| 2021/11/18(Thu) 20:15:07 編集(投稿者)
pipitさん、こんばんは沼ー
私うましかは、これまで『純理』第一版序論から本文へと読んでいますが、それ以外の箇所で以前から気になっているところがあります。
第二版序文のこれです。
>… それにもかかわらず、十分に注意されなければならないことであるが、私たちがまさにこの同一の諸対象を諸物自体そのものとしても、たとえ認識する≠アとはできないにせよ、それでも少なくとも思考する≠アとはできるにちがいないということは、やはりそのさい常に保留されている。なぜなら、さもなければ、現象はそこで現象する或るものなしで存在するという不合理な命題が、そこから生ずるであろうからである。<
→ 原佑訳上巻、p.57
カントはここで、私たちは対象を物自体として認識することはできないが、思考することはできると言っているように、私には読めますー(;´・ω・)
カントのおっちゃん、対象は物自体として思考はできるんですね!? (;゚Д゚)
沼あり危険(/・ω・)/
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