| システム、が、気になって、wiki読みました。
原語は、組み立てられたもの、みたいなこと書いてありました。
仏教で使用されている言語の一つ、パーリ語のサンカーラー、思い出しました。
サンカーラー、という単語は、多義だけど、その中の1つは、 組み立てられたもの=現象、って私はイメージしてます。
現象、と、システムが、私の中で繋がりを持った気がしました。
カントは「純粋理性批判」の第二版序文でおもしろい文章を書いています。
英訳では、 For pure speculative reason is an organic structure in which there is nothing isolated or independent, but every Single part is essential to all the rest;
3人の日本人の先生の訳を見たけど、英訳も含め、細かくは統一されてないから、(細かくは)他解釈が可能な原文箇所かもしれないけど、 3人の訳から私が抽出した言葉は、 【純粋な思弁的理性は有機的な構造であり、すべてのものはある一つのもののために存在し、それぞれのものはまたすべてのもののために存在しているのである。】 みたいな雰囲気の文章。
山下和也先生の本にあったけど、 一般システム理論の提唱者であるルードヴィッヒさんのシステムの定義は、 「交互作用しあう要素の複合体」だそうで、山下先生は、カントは認識する純粋理性をシステムとして理解してるのである、と述べられてました。
ま〜、でも、認識をシステムと捉えるのは、普通に考えそうなことのような気もしますね。
ふと、思いましたけど、 、、、独我論は、認識とはシステム、とも考えないのかな???
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