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■15556 / inTopicNo.13)  Re[59]: 独在性
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/08/13(Fri) 19:37:10)
    ■15554、パニさん、

    >なんという呼び名にすべきか迷うんだけど「独在的性」または「独在的」ってしとこかな<
    了解で〜す。

    >これは〈私〉やね<
    了解で〜す。

    やっぱ、パニさんの問題は〈私〉ね。
    言葉では言い表せないものをどのようにして言い表すことができるか、っていうことかな?


引用返信/返信 削除キー/
■15554 / inTopicNo.14)  独在性
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/13(Fri) 18:58:47)
    悪魔ちゃん、こんばんは。レスありがとう!

    No15553に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■15550、パニさん、
    > ちょっと何言ってるのかわかんないところあるから聞くね。

    > >パニチェにとって独在論は“論”でも“主義”でも、思想やまして信仰でもない。<
    > ん?「独在論」には「論」っていう語入ってるよね。な〜んかヘンじゃない。
    > 「独我論」と「独在論」、パニさんの場合「我」と「在」は同じ意味で使ってるの?

    ほんまやね、確かに悪魔ちゃんの指摘通り、言葉的にはオカシイ。
    なんという呼び名にすべきか迷うんだけど「独在的性」または「独在的」ってしとこかな。

    訂正すると。。。
    > >パニチェにとって独在的性は“独我論”のような“論”でも、“独我主義”びような“主義”でも、思想やまして信仰でもない。<
    ってことになる。

    > >神も仏も世界も悟りも他者もここから開闢する<
    > パニさんの場合、神、仏、世界、悟り、他者が開闢するところを何ていう語で表すの?

    これは〈私〉やね。
    この〈私〉の存在する地点が独在性あるいは独在的であり、これが>>これ以上のリアルはありえないし、あるがままの実相であり、これ以上の実在や実相などありえない<ってことになる。

引用返信/返信 削除キー/
■15553 / inTopicNo.15)  Re[57]: 独我論(独在論)
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/08/13(Fri) 18:48:26)
    ■15550、パニさん、
    ちょっと何言ってるのかわかんないところあるから聞くね。

    >パニチェにとって独在論は“論”でも“主義”でも、思想やまして信仰でもない。<
    ん?「独在論」には「論」っていう語入ってるよね。な〜んかヘンじゃない。
    「独我論」と「独在論」、パニさんの場合「我」と「在」は同じ意味で使ってるの?

    >神も仏も世界も悟りも他者もここから開闢する<
    パニさんの場合、神、仏、世界、悟り、他者が開闢するところを何ていう語で表すの?





引用返信/返信 削除キー/
■15550 / inTopicNo.16)  独我論(独在論)
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/13(Fri) 08:31:34)
    2021/08/13(Fri) 10:49:27 編集(投稿者)

    パニチェにとって独在論は“論”でも“主義”でも、思想やまして信仰でもない。

    これ以上のリアルはありえないし、あるがままの実相であり、これ以上の実在や実相などありえない。

    神も仏も世界も悟りも他者もここから開闢する。

    少し挑発的な表現をすれば、このことに気付かない理由がパニチェには分からない。
引用返信/返信 削除キー/
■15548 / inTopicNo.17)  鏡と鏡像について>pipitさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/12(Thu) 22:42:14)
    pipitさん、こちらこそ、レスありがとうございます。

    No15546に返信(pipitさんの記事)
    > あぁ、そうかぁ、次元、フィールド、階層?が違うかぁ、
    > 認識対象、と、認識システム、、

    そのように考えています。
    鏡に世界を映したとして、映している鏡は映された世界には含まれません(映りません)から、鏡に映った世界と世界を映す鏡の存在は別次元になるというような話です。
    余計に分かりにくいかも。。。。(笑)

    > 生命の尊厳を認めることができそうですよね。
    > でも、食べてるわけで、
    > そこが、わたしは、この世界の切なさに思います。
    > ここは、個性で方向が分かれるかもしれませんね。

    いや、私も思いますよ。
    倫理道徳や命の尊厳などと綺麗ごとを言ってるが、それは所詮、人間の存続や繁栄を前提としたものであって、動物虐待と叫ぶ一方で毎日食卓にあげるために魚や牛や豚を殺している。
    カルガモの道路横断を警察まで出動して守らせながらも、鴨南蛮そば食うてるやん。
    このことに無自覚で倫理道徳を語るのはちゃんちゃら可笑しいです。
    せめて命をいただいている自覚は持ちたいですね、これで人間という種族の自己中が誤魔化されるわけではないのですが。。。

    > このような話を、対話してもらうことができて、とてもうれしいです。
    > 一般的には(?)ほぼほぼ無理かもと、思いますもん(^◇^;)

    私もまったく同じで有難いです。
    リアルでこんなことを話せる人は周りにはいません。^^

    >>■No15529に返信(pipitさんの記事)
    > あぁ、いいですね、
    > わたしが車を避けるなら、わたしは犬の存在も認めよ、と、パニチェさんの文章を読んで、自分に思いました。
    > わたし、日常で車突っ込んできたら、避けれるなら絶対避けます!
    > 元気でます。ありがとうございます!

    こちらこそ、ありがとうございました。

引用返信/返信 削除キー/
■15546 / inTopicNo.18)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/08/12(Thu) 21:51:42)
    パニチェさん、返信ありがとうございます(o^^o)

    No15543
    > 〈私〉が認識する世界も他者も物も〈私〉の存在とは次元というかフィールドが違う。
    > あくまで認識対象であって、これを認識している主体が〈私〉であり、〈私〉が存在する地点は如何なる他者はもちろん、いかなる物も並び立つことができない世界の特異点(そこから世界が開闢するという意味も含)です。
    > 絶対的に孤独で私秘性は何人も直接的に垣間見ることもできないところにあり、世界の中にはなく世界の極点にあります。
    > その意味で存在論的にも認識論的にも独我論(独在論)が(私の認識能力からして)ありのままの究極のリアルであり、これ以上確かなものがない真実だと考えています。<

    あぁ、そうかぁ、次元、フィールド、階層?が違うかぁ、
    認識対象、と、認識システム、、


    > で、日常的には物も他者の存在も認めています。
    > ただ先ほど述べたように完全に?マークは払拭されませんが、極めて薄い?マークというか、存在の次元やフィールドが違うということです。
    > こういうスタンスに立った時には他者も絶対的に孤独な存在であり、かつ唯一無二で他者が認識する世界の中心に位置する主役でもあるわけです。
    > パニチェはここにパニチェなりの他者へ優しさや尊重が生じ、人としての尊厳があると考えています。<

    生命の尊厳を認めることができそうですよね。
    でも、食べてるわけで、
    そこが、わたしは、この世界の切なさに思います。
    ここは、個性で方向が分かれるかもしれませんね。


    > pipitさんもご存じの『「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟しよう。──このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人があれば、争いはしずまる。(ダンマパダ6)』と同じく『「われらは、ここにあって絶対的に孤独である」と覚悟しよう。──このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人があれば、他者へのいたわりや優しさがあふれ、人間と命の尊厳を知る。』と考えています。
    >
    > パニチェの言葉だけでは説得力に欠けますので、パニチェと多分同じテーマを探究している哲学者の言葉を最後に引用します。
    >
    > 『もしここで論じられているような問題が確かに存在し、それを論じる私のやり方に大過がないことが納得できたなら、私は次に、このような問題が人生にとってどういう意味をもつかを、主題的に考察していきたい。これまで考えてきた道徳哲学やニーチェに関する問題と交差する地点に、徐々に接近していきたいと思う。(永井均著「〈私〉の存在の比類なさ はじめに」より引用)』<

    このような話を、対話してもらうことができて、とてもうれしいです。
    一般的には(?)ほぼほぼ無理かもと、思いますもん(^◇^;)


    > ■No15529に返信(pipitさんの記事)
    >>わたしから見た認識、
    >>犬から見た認識、
    >>それぞれ、いっぱいの認識が存在すると思われてますか?
    >
    > はい。
    >
    >>いっぱい存在するのかは、推測でしかできない、と思われてますか?
    >>推測だけど、まあ、いいか、というかんじで日常生活されてますか?
    >
    > 上記で述べたように厳密(哲学的)には?マークは払拭できませんが、走ってくる車の存在を避けるようなリアルさでもって他者の認識も犬の認識も存在すると考えています。
    > それは推測といえば推測に過ぎませんし、私たちは推測以上の確信を得る手段を持ち合わせていないと思います。<

    あぁ、いいですね、
    わたしが車を避けるなら、わたしは犬の存在も認めよ、と、パニチェさんの文章を読んで、自分に思いました。
    わたし、日常で車突っ込んできたら、避けれるなら絶対避けます!

    元気でます。ありがとうございます!
引用返信/返信 削除キー/
■15543 / inTopicNo.19)  独在論と実存主義
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/12(Thu) 20:44:59)
    2021/08/12(Thu) 21:14:38 編集(投稿者)

    こんばんは、pipitさん、レスありがとうございます。
    この手の質問は発言の機会をいただいたようで有難いです。
    答えになっていないところがあれば遠慮なく突っ込みやり質問、反論等々をよろしくお願いします。

    No15528に返信(pipitさんの記事)
    > No.15508
    > >この意味において独在論は袋小路であり、抜け出る手段は私たちは持っていない。<

    > パニチェさんの捉え方を教えていただきたいな、と思うのですが、
    > パニチェさんの中では、
    > 別在はある(他人はいる)と、思われてますか?
    > 『他の生命』について、どんなふうに思われて生活をされていますか?
    > わたしは、他人は居るやろな、とは思うのですが、
    > 独在やといややな、と、考えることもあります。

    哲学的にはというか厳密には疑いようがない存在というのは〈私〉だけです。
    デカルトの第一原理であるコギトの存在。これ以外の存在については?マークを完全に払拭することはできません。
    それは現象学的還元(自我論的還元)の結果、唯一残ったものと同じです。

    〈私〉が認識する世界も他者も物も〈私〉の存在とは次元というかフィールドが違う。
    あくまで認識対象であって、これを認識している主体が〈私〉であり、〈私〉が存在する地点は如何なる他者はもちろん、いかなる物も並び立つことができない世界の特異点(そこから世界が開闢するという意味も含)です。
    絶対的に孤独で私秘性は何人も直接的に垣間見ることもできないところにあり、世界の中にはなく世界の極点にあります。
    その意味で存在論的にも認識論的にも独我論(独在論)が(私の認識能力からして)ありのままの究極のリアルであり、これ以上確かなものがない真実だと考えています。

    で、日常的には物も他者の存在も認めています。
    ただ先ほど述べたように完全に?マークは払拭されませんが、極めて薄い?マークというか、存在の次元やフィールドが違うということです。
    こういうスタンスに立った時には他者も絶対的に孤独な存在であり、かつ唯一無二で他者が認識する世界の中心に位置する主役でもあるわけです。
    パニチェはここにパニチェなりの他者へ優しさや尊重が生じ、人としての尊厳があると考えています。

    pipitさんもご存じの『「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟しよう。──このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人があれば、争いはしずまる。(ダンマパダ6)』と同じく『「われらは、ここにあって絶対的に孤独である」と覚悟しよう。──このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人があれば、他者へのいたわりや優しさがあふれ、人間と命の尊厳を知る。』と考えています。

    パニチェの言葉だけでは説得力に欠けますので、パニチェと多分同じテーマを探究している哲学者の言葉を最後に引用します。

    『もしここで論じられているような問題が確かに存在し、それを論じる私のやり方に大過がないことが納得できたなら、私は次に、このような問題が人生にとってどういう意味をもつかを、主題的に考察していきたい。これまで考えてきた道徳哲学やニーチェに関する問題と交差する地点に、徐々に接近していきたいと思う。(永井均著「〈私〉の存在の比類なさ はじめに」より引用)』


    No15529に返信(pipitさんの記事)
    > わたしから見た認識、
    > 犬から見た認識、
    > それぞれ、いっぱいの認識が存在すると思われてますか?

    はい。

    > いっぱい存在するのかは、推測でしかできない、と思われてますか?
    > 推測だけど、まあ、いいか、というかんじで日常生活されてますか?

    上記で述べたように厳密(哲学的)には?マークは払拭できませんが、走ってくる車の存在を避けるようなリアルさでもって他者の認識も犬の認識も存在すると考えています。
    それは推測といえば推測に過ぎませんし、私たちは推測以上の確信を得る手段を持ち合わせていないと思います。

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引用返信/返信 削除キー/
■15529 / inTopicNo.20)  パニチェさんへ 認識
□投稿者/ pipit -(2021/08/11(Wed) 23:02:58)
    わたしから見た認識、
    犬から見た認識、
    それぞれ、いっぱいの認識が存在すると思われてますか?

    いっぱい存在するのかは、推測でしかできない、と思われてますか?


    推測だけど、まあ、いいか、というかんじで日常生活されてますか?

引用返信/返信 削除キー/
■15528 / inTopicNo.21)  パニチェさんへ  現象学と独我論
□投稿者/ pipit -(2021/08/11(Wed) 22:54:31)
    パニチェさん、こんばんは!

    No.15508
    >この意味において独在論は袋小路であり、抜け出る手段は私たちは持っていない。<

    パニチェさんの捉え方を教えていただきたいな、と思うのですが、
    パニチェさんの中では、
    別在はある(他人はいる)と、思われてますか?
    『他の生命』について、どんなふうに思われて生活をされていますか?

    わたしは、他人は居るやろな、とは思うのですが、
    独在やといややな、と、考えることもあります。

引用返信/返信 削除キー/
■15526 / inTopicNo.22)  Re[50]: 現象学と独我論
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/11(Wed) 19:37:56)
    No15525に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■15516、パニさん
    > ありがとございま〜す。

    どういたしまして。
    「What do you Want to do? 5」での悪魔ちゃんのカキコも楽しみにしてます。
引用返信/返信 削除キー/
■15525 / inTopicNo.23)  Re[49]: 現象学と独我論
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/08/11(Wed) 18:32:26)
    ■15516、パニさん
    ありがとございま〜す。
引用返信/返信 削除キー/
■15516 / inTopicNo.24)  Re[48]: 現象学と独我論
□投稿者/ パニチェ -(2021/08/10(Tue) 19:31:40)
    No15515に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■15508、パニさん、ちょっと質問なんだけど。
    > (a)マッハ光景図、右眼を閉じてる絵だってわたし見てるんだけど、それでいい?

    そうです。実際の直接経験は片目は閉じてないですけどね。

    > (b)>他者や他者の自我<って言ってるけど、<他者の自我>っていうの「他我」っていうことでいい?

    はい、そうです。
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