(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■11580 / inTopicNo.61)  Re[56]: ふと
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/26(Fri) 19:38:47)
    感性的意味に、思考は言葉を探し、それを何とか言い表そうとする。

    なんか、メルポンのフィロソフィア、上手に表言できた感じ〜、って自我自賛。
引用返信/返信 削除キー/
■11596 / inTopicNo.62)  Re[57]: 「分ける」っていうこと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/27(Sat) 16:41:27)
    〔人は世界を、分類・秩序・体系化という仕方によって理解しようとしてる〕(U)
    っていうのどこかで見たことあって、そうだな〜ってわたし思ってる。

    ひとが「理解できた」って思えるのは、まず〈分類〉できた(分けられた)、っていうことから始まるのかもしれない。そして次にその〈分類されたもの〉を秩序づけ、〈体系化〉してゆくっていうことになるんかな。

    だから、たとえば哲学者の書物を読んで彼らがなに言ってるのかを理解したいとき、まず、その哲学者が〈何のうちで、どのように分けているのか〉を見つけ出すのがいいのかもしれないって、このごろ思ってる。

    わたしのこれまでの経験のうちでの“分け方”と、“その哲学者の分け方”が根本から異なってるとしたら、そしてそこから出発して秩序づけられ、体系化しようとしていることが、わたしにとっては〈分からない〉っていうことになるのかもしれない。

    この頃、この「分け」についていろいろ調べて、わたしのはどうしようかな、っていうのを考えてるんだけど、けっこう手間取ってる。

    でも、メルポンのを読んでそれを知ろうとするなかで、相互主観的にわたしに思われたのが、

    「分け」には、「分類」と「分節」っていう2つがあるんじゃないか、っていうことね。

    これについてはもうちょっと上手に表言できるようになってからにする。

引用返信/返信 削除キー/
■11613 / inTopicNo.63)  Re[58]: 乳幼の頃
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/28(Sun) 16:14:38)
    No11562で、わたし「理性」を〈分ける性〉ってしちゃったんだけど、No11532を見て見る。

    心理学っていう科学じゃなくても、生後2年目で、たとえば「マンマ」「ママ」「パパ」「ブーブー」「イス」などと発語するようになるっていうこと、これ一般的事実だと思う。No11411の(MP-4)で【人間と世界とを理解するには、それらの「事実性」から出発するほかないと考える哲学でもある】ってメルポンは言ってるし。

    んでね、「マンマ」「ママ」「パパ」「ブーブー」「イス」は、世界のうちに“分けてる”ってうことじゃないかしら。この頃にすでに〈分け〉ができるようになってる。そして「ママ、ブーブー」よね。「ブーブー、ママ」じゃなくて。もう〈順序〉もできてる感じ。

    乳幼の頃だし、こういうのって誰からか教わったんじゃなくて“自然と”なんだと思う。一般に、ひとに生まれつき備わってるもの(アプリオリなもの)としての理性(分け・順序という性)によって、世界は知られてゆく、ってわたしこう見たんだけど。

引用返信/返信 削除キー/
■11617 / inTopicNo.64)  Re[59]: 反省的な生
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/28(Sun) 18:58:55)
    ちょっと現象学に戻るね。

    No11411の(MP-4-2)
    【…世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。そして世界との、この素朴な触れあいを再発見し、結局はそれに哲学的な資格を与えることに、あらゆる努力を傾注するのである。…】

    No11467の(MP-7)
    【根本的な反省とは、非反省的な生に対する、反省自身の依存性を自覚することなのだ。非反省的な生こそ、反省の出発状況であり、恒常的な状況でもあり、終局の状況でもある。】

    ほかにメルポンは
    【…私はあるとき反省しはじめたのであり、私の反省は、反省されていないものへの反省である。反省は、おのれが出来事であることを、知らないわけにはいかない。それだから反省は、真の創造として、意識の構造における変化として、自己自身に現れる。主観が自己自身に与えられているのだから、主観に与えられている世界を、反省は反省自身の働きの手前にあるものと、認めなくてはならない。…】(MP-9)
    とも言ってる。

    メルポンの言う「反省」っていうのはデカルトの『省察』と絡まってる。

    No10665の第一省察(D-1)でデカルトは【私は、すでに幾年か前のことになるが、こう気づいたのである。幼少の頃にどれほど多くの偽なるものを真なるものとして私が受け入れてしまっていることか、…】だった。メルポンが言ってるように、
    【私はあるとき反省し始めた】のよね。

    おそらくデカルトは大きくなるなかで科学のお勉強いっぱいしたんだと思う。「幼少の頃にどれほど多くの偽なるものを真なるものとして私が受け入れてしまっている」は“そこから”(科学的見方から)なんだと思う。
    たしかわたし、デカルトの“したい”は〈真なるものを見つけたい〉って見たんだった(No10685)。そして彼も科学の知識は真正なものって信じてたんだと思う。

    (FD)でこんなことを言ってる
    【…デカルト自身は初めから、学問についての理念を持っていた。それは幾何学あるいは数学的自然科学という理念だった。この理想は、宿命的な先入観として幾世紀ものあいだ人々を支配しつづけ、批判的な考察が加えられないまま、デカルトの省察をも規定していた。普遍的な学問は演繹体系という形態をとらねばならず、そこでは全体の構造は幾何学の秩序に従って、演繹を絶対的に基礎づける公理論的な土台の上に立てられねばならない、ということはデカルトにとって、初めから当然のことだった。彼にとって、幾何学において幾何学的な公理が果たしたのと同様の役割を普遍学において果たしたのは、生まれつき公理的な原理を持っている我(エゴ)の絶対的な自己確実性、という公理だった。ただ、この公理的な基礎は、幾何学の公理的な基礎よりももっと深くにあり、幾何学の究極的な基礎づけにも関与する、という使命をもっていた。】(FD-6)

    デカルトもアポステリオリに獲得した「数学的自然科学」を〈自明なこと〉としちゃったのかもしれない。

    現象学は、科学のような認識(真正な知識)も、「非反省的な生」、「この世界との素朴な触れあい」があってはじめて成り立ってるって見てて、だからその原初的世界を解明しようとしてるだと、わたし見てる。

    うん!「反省的な生」って、わたしのこと。

引用返信/返信 削除キー/
■11618 / inTopicNo.65)  Re[60]: 非反省的な生
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/28(Sun) 19:07:20)
    ■11617の「題名」まちがえちゃった。ごめんなさい。
    「反省的な生」じゃなくて、「非反省的な生」に訂正。
引用返信/返信 削除キー/
■11638 / inTopicNo.66)  Re[61]: 非反省的な生
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/03/29(Mon) 20:24:44)
    はい、こんばんわ、悪魔ちゃん

    この非反省的な生っていうのが、悪魔ちゃんが時々いう、
    哲学は反省ってことですかね?

    なんとなくわかる。
引用返信/返信 削除キー/
■11641 / inTopicNo.67)  Re[62]: 非反省的な生
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/29(Mon) 20:45:39)
    ■11638、あら、マジモンさん、ありがと。

    食の幸、どれもおいしそ〜。
引用返信/返信 削除キー/
■11646 / inTopicNo.68)  Re[63]: 感性と考えられたもの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/30(Tue) 19:06:31)
    メルポンより、

    ふたつの赤

    【〈感覚〉としての赤と「どんな」赤かというときの赤とは区別されなければならない。〈どんな〉という質のうちには、すでに赤という純粋印象と、例えば空間・時間のある拡がりを覆う〈印象の機能〉という二つの契機が含まれている。】

    【いったい〈感覚〉としての赤と、「どんな」赤かという、純粋印象と例えば空間・時間のある拡がりを覆うという〈印象の機能〉との二つの契機が含まれている。従って〈認識する〉ということは、つねにある与件を、ある機能において、またある関係の中で、つまり、それが私にとって意味をもち、しかじかの構造を呈示する「かぎりにおいて」把握するということである。】

    【常識の見解、つまり、知覚したことを常識的な言葉で述べるその報告と、知覚的経験そのものとの区別――話された知覚と生きられている知覚との区別――ぐらいはいはしておくべきであろう。】

    うん。

引用返信/返信 削除キー/
■11649 / inTopicNo.69)  Re[64]: 〈分ける〉っていうこと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/30(Tue) 19:33:34)
    「神」と「人間」、これも〈分け〉てるんじゃないかしら。
引用返信/返信 削除キー/
■11663 / inTopicNo.70)  Re[65]: 〈分ける〉っていうこと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/31(Wed) 18:20:36)
    No11596で、わたし、「分け」には二つの見方、「分類」と「分節」、があるんじゃないかな、って思ったんだけど、これ、もうちょっとわたしに見えるようにしようかなって。でもこれ、けっこう手間取ってる。
    「分類」「概念」「カテゴリー」「分節」の意味にいて、わたしの、どうしておこうな、っていうことで。
    こういうのってソシュールの言語学にも連関する感じだけどここではひとまず横に置いとく。

    いろいろネットで調べて見たんだけど、まずそれから、少しづつ。

    つづく

引用返信/返信 削除キー/
■11664 / inTopicNo.71)  Re[66]: 分類
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/31(Wed) 18:43:51)
    「分類」の意味なんだけど。

    コトバクンで、
    〔同類のものをまとめ、いくつかの集まりに区分すること〕とか〔全体を共通性にしたがって大きく分け、分けたものをさらにまた共通性に従って細分し、これ以上分けることのできない個体の一つ手前(種という)まで順次分けていって段階づけ、体系化することをいう〕というのがあって、わたしこのようなものとして見ることにした。

    ひとまず「分類」を〈さまざまな物事を、共通性によって括りまとめ、同じものとして見て、分ること。〉ってしとく。

    「生物(科)学」を見て見ると(ウィキより)、
    「生物」っていう分類されたもののうちで、〔ドメイン/界/門/網/目/科/属/種〕っていう分類体系っていうのがあって。まず〔ドメイン〕が最も大きな分類で、〔真核生物〕と〔細菌〕の二つに分類しているもたい。さらに細かく分類していって、〔個体の一つ手前(種という)まで順次分けていって段階づけ、体系化〕している、みたい。

    詳しいことは知らないけど、こういうのから見ると雰囲気的に分かる感じ。

    ちなみにね、「生物学」っていう科学的分類から見たとき、この頃問題となってる「ウィルス」っていうの、「生物」に入るのか?っていうのも話題になってるみたいだけど、こういうの、科学者にまかせときましょ。ここでのわたしの物語りはそこじゃないから。

    〈分け〉、つづく。



引用返信/返信 削除キー/
■11665 / inTopicNo.72)  Re[67]: 概念
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/31(Wed) 18:54:03)
    「概念」の意味なんだけど。

    やっぱコトバンクからね。
    〔概念とは、個々の対象、いわゆる個物(個体)よりも複数の個物を包括的・概括的に捕捉する〕とか〔〈犬〉という概念が単数、複数の犬の心像、イメージを思いおこさせることなどもあって、概念は心像、イメージも合わせて意味し、あるいはそれらと同一視されることがまれではない〕とか〔個々の物について、知覚・記憶に現れる表象とは別に、一般的なものを考えるときに心のなかに生じるものを「概念」とよび、これが判断の基本要素となる〕っていうのがあって、わたしこれとして見る。

    「概念」っていうの、なんか「分類」と似てるところがある。ん〜ん、〈分類されて(して)るもの〉ってしとこっかな?〈イメージ〉っていうの、わたしにとっては雰囲気的にいいと思うんだけど?「概念」って英語で[con-cept]よね?
    ん〜ん、まだ、ここらへん、わたしの、どうするかはっきりしてない。

    あと、「概念は言葉として表されその意味となる」っていうのどこかで見たんだけど、これからわたし「概念」と「意味」を同義語と見てる。

    〈分け〉、つづく。

引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>

[このトピックに返信]
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -