すべきだというのがカント的だと思います。

    >>以下、少し的外れになるかもしれませんが。。。
    >>カントはともかく、私にとっては哲学も脳科学も仏教も〈私〉を探究する道具でしかないんです。^^
    >>それらをひっくるめて哲学と考えています。

    > もちろん、承知しています。

    ありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/

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