□投稿者/ pipit -(2019/09/17(Tue) 23:50:16)
| No.1797,1799,1806
籠りたない〜〜〜
でも、いつまでたっても進めないから、がんばろう
『カント入門講義』冨田恭彦先生 p259〜
構成とは、概念に対する直観をアプリオリに描き出すこと。
どこに描く?
純粋直観としての空間に描き出すって言ってるんだと思います。
カントは、空間のことを、空虚な概念って言ってるわけじゃなく、
直観、って言ってるので、
空間、を、直に感じてる、としてると今の所思っています。(現象として)
レイヤー、って伝わりにくいかな、
レイヤーに三角形を描き出すんだね。と、自分ではイメージします。
純粋直観としてのレイヤーに、心の中で描くイメージです。
もし、ノートに三角形書くと、その時、その三角形を見てるとき、経験直観ですよね?
それでも、、、、心の中で純粋直観に三角形書いてる、って、カントは言ってると思ってます。(まちがえてたらごめんなさい)
ちょっとワープしますね。
禅のお坊さまが習字で丸書いてるけど、その時、なんか微妙に現実に書いてるものと違うもの頭か心に書いてるのではないでしょうか?? 違うかな?? 詳しくないからわからないけど、あの丸で宇宙とか世界とか完全とか書いてるのかなー とか想像してますが、
そんなかんじで、
砂浜に歪んだ三角形書いたとしても、それは経験直観だけど、 書くこととリンクして、自らの内に、純粋直観上に三角形書いてる って言ってるのかな、って、今の時点では思ってます。
だから、私が作図しても、 違う人が作図しても、 純粋直観という仕様が共通なので、 その作図から三角形の内角の和は180度って直観的に理解でき 180度が、正解って合意し得る
って言ってるのかな、って。
とりあえず、冨田先生の文を少し引用しますm(_ _)m 引用開始 『心の中での(例えば)三角形のイメージ形成作業がどうして 「概念に対応する直観をアプリオリに描き出す」という役割を担えるかというと、 それは想像の作業であって感覚の場における作業ではなく、 したがってそれは空間という純粋直観の枠組みの中での作業であって、 いかなる経験にも依存していないからだということになります。 (略) この「概念に対応する直観のアプリオリな描出」を行う想像力を、 カントは「産出的想像力」と呼びます。 これに対して、すでに経験されたものを再現する想像力を、 「再生的想像力」と呼んでいます。』(p260より引用終了)
次は、構成に関するカントの見解を別の角度から確認、だそうです p262〜
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