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■3240 / inTopicNo.97)  現存在
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/06/24(Wed) 17:16:59)
    ハイデガーの現存在が〈私〉と同じかどうかは未だに不明
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■3157 / inTopicNo.98)  純粋統覚
□投稿者/ パニチェ -(2020/06/17(Wed) 15:55:39)
    カントは、認識や思考に際して「私がしたこと」としてまとめる作用を『純粋統覚』と呼び、「恒常的な自分がある」「同じ私がある」という意識を保つ悟性使用の最高原理であると述べているらしい。(NHKテキスト「カント 純粋理性批判」P.66〜P.67より)

    この『純粋統覚』なるものが万人に共通するところの自己同一性や自己継続性を担保する記憶に関連するものであれば、脳科学に還元できる機能ということになるが、ここはもう少し掘り下げてデカルトのコギト、後のハイデッガーの現存在など認識主体の存在について探究してもらいたかった。

    〈私〉はもっとも身近な原因なき超越論的現象でもあり、存在でもある。


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■3034 / inTopicNo.99)  「ラマハ・マハルシの教え」読了
□投稿者/ パニチェ -(2020/06/04(Thu) 21:42:18)
    knowing itselfさん、良書を紹介いただき、ありがとうございました。

    「ラマナ・マルハシの教え」を読んで、ちょうど今から10年前、密教行者のゴウさんから「逆にくだらない体験に引きずられると、この段階で停滞して足踏み状態に陥ります。そのような修行者が沢山います。ですからパニさんは、対話を通して、限界まで脳を使ってください。体験を求めないでください・・・。掲示板の対話でここから先に進むのは、私(ゴウ)にとっても初めての試みですから、解りづらい点が多々あるでしょうが、そのときは立ち止まって確認しながらゆっくり進めましましょう。」と言ってもらったことが思い出された。

    マハルシは5つの実践(アビャ−サ)を上げている。1.ストゥティ(帰依と賛歌)、2.ジャパ(称名、マントラを唱える)、3.ディヤーナ(帰依とジャパ)、4.ヨーガ、5.ジュニャーナ(問いかけの道〈ヴィチャーラ〉)を説く。

    5番目のジュニャーナは「私とは誰か」と問い続ける探究であり、アハム・ヴリッティ(私であること)が立ち上がるその源に潜りこむことによって、主体から分離された存在であることを止め、主客合一の自己、つまりハート(真我)であるところのプラジュニャーナ(絶対知識あるいは般若)に至る道である。プラジュニャーナは般若心経の六不(不生、不滅、不垢、不浄、不増、不減)、金剛般若経で説かれる如来、即ちブラフマンに他ならない。

    レベルは全く異なるが、私がライフワークならぬライフホビーとしている「比類なき先言の<私>」の探究を「言語と論理による見性悟道」と想定していることも、アートマ・ヴィチャーラ(自己探究)やジュニャーナ(知識の探究)の道であり、そんなに的外れではないことが、ゴウさんのかつての言葉や「ラマナ・マルハシの教え」を読み終えて知り得たことは大きな収穫であった。

    もうひとつの収穫はknowing itselfさんに解説いただいたこともあり、自己の本性であるところのプラジュニャーナは三つの心の状態(眼覚め、夢、眠り〈夢を見ていない睡眠〉)のうち眠りの状態であり、この三つの状態は睡眠中はもちろん、起きている状態でも一貫して継続しているということである。つまり「私は○○である」と表現できるところの私ではなく、言語表現不可能な「比類なき先言の<私>」は映像を映す純白のスクリーンに例えられるように、今も、ここに、こうして、夢を見ていない睡眠の如く無色透明にしてある、ということ。

    アートマ・ヴィチャーラ(自己探究)からプラジュニャーナ(絶対知識あるいは般若)に至るプロセスは、道元禅師が正法眼蔵の現成公案で述べた「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり萬法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」と全く同じであり、国や時代や宗派を超えた覚者の言葉であり、永久の指針となる。

    途上で終わろうとも修証一等(修行と悟りは一如)を胸にアートマ・ヴィチャーラの道を行こうと思えた。

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■3005 / inTopicNo.100)  Re[3]: 〈私〉について 4
□投稿者/ エフニ -(2020/05/30(Sat) 00:05:10)
    No3001に返信(floraさんの記事)
    > エフニ様、こんにちは
    >
    > お返事ありがとうございます。
    >
    > >マタイの福音書(二章八節)に、イエス誕生の夜「この地方で羊飼いたちが野宿しながら羊の群れの番をしていた」と書かれています。
    >
    > 私の見たマタイ伝が違うのかも知れませんが、2章8節は
    > ヘロデ王が東方の三博士に対して生まれた子供を見つけるようにいうくだりになっていました。
    >
    > >当時も今も、ベツレヘムで真冬に家畜を野に出すことは有り得ないので、六月頃にイエスは生まれたのではないかと言われています。(アレクサンドリアのクレメンスによる。)
    >
    > 『ストロマテイス』でしょうか? 
    > 第一巻21章に、オクタビアヌスの治世の28年目、パションスの第25日目、すなわち、紀元前27年から28年目、パションス(エジプト/コプト歴の9月=グレゴリオ歴の5月9日―6月 7日)ですから紀元元年6月3日に生まれた?
    >


    フローラ様、こんばんは。

    レスありがとうございます。

    どうも大変なミスをして申し訳ありませんでした。

    マタイではなく、ルカの福音書(二章八節)でした。

    失礼いたしました。m(__)m

    >「ストロマティス」でしょうか?<

    そうです、そうです、それです。

    具体的な記載をありがとうございました。

    さすがゥ
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■3001 / inTopicNo.101)  Re[2]: 〈私〉について 4
□投稿者/ flora -(2020/05/29(Fri) 01:50:35)
    エフニ様、こんにちは

    お返事ありがとうございます。

    >マタイの福音書(二章八節)に、イエス誕生の夜「この地方で羊飼いたちが野宿しながら羊の群れの番をしていた」と書かれています。

    私の見たマタイ伝が違うのかも知れませんが、2章8節は
    ヘロデ王が東方の三博士に対して生まれた子供を見つけるようにいうくだりになっていました。

    >当時も今も、ベツレヘムで真冬に家畜を野に出すことは有り得ないので、六月頃にイエスは生まれたのではないかと言われています。(アレクサンドリアのクレメンスによる。)

    『ストロマテイス』でしょうか? 
    第一巻21章に、オクタビアヌスの治世の28年目、パションスの第25日目、すなわち、紀元前27年から28年目、パションス(エジプト/コプト歴の9月=グレゴリオ歴の5月9日―6月 7日)ですから紀元元年6月3日に生まれた?

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■2987 / inTopicNo.102)  Re[1]: 〈私〉について 4
□投稿者/ エフニ -(2020/05/27(Wed) 05:56:58)
    フローラ様、おはようございます。

    本当に、キリスト教はいろいろな宗教・風習と習合(融合)していますよね。

    ☆イエスの誕生日も貴女のおっしゃる通りです。

    ローマのサトルナリア祭から取ったとか、ミトラス教の太陽神を祝う祭日(12月25日)から取ったとか言われています。

    マタイの福音書(二章八節)に、イエス誕生の夜「この地方で羊飼いたちが野宿しながら羊の群れの番をしていた」と書かれています。

    当時も今も、ベツレヘムで真冬に家畜を野に出すことは有り得ないので、六月頃にイエスは生まれたのではないかと言われています。(アレクサンドリアのクレメンスによる。)


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■2984 / inTopicNo.103)  〈私〉について 4
□投稿者/ パニチェ -(2020/05/26(Tue) 16:11:27)
    涅槃は近い♪^^
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