| No11721 四月馬鹿さん、こんばんは!
> こんばんは、pipitさん。 > > ご紹介の動画を視てみました。 > まだ始めの3,4分のところですが、また暇なときに続きを視てみます。<
もちろんみるもみないも四月馬鹿さんのお好きにされてくださいね〜
> さて帰ってきたロシュフコーさんによれば、カントは、「リンゴ」の赤い、甘いといった概念について、それらは私たちが作り出したもの(表象)に過ぎず、リンゴそのもの自体(物自体)は認識できないと考えているとのことですね。 > > むずかしいですね、この「物自体」って。私にはよくわかりません。「物自体」の「物」とは何なのか。いや認識できないのであれば、そもそもこう問うこと自体ナンセンスなのかな?<
カントの認識論は、物自体に触発されて私たちに表象が現される、という構図だと わたしは思っていますが、 物自体に触発されて、という部分が、カントの超越論的観念論の大きな特徴かもしれませんね。
> 私たちが「リンゴ」と名付け、そう認識する「物」について、「リンゴ<の>」「赤い」「甘い」といった概念は、「リンゴ<に>」属する諸性質を、私たちの感覚が受け取った結果のものではないのか。だとすれば、その「リンゴ」と呼ばれる物そのもの自体を、私たちが全く認識できないわけでないのではないか、などと考えています。<
私は不勉強・未勉強で全然詳しくないのですが、先程ここに投稿してくださったrestさんが、 現代に起きている物自体にまつわる様々な議論をご存知なんじゃないかな〜 いろんな考え方がありそうですね
書き込み嬉しいです、ありがとうございます(^ ^)
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