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■11248 / inTopicNo.13)  Re[8]: 月
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/27(Sat) 21:42:48)
    あら、ほんと。

    澄んだお月さま、っていう感じ。
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■11255 / inTopicNo.14)  Re[9]: わたしが読んでる本
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/28(Sun) 16:57:24)
    「イチゴ」については後でまたお喋りするとして。ちょっとここでわたしが現象学にかんして読んでる訳本を書きだしてそれに記号をつけておきます。いちいち著者名や本の題名を書くのめんどだから。

    Maurice Merleau-Ponty

    『行動の構造』La STRUCTURE DU COMPORTEMENT 1942年
    (滝浦静雄・木田元訳)---(MC)

    『知覚の現象学』Phenomenologie de la Perception 1945年
    (中島盛夫訳) -------(MP)
    (Phenomenologieのeの上のちょんは省略してます)

    『見えるものと見えないもの』LE VISIBLE ET L’INVISIBLE 1964年
    (滝浦静雄・木田元訳) ----(MV)

    Edmund Husserl

    『デカルト的省察』CARTESIANISCHE MEDITATIONEN  1931年
     (浜渦辰二訳)-----(FD)

    Martin Heidegger

    『ハイデガー 存在と時間 T』
     (原佑・渡邊二郎訳) ------(HS)

    MCの「comportment」なんだけど、英和辞典では「ふるまい、態度」ってなってる。
    心理学では「行動」の意味を、言語・行為・表情・しぐさ・生理的変化などとしているようです。こういう意味で、「行動」でもいいと思うんだけど、「振る舞い」とか「身振り」と見た方がわたしにとってはわかりやすい気がしてる。そして、メルポンも【言葉は正真正銘の身振りである】(MP)って言ってる。

    FDがいつごろ書かれたのか、この訳本の解説に、
    〔フッサールは一時期この『デカルト的省察』を自分の「主著」と、さらには「ライフワーク」とすら考えていたほどであったが、本書が出版に至った経緯は単純なものではない。初めに出版されたのは、1931年、パリのコラン社がフランス語訳としてであり、フッサールが71歳の時であった。しかも、1929年に書き上げた原稿が2年後にやっと出版された時、フッサールはすでにこのフランス語版に不満を感じていた。もともと1929年にすでに予告していたドイツ語版の出版も延び延びになり、ドイツ国内の読者の関心を合わせた改訂を考えて推敲を重ねていった。‥‥〕とあるので、ひとまず1931年としておく。

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■11257 / inTopicNo.15)  Re[10]: わたしが読んでる本
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/28(Sun) 17:07:37)
    これらの本、>No1255を読んで、現象学のわたしの、っていう間主観的(相互主観的)なお話し。

    "ひとまず"読み終えてるのは、MCとFDだけ。ほかのは途中で、何度も読み返してるところ。そのなかで、わたしに浮かんできたことを表現して見る、っていうのがわたしのここでの。フッサールのやハイデガーのはメルポンから絡まって読んでいて、メルポンのをわたしにわかるようにするために。わたしのばあいメルポンのに触発されて、かな。

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■11258 / inTopicNo.16)  Re[11]: 「現象学の予備知識」の追加
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/28(Sun) 17:10:51)
    (HS)の「現象学の予備知識」で書いてあったところの抜粋を追加しときます。

    【…「現象学」はその研究対象を名指しているのでもなければ、また、現象学というこの名称はその研究の事象内容を性格づけているのでもない。現象学というこの語は、この学において論ぜられるべき当のものを、いかに提示し取り扱うかということに関して解明するだけである。…】

    【…現象学は、存在論の主題になるべき当のものへと近づく通路の様式であり、また、その当のものを証示しつつ規定する様式である。存在論は現象学としてのみ可能である。現象の現象学的概念は、おのれを示すものとして、存在者の存在、この存在の意味、この存在の諸変様や諸生態を指している。だが、おのれを示すことは、気ままにおのれを示すことではなく、まして現れるといといったようなことでもない。存在者の存在は。「現われない」或るものがその「背後に」なをひかえているようなものでは、断じてありえないのである。現象学の現象の「背後に」は、本質上、他の何ものもひかえてはいないが、現象になるべき当のものが秘匿されているということなら、たしかにありうる。しかも、現象が差しあたってたいてい与えられてはいないという、まさにこの理由で、現象学が必要になるのである。隠蔽性は「現象」の反対概念なのである。…】

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■11259 / inTopicNo.17)  Re[12]: ハイデガー抜粋のわたしのまとめ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/28(Sun) 17:52:15)
    (HS)の抜粋から、わたしのまとめで〜す。

    「現象phenomenon」の意味には、二つあって、一つは、〈おのれをおのれ自身に即して示すこと〉〈おのれを示す当のもの〉〈あらわなもの〉。もう一つは「仮象」という意味。そして、【われわれは、「現象」という名称を、述語的には、ファイノメノンの積極的で根源的な意義に割り当て、現象の欠性的変様としての仮象から現象を区別する。】。

    「仮象」っていうのは【そのように見えるもの、「見せかけのもの」】っていうこと。
    中島義道さんが言ってた〔仮象という概念に「真」に対する「偽」という意味合いは含まれてない〕とか〔真偽以前の〕っていう意味合いとして見て置く。カントのように「誤った現れ=錯覚」という意味での、ではなものとして。

    「現象学Phenomenologie」は、〈おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせるということ〉。

    「現象(おのれを示す当のもの)」が、現れには、「秘匿」「隠蔽」「埋没」「変装」している場合がある、っていうこと。

    こういうのは取り入れることにしたけど、ハイデガーのほかのはわたし興味ない。


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■11260 / inTopicNo.18)  Re[13]: 現象学
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/02/28(Sun) 18:27:07)
    わたしの勝手なのを、ね。

    「現象学」っていうのは、どうやら、「方法」を提示している的なものの感じがする。「現象(おのれを示す当のもの)」にどのような見方で、どのような仕方でアプローチしたらよいか、っていうことに関して見えるようにさせること的な。

    たとえば、「箴言(戒めの言葉。教訓の意味をもつ短い言葉。格言。)」――【口では嘘を言うが、しかもなおその際の口吻(こうふん)ではやはり真実を洩らす。】(善悪の彼岸166)――的なのを導き出してるような哲学じゃなくてね。

    ハイデガーは、「存在者の存在」っていう言い方をしてる。「存在」を「現象(おのれを示す当のもの)」としてるんじゃないかって。
    たとえば「存在者」を「イチゴ」ってして、「存在」を「現象」ってして見ると、「存在者の存在」は「イチゴの現象(おのれを示すとうのもの)」ってなる。「イチゴの現象学」っていう場合、「イチゴの、イチゴを示す当のものを、そのイチゴがイチゴをイチゴ自身のほうから示すとおりに、イチゴ自身の方から見えるようにさせるということ」ってなる。
    また、「知覚の現象学」っていうばあい、「知覚の、知覚を示す当のものを、その知覚が知覚を知覚自身のほうから示すとおりに、知覚自身の方から見えるようにさせるということ」ってなる。

    あと、最近のトピで、「存在者」に「新型コロナウィルス」って入れて見てもおもしろいかも。

    ん〜ん、「現象学」っていうの、なんか見えてきた感じ〜?

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■11269 / inTopicNo.19)  Re[14]: ロゴスという概念
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/01(Mon) 20:02:08)
    (HS)に「ロゴスという概念」っていうのあったので書き写しておきます。字数の関係で、2回に分けて。

    【ロゴスという概念は、プラトンとアリストテレスにあっては多義的であり、しかも、それらの諸意義がたがいにそむきあって、一つの根本意義によって積極的に導かれてはいないという仕方で多義的である。これは、事実上はたんに見せかけにすぎないのであって、この見せかけが成り立つのは、学的解釈がその根本意義の第一次的な内実において適切にとらえられることができないかぎりにおいてなのである。われわれがロゴスの根本意義は語りだと言うなら、この文字通りの翻訳は、語りということ自身が何を意味するのかが規定されることにもとづいてはじめて、完全な効力をもつものになる。ロゴスの語義の後代の歴史、なかんずく、その後の哲学がなした多種多様な勝手な学的解釈は、語りということがもっているあまりにも明々白々な本来の意義を、不断に隠蔽している。ロゴスは「翻訳され」る、言いかえれば、理性、判断、概念、定義、根拠、関係としてつねに解釈される。だが、どうして「語り」が変様されて、ロゴスがいま挙げたすべてのものを意味し、しかも、学的用語法の範囲内においてそれらのものを意味するようになりうるのであろうか。ロゴスが陳述という意味に解され、だが、陳述が「判断」と解されるときですら、この一見正当にみえる翻訳でもっては、基礎的な意義がなんとしても逸せられているおそれがあり、ことに判断が現今のなんらかの「判断理論」の意味においてとらえられるときには、なおさらそうである。判断が「結合」ないしは「態度決定」(承認―否認)だと解されているかぎりでは、ロゴスは判断を意味しておらず、いずれにしても第一次的な判断を意味してはいないのである。
    むしろ、語りとしてのロゴスは、デェールーンと同じことであり、このデェールーンとは、語りにおいてそれについて「語られて」いる当のものをあらわならしめる、ということである。アリストテレスは語りのこの機能をアポファイネスタイとしていっそう鋭く究明した。ロゴスは、或るものを見えるようにさせる(ファイネスタイ)のである、つまり、それに関して語られている当のものを、しかも、語りつつある者にとって(中動相)、ないしはたがいに語りあいつつある者たちにとって、見えるようにさせるのである。語りは、それについて語られている当のもの自身のほうから(アポ)「見えるようにさせる」。語り(アポファンシス)においては、その語りが真正のものであるかぎり語られている当の内容は、それに関して語られている当の話題から汲み取られているべきであり、したがって、語りつつ伝達するときにはこの伝達は、この伝達がそれに関して語っている当の話題を、言われた伝達内容のうちであらわにし、かくして他人に近づきうるものにする。これがアポファンシスといてのロゴスの構造なのである。あらゆる「語り」が、提示しつつ見えるようにさせるという意味でのあらわにするというこの様態を固有にもっているわけではない。たとえば願うこと(エウケー)もあらわにするのであるが、しかしそれは別の仕方においてなのである。
    具体的に遂行されるときには語ること(見えるようにさせること)は、発言という性格を、つまり、言葉を声に出して口外するとう性格をもっている。ロゴスは、フォーネー、すなわち音声であり、しかも、フォーネー・メタ・ファンタシアス、すなわち、見エル像ヲトモナッタ音声であり――声に出して口外することであるが、そこではそのつど何ものかが看取されているのである。
    そして、アポファンシスとしてのロゴスの機能が或るものを提示しつつ見えるようにさせるということにあるゆえのみ、ロゴスは、シュンテシス、すなわち綜合という構造形式をもつことができる。綜合とは、ここでは、諸表象の結合や連結、つまり、心理的に出来(しゅったい)することどもの操作のことを言っているのではないのであって、そうした心理的に出来する諸表象の結合に関してなら、次に生ずる「問題」が、いかにして内的なものとしてそのような結合が外なる物理的なものと合致するのかということであるのは、当然のことである。綜合の合、つまり、シュンテシスのシュンは、ここでは、純粋に命題的(2)な意義をもっているのであって、或るものをそれが或るものといっしょになっているままに見えるようにさせる、或るものを或るものとして(3)見えるようにさせるということにほかならない。】

    訳注(2)〔ここでは「命題的」という語は、そのドイツ語が由来するギリシア語アポフアンシスに与えられた前記の語義を受けて、提示しつつ見えるようにさせるという意味を含んでいる。〕

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■11270 / inTopicNo.20)  Re[15]: ロゴスという概念
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/01(Mon) 20:03:49)
    ■11269のつづき

    【さらにまた、ロゴスは見えるようにさせることであるゆえ、このゆえにロゴスは、真であったり偽であったりすることができる。だからまた肝要なのは、「合致」という意味での捏造(ねつぞう)された真理概念から解放されているということである。合致というこの考えは、アレーティア、すなわち真理という概念において、第一次的なものでは断じてない。アレーテウエイン、すなわち真理ヲ暴露スルコトとしてのロゴスの「真であること」とは、それについて語られている存在者を、アポファイネスタイとしてのレゲイン、すなわち語ルコトにおいてその存在者の秘匿性から取り出して、秘匿されていないもの(アレーテス)として見えるようにさせること、つまり暴露することである。同様に、「偽であること」を意味するプセウデスタイとは、隠蔽するという意味での欺瞞と同じこと、すなわち、或るものを或るもののまえに(見えるようにさせるという仕方で)据え置き、かくしてその或るものを、その或るものがそれではない或るものとして言いふらすことである。
    しかし、「真理」がこうした意味をもち、ロゴスが見えるようにさせることの特定の一様態であるゆえ、ロゴスは真理の第一次的な「在りか」としてけっして要求されてはならない。今日あまねく行われているように、ひとが真理を規定して、真理は「本来的」には判断に帰属するものだとし、そのうえ、このテーゼについてアリストテレスを引き合いに出すなら、こうした引証は正当でもなければ、また、なかんずくギリシア的真理概念も誤解されている。ギリシア的な意味において、しかも前記のロゴスよりもいっそう根源的に「真」であるのは、アイステーシス、すなわち感覚である。つまり、或るものを、端的に、感性的に認知することである。アイステーシス、すなわち感覚というものがそのつどめざすのは、おのれのイデア、すなわちおのれの特定対象、つまり、まさしくアイステーシスをつうじて、またそのアイステーシスにとってのみ、そのつど純正に近づきうる存在者である。たとえば、視覚が目指すのは色なのだが、そのかぎりでは、その認知はつねに真である。このことは、視覚がつねに色を暴露し、聴覚はつねに音を暴露するということにほかならない。最も純粋な最も根源的な意味においては「真」であるのは――言いかえれば、暴露するだけであって、したがってけっして隠蔽することができないのは、純粋なノエイン、すなわち思考スルコトであり、つまり、存在者そのものの最も単純な諸存在規定を、率直に眺めやりつつ認知することである。このノエインは、けっして隠蔽することはできず、けっして偽であることはできず、たかだかそれは、認知しないこと、すなわちアグノエイン、つまり端的に適切に近づく通路を欠くことに、とどまりうるだけである。
    純粋に見えるようにさせることを遂行する形式をもはやもってはおらず、提示するときにはそのつど他のものに頼り、このようにして或るものを或るものとしてそのつど見えるようにさせるもの、このものが、こうした綜合構造でもって隠蔽の可能性を引き受けるのである。だが、「判断の真理」はこうした隠蔽の反対の場合にすぎない――言いかえれば真理の幾重にも基礎づけられた現象にすぎない。実在論も観念論も、ギリシア的真理概念の意味を等しく根本的に取り逃がしているのだが、そもそもひとは、このギリシア的真理概念からのみ、哲学的認識としての「イデア論」といったようなものの可能性を、了解しうるのである。
    また、ロゴスの機能は、或るものを端的に見えるようにさせることに、つまり、存在者を認知させることにあるゆえ、ロゴスは理性を意味しうる(4)。またさらに、ロゴスは、レゲイン、すなわち、語ルコトという意味においてばかりではなく、同時に、レゴメノン、つまり、提示されたものそのものという意味においても用いられ、しかも後者は、ヒュポケイメノン、つまり、いかなる語りかけや論じ合いが行なわれるときでも、実際に存在しているものとして、そのことによってそのつどすでに根底にあるもの、そうしたもの以外の何ものでもないゆえ、ロゴスは、レゴメノンとして、根拠、すなわちラティオのことでもある。最後に、レゴメノンとしてのロゴスは、或るものとして語りかけられているものをも意味するゆえ、つまり、そのものと或るものとの関係において、すなわち、そのものが「関係づけられている」ことにおいて、看取できるようになっているものをも意味するゆえ、ロゴスは関係や比例という意味をもっているのである。
    「命題的な語り」のこうした学的解釈で、ロゴスの第一次的な機能を判然とさせるためには当面十分であろう。

    訳注(4)〔ドイツ語では「理性[Vernunft]」の語源は、「認知する[vernehmen]」である。〕


    以上で〜す。
    これについてのわたしのは後で。

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■11281 / inTopicNo.21)  Re[16]: What do I want to
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/04(Thu) 19:18:13)
    ハイデガーは、古代ギリシャに遡り、そこにおいて、そこから見ている。
    「現象」「ロゴス」「現象学」、わたしにまとめて見ると、

    ハイデガーにおいては、

    「現象」phenomenon
    〈おのれを示す当のもの〉

    「ロゴス」logos
    〈見えるようにさせること〉 〈語ること〉

    「現象学」Phenomenologie
    〈おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見える世にさせること。〉

    として、わたし取り入れることにしたの

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■11284 / inTopicNo.22)  Re[17]: What do you want to do?
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/04(Thu) 19:58:40)
    ねえ、ちょっとわたし思うんだけど、ここで、ロゴス、してるんじゃなかしらって。
    あ、ここだけじゃなくても。たとえば国会での“言い合い”のなかでもね。

    ん?違う?自分の、思ってることを、信念を、真正と思ってることを、判断を、見えを、見方を、”表現してる”?ん?自分の主張に賛同する人、共感する人を、求めてる?ん?それとも、いろんな人の見方、思・考を見て見たい?

    でも結局、What do you(I) want to do?っていうことなんじゃないかしら?


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■11295 / inTopicNo.23)  Re[18]: 「ロゴス」っていう語の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/05(Fri) 18:29:47)
    「ロゴス」なんだけどー

    わたしの参考書での「ロゴス」は、
    〔言葉・定義・命題・論理・理法・理性などをあらわすギリシア語。承認された事実に基づくミュトス(神話)が確かめられないのに対して、ロゴス(理性)は事物を論理によって考え、真理を論証する。古代ギリシア人は、世界はカオス(混沌)ではなく、法則が支配する秩序あるコスモス(宇宙・調和)と考えた。世界を支配する法則であるロゴスを、人間にそなわる内なるロゴス(理性)によって把握し、世界を統一的・合理的に理解しようとする営みから哲学が生まれた。〕(E-1)
    ってあります。

    ハイデガーが言ってるように「ロゴス」という語は、理性、判断、概念、定義、根拠、関係とか、上記の参考書のように、言葉、命題、論理、理法などといろいろに翻訳されてる見たい。
    わたしよくわかんなかったんだけど、ハイデガーの見方でわたしにわかりやすくなった感じ。

    「ロゴス」を〈見えるようにさせること〉とすることによって、上記のようないろいろな語は〈これ〉によってまとめられる気がする。

    で、もうちょっとわたしにわかりやすくして見た。
    わたしのばあい、「ロゴス」を〈見えるようにさせること〉として、〈表現すること〉、〈表現した(された)もの〉ってしてすることにして見た。

    わたしふだん「ロゴス」なんって言葉使わない。わたしにとって関係するのは、「語ること」あるいは「表現すること」「表現した(された)もの」。そしてこのようなことを〈見えるようにさせること〉として見ること、ということだけでいい。メルポンは、「見えるものと見えないもの」っていう見方をしてるし。

    つぎにわたしにとって問題となってくるのが、ロゴスから派生した翻訳語としての、理性、判断、概念、定義、根拠、関係、言葉、命題、論理、理法の意味をどうして置きましょうか、っていうこと。

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■11299 / inTopicNo.24)  Re[19]: 言葉の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/05(Fri) 19:29:14)
    フッサールは、〔意味を通じて世界と関わる〕(FD訳注)って言ってる見たい。なんかわたしもそんなんかな〜っていう気がしてる。わたしのこのごろのお喋りは、言葉の意味をどうしておきましょうか、っていうことになってる感じ。ん〜ん、ってすると「意味」っていう語の意味も問題になるんだけど、後で考えて見ることにする。なんか問いが山積みになってく〜。

    わたし「命題」を「判断を言葉にして表したもの」ってしてるんだけど、これって判断と言葉の関係で命題を“言い表して”るって見ることもできる。また、「概念は言葉として表されその意味となる」ってしてるんだけど、これって概念と言葉と意味との関係を“言い表して”るって見ることもできる。
    「定義」っていうの「物事の意味・内容を他と区別できるように、言葉で明確に限定すること」だったり、「根拠」っていうのも〈その判断の根拠を示す〉とか言っちゃりして。

    こんな感じで、判断、定義、根拠、概念、言葉、命題、などは〈表現すること〉(見えるようにさせること)ということによってまとめてよさそう(概念については後でまた考えて見るつもりだけど)。ひとまずね。

    でも、理性、論理、理法、はどうなのかしら。ぜんぶに「理」が入ってるから、わたしひとまず「理性」っていうのどうしておきましょうか、っていうとかな。

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