□投稿者/ pipit -(2019/09/25(Wed) 00:19:51)
| > これ面白いですね。 > 直線(と方向?) という概念があれば、見たことがない、もしかしたら存在しない多角形でも心の中で作れる、ということかな。<
私も、この現象、おもしろく感じます。 24角形とかも想起できますよね。
> > ミョウバンの三角が同じシステムから作られるというのは、ミョウバンの結晶に触発されて、それを三角形と認識するとき、同じシステムによっているということですか?<
私見書きます。間違えてたらすみません。
三角形と認識しても、三角形と認識しなくても、 『ミョウバンの結晶』からして《物自体ではなくて現象》とするのが、 カントの認識論だと今の私は思っています。
わたしたちの常識からすれば、何かがあって、それを主観で捉えてる、 と思うのが一般的だと思いますが、 カントは、その発想を逆転させて、主観で、その何かを構成してるから、 認識の対象としてその何かが現れる、としてると、私は思っています。
コペルニクス的転回、と、カントが自分の主張に名付けた有名な箇所があります。 引用します。 『これまでわたしたちは、人間のすべての認識は、その対象にしたがって規定されるべきだと想定してきた。(略)[認識が対象に従うのではなく]対象がわたしたちの認識にしたがって規定されねばならないと想定してみたならば、形而上学の課題をよりよく推進することができるのではないだろうか。』 (『純粋理性批判1』中山元訳、p157)
ネットの辞書、コトバンクに載ってた コペルニクス的転回の説明を引用します。 『コペルニクス的転回 こぺるにくすてきてんかい Kopernikanische Wendungドイツ語
カントが、自分の学説の独創的なることを自負して用いた語。従来、認識は、すでに存在している外界を主観がいかに受け入れるか、というところに成立すると考えられていたが、カントは、認識の対象である世界は、空間・時間および範疇(はんちゅう)という感性・悟性の先天的形式にのっとってもともと主観が構成したものである、と主張し、天文学において発想の転換を図ったコペルニクスに自らをなぞらえたのである。[武村泰男]』
あと、黒崎政男先生の本から引用しますね、 とりあえず抜粋引用すると、 『私たちの経験、〈認識〉が成り立つことと、その〈認識の対象〉、つまりものが成立してくることとは同時的事態である、とカントは主張しているのである。』 この前後をまた後ほど引用します。 今日はもう寝ますね
おつかれさまです おやすみなさい (^O^)/
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