| No21493のつづき
(β)〔ノエマは広義での「意味」(Sinn)と解され、「いかなる志向的体験もみなあるノエマを持ち、そのノエマにおいてある意味を持ち、この意味を介して、その体験は対象へと関係する」〕 ↓ (β)‘《〈されたもの〉は広義での「意味」と解され、「いかなる志向的体験もみなある〈されたもの〉を持ち、その〈されたもの〉においてある意味を持ち、この意味を介して、その体験は対象へと関係する」》 の、 〔「いかなる志向的体験もみなある〈されたもの〉を持ち、その〈されたもの〉においてある意味を持ち、この意味を介して、その体験は対象へと関係する」〕 のところ、
こんどは、「A,Bの会話」で見て見るね。 「A,Bの会話」を〔志向的体験〕ってして見ると、 《いかなるA,Bの会話もみなある〈されたもの〉を持ち、その〈されたもの〉においてある意味を持ち、この意味を介して、そのA,Bの会話は対象へと関係する》 ってなるんだけど、やっぱ「対象」って何?って、ここでまた分かんなくなっちゃうのよね〜。
(α)〔ノエシスは意識の作用的側面を、そしてノエマはその対象的側面を表す。〕 をもう一回見て見る、 〈意識の二つの側面として、作用(ノエシス)と、その作用の対象(ノエマ)〉 《意識の二つの側面として、作用〈すること〉と、〈すること〉の対象〈されたもの〉》 ってして見ると、 「ノエシス−ノエマ」→「作用−対象」だがら、「ノエマ」=「対象」=〈されたもの〉でいいのかな?
で、 〔A,Bの会話で、AがBに何か話した〕っていうので見て見て、 「Aが話したこと」っていうのは、Aが何かを話す〈すること〉ことによって、話〈されたもの〉があって、この話〈されたもの〉を「対象」ってして見と、 《Aの「話したこと」は、Aによって言葉で表現〈されたもの〉、そしてその〈されたもの〉においてある意味をもち、この意味を介して、そのA,Bの会話はAが話したこと〈されたもの〉へと関係する。》 ん〜ん、こうして見るとなんとなくわかる感じなんだけど、
もっとわたしに分かりやすく見ちゃうと、 「会話」っていうのは両者の「言葉」によるやりとりだけど、「言葉」っていう「表現されてるもの」は〈見えるもの〉としての「記号」でしかなく、その「言葉(記号)」がもつ“意味”によって会話してる。A、Bの“意味”のやりとりを「言葉(記号)」を使ってやってる、っていうこと。もし“意味で”通じないと会話は成立しないんじゃないかって。
(β)はだいたいこんなことを言ってるんじゃないかって。
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