| 私たちがいるとされる宇宙は、どこかから投影されたホログラムであり、世界もそうであり、幻影のようなものである。 ごくごく簡単な書き方しかできないけれど、こうしたことが宇宙ホログラム説であるらしい。 これは、偶然にもアドヴァイタ(=非二元)ととても似た観方になっていると思う。
投影されたもともとのものは、一つの投影なのだけれど、その投影の中で次第に知能が発達して自我が芽生えた人間たちというストーリーが展開され、その一人一人の無数の人間たちが、一つの投影を自分のストーリーとして、その主人公として生きている。 こういう仕組みなのかもしれない。
それであれば、生死もイメージでしかないだろう。
投影されたもともとの一つ、であるとか、投影元。 こうしたものはカントの「物自体」の考え方とも似ているように感じる。
しかし。 私たちが仮に、投影された世界を生きているとしても、リアルを生きていると感じるし、痛みも悲しみも喜びも病の苦しみも死の恐怖、誕生の喜びなどを感じるには違いない。 だから、仮に投影、ホログラムであったとしても、普通に暮らしていく分には何も変わりはない。 ただ、深刻に考えなければならないもの、欲張らなくてはならないものは減るのだと思う。
|