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経験の類推の概略を、竹田青嗣先生の『カント『純粋理性批判』』p109〜126で理解を試みます。
その原理 経験は知覚の必然的結合の表象によってのみ可能である。
竹田先生の解説 (一つの経験的認識が成立するには、必ず個々の知覚をある"必然的な関係"として結びつける表象が必要である。)
経験的認識とは、対象や事象が"どのようなものであるか"についての認識。 つまり、知覚によって客観を規定するような認識。 多様な知覚がある仕方で綜合されて、その対象の客観的な認識が可能となる。 この知覚の綜合の必然性は、知覚そのものには属していない。
多様な知覚の結びつの原理は、知覚ではなく、思考(悟性=概念の働き)にある、とカントは主張する。 多様な知覚を時間的に「必然的なものとして」結びつける働きが、ここでは「経験の類推」と呼ばれる。
時間の基本の様態(modus)の三つの枠組み ※常住不変性(持続)(変わらず持続するものとして) ※継起(ある状態から別の状態が現れてるという(時間的な)原因結果として) ※同時存在(互いに同時に別々に存在しているものとして)
《pipitの私見》↓ 一刹那の知覚だけじゃ、時間は成立しない。 ただ、一知覚が《在る》だけ。 知覚の連続により、主体にとって、時間は生じる。 時間という枠組み内で、主体が対象を捉える時、 その対象を、 変わらずあるもの 変化しながらあるもの 同時にあるもの の三枠の何かを使って捉える、ということかな。
あっという間に14:10!
おつかれさまです 用事がんばろ♪
私の大好きな養老孟司先生曰く 二宮金次郎は、本読んでるんじゃねえんだよ、マキ運んでんだよ
先生、本音言っていいすか、 遊んで暮らしたいよぉ〜
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