□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/13(Sun) 09:44:41)
| No21479の、 *「ノエシス」→〈すること〉 *「ノエマ」→〈されたもの〉 *「ヒュレー」=〈素材〉 *「統握」→「統覚」 *「契機」→〈きっかけ〉とか〈動機〉 で、 No21433のを置き換えて見ていって見るよ。
(α)〔ノエシス的契機あるいはノエシスは意識の作用的側面を、そしてノエマ的契機あるいはノエマはその対象的側面を表す。〕 を、簡単に〔ノエシスは意識の作用的側面を、ノエマはその対象的側面を表す。〕ってして、 これはこうなる、 《〈すること〉は意識の作用的側面を、〈されたもの〉はその対象的側面を表す。》(α)‘ 〈すること〉は作用的側面、っていうのは分かるけど、〈されたもの〉が対象?「ノエシス−ノエマ」は「作用−対象」っていう関係見たいなんだけど、これちょっと分かんない。 で、こう考えてみたのね。 ある二人(A,B)が会話してるとき、Aが〈話したこと〉は、Aに対しての象(対象)となり、と同時にBに対しての象(対象)にもなる、ってして見たのね。 Aが〈話したこと〉っていうのは、Aによって「表現されたもの」=〈されたもの〉。そして〈それ〉はA、B両者に対しての象(対象)となる。ん〜ん、こう見ると〔ノエマ〈されたもの〉は対象的側面〕っていうのも分かる気がする。
(β)〔ノエマは広義での「意味」(Sinn)と解され、「いかなる志向的体験もみなあるノエマを持ち、そのノエマにおいてある意味を持ち、この意味を介して、その体験は対象へと関係する」〕 ほら、ここに「意味」が出てきてた。 で、これはこうなる、 《〈されたもの〉は広義での「意味」と解され、「いかなる志向的体験もみなある〈されたもの〉を持ち、その〈されたもの〉においてある意味を持ち、この意味を介して、その体験は対象へと関係する」》(β)‘ で、まず、 《〈されたもの〉は広義での「意味」と解され、》っていうところ、 〈されたもの〉を「意味」としている?
わたし 知覚=端的な知覚+{想像・想起・予期} ってしたんだけど、〈端的な知覚〉を〈単なる知覚〉って変更するね。 で、 知覚=単なる知覚+{想像・想起・予期} ってする。
〈するもの〉と〈されるもの〉、〈すること〉によって〈されたもの〉が発生する。 という見方で、 〔今、私の前に、一個の「リンゴ」があって、私は「それ」を見ている。〕をまた見ていって見るね。
「リンゴ」は、私に対する一個の物、「知覚」の“対物”。「知覚」を〈するもの〉ってすると、知覚〈するもの〉に対して〈されるもの〉は「リンゴ」(対物)よね。知覚〈するもの〉が〈すること〉は、狭い意味で〈単なる知覚作用〉ってして見ると、単なる知覚〈するもの〉における〈されるもの〉は〈感覚〉。〈感覚〉されているのは「リンゴ」の見えている面。単なる知覚〈するもの〉は〈感覚されている〉「リンゴ」の見えている面の異種感覚情報を統合〈すること〉。単なる知覚よって〈されたもの〉が発生(現出)する。っていうことになるよね。
たぶん、現象学のは、知覚を〈単なる知覚〉とだけしてるんじゃなくて、{想像・想起・予期}が付与されてるもの、ってしてるんだと思う。 こういう意味で「知覚」を〈するもの〉ってして、知覚〈するもの〉が知覚作用〈すること〉によって知覚〈されたもの〉が発生する。「知覚」という語にはこのような〈するもの〉〈されるもの〉、〈すること〉〈されたもの〉が含まれてるって見るよ。 知覚〈されたもの〉は、〈単なる知覚+{想像・想起・予期}〉。単なる知覚、想像、想起、予期のそれぞれ〈するもの〉が〈すること〉によって〈されたもの〉ものが〈知覚されたもの〉を構成してる、って見ることにして見た。今、私の前にある一個の「リンゴ」は、私のうち(意識)で〈リンゴ〉となり、これが〈知覚されてるもの〉。
〈されたもの〉を「意味」とすると、〈知覚されているもの=単なる知覚+{想像・想起・予期}〉が「意味」っていうふうに見えてきちゃうのね。
ここでちょっと想い出したのが、カントの言う「物そのもの」。上のように見ると、今私の前にある一個の「リンゴ」の私のうち(意識)に知覚されているもの〈リンゴ〉は、「リンゴ」そのものじゃない、っていうことになるんだけど。これについてはまた後で。
で、ひとまず、 知覚〈されているもの〉=単なる知覚+{想像・想起・予期}←意味 ってしとく。
なんかくどくど〜、
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