(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■15765 / inTopicNo.1)  Re[67]: 独立
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/08/22(Sun) 20:15:41)
    ■15740、パニさん、
    >彼の動画<見たよ。

    テーマは「独立とは何か?」だったよね。
    で、キムチは独立とは<国民一人一人が自らの意志で人生を主導する自由がある国>って言ってたと思う、そして<朝鮮とはどういう国だったのか>とも言ってたような。

    でもキムチ「独立とは何か?」について語ってないよね。彼が語ってるのは「独立国とは何か」について。これってテーマの問い(「独立とは何か?」)の意味が全然違ってる。

    キムチやワサビは、もうすでに「国」っていう「人間の単位」が決まっちゃっていてその前提の上になんかキムチの主張が展開されてるように見えるのね。ま、途中からの思考でそれはそれでいいんだけど、わたしにとってはどうでもいい見方だった。

    あ、これ、パニさんに言ってるんじゃなくて、キムチとわさびのについてのわたしの感想ね。


引用返信/返信 削除キー/
■15752 / inTopicNo.2)  反日種族主義とニーチェ
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/22(Sun) 08:52:53)
    2021/08/22(Sun) 08:57:14 編集(投稿者)

    『いわく、「ユダヤ人とともに道徳における奴隷一揆は始まる」と。この一揆は背後に二千年の歴史をもっており、今日われわれの目にふれないのは、それが──勝利をおさめてしまったからにすぎないのだ…(ニーチェ著「道徳の系譜 第一論文7」より)』

    『ユダヤ人たち──タキトゥスと古代世界のすべてが言うところでは「奴隷に生まれついた」民族であり、彼らが自ら言いかつ信じるところでは「諸民族のうち選ばれた民族」である──そのユダヤ人たちが価値の逆転という、あの奇術をやってのけたのであり、そのおかげで、地上の生活は数千年にわたって、一つの新しく危険な刺激を手に入れることになった。(ニーチェ著「善悪の彼岸196番」より)』

    数千年に及び人間を呪縛している価値の定立は奴隷として生まれついたユダヤ人の抱くルサンチマンを源泉としてなされた。旧約聖書はエジプトで奴隷とされていたヘブル人(ユダヤ人)の団結と解放、荒寥とした地方で唯一緑が茂るヨルダン川近辺の地に建国(ユダヤ人の理想郷)を想定し、その根拠として書かれたという説が有力である。今、まさに人間に支配されている我々は、本来は神に選ばれた民族なのだという選民思想によって抑圧を耐え忍んだ。

    『白頭山が民族の霊山に変わったのは、植民地期のことです。亡国の民となり、日帝から抑圧と差別を受けるようになった歴史が、その背景にありました。朝鮮人は日帝下で初めて民族を知るようになりました。「我々は箕子の子孫ではなく、檀君の子孫である。我々は一つの血統だ。長い歳月を血統も言語も文化も共にして来た運命の共同体である」。こうした意識が民族でした。朝鮮王朝時代には民族という言葉はなく、それに相応する意識もありませんでした。民族という言葉は日本から渡って来ました。そうして浮かび上がって来たのが白頭山でした。(「反日種族主義 白頭山神話の内幕」より)』

    民族は違っても同じようなストレスは同じような神話を創出する。
    まぁ、そもそも民族神自体が選民思想の論拠とするものが多いとは思うが。。。

引用返信/返信 削除キー/
■15749 / inTopicNo.3)  Re[65]: 反日種族主義2
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/22(Sun) 08:17:45)
    この本は正確には「アンチ反日種族主義」の内容となる。

    ニーチェが言うところのルサンチマン(ニーチェ用語:弱者が強者に抱くコンプレックスからくる怨恨感情)に毒された反日種族主義を断罪し負の連鎖を断ち切ることによって、民族の精神的自立を提起する書籍。

    客観的事実のみを追い求めようとする学者魂には感服するし、彼らこそ真の愛国者だと思う。親日書籍というラベリングはあまりにも短絡的だし、日本では学年末に走り読みしかしない教科書の近代史の一端を6名の韓国人学者から教わった気分。

    この本を読んでさらに嫌韓感情を増幅させるのは反日種族主義と変わらない過度の病的ナショナリズムであり、彼等が日本語版書籍を出版した意図に反する態度だと思う。

    やはり紛争や対立の根底には相手に対する無理解と排他性、独善という名の病的自己愛があり、仮想敵国を想定することは手っ取り早い団結力の強化や支持率のアップとなる。

    共著者らが自己犠牲を厭わない真の愛国者であるのに対して、その対極である反日種族主義を扇動する確信者らは、日韓関係を分断することによって何らかの見返りに寄生する保身と自己愛の塊であり、この手のプロパガンダに踊らされるマスゴミや畜群(ニーチェ用語:すぐに感化され付和雷同する群集や大衆の蔑称)は無知無能のとるに足りない群盲でしかない。
引用返信/返信 削除キー/
■15740 / inTopicNo.4)  反日種族主義
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/21(Sat) 19:01:53)
    2021/08/21(Sat) 19:18:02 編集(投稿者)

    ひょんなことからyoutuberのキムチわさび氏の動画を見ることになり、遅ればせながら読んでみる気になった。

    この手の本はほとんど読まないんだけど、彼の動画から自分があまりにも日本の近代史を知らないことを教えられた。


    https://www.youtube.com/watch?v=yG1TwtVxXvY

引用返信/返信 削除キー/
■15636 / inTopicNo.5)  間主観を可能とする根拠
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/16(Mon) 08:36:11)
    2021/08/16(Mon) 08:37:46 編集(投稿者)

    間主観を可能とする根拠は何か?

    同じ感覚器官を有していること。

    超音波や複眼で世界を捉えるコウモリや昆虫とは共有できない。

    間主観を可能とする根拠には階層があり、感覚器官を土台としてその上に文化や宗教、生活様式などなどの要素が加わり間主観を可能とするのではないか。

    ある意味で言語野(ブローカ野やウェルニッケ野)を土台として文化や生活様式を共有することでもって可能となる言語ゲームにも似ている。
引用返信/返信 削除キー/
■15603 / inTopicNo.6)  Re[62]: 〈私〉と気づき > みのりさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/15(Sun) 09:02:40)
    2021/08/15(Sun) 10:15:45 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No15597に返信(みのりさんの記事)
    >>みのりさんの中では気づきに〈私〉が包摂されるということは相反するものとはならないってことですよね。
    > そうなると思います。 でも、もしかしたら、理解していないゆえに思い込んでいるだけという可能性もあるかもしれません。(^▽^;)

    いえ、みのりさんの中で〈私〉が気づきに包摂されるのは、みのりさんが〈私〉を理解していないためということではないと思います。

    > どんな論、方法がそれぞれの人のもとに訪れてくるか、何が合うかというのも様々だと思いますし、結局のところとしては、その人がそれがいいなと思い、また、それなりに効果みたいなものが出ているなら、何かを求めなくてもいいのかな、というのは私としては思います。
    > 私も以前は、「悟りとはどういうものなんだろう」と知りたいとかなり思った時期があったのですが、そうしたことは特別な修行をされた方々が到達するものなのでその方向性は無理だな、と思っていて願望はないです。
    > ただ、自分という固定の変化しない肉の塊はない、というので居るので身体や心が緩む感じはあり、それで十分と私の場合は思っています。

    驚くほどパニチェも同じ考えです。パニチェも所謂“悟り”なんてものを体得しなてもよいと考えており、〈私〉を探究すればするほど唯物論による再現ができないものとしての確信は深まり、肉の塊はイコール〈私〉ではない、身体や心が緩む感じがあります。

    あれ?今、気づきましたが塊と魂って似た漢字ですね。
    土(物質?)のかたまりが塊で、云う(言語つまり非物質)のかたまりが魂なのかな。。。

    > 永井さんも瞑想をされる(現在はどうかわからないですが)そうなので、そうしたことも何か影響があるのかもしれない、とは考えました。

    同意です。
    多少の社交辞令的な妥協もあるとは思います。

引用返信/返信 削除キー/
■15597 / inTopicNo.7)  Re[61]: 〈私〉と気づき > パニチェさんへ
□投稿者/ みのり -(2021/08/15(Sun) 08:28:51)
    No15587に返信(パニチェさんの記事)

    パニチェさん、レスありがとうございます。

    > みのりさんの中では気づきに〈私〉が包摂されるということは相反するものとはならないってことですよね。

    そうなると思います。 でも、もしかしたら、理解していないゆえに思い込んでいるだけという可能性もあるかもしれません。(^▽^;)

    > 永井均さんも藤田一照さんも山下良道さん折り合いがついているようなんですが、どうもパニチェはその域に到達していません。^^;
    > 確かに無垢(無色透明)であるなら折り合いがつきそうな気もしますが。。。

    どんな論、方法がそれぞれの人のもとに訪れてくるか、何が合うかというのも様々だと思いますし、結局のところとしては、その人がそれがいいなと思い、また、それなりに効果みたいなものが出ているなら、何かを求めなくてもいいのかな、というのは私としては思います。

    私も以前は、「悟りとはどういうものなんだろう」と知りたいとかなり思った時期があったのですが、そうしたことは特別な修行をされた方々が到達するものなのでその方向性は無理だな、と思っていて願望はないです。
    ただ、自分という固定の変化しない肉の塊はない、というので居るので身体や心が緩む感じはあり、それで十分と私の場合は思っています。

    永井さんも瞑想をされる(現在はどうかわからないですが)そうなので、そうしたことも何か影響があるのかもしれない、とは考えました。


    (仏教3.0バージョンUの本は、BOOKOFFしてしまい手元になく、読み返すことができないというのもあったりするので、この投稿はスルーいただいても大丈夫です。)
引用返信/返信 削除キー/
■15587 / inTopicNo.8)  Re[60]: 〈私〉と気づき > みのりさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/14(Sat) 18:29:17)
    こんばんは、みのりさん。レスありがとうございます。

    No15572に返信(みのりさんの記事)

    > 〉私〈で、万人に当てはまる「私」を表現するというの、流行のピクトグラム風かも〜♪と、ふと楽しく感じてしまいました。
    > 万人に共通するというのを、閉じられていない「私」の記号で表現しているのですね。

    悪魔ちゃんの探究対象が「私」という表記を使われているで、閉じた〈私〉を開いて万人に共有可能な私を〉私〈と表記しました。
    確かに〈私〉のピクトグラム化ですね。座布団2枚♪^^

    >>ここで聞きたいのですが〈私〉と「気づき」は隣接してますか、それとも全く違うものでしょうか。

    > 言葉で表現するとなると、隣接というより、「気づき」に包摂される〈私〉となるのかな、と思います。
    > (あくまで、「気づき」からするとそう言えるだろう、ということなんですけど。)

    > なぜそう思うかというと。
    > 非二元では、個人というのは存在しないとしてまして、その観方からするなら、〈私〉は「気づき」に包摂されているとなるかな、と思います。

    みのりさんの中では気づきに〈私〉が包摂されるということは相反するものとはならないってことですよね。
    永井均さんも藤田一照さんも山下良道さん折り合いがついているようなんですが、どうもパニチェはその域に到達していません。^^;
    確かに無垢(無色透明)であるなら折り合いがつきそうな気もしますが。。。

引用返信/返信 削除キー/
■15572 / inTopicNo.9)  Re[59]: 〈私〉と気づき > パニチェさんへ
□投稿者/ みのり -(2021/08/14(Sat) 07:36:57)
    No15564に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/08/14(Sat) 06:49:49 編集(投稿者)

    パニチェさん、レスありがとうございます。

    >>ところで。 去年、〈私〉について段階を踏んで教えていただき、ありがとうございました。
    >
    > どういたしまして。〈私〉に関してあれだけニュートラルなスタンスで先入観もなく、純粋に理解してみようということを前提にした方とレス交換したことがなく、楽しかったしパニチェにとっても有意義な試みというか実験となりました。言語表現できない〈私〉について他者に伝わったのはあれが初めてで画期的でした。

    そう言っていただけると私もとてもありがたいです。

    >>その時は説明についていくのが必至で、なんとか理解にかすったのかなという感じと自分では思ったのですが、それから時間を経て「ああ、こういうことなんだろうな。」というのが身から出るような感じでわかったように感じています。(身から出るってなに?ってなりそうですが。笑)
    >
    > いや、この表現分かりますよ。自分の身から出ない(実体験でない)と〈私〉ではないですからね。

    伝わったんですね。よかった。^^

    >>ただ、これを独自の自分自身の言葉で表現するのは難しく、「ここから開闢する」という言葉をお借りするしかないです。
    >
    > 言葉にするのは難儀ですよね、言葉にした瞬間に万人に当てはまる>私<に変質してしまいますし。

    〉私〈で、万人に当てはまる「私」を表現するというの、流行のピクトグラム風かも〜♪と、ふと楽しく感じてしまいました。
    万人に共通するというのを、閉じられていない「私」の記号で表現しているのですね。

    >>それでなんですが。今さっきまでテレビで野球を観てて。
    >>そういう時って特に「私」というものを意識してなくて、
    >>テレビの画面という世界は、私の眼のところから開闢してるのだけど、そうしたことも意識してないし、という感じです。
    >>また、そのような時間というのは、好きなものを観ている時間というのに限らずけっこうあるように思います。
    >
    > これ、ひょっとしたら三昧なのかもしれません。
    > 何かに夢中になったり没頭しているときには少なくとも言語的な私は消失してますからね。
    > 体験しているのは〈私〉ですが。。。。

    三昧は瞑想上の境地だと思うので、熱中している、没頭している、ボケーっとして観てるなどが、私が野球を観てる際には言えてるかな、と。

    >>自分というものをどのように見るか表現するかというのも、パニチェさんのおっしゃる〈私〉があり、みのりにおいては、現象であるとか起きているというような表現なんですけど、いろんなバリエーションがあって、おもしろいなと思います。
    >
    > 全くもってその通りです。〈私〉は無垢だからいろんなものを纏うことができるのでしょうね。

    > ここで聞きたいのですが〈私〉と「気づき」は隣接してますか、それとも全く違うものでしょうか。

    言葉で表現するとなると、隣接というより、「気づき」に包摂される〈私〉となるのかな、と思います。
    (あくまで、「気づき」からするとそう言えるだろう、ということなんですけど。)

    なぜそう思うかというと。
    非二元では、個人というのは存在しないとしてまして、その観方からするなら、〈私〉は「気づき」に包摂されているとなるかな、と思います。

引用返信/返信 削除キー/
■15564 / inTopicNo.10)  〈私〉と気づき > みのりさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/13(Fri) 22:21:13)
    2021/08/14(Sat) 06:49:49 編集(投稿者)

    こんばんは、みのりさん。レスありがとうございます。

    No15558に返信(みのりさんの記事)
    > パニチェさん、こんばんは。
    > お盆休みで家族も在宅の時が多く、ツァラトゥストラを広げるには落ち着かないのでお休みしてます。

    それがいい!盆休は女性が忙しいですね。

    > ところで。 去年、〈私〉について段階を踏んで教えていただき、ありがとうございました。

    どういたしまして。〈私〉に関してあれだけニュートラルなスタンスで先入観もなく、純粋に理解してみようということを前提にした方とレス交換したことがなく、楽しかったしパニチェにとっても有意義な試みというか実験となりました。言語表現できない〈私〉について他者に伝わったのはあれが初めてで画期的でした。

    > その時は説明についていくのが必至で、なんとか理解にかすったのかなという感じと自分では思ったのですが、それから時間を経て「ああ、こういうことなんだろうな。」というのが身から出るような感じでわかったように感じています。(身から出るってなに?ってなりそうですが。笑)

    いや、この表現分かりますよ。自分の身から出ない(実体験でない)と〈私〉ではないですからね。

    > ただ、これを独自の自分自身の言葉で表現するのは難しく、「ここから開闢する」という言葉をお借りするしかないです。

    言葉にするのは難儀ですよね、言葉にした瞬間に万人に当てはまる>私<に変質してしまいますし。

    > それでなんですが。今さっきまでテレビで野球を観てて。
    > そういう時って特に「私」というものを意識してなくて、
    > テレビの画面という世界は、私の眼のところから開闢してるのだけど、そうしたことも意識してないし、という感じです。
    > また、そのような時間というのは、好きなものを観ている時間というのに限らずけっこうあるように思います。

    これ、ひょっとしたら三昧なのかもしれません。
    何かに夢中になったり没頭しているときには少なくとも言語的な私は消失してますからね。
    体験しているのは〈私〉ですが。。。。

    > 自分というものをどのように見るか表現するかというのも、パニチェさんのおっしゃる〈私〉があり、みのりにおいては、現象であるとか起きているというような表現なんですけど、いろんなバリエーションがあって、おもしろいなと思います。

    全くもってその通りです。〈私〉は無垢だからいろんなものを纏うことができるのでしょうね。

    > まとまらない話ですみません。

    いえいえ、まとまってるし、みのりさんが〈私〉を実体験しているのが凄く伝わります。
    ここで聞きたいのですが〈私〉と「気づき」は隣接してますか、それとも全く違うものでしょうか。

    返信は時間があるときに、いつでも結構です。^^

引用返信/返信 削除キー/
■15562 / inTopicNo.11)  悪魔ちゃんへ>独在性
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/13(Fri) 22:09:10)
    返信ありがとう!

    No15556に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■15554、パニさん、

    > >なんという呼び名にすべきか迷うんだけど「独在的性」または「独在的」ってしとこかな<
    > 了解で〜す。

    > >これは〈私〉やね<
    > 了解で〜す。

    > やっぱ、パニさんの問題は〈私〉ね。
    > 言葉では言い表せないものをどのようにして言い表すことができるか、っていうことかな?

    そうでぇ〜っす。
    悪魔ちゃんの「私」と多分隣接するテーマだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■15558 / inTopicNo.12)  Re[57]: 独我論(独在論)
□投稿者/ みのり -(2021/08/13(Fri) 20:48:32)
    No15550に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/08/13(Fri) 10:49:27 編集(投稿者)
    >
    > パニチェにとって独在論は“論”でも“主義”でも、思想やまして信仰でもない。
    >
    > これ以上のリアルはありえないし、あるがままの実相であり、これ以上の実在や実相などありえない。
    >
    > 神も仏も世界も悟りも他者もここから開闢する。
    >
    > 少し挑発的な表現をすれば、このことに気付かない理由がパニチェには分からない。


    パニチェさん、こんばんは。
    お盆休みで家族も在宅の時が多く、ツァラトゥストラを広げるには落ち着かないのでお休みしてます。

    ところで。 去年、〈私〉について段階を踏んで教えていただき、ありがとうございました。
    その時は説明についていくのが必至で、なんとか理解にかすったのかなという感じと自分では思ったのですが、それから時間を経て「ああ、こういうことなんだろうな。」というのが身から出るような感じでわかったように感じています。(身から出るってなに?ってなりそうですが。笑)
    ただ、これを独自の自分自身の言葉で表現するのは難しく、「ここから開闢する」という言葉をお借りするしかないです。

    それでなんですが。今さっきまでテレビで野球を観てて。
    そういう時って特に「私」というものを意識してなくて、
    テレビの画面という世界は、私の眼のところから開闢してるのだけど、そうしたことも意識してないし、という感じです。
    また、そのような時間というのは、好きなものを観ている時間というのに限らずけっこうあるように思います。

    自分というものをどのように見るか表現するかというのも、パニチェさんのおっしゃる〈私〉があり、みのりにおいては、現象であるとか起きているというような表現なんですけど、いろんなバリエーションがあって、おもしろいなと思います。

    まとまらない話ですみません。

引用返信/返信 削除キー/

次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -