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■11660 / inTopicNo.49)  Re[51]: 感想
  
□投稿者/ pipit -(2021/03/31(Wed) 10:32:33)
    すごく間違ってるかもだけど、今の段階で考えたことです。

    ========

    私は、感性によって得た世界を、分別して、文章化できる。
    「あれ、は、時計だ。」
    また、そのように感性によって得た概念を、さらに概念同士で、文章化できる。
    「時計、は、時間を知るための道具だ。」

    文章は、概念と概念の関係性を表現している。

    一般論理学は、文章を分析して、概念の内容は捨てた上で、関係性の形に還元して、文章の属するタイプの位置を決める。
    判断して文章化した、元の判断の形を取り出す作業だ。

    ========

    ここで最初に戻ろう。

    >私は、感性によって得た世界を、分別して、文章化できる。
    「あれ、は、時計だ。」<

    わたしは分別してるわけだが、
    さまざまな感覚を綜合して一つのものを措定している、とも言える。

    目を閉じて、物を触って対象を知ろうとする時、世界からある一部を分別するという行為は、その分別以前に知ったある感覚の一部を綜合して一つのものとして措定する行為でもある。
    つまり、感覚から頭の中に作る対象の分別は、感覚の綜合を前提としているということ。

    ========

    分別の前提である、知性の綜合能力によって作られる思考の基幹概念は、
    分別の体系から見出すことができるはず。

    ========

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■11657 / inTopicNo.50)  感想
□投稿者/ pipit -(2021/03/30(Tue) 23:29:19)
    一般論理学における、A は B である。

    カントは、さまざまな中の一つのAが、Bという概念の下に配置された、という考え方なのかな

    それで、Aは、他から提供されたものだけど、

    超越論的論理学では、論理学の内側に、感性による多様を持っている、ということかな。

    素地を持ってる、ってかんじかな

    ピクセルを持ってるイメージ

    ちゃんとわかってないので、引き続き、『純粋理性批判』を細々と読みます。。。

引用返信/返信 削除キー/
■11655 / inTopicNo.51)  一般論理学と超越論的論理学との違い
□投稿者/ pipit -(2021/03/30(Tue) 22:38:24)
    中山元先生訳本第二巻p66〜
    B102あたり〜

    J. M. D. Meiklejohnさんの英訳

    On the contrary, transcendental logic has lying before it the manifold content of a priori sensibility, which transcendental aesthetic presents to it in order to give matter to the pure conceptions of the understanding, without which transcendental logic would have no content, and be therefore utterly void.
    (超越論的な論理学は、感性によるアプリオリな多様をすでに目の前に持ち合わせているのであり、ーーーこの多様なものは超越論的な感性論が、知性の純粋な概念に内容/素材を与えるために用意したものであり、ーーーこの多様なものなしでは超越論的な論理学は、内容を持つことは出来ずに全く空虚なものとなってしまうだろう。)

    (略)


    By means of analysis different representations are brought under one conception―an operation of which general logic treats. On the other hand, the duty of transcendental logic is to reduce to conceptions, not representations, but the pure synthesis of representations.
    (一般的な論理学の操作では、異なった表象を一つの概念の下に置くのであるが、
    超越論的な論理学の仕事は、
    表象たちではなく、表象たちの純粋な綜合を概念にもたらすことである。)

    ========
    (pipitの感想)
    一般論理学は、文章を与えられたら、その内容は無視して、、、一つの概念の下に置くという意味がはっきりとはわからないなぁ。
    例えば、『肯定』という概念、とか、『可能』という概念の下に配置するという意味なのか、ほかの意味なのか (・・?)

    まあ、もし、そうだとして、

    超越論的論理学は、そのような動き(表象たちを一つの概念の下に配置する)ではなく、
    表象の純粋な綜合を概念にもたらす、、、集約するというか、、概念化するということかなぁ。、そのような動きを体系化したもの。。。

    ちがうかなぁ (~_~;)

    カントの文章、今のわたしには、わかりそうでわからないんだよなぁ
引用返信/返信 削除キー/
■11625 / inTopicNo.52)  Re[48]: 定言的判断
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 20:09:51)
    コトバンクさんにのってた意味とカントが同じ意味で定言的判断という言葉を使っているか否かは、まだわたしにはわかりません。
    これから読んでいく箇所に載ってると思うので、読んでいってみます。


引用返信/返信 削除キー/
■11624 / inTopicNo.53)  定言的判断
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 20:05:00)
    コトバンクさんに載ってた『定言的判断』の説明文の一部を引用します。

    『(categorical judg(e)ment の訳語) 「もし天気なら、私は行く(仮言判断)」や「彼は大学生か会社員である(選言判断)」のような条件付きの判断に対して、「すべての人間は死ぬ」のように無条件で断定する判断。全称肯定・全称否定・特称肯定・特称否定判断を含む。定言判断。』

    あー、単称が入ってないけど、これについてカント先生なんかお話ししてたなぁ

    量の判断として、単称と全称をここの考察においては区別する、みたいな。

    ごにょごにょ(ごまかし擬音)
引用返信/返信 削除キー/
■11622 / inTopicNo.54)  Re[46]: 判断
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 19:49:31)
    判断の種類として、

    (分量)を判断してる
    全称的判断
    特称的判断
    単称的判断

    (性質)を判断してる
    肯定的判断
    否定的判断
    無限的判断

    (関係)を判断してる
    定言的判断
    仮言的判断
    選言的判断

    (様相)を判断してる
    蓋然的判断
    実然的判断
    必然的判断

    を、カントはあげてます。

    ん?

    それは◯◯だ、は、単称的肯定判断と思ったけど、
    ん?定言的判断とも言えるのかな???

     要・勉強  (T_T)

    _φ(・_・



引用返信/返信 削除キー/
■11621 / inTopicNo.55)  Re[45]: 判断
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 19:40:19)
    No.11616
    悪魔ちゃん、こんばんは〜
     
    今見てる世界 −(マイナス) 感情 = 客観的判断 、という考え方どうかなあ、と思うけど、

    感情があるということと、世界が見えることが同時にあると考えると、マイナスすることは無理なのかなぁと思ったり。

    今から見ていくつもりなんだけど、
    それは◯◯だ、は、カントの分類としては、単称的肯定判断で、この判断をするときに使用する概念は、分量、と、性質、という概念かな?と思ってるよ。

    あー、めんどくさいね。もう勉強せんでもいいか、と、5%くらいは思うけど。
引用返信/返信 削除キー/
■11616 / inTopicNo.56)  Re[44]: 判断
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/28(Sun) 18:44:08)
    pipitさま、お邪魔しちゃうね。

    ■11598
    >別にいいでしょ?悪魔ちゃんは、pipitにお釈迦さまの教えを嫌え、とは言ってないよね??<

    じぇーんじぇーん!そんなこと言ってないよ〜。ましていいもなにもないじゃん、好き嫌いって。好き嫌って、ご自由に、っていう感じがわたしの好みだし。

    〈それは○○である〉っていうのを、わたし「判断」っていう名にしてる。
    「それは真である」「それは偽である」「それは善である」「それは悪である」「それは好きである」「それは嫌いである」こういうのぜ〜んぶ「判断」ってしちゃってる、っていうこと。

    わたし「真・偽」「善・悪」「好・嫌い」っていう判断にはそれぞれ〈独自性〉があるって思ってる。そうでなけれはこのようには分けられていなんじゃない?でなければ分ける意味ないんじゃない?

    だから、それぞれのその独自性を認めたうえで、その連関性を見ようとするのわたし賛成なんだけど、このような判断のどれか一つににほかのものをすべて含めちゃうっていうの反対なのね。

    「真偽」「善悪」を関係で見て見ると、「真は善である」「偽は悪である」、「善は真である」「悪は偽である」、ん〜ん、ありえそう。

    ん〜ん、でもね、じゃこうのはどうかしら。「わたし、イチゴ好き」に、「それは偽である」とか「それは悪である」な〜んて言うヤツがいたら、わたし何言ってるの?大きなお世話、ってわたしなる。
    あまりにしつこかったら、聞いちゃうよ。あんたの言う「真偽」ってなんなの?あんたの言う「善悪」ってなんなのよ?ってね。おそらく”だんまり”。たぶん。

    で、逆に「真・偽」「善・悪」っていう判断を「好・嫌い」っていう判断から見たらどうかしら。「真は好き、偽は嫌い」「善は好き、悪は嫌い」って、なんかふつうに通用する気がする。あ、「偽が好き、真が嫌い」「悪が好き、善が嫌い」っていうばあいもあるかも。でもこのばあいでも「真偽善悪」ってなあに?っていうのが問題となってくるんじゃないかしら?

    あ、ごめんね、な〜んかだらだら、長くなっちゃみたい。
引用返信/返信 削除キー/
■11612 / inTopicNo.57)  Re[43]: 直観と思考と協働してつくる世界
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 13:02:38)
    @は受動的に与えられ、
    Bは自発的に作り上げる。

    Aは ?

    受動と自発の、、、オートポイエーシスはどうかなぁ。入出力はもたないけど、環境からの撹乱という概念が設定されてるのかなぁ

    そういえば、ちゃんと読めてないけど、カントの感性論があれで受動と呼べるのか、みたいな文章見た記憶あるなぁ

    こちら側固有の形式下で現れるとされてる感じやもんなぁ
引用返信/返信 削除キー/
■11610 / inTopicNo.58)  Re[42]: 直観と思考と協働してつくる世界
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 12:10:42)
    カントはAを、人間の自発性能力としてとらえてるかもだけど、
    (でも、解説者によっては、迷ってる、と表現されることもあるみたい)

    そういう意味では、悪魔ちゃんが前に言った言、考え方、捉え方は面白かったなぁ

    外、が、自らを現す、みたいな。

    指示書持って入り込んでくるイメージが今上がりました。

    なんか、全然知らないんだけど、いろんな方が話してくださった、華厳経の世界のイメージもあがりました。

    世界は多面的、言葉は一面しか表現できない?そんなことはない?

    いろんな、言葉が、上がってきます。

    今日は雨です。雨の音が心地いいなぁ〜

引用返信/返信 削除キー/
■11609 / inTopicNo.59)  直観と思考と協働してつくる世界
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 11:59:26)
    中山元先生訳本第二巻p49
    B93あたり

    J. M. D. Meiklejohnさまによる英訳

    The understanding was defined above only negatively, as a non-sensuous faculty of cognition.
    (知性は、感性によらない認識能力、とここまでは消去法的に表現してきた。)

    Now, independently of sensibility, we cannot possibly have any intuition;
    (感性によらずに、直観を得ることはできない。)

    consequently, the understanding is no faculty of intuition.
    (したがって、知性は直観の能力ではない。・・・感性だけが直観を得る能力を持つので)

    But besides intuition there is no other mode of cognition, except through conceptions;
    (直観以外の認識要素とすれば、概念による認識しか残されていない。)

    consequently, the cognition of every, at least of every human,
    understanding is a cognition through conceptions―not intuitive, but discursive.
    (人間にとって、知性とは概念による認識。
    直観によってではなく、論証的・推論的に、概念による認識。)

    ========

    (pipitの感想)
    自分の認識を観察したとき、
    素材、と、思考
    があるように思える。

    五感によって現れてる直観、が素材で、
    その素材についての思考、と。

    ========

    おもちゃのレゴで考えてみます。

    @レゴの、バラバラの個パーツが素材。

    A個パーツを組み立て、ある存在物を作る。(車、とか、テーブルとか)

    Bその存在物を使って、命題文で表現されるような世界を記述する。(ストーリーの作成)

    今のところの予想私見を書きます。

    @が感性による直観を得ること、
    Bが知性による命題文として記述できるような世界を得ること、
    としてカントは考えてるのではないか、と。

    そしてAが、想像力・構想力による、@の結合で対象としての存在物を作る工程ではないかと。

    純粋知性概念は、Bに関わることである。
    そして、
    Aの取り扱いについて、第一版と第二版では変更されている、いや、変更されていない、と、様々な研究者が考察している箇所ではないかと。

    間違ってるかもしれませんが、今の感想です。
引用返信/返信 削除キー/
■11601 / inTopicNo.60)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/03/27(Sat) 21:23:02)
    No.11597
    > もうじぇんじぇんわたしのと順序(秩序)が違う<

    そういえば、ホームページ先のお坊様?は大乗仏教で、


    パーリ仏典という大乗仏教には分類されない感じの種類の仏教の経典では、多分、書いてることは少し違うかもです。
    第一の矢と第二の矢の示す内容が、もしかしたら違うかも、です。

    でも、別に知りたくないでしょ?
    ので、調べ直さないよ。

    興味あって知りたいなら調べるから、その時は言ってね〜

    おつかれ! おやすみなさい (^^) ☆彡
引用返信/返信 削除キー/

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