| パニチェさん、ありがとうございます。
> すみません。時々そういうことがありますね。私はワードでカキコしてコピペし投稿するようにしています。
いえいえ、そんな。 そうなんですね、ワードに書かれてからコピペで投稿されてるんですね。
>>昨日、minoriが自分でネット上で探して読んでみた永井均さんの文章から受けた印象(あくまで印象)では、<私>」というのは、「この身体、心を自分と思っている私」のように感じられたのですが、貼っていただいた文章を読むと、山下さんの「わたし」と共通するものにも思えます。 > > はい、多分共通すると思います。 > 誰が「この身体、心を自分と思っている私」と考えているのか?この答えが<私>ってことです。 > 万人は「この身体、心を自分と思っている私」と確認することができる。これに対して誰が?という答えは「万人が」と回答できるが、この回答では「自分であること」は消滅します。 > 人類史500万年に無数とも言えるほど生じ、今も世界の人口数だけある自我の中で、何故か間違うことなく「自分が自分である」という他者とは異なる在り方をしているのがリアルであり、上記の万人に共通する世界はあくまでも想像上、文脈上の事態でしかないみたいな話です。
そうなんですね、なるほど。 仏道では瞑想を通じて「わたし」が明らかにされる、体験を通して明らかになる、というところを大切にすると思うのですが、永井さんは哲学者ですし、思索による<私>探究をされている、というふうにも言えるのかな、と思いました。
>>minoriは、山下さんの『青空としてのわたし』『光の中のマインドフルネス』は読んでいて、そちら方面のでの理解は多少はあるかもしれません。 >>『仏教3.0を哲学する』も読みたくなり注文しました。 >>読んでからならもしかしたら、永井さんと山下さんたちの共通する部分、もしかしたら若干は違う部分とかも理解できるかも? > > そうなんですね。もし読み進みながら読書会みたいなレス交換ができれば有難いです。 > 私も完全に消化できてないので、再度一緒に読み直してみます。
その本を初めて読む私が、読み進めていく中で疑問に思う部分、わからない部分をパニチェさんに質問させていただく、というのならイメージできますし、それは可能ならお願いしたいです。 まずは手元にきたら読んでいきますね。
> Yahoo!掲示板から始まりましたが、ニーチェクラブに移しました。 > 過去のレス交換は私のPCには残ってますが。。。
そうでしたか。パニチェさんの文章の一部分が消えてしまって・・・ しばらくは純理と3.0の本を読んでいこうと思ってます。 お二人の貴重なやりとりは、それを拝見するに値するminoriになってから、その際は改めてお願いします。
>>小五ですでにそうした哲学的なことを考えられる、というのがすごいです。 >>私など、大人になって自我思考に苦しめられまくりやっと、流されるようにして自我の苦しみから離れる方法を教えてくれるものに近づいた、という感じです。 > > そのような問いが必然的に浮かばざるをえないような環境にあったとも言えます。^^
環境によって人は形成されていく、というのはありますよね。 何と出会うかは大きいと思います。
余談ですが。手越くんと機縁について書かれているのを拝見し、パニチェさんの思索の幅広さを感じました。
>>はい。義務感でやりとりしていただくとなると申し訳ないですし、パニチェさんにとってもなんらかの意義を感じていらっしゃるなら、ほっとします。 > > 十分、楽しませてもらってます。^^
よかった。 気さくに接していただいてありがたいです。
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