□投稿者/ pipit -(2021/11/18(Thu) 20:15:40)
| ■No19074に返信(うましかさんの記事) > pipitさん、こんばんは沼ー > > 私うましかは、これまで『純理』第一版序論から本文へと読んでいますが、それ以外の箇所で以前から気になっているところがあります。 > > 第二版序文のこれです。 > > >… それにもかかわらず、十分に注意されなければならないことであるが、私たちがまさにこの同一の諸対象を諸物自体そのものとしても、たとえ認識する≠アとはできないにせよ、それでも少なくとも思考する≠アとはできるにちがいないということは、やはりそのさい常に保留されている。なぜなら、さもなければ、現象はそこで現象する或るものなしで存在するという不合理な命題が、そこから生ずるであろうからである。< > > → 原佑訳上巻、p.57 > > カントはここで、私たちは対象を物自体として認識することはできないが、思考することはできると言っているように読めますー(;´・ω・) > > > > カントのおっちゃん、対象は物自体として思考できるんですね!? (;゚Д゚) > > > > 沼あり危険(/・ω・)/<
うましかさん、こんばんは!
実は、今しがた、ええ文章やなーとカントの引用を入力してたのですが、 力尽きて、途中までで、ここまででいいか、と、投稿したのですが、
中山先生の第3巻、p294あたりからの、 中山先生独自段落でいえば、 369 370 371 あたりを、よかったら読んでみてもらえたら、関連すこしはあるかも、と、思いました。
それから、今から、中山先生本第五巻のp171 中山先生独自段落 576 を引用しようと思うのですが(疲れたのでまた後で入力します) ここも、関連してるのではないかなーと。
シンクロしてます?
それとも勘違いかな?
おつかれさま!
|
|