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■1996 / inTopicNo.49)  Re[24]: 3つの経験の類推
  
□投稿者/ pipit -(2019/10/27(Sun) 18:22:26)
    前にした投稿。

    客観に妥当する力学的認識(knowledge)を創り出すシステム。
    Aは、質量保存の法則
    Bは、慣性の法則
    Cは、作用反作用の法則
    を、経験の中につくりだす(?)ということ、かな ?
    勉強つづけなくちゃまだわからないね!


    > 経験の類推は、3種の枠組みにおいてなされる。
    >
    > 先に三種の大枠を書きます。
    >
    > A 第一の類推 実体の常住不変性の原則
    > 《実体はつねに常住不変であり、自然における実体の量は増えもしなければ減りもしない》
    >
    > B 第二の類推 因果律に従う時間的継起の原則
    > 《一切の変化は原因と結果とを結合する法則に従って生起する》
    >
    > C 第三の類推 相互作用あるいは相互性の法則に従う同時的存在の原則
    > 《およそ一切の実体は空間において同時的に存在するものとして知覚される限り完全な相互作用をなしている》
    >
引用返信/返信 削除キー/
■1995 / inTopicNo.50)  Re[35]: 経験の類推
□投稿者/ pipit -(2019/10/27(Sun) 18:11:01)
    わたしたちにとって、客観的認識の中の力学的認識(knowledge)が出来上がる際に使われてるシステム。

    それが、経験の類推という原則。

    という理解でとりあえず読み進めてみます。
引用返信/返信 削除キー/
■1994 / inTopicNo.51)  経験の類推
□投稿者/ pipit -(2019/10/27(Sun) 18:09:22)
    経験の類推とは、
    経験一般の現存在にかかわる力学的原則。経験の可能性の基礎となる原則。
    (御子柴善之先生の文章のpipit的理解。カント哲学の核心p143)

    で、経験とは、
    『すなわち知覚によって客体を規定する認識のことである。』(中山元先生訳文251)

    で、原則とは、
    『純粋な知性は、あるものが生起するための規則を定める能力であるだけでなく、それ自体が原則の源泉となる。この原則にしたがうことで、わたしたちにとって対象として現れることのできるすべてのものが、必然的に規則にしたがうようになる。』(中山訳文227)

    知覚によって客体を規定する認識(経験)の可能性の基礎となる原則(システム)、ですね。
    可能性、というのは、可能な範囲ですね。
    その原則によりどこまでが可能か。

    それで冒頭の文章に戻れば、

    経験の類推とは、
    経験一般の現存在にかかわる力学的原則。経験の可能性の基礎となる原則。

    知覚による客体の認識一般において、現存在にかかわる力学的原則。

    つまり、わたしたちにとって、客観的認識の中の力学的認識(knowledge)が出来上がる際に使われてるシステム。

    そういうことかあ、(な?)
引用返信/返信 削除キー/
■1991 / inTopicNo.52)  テレパシー
□投稿者/ pipit -(2019/10/26(Sat) 20:49:18)
    わ〜

    全然気にしてないです〜

    単語なんて、単語なんて、単語、、、って何?

    エフニさん、そういうことも詳しそうですね(o^^o)

    考えだすといろんなことがわからなくなりそうで

    土台が不安定になりそうで

    哲学ってなんなんかなー
引用返信/返信 削除キー/
■1984 / inTopicNo.53)  対象性
□投稿者/ pipit -(2019/10/26(Sat) 00:18:27)
    かつて、Gプラウスさんという方が、

    現象は、
    規定された〈現象〉としては、感性に依存し、
    〈規定された〉現象としては、悟性に依存する、
    とまとめてみせたことがあるそうですが、

    御子柴善之先生は、

    この悟性が「規定する」という機能によって、現象に〈対象性〉が付与されるのである。

    とされてました。(『カント哲学の核心』p152)

    コペルニクス的転回で、認識に対象が従うと言っても、神様が光あれと言えば光が現れるような意味での、対象の産出ではなく、
    現象に対象性を付与して対象となるかんじかなー。

    認識に対象が従う、かぁ。


引用返信/返信 削除キー/
■1983 / inTopicNo.54)  ひゅ〜む
□投稿者/ pipit -(2019/10/25(Fri) 18:59:34)
    ヒュームにすごくショック受けさせられたから、

    ヒュームのこと、意識に上がるんだろうね
引用返信/返信 削除キー/
■1982 / inTopicNo.55)  Re[30]: 経験の類比
□投稿者/ pipit -(2019/10/25(Fri) 18:54:57)
    『だから経験の類比とは、知覚から経験の統一を生じさせるための一つの規則であり、経験的な直観一般として、知覚そのものを生じさせる規則ではないのである。そして対象に(現象に)適用される原則として構成的に妥当するものではなく、統制的に妥当するだけなのである。』(中山訳文256)

    素材がないのに、好き勝手に知覚を作るわけじゃないんだね。
    素材、を、料理する、料理の仕方が、原則だね。


    それから、経験の類比の原則は、直観的な明証性を備えたものではないんですって。
    因果は直観的には見えないからかな。
    論証的明証性、なのかな。
    直観的明証性を備えた原則もあるみたいやけど、見る(読む)気力起こらないわ〜

    それにしてもいろいろややこしいな o(`ω´ )o
引用返信/返信 削除キー/
■1980 / inTopicNo.56)  経験の類比
□投稿者/ pipit -(2019/10/25(Fri) 18:35:56)
    今更ながら、勉強該当部分のカント自身による文章をはじめて(?)読んでます。
    (といっても、一行二行レベル・泣)

    んー、やっぱりおもしろそう。。。

    読んでもわからんやろ、と、他先生の解説から勉強してたけど、訳者の中山先生の力なのか、もしかしたらわかるかもやからやっぱり読んだ方がいいかも、と、思わせてくれます。


    まあ、超難しいのは難しいけど(T_T)

    カントによると、
    『すでに指摘したように経験とは、知覚によって客体を認識することである。』
    だそうです。

    『経験とは、経験的な認識のこと、すなわち知覚によって客体を規定する認識のことである。だから経験とは知覚の総合であるが、この総合は知覚そのもののうちに含まれているものではなく、知覚された多様なものの総合的な統一を、一つの意識のうちに含んでいるのである。この総合的な統一が、感覚能力による客体の認識の本質であり、(たんに直観や感覚能力による感覚ではなく)経験の本質である。』(中山元先生訳文251)

    知覚から対象が現れるでしょう?
    どこで線引きするかが問題だなぁ。
    今の所の私見だけど、
    感じたものを考えることによって私たちにとっての対象があらわれるということかなぁと。
    それで、知覚、から、対象、に至るまでの間に、《総合》がなされてるのかと。
    その《総合》を成してる働きが、【原則】かなぁ、と、私見を書いてるとき、
    原則についてのカントの記述見つけました。

    『純粋な知性は、あるものが生起するための規則を定める能力であるだけでなく、それ自体が原則の源泉となる。この原則にしたがうことで、わたしたちにとって対象として現れることのできるすべてのものが、必然的に規則にしたがうようになる。』(中山訳文227)

    んー。

    とりあえず、知覚、から、対象へ至る道程、ということをイメージしておきます。




引用返信/返信 削除キー/
■1977 / inTopicNo.57)  Re[28]: 第一類推 実体と付随性
□投稿者/ pipit -(2019/10/24(Thu) 23:01:56)
    次は第二類推、因果性。

    第二類推において問題なのは、事象の時間的な継起をわれわれがどう認識するかという問題だそうです。

    今日はあとは好きなもの読んで寝よう〜と

    おやすみなさい (o^^o)
引用返信/返信 削除キー/
■1976 / inTopicNo.58)  Re[27]: 第一類推 実体と付随性
□投稿者/ pipit -(2019/10/24(Thu) 22:58:06)
    頭の中で不変の実体としてつなげてないと、

    変化も無いんだなー

    おもしろいなー
引用返信/返信 削除キー/
■1975 / inTopicNo.59)  第一類推 実体と付随性
□投稿者/ pipit -(2019/10/24(Thu) 22:54:10)
    A 第一の類推


    どんな現象(経験)も、必ず時間の枠組みの中で、
    ある場合は時間的に継起きてゆくものとして、
    あるいは同時的な存在として現れる。

    多分こうなのかな?と、pipitが今考えてるのは、
    太陽が東から昇り、西へ沈む、は、継起的な現象(経験)で、
    机の上にコップがあり本もある、は、同時的な存在としての現象(経験)、
    かな?

    継起と同時、って、不変な枠組みがないと、そういう表現はできないのであり、その不変の枠組みを、「基体」としての不変の時間と呼ぼう、って、カントは言ってるみたいです。
    それで、人間には時間はそのもので知覚されるものではなくて、基体としての時間の代わりになるものが必要だが、それがつまり事物の「実体性」であると言おう、ということみたいです。

    変化を認識するためには、変わらないものという基準が必要になる、ということかなと思いました。

    変化は、実体そのものが変化してるのではなく(自然における実体の量は増えもしなければ減りもしない)、実体の属性や様態、状態が変化してる、と、私たちは現象を考えている、という考え方かな。

    卵がプリンに変わった、と、言う時も、
    実体は不変であり、その状態が変わってる、と、私たちは考えるということかな。
    卵とプリンが別物、なら、変化は生じない。
    不変の実体という概念がないとき、変化もない。

引用返信/返信 削除キー/
■1974 / inTopicNo.60)  Re[25]: 中島義道先生の解説
□投稿者/ pipit -(2019/10/24(Thu) 18:58:18)
    わたし、むかーし、
    仏教でいう解脱って、因果律からの解脱なんかな、って、ふと考えたことあるんですよね

    なんかそのこと思い出すな〜

    おもしろいなぁ

    カントは、
    自我による構成で時間という形式ができて
    その時間に因果律が内包されている
    って言ってるの?

    自我がなくなると。。。因果律が内包されている時間もあらわれないのかな?

    ここらへんは経験しやんなわからへんと思ってるけど、

    考え方として考えてみても、おもしろいなぁ



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