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■2021 / inTopicNo.37)  空間の性質
  
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 22:32:15)
    カントの定義で言えば、
    直線、は、まっすぐな線。です。

    それしか含意しないんです。

    それをどのような条件で折るか、の結果で、内角の和を導いてるのなら、
    カントにとっては総合判断なんだと思います。

    それを常識的な人は、経験してる空間の性質による総合判断、と言い、
    変人のカントは、経験を成り立たせてる人間特有の能力の性質による総合判断、と言ってるのだと思ってます。

    だから、カントが正しいとは言ってません。

    現代数学では、『直線、から、三角形の和が180度』が分析判断というのですか?
    もし、そうなら、
    『直線』にいろいろ概念含ませた犯人は、人間のアポステリオリな経験、ということでしょう?
    カントは、犯人は、アプリオリな人間の能力、と言ってるんでしょう?

    数学界にとって、アプリオリな総合判断は存在しない、なら、存在しないでいいんじゃないんですかね。



引用返信/返信 削除キー/
■2020 / inTopicNo.38)  アプリオリ
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 22:18:06)
    カントの文脈で言えば、
    アプリオリとは、
    経験によらず、しかもその源泉は人間の能力にある、ということだと思っています。

    石川文康先生は、カントの文脈でのアプリオリとは、根源的獲得のことだと記されてます。
    (『カント入門』p112〜)
    私の理解で言えば、
    空間時間は、人間の感性能力から獲得されたものであり、
    純粋悟性概念は、人間の知性能力から獲得されたもの、ということかと思いました。

    ロックは、『獲得的』という言葉で、経験からの獲得という意味で、アポステリオリを意味したのかな?(違ったらすみません)
    それに対抗して(?)カントは、《根源的》を追加して、『根源的獲得』という言葉で、アプリオリを意味させたのかな、と思いました。

    カントのアプリオリの定義が数学では認められない、というなら、
    数学の定義の中で、カントが思案したことを考えてみればいいのでは?と、思いました。

    そして、数学の定義の中でカントの思案したことが否定されるなら、
    それは、空間時間がアポステリオリなもの、人間ではなく人間の外側にあるもの、という判断がなされたということなのかな、と、思いました。

    アプリオリな総合判断は存在しない、というのは、
    人間は経験からしか知識を作れない、と、同義であり、
    それは、常識的に正常に思える判断だと私には思えます。

    だから、カントが変人なだけなんじゃないですかねー



引用返信/返信 削除キー/
■2018 / inTopicNo.39)  針金工作
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 21:51:25)
    180度の真っ直ぐの直線。


    その直線で四角形作ったら?

    不思議ですねー、

    一直線で囲んでるのに、内角の和が360度になっちゃった ?
引用返信/返信 削除キー/
■2013 / inTopicNo.40)  概念人間?
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 19:43:42)
    三角形の内角の和。という言葉を、
    カント的に分析すると、
    3つの角がある形の、内側にできる角度を、足したもの。
    となるかと私は思いました。
    そして、カント先生にとっては、上記の素朴なものしか単語に含意しないということなのではないかと。

    なんかカント先生は、概念で思考する概念人間なのかなぁと
    そのような感想を持ちますが、
    外れてるかなぁ?

引用返信/返信 削除キー/
■2012 / inTopicNo.41)  思ったこと
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 19:35:43)
    カントの文脈では、アプリオリ、とは、経験によらない、という意味だと思います。


    『三角形の内角の和、は、180度である。』を、
    カントの文脈において、アプリオリな分析判断、と言った時には、
    三角形の内角の和、に、180度という概念が先に含まれているということを意味してると思います。

    では、その述語概念(180度)はどうやって、主語概念(三角形の内角の和)に含まれますか?

    経験から、ですか?

    もし経験からなら、カントの言葉の文脈から言えば、
    『三角形の内角の和は、180度』は、
    【アポステリオリな総合判断】になります。

    その場合、先の命題を、アプリオリな分析判断、というのは仮面の言葉だ、と、今の段階の私は思いました。

    そして、経験から総合判断されてる、ということは、
    時間空間から総合判断されてる、と、同義でしょう?

    カントは、その時間空間はアプリオリなものだから、
    三角形の内角の和、は、180度。というのを、アプリオリな総合判断、と述べ、

    時間空間は人間にとってアポステリオリなもの、と、思う人が、
    三角形の内角の和、は、180度。というのを、アポステリオリな総合判断、と述べてるのだと思いました。

    アプリオリな分析判断、と、言う時、
    では、その主語概念にどのような手段で問題となる概念が含まれたのか、という視点は、考えてもいい事柄なんじゃないかと思いました。

    例え、三角形の内角の和は180度。という命題であっても、
    経験からの総合判断、つまり、アポステリオリな総合判断であると考えるのが常識的ですよね。

    カントは変人なのかなぁ?☆彡


引用返信/返信 削除キー/
■2008 / inTopicNo.42)  思ったこと
□投稿者/ pipit -(2019/10/30(Wed) 16:05:10)
    >経験とは、
    『すなわち知覚によって客体を規定する認識のことである。』(中山元先生訳文251)<

    知覚によって客体を規定するためにカテゴリーが原則に沿って使用される。

    感官の対象の知覚、が、受動的であり、
    その知覚を使って客観的妥当性を持つ『対象』を規定する。

    まず、知る、の窓口は、感官の対象。
    (今で言えば、この意味が規定されていない一部がオレンジ色とかに映る眼識)

    その対象を、カテゴリー・純粋悟性概念使って、客体としての対象、を、作る。
    (オレンジ色の塊3つの実体という対象)

    さらに、カテゴリーや他の概念も使って、オレンジ色の塊をミカンと言い、3つのうち一つは店で買ったもの、残り二つは職場先でいただいたもの(オレンジ色の度合いで区別する)と、、、規定する。

    これらの規定は、最初に受け取った、受動的眼識には含まれておらず、
    受け取った、わたし、が、能動的に思考作業により、意味を付加した。

    この一連の作用は、エピソード記憶を作る作用、って言ってもいいかも?と思いました。

    それで思ったことは、認知症の方は、この思考作用部分が壊れてると言えないかな、と思いました。
    知覚から、客観的に妥当する客体を規定できない、と表現できるんじゃないかな、と。

    最初に起こる眼識は受動です。
    その受動的な眼識、を、能動的に(客観に妥当するように)考えるのが悟性(知性)ですが、
    カテゴリーの適用が壊れてたり、記憶再生能力が壊れてたり(規定には少なくとも複数の記憶が必要だと思います)、カテゴリー自体が壊れてたり、
    様々な症状はあると思いますが、

    客観的に妥当する『ストーリー』や『エピソード』がつくれなくなってるのが、認知症といえないかな、と、考えました。

    カントは最期は認知症みたいになったそうです。

    わたしもなるかも。
    なりたくはないけど、わかりませんもんね。
    あんまりまわりに迷惑かけなきゃいいけどなぁ。

    カント先生は認知症(?)になっても可愛いかったっぽいですけど(o^^o)

引用返信/返信 削除キー/
■2004 / inTopicNo.43)  わたしのせいてん
□投稿者/ pipit -(2019/10/28(Mon) 22:38:14)
    カントばっかり、こんつめてると、疲れちゃうね

    きょうてんうらないしよっと。

    テーリーガーター

    目をつむって、指差すと、

    199、シースパチャーラー尼様の詩偈の途中でした。

    二偈だけ続きで抜粋します。中村元先生の訳です。

    『199 繰り返し、一つの生存から他の生存へと、己が身を尊重し、生死のうちをへめぐりながら、己が身を超えることができない。

    200 全世界は燃え立っている。全世界は焼かれている。全世界は焦がされている。全世界は揺らいでいる。』

    2500年前くらいに生きていた女性が唱えたとされる言葉。



引用返信/返信 削除キー/
■2003 / inTopicNo.44)  おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/10/27(Sun) 23:46:08)
    おくったがわさん、こんばんは!
    書き込みありがとうございます(^_^)

    > 因果関係、自分も考えてみました。基本的なことしか書けません。
    >
    > 人が火を触った後・火傷が発生する という組合せが何度も起こり、
    >  逆に、火を触っても火傷にならない事例は稀なとき
    > 1. 火が火傷の原因だ と考えるようになる
    > これがヒュームの言う「因果関係は習慣から作られる」だと思われます。
    > --しかし、分かるのは(常に)セットで起きるということだけであり、原因と結果というものを想定すべき根拠はない(とたぶんヒューム)
    > 2. それとは別に(?)、帰納法の問題があり、
    > 今まで常に同じことが起きたから、今後も同じことが起きる と結論する。
    > 人が火を触ると火傷が生じる というセットが、観察された限り常に起きていたから、明日からも人が火を触れば火傷が生じる と結論する。(しかし、実はその結論は真とは限らない、明日突然火傷しなくなるかもしれない −とこれもヒュームだったかな…別人かな?)
    >
    > そこで、pipitさんが「赤ちゃんが火に触ったら火傷する」と考えるとき、その理由はなにか、と。<

    うーん、やっぱり私の個人的な実感としては、自分の【経験】からですね。
    (赤ちゃんが火を触ったら火傷する)と私が言うとき、わたしの子供が小さいとき、線香花火の燃えてる玉を掴んで火傷した経験が私の脳裏に刻まれています。(ダメ親です。次男くん本当にごめんね)

    ここで、カントの考え方かな?と思うことを書きます。まだ勉強途中なので間違えてたらすみません。

    線香花火を子供が持ってる知覚

    子供がジジジと小さな光る玉を掴む知覚

    子供の指が黒く傷つき泣き叫ぶ知覚

    子供の手を掴みバケツへつける知覚

    これらの知覚を、原因と結果という考え方(思考)の元に包摂して、はじめて、「花火(火)を触ると火傷する」という経験をする。

    知覚は、物自体から感性が受動的に得たもの。
    得たもの、を、このカテゴリーに包摂するとき、(包摂する条件があります。そこらへんが多分岩井拓さんの記述でなされてると思います。)、わたしたちは、その経験が客観に妥当する認識だと理解する。(もちろん、その理解が全て正しいわけではなく、その正誤を他人と同じ土台で議論できる用意ができたということ)

    カントにとっては、原因と結果の経験、が、因果関係という枠組みがないと成り立たない、
    ということなのかなーと今のところ思いました。

    火を触る、火傷する、という人間にとってのバラバラな知覚を、客観に妥当する認識(火傷の原因は火を触ったこと)に変化させたのが、経験の類推という原則であり、その原則に沿うための条件に、受動的な感受による表象の現れ方が適っていた、というイメージを持ちました。


    > あと、
    > 現代人が「花火を触ったら火傷する」と考えるとき、科学的知識も関わってくるので上の1,2のように単純ではないかもしれませんが、
    > その科学も根本的には「AとBはセットで起きる」で成り立っていて、原因-結果という表現は便宜的なもの。(たぶん)<

    そうですね、私も実感としては、原因と結果という表現は便宜的、とも思えますが、、、目を開けたら空間の中に物が配置されているように見えるように、どうしても原因と結果という思考の枠組みで現象を捉える場合があるということかなぁ。
    ちょっとまだちゃんとわからないですm(_ _)m


    >>カントの因果についての考え方はどんなのなのかな、理解してみたいな、と思いました。
    >
    > 先日の岩井拓朗さんという人の論文は、因果性のカテゴリーで現象について原因-結果を認識した後〜 の話で、因果性のカテゴリーそのものや、どうやって原因-結果と把握するのかについては、無かったですね。たしか。<

    大分簡潔に記述されてましたもんね。
    岩井さんの論文も参考にさせていただいて、カントの文章や他先生の解説を読んで、ちょっとずつでも理解していけたらな、と、思っています。
    それにしても、、、カントの文章はある意味苦行ですよね!

    おくったがわさん、ありがとうございます、おやすみなさ〜い(^O^)/


引用返信/返信 削除キー/
■2001 / inTopicNo.45)  Re[18]: 第二類推、因果関係
□投稿者/ おくったがわ -(2019/10/27(Sun) 19:45:49)
    No1956に返信(pipitさんの記事)
    因果関係、自分も考えてみました。基本的なことしか書けません。

    人が火を触った後・火傷が発生する という組合せが何度も起こり、
     逆に、火を触っても火傷にならない事例は稀なとき
    1. 火が火傷の原因だ と考えるようになる
    これがヒュームの言う「因果関係は習慣から作られる」だと思われます。
    --しかし、分かるのは(常に)セットで起きるということだけであり、原因と結果というものを想定すべき根拠はない(とたぶんヒューム)
    2. それとは別に(?)、帰納法の問題があり、
    今まで常に同じことが起きたから、今後も同じことが起きる と結論する。
    人が火を触ると火傷が生じる というセットが、観察された限り常に起きていたから、明日からも人が火を触れば火傷が生じる と結論する。(しかし、実はその結論は真とは限らない、明日突然火傷しなくなるかもしれない −とこれもヒュームだったかな…別人かな?)

    そこで、pipitさんが「赤ちゃんが火に触ったら火傷する」と考えるとき、その理由はなにか、と。

    あと、
    現代人が「花火を触ったら火傷する」と考えるとき、科学的知識も関わってくるので上の1,2のように単純ではないかもしれませんが、
    その科学も根本的には「AとBはセットで起きる」で成り立っていて、原因-結果という表現は便宜的なもの。(たぶん)

    (間違いあり得ますので、そこおかしいと思われましたら指摘お願いします)

    > カントの因果についての考え方はどんなのなのかな、理解してみたいな、と思いました。

    先日の岩井拓朗さんという人の論文は、因果性のカテゴリーで現象について原因-結果を認識した後〜 の話で、因果性のカテゴリーそのものや、どうやって原因-結果と把握するのかについては、無かったですね。たしか。

引用返信/返信 削除キー/
■2000 / inTopicNo.46)  Re[13]: pipitさんへ
□投稿者/ おくったがわ -(2019/10/27(Sun) 19:41:00)
    No1936に返信(pipitさんの記事)

    > >たとえば専門家の書いたものでも絶対的な答えとして読んでなく、考えるきっかけにするつもりで見てたりしますので、pipitさんの説明や参考資料の引用はとてもありがたいです。考えるヒントにさせていただいてます。<
    >
    > 私も、目標としては、おくったがわさんのような気概でありたい、と、思っています。
    > でも、私は、感情に引っ張られて冷静に判断できないことも多いです(^_^;)

    なんかエエかっこ書いてますね自分。
    たぶん、自分は全体を理解しようする根気も能力もないため脈絡なく読んでるから、そういうことになるので、気概では全くないです。
    pipitさんはカントの考えたこと・全体像を理解するという目的をもって臨んでいるから。

    > >いつもレスが遅いので、新しい話題の腰を折る形になっていてもうしわけないです。<
    >
    > 感謝しかないですよぉm(_ _)m♪
    >
    > いろいろなご縁があって、それがそれぞれの日常にほんの少しでも良い作用になってたらステキだな、って思います。

    そうですね。ほんとに。
    と言いながら、またもや時間空いてしまってます。
    今回はもう少し早くレスできたのに、ルータの故障でつなげなかったりもして、なおさら。今日取り替えましたけど。
引用返信/返信 削除キー/
■1999 / inTopicNo.47)  Re[26]: 哲学における類推(アナロジー)
□投稿者/ pipit -(2019/10/27(Sun) 18:54:53)
    >今の場合、異質なもの同士の等しい関係をあらわす<

    ある対象、についての規定だから、等しい関係、と表現するのかな ?

    アナロジーかぁ


    数学とは違う使い方、っていっても、数学もほんと全然知らないからな〜(^^;;

    お恥ずかしいなぁ
引用返信/返信 削除キー/
■1998 / inTopicNo.48)  哲学における類推(アナロジー)
□投稿者/ pipit -(2019/10/27(Sun) 18:39:39)
    『カント入門』石川文康先生、p126より引用開始
    『(略)、今の場合、異質なもの同士の等しい関係をあらわす。したがって、これらの原則は、他の原則とちがって、いずれも二項の関係(「A対B」の関係)をあらわす。そしておよそ二項関係は、「恒常性(通時性)」、「継起(前後関係)」、「同時存在」という時間の三つの様態に対応して、三種類あることから、類推も今あげた三つに還元される。』
    引用終了。

    知覚、と、知覚、の、二項だね、多分。
    ある知覚とある知覚の関係を定めるシステム。

    スチール写真をバシバシ撮って(というか、写真という在り方がスチールstillという形態になるんだろうけど)、その写真と写真の関係を定めるシステム、って考えてもとりあえずはいいかな??
引用返信/返信 削除キー/

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