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■2052 / inTopicNo.25)  苦戦・カントとオートポイエーシス
  
□投稿者/ pipit -(2019/11/06(Wed) 19:46:29)
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■2050 / inTopicNo.26)  アプリオリな分析判断、と、『赤馬経』
□投稿者/ pipit -(2019/11/05(Tue) 19:11:04)
    こんばんは

    アプリオリなものは分析判断でしか真になれない。
    これは、今の私の心、と、腑に、しっかりと、落とされましたよ。
    ありがとうございますm(_ _)m

    思い浮かぶのは、解説本で読んだパーリ経典『赤馬経』(しゃくめきょう・増支部経典)の一節です。

    釈尊の言葉として、
    『友よ、私は、生まれることのない、死ぬことのない、没することのない、再生することのない世界の終わりを、歩行によって、知る、あるいは見る、あるいは極めることができる、とは説きません。
    私は、世界の終わりを極めないまま、苦(輪転苦)の終わりを作ることを説きません。
    友よ、私は、想があり意があるわずか一尋のこの身体における、世界(苦諦)と世界の生起と世界の滅尽と世界の滅尽にいたる行道とを説くのみです。

    世界の終わりは歩行によって 決して極められ得ない
    世界の終わりを極めなければ 苦からは解放され得ない
    それゆえ世界を知る賢者 梵行を修めた世界の達人
    寂者は世界の終わりを知って この世あの世を願い求めず 』

    (『パーリ仏典入門』片山一良先生、p231.232)


    少なくとも、数学では、アプリオリなものは、すでに備わってるものの中でしか、真になれない、と言われている。

    真理は、自己に揃ってる。
    そんな気持ちになります。

    本当の本当にありがとうございます。

    でも、カントの勉強は続けますよお〜(^O^)/

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■2044 / inTopicNo.27)  プリンキピア
□投稿者/ pipit -(2019/11/04(Mon) 00:32:39)
    調べたら、ニュートンの『プリンキピア』初版は、カントが生まれる前に出版されてました。
    第3版は、カント先生が2歳の時に出版されたみたいですけど。

    (´-`).。oO( そんな時代もありました。)
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■2041 / inTopicNo.28)  勘違いしてましたm(_ _)m
□投稿者/ pipit -(2019/11/04(Mon) 00:15:17)
    むむ?

    ラッセルさんの著作に『プリンキピア・マテマティカ』という本があるのですね。
    現代数学のことなら、多分こちらの本のことですね、失礼しましたm(_ _)m

    ニュートンの著作の『プリンキピア』と勘違いしてました。
    私が見たのは、ニュートンの原書です。
    こちらは、ちょうどカントが生きていた時代に印刷された本かな?(o^^o)

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■2040 / inTopicNo.29)  Re[28]: プリンキピア
□投稿者/ pipit -(2019/11/03(Sun) 23:39:30)
    原理、でもまあまあよかったのかな。
    多分説明が記憶の底らへんにあったんだろうな(^^;;

    wikiより引用↓
    『(羅: Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica)は、アイザック・ニュートンの著書で、ニュートン力学体系の解説書である。1687年刊、全3巻。古典力学の基礎を築いた画期的なもので、近代科学における最も重要な著作の1つ。運動の法則を数学的に論じ、天体の運動や万有引力の法則を扱っている。Principia という略称でもよく知られている。日本語では『自然哲学の数学的原理』、『プリンキピア』、あるいは『プリンシピア』とも表記される(岡邦雄訳、春秋社、1930年や、中野猿人訳、講談社、1977年等)。』
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■2039 / inTopicNo.30)  プリンキピア
□投稿者/ pipit -(2019/11/03(Sun) 23:34:59)
    プリンキピアの原書(第二版くらいかな?)ガラスケース越しにたまたま見たことあります。

    プリンキピアの意味も知らんけど〜〜〜

    原理とかかな?
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■2037 / inTopicNo.31)  引用
□投稿者/ pipit -(2019/11/03(Sun) 23:21:39)
    こんばんは☆

    後で引用しますと言っていた箇所を引用します。
    『カント哲学の核心』御子柴善之先生著、p156.157からの引用です。
    冒頭二文がカントの言葉。後が御子柴先生の解説です。

    『 さて、以上のことから、これまで探求してきたことすべてについて、以下のことが帰結する。「すべてのア・プリオリな総合的原則は可能な経験の原理に他ならない」、また、決して物それ自体に関係づけられることはできず、経験の対象としての諸現象にしか関係づけられ得ない。(Ak313、中公100、岩波131)

    カントもここに明記しているように、これは「いかにしてア・プリオリな総合判断は可能か」という問いに導かれてきた、これまでの探求すべての結論である。すなわち、純粋自然科学を可能にする純粋悟性の諸原則はたしかにア・プリオリな総合的原則であり、ア・プリオリな総合的命題として表現される。しかし、それは可能な経験の原理に他ならないのである。縮めて言えば、ア・プリオリな総合的判断は経験を可能にする原理としてのみ可能なのである。したがって、それは経験の諸対象の領域である現象界(感性界)を超え出ることができない。ア・プリオリな総合的判断を含む、純粋数学も純粋自然科学も現象界を超え出ることはできないのである。これはもう、従来型の独断論的形而上学の不可能宣言に他ならない。』
    引用終了

    おつかれさまです、おやすみなさい ☆彡


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■2033 / inTopicNo.32)  引用
□投稿者/ pipit -(2019/11/02(Sat) 19:18:06)
    >かくして、アプリオリな総合判断は可能か?という探求が始まるのですが、
    『純粋理性批判』におけるこの探求の答えは、
    【アプリオリな総合判断は可能であるが、それは、人間の経験を可能にする原理としてのみ可能である。】だと、私は思います。(後で関連箇所を引用します。)<

    ということで、
    『カント哲学の核心』御子柴善之先生著の、p155〜157あたりを抜粋引用しようと思いますが、その中にでてくるカントの文章だけ、先にピックアップして引用して、後で御子柴先生の引用も合わせて投稿します。

    カントの文章は、『プロレゴーメナ』からの引用です。

    ↓カントの言葉の引用
    ※※※※※※※※


    さて、以上のことから、これまで探求してきたことすべてについて、以下のことが帰結する。
    「すべてのア・プリオリな総合的原則は可能な経験の原理に他ならない」、また、決して物それ自体に関係づけられることはできず、経験の対象としての諸現象にしか関係づけられ得ない。(Ak313、中公100、岩波131)



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■2032 / inTopicNo.33)  アプリオリな総合判断
□投稿者/ pipit -(2019/11/02(Sat) 18:58:16)
    アプリオリな総合判断が成り立つのか?
    をカントが問題にしたのは、形而上学が成り立つのか?という問いが根底にあるからと思います。

    形而上学は、経験に頼らない。
    経験に頼らないのに、知識を拡大できるのか?
    それがカントの問いだと思います。

    アプリオリな総合判断が成り立つならば、
    経験に頼らない知識の拡大が可能となる、
    という目論見が、
    『アプリオリな総合判断は可能か?』という問いの根底にあると思います。

    かくして、アプリオリな総合判断は可能か?という探求が始まるのですが、
    『純粋理性批判』におけるこの探求の答えは、
    【アプリオリな総合判断は可能であるが、それは、人間の経験を可能にする原理としてのみ可能である。】だと、私は思います。(後で関連箇所を引用します。)

    人間にとっての経験を可能にしてるのは、感性と悟性(知性)であり、感性と悟性の働き方の過程でのみ、アプリオリな総合判断は可能、ということだと私は思いました。

    アプリオリな総合判断、が、感性と悟性の働きの中で可能となるとき、
    アプリオリな総合判断として出された【意味を付与された概念】は、全て、感性と悟性の働きを経たものということだと思いました。

    それは、感性と悟性の働き、からの、分析判断、ということでしょう?
    『感性能力の分析判断』という言葉は、カントの文脈での言葉では決してありません。
    現代数学で使われる(?)『アプリオリな分析判断』という言葉の使い方に合わせて、
    私が述べた言葉です。

    図形の性質から機械的に分析判断で『三角形の内角の和は180度』という命題が成立するというとき、且つそれは、アプリオリな分析判断だ、と言う時、
    図形の性質に幾何学の全てが含まれてる、ということかと思います。

    カントは、その図形の性質が感性能力により成り立つ。
    つまり、図形の性質は、全て、感性の能力を経て生まれている、という主張をしてるとするなら、現代数学の言葉で言えば、カントの言ってることは、
    幾何学の全ては、感性の能力の分析判断だ、と、同意味ではないかと私は思いました。

    直線は180度の性質から、三角形の内角の和は180度、ってどうやってわかるの?と、息子に聞くと、カントが『アプリオリな総合判断の例』として提示していた解き方と一緒っぽいものを教えてくれました。ちなみに、その解き方は私も知ってました。
    同じ解き方を、
    現代数学は、アプリオリな分析判断と言い、
    カントは、アプリオリな総合判断と言った。

    現代数学では、ある一定条件内における図形の性質からの分析判断と考え、
    カントは、感性のアプリオリな性質からの総合判断と考えた。

    アプリオリな総合判断は現代数学では成り立たない、で、オーケーです。

    (ユークリッド幾何学?では)直線、は、2点間の最短距離、は、現代数学ではアプリオリな分析判断で、
    カント哲学では、アプリオリな総合判断。

    カントの考え方は、現代数学では通用しない、ということを了解しました。




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■2026 / inTopicNo.34)  Re[23]: 空間の性質
□投稿者/ pipit -(2019/11/02(Sat) 01:04:44)
    現代数学においてのアプリオリな分析判断とは、三角形の性質(直線の性質?)(の設定?)から分析判断により答えが出る、ということでしょう?

    カントは、その三角形の性質が、人間の感性能力に規定されたもの、と言ってるのでしょう?
    言葉変えれば、感性能力からの分析判断と言ってもいいんじゃないかなぁと私は思いました。
    それは能力からの分析判断だから、アプリオリな分析判断と言ってもいいんじゃないかなぁと次に思いました。

    難しい論証を理解しても、カントの言論の否定になるのかなぁ?

    いろいろ言葉の定義も違うみたいだし。
    現代数学の定義で、カントの言葉を言い換えたらどうなるかな?
    少なくとも、カントは自分の概念に『アプリオリ』という言葉は使えないでしょう?
    現代数学のアプリオリと定義が違うんだから。

    それなのに、カントの言葉に込められたカントの意図を捨てて、カントは、数学はアプリオリな総合判断、と言った、として批判する。
    というように、今の私には思えてしまいます。

    とは言っても、
    とりあえず、、、んー、中学の幾何学からかなぁ、
    せめてそれくらいは、がんばって勉強してみますぅ

    ありがとうございますm(_ _)m




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■2023 / inTopicNo.35)  Re[22]: 空間の性質
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 22:43:43)

    >>現代数学では、『直線、から、三角形の和が180度』が分析判断というのですか?
    >>もし、そうなら、
    >>『直線』にいろいろ概念含ませた犯人は、人間のアポステリオリな経験、ということでしょう?<
    >
    > あ、違うかな、
    >
    > 人間の外側にある空間の性質、が、犯人。
    >
    > ということは、どういうことになるのかな?
    >
    > 物自体としての空間の性質、が犯人、ということになるのかな?<

    そして、わたしたちは、物自体をそのまま認識してる、という考え方になるのかな、と、思いました。

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■2022 / inTopicNo.36)  Re[21]: 空間の性質
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 22:39:20)

    > 現代数学では、『直線、から、三角形の和が180度』が分析判断というのですか?
    > もし、そうなら、
    > 『直線』にいろいろ概念含ませた犯人は、人間のアポステリオリな経験、ということでしょう?<

    あ、違うかな、

    人間の外側にある空間の性質、が、犯人。

    ということは、どういうことになるのかな?

    物自体としての空間の性質、が犯人、ということになるのかな?

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