| こんばんは。
主観的な認識に絞って考えれば、 わたし、が、変化を認識するのに必須なのは、『記憶』だと思いました。
記憶は想像力による像なので、想念と名付けると、
現出してる現象(焼肉)と、 現出してる想念(生肉)とのコラボレーションで、変化(生肉焼いたら焼肉に変化した)という認識が成り立つのではないかと思いました。 (焼肉の現象のみでは、少なくとも個人的認識の中では変化は成り立たないでしょう?)
現実に知覚してる現象に、想念・思考などで規定して、ストーリーを持った概念(生肉から焼かれた【焼肉】、など)を認識している
この時、想念と現実現象は順序に位置を持って配置されるのが一般的ですね。
例えば、生肉から焼いて焼肉になった物質を、私が認識する場合、
生肉(想念) ↓ 焼肉(目の当たりの物質)
の順番。(記憶と現出知覚のコラボ)
この配置、を、何の上にするのか。
例えば、目に映るものは、何の上に配置されているのか。 空間に配置されてる、と、表現するのか。 空間ではなく、別の表現があるのか。
そのように、目の当たりの知覚映像、と、記憶、を、何の上に配置してるのか。 時間に配置してる、というのか、 時間でなかったら、何に配置してると言えばいいのか。
そんなことを思いましたが、これは主観的な認識の中での時間についてですね。
客観的な時間はどう考えたらいいかな。
思考保留、が、簡単でいいけど(^^;;
難しいですね。
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