(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■11157 / inTopicNo.1)  哲学の雑談 9
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/02/22(Mon) 20:57:08)
    トピ主:knowing itselfさん


    引き続きよろしくお願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■11170 / inTopicNo.2)  Re[1]: 哲学の雑談 9
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/23(Tue) 19:01:00)
    パニチェさん 更新ありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/
■11173 / inTopicNo.3)  地獄のないこと
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/23(Tue) 20:07:10)
    knowing itselfさん、レスありがとうございます。

    >この動画では、神は天と地を創造したが、地獄は創造していない。人間が地獄を創造したといっていますね。その地獄の力はリアルに働いている。イエスは、人間の中の地獄を外に取り除いたと。それがイエスの福音だと。

    Hell free existence の実現が福音ということですね。

    なるほど、地獄がないことの実現こそが、福音だということは、イエス様の十字架の贖罪と神の恩寵とは、その目的のための手段だったということでしょうか。

    ただ、一方で地獄は本当に存在する、地獄は本物だとするサイトもありました。
    https://www.biblword.net/does-hell-really-exist/

    神の御子イエスは、私たちに天国への道を教えるために天国から来ました。彼は永遠の命を与え、彼を信じるすべての人から育てると約束しました(ヨハネ6:34-40)。同時に、聖書の誰もイエスのように地獄についてそんなに頻繁に警告しません。

    不信者は地獄に行く
    イエスは、死の直後に信じない人々がハデスに行く金持ちとラザロについての物語の中で教えられました。そこには"苦しみ"があり、金持ちは彼がこの炎の中で苦悩していると不平を言う(ルカ16:23-24)。

    不信者に対する判断
    最後の日の不信者に対する裁きは、聖書の中で様々な方法で記述されています。
    主イエスの福音に従わない人々に復讐を与えます。
    これらのすべての詩は、不信者の罰に2つの「永遠」で「絶え間ない」要素があり
    それは終わりのない罰です。

    神の裁きは常に正しい
    しかし、地獄の苦しみは誰にとっても同じではありません。聖書は、いくつかは他のものよりも厳しく罰せられることを明確に教えています。
    ですから、永遠の罰の厳しさは,不信仰な人が自分の生活の中での行いや福音を聞いても受け入れなかったことが原因であり、神の裁きは常に正しいのです。

    イエスを信じるもの
    しかし、イエスを信じる者は誰でも地獄を恐れる必要はありません。
    新しい地上で主の前で永遠に幸福になるのです。
    地獄の現実は、私たちが罪を嫌い、イエスに信頼を置き、神の裁きと地獄の火から逃れる術となるからです。

    はたして、真相は、どちらなのでしょうね。
引用返信/返信 削除キー/
■11176 / inTopicNo.4)  Re[3]: 地獄のないこと
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/23(Tue) 20:33:49)
    No11173に返信(勿忘草さんの記事)
    > knowing itselfさん、レスありがとうございます。
    >
    > >この動画では、神は天と地を創造したが、地獄は創造していない。人間が地獄を創造したといっていますね。その地獄の力はリアルに働いている。イエスは、人間の中の地獄を外に取り除いたと。それがイエスの福音だと。
    >
    > Hell free existence の実現が福音ということですね。
    >
    > なるほど、地獄がないことの実現こそが、福音だということは、イエス様の十字架の贖罪と神の恩寵とは、その目的のための手段だったということでしょうか。

    地獄はリアルにあるということです。ただし、それがあるのは人間の空間において。人間が内部に創造した地獄。その地獄から解放された実存を可能にする、福音。



    > ただ、一方で地獄は本当に存在する、地獄は本物だとするサイトもありました。
    > https://www.biblword.net/does-hell-really-exist/

    > 神の御子イエスは、私たちに天国への道を教えるために天国から来ました。彼は永遠の命を与え、彼を信じるすべての人から育てると約束しました(ヨハネ6:34-40)。同時に、聖書の誰もイエスのように地獄についてそんなに頻繁に警告しません。
    >
    > 不信者は地獄に行く

    ユーチューブの人は、やがて行く場所が地獄というより、人間がいまここで内部に抱え込んでいるものが地獄だという考えですね。それはリアルそのものだと。

    > イエスは、死の直後に信じない人々がハデスに行く金持ちとラザロについての物語の中で教えられました。そこには"苦しみ"があり、金持ちは彼がこの炎の中で苦悩していると不平を言う(ルカ16:23-24)。
    >
    > 不信者に対する判断
    > 最後の日の不信者に対する裁きは、聖書の中で様々な方法で記述されています。
    > 主イエスの福音に従わない人々に復讐を与えます。
    > これらのすべての詩は、不信者の罰に2つの「永遠」で「絶え間ない」要素があり
    > それは終わりのない罰です。
    >
    > 神の裁きは常に正しい
    > しかし、地獄の苦しみは誰にとっても同じではありません。聖書は、いくつかは他のものよりも厳しく罰せられることを明確に教えています。
    > ですから、永遠の罰の厳しさは,不信仰な人が自分の生活の中での行いや福音を聞いても受け入れなかったことが原因であり、神の裁きは常に正しいのです。
    >
    > イエスを信じるもの
    > しかし、イエスを信じる者は誰でも地獄を恐れる必要はありません。
    > 新しい地上で主の前で永遠に幸福になるのです。
    > 地獄の現実は、私たちが罪を嫌い、イエスに信頼を置き、神の裁きと地獄の火から逃れる術となるからです。
    >
    > はたして、真相は、どちらなのでしょうね。


    説明の仕方は違いますが、イエスに信頼を置くことで地獄から解放されることは同じでしょう。ただ、ユーチューブの人は人間の自由意志を重視することになるでしょう。地獄も神の計画だから人間にはどうしようもないとは、ならないはずです。カルバン的でないことは確実です。
引用返信/返信 削除キー/
■11178 / inTopicNo.5)  Re[4]: 地獄のないこと
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/23(Tue) 20:46:24)
    knowing itselfさん、早速のご回答ありがとうございます。

    >>なるほど、地獄がないことの実現こそが、福音だということは、イエス様の十字架の贖罪と神の恩寵とは、その目的のための手段だったということでしょうか。
    >
    > 地獄はリアルにあるということです。ただし、それがあるのは人間の空間において。人間が内部に創造した地獄。その地獄から解放された実存を可能にする、福音。

    地獄からの解放ですね。
    本当に、そうなりたいですし、自分自身、日々が地獄との闘いのようです。

    >>不信者は地獄に行く

    > ユーチューブの人は、やがて行く場所が地獄というより、人間がいまここで内部に抱え込んでいるものが地獄だという考えですね。それはリアルそのものだと。

    そうですね。

    >>はたして、真相は、どちらなのでしょうね。

    > 説明の仕方は違いますが、イエスに信頼を置くことで地獄から解放されることは同じでしょう。ただ、ユーチューブの人は人間の自由意志を重視することになるでしょう。地獄も神の計画だから人間にはどうしようもないとは、ならないはずです。カルバン的でないことは確実です。

    二重予定説でないことは、確実ということですね。

    次の解説もありましたので、参考までにあげておきたいと思います。

    https://www.youtube.com/watch?v=qfdOFIlH4FU

    https://www.youtube.com/watch?v=r6bDORQDMQc
引用返信/返信 削除キー/
■11185 / inTopicNo.6)  Re[5]: 地獄のないこと
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/24(Wed) 19:04:51)
    勿忘草さん こんばんは

    > 二重予定説でないことは、確実ということですね。
    >
    > 次の解説もありましたので、参考までにあげておきたいと思います。
    >
    > https://www.youtube.com/watch?v=qfdOFIlH4FU

    この方も、人間には自由意志はあるとしていますね。神の恵みと自由意志、その兼ね合いがどうなっているかはわからないとしても、どちらもあると。カルバンも自由意志を否定したわけではないとする人は、結構いるのではないでしょうか。

    カルバンは著作の中で、二重予定説には軽く触れるのみで、中心テーマとして手厚く論じているわけではないと言う人もいます。

    カルバンと二重予定説を過度に結びつけて、二重予定説が聖書解釈で最重要のように論じることには、抵抗を感じます。マックスウェーバー、日本では小室直樹などが、強調したから、その影響が強すぎるのではと思っています。


引用返信/返信 削除キー/
■11187 / inTopicNo.7)  Re[6]: 地獄のないこと
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/24(Wed) 19:49:59)
    knowing itselfさん こんばんは。
    いつもいろいろ教えていただき感謝致します。

    >>二重予定説でないことは、確実ということですね。
    >>
    >>次の解説もありましたので、参考までにあげておきたいと思います。
    >>
    >>https://www.youtube.com/watch?v=qfdOFIlH4FU
    >
    > この方も、人間には自由意志はあるとしていますね。神の恵みと自由意志、その兼ね合いがどうなっているかはわからないとしても、どちらもあると。カルバンも自由意志を否定したわけではないとする人は、結構いるのではないでしょうか。
    >
    > カルバンは著作の中で、二重予定説には軽く触れるのみで、中心テーマとして手厚く論じているわけではないと言う人もいます。
    >
    > カルバンと二重予定説を過度に結びつけて、二重予定説が聖書解釈で最重要のように論じることには、抵抗を感じます。マックスウェーバー、日本では小室直樹などが、強調したから、その影響が強すぎるのではと思っています。

    そうですね。
    小室直樹ファンの方は、どうしても二重予定説を信奉しているようです。
    イエス様は、この世から地獄をなくすために来られたとすれば、三位一体の愛の
    交わりこそが神の本質と考えてよろしいでしょうか。



引用返信/返信 削除キー/
■11194 / inTopicNo.8)  Re[7]: 地獄のないこと
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/25(Thu) 19:36:44)
    勿忘草さん こんばんは。

    >>カルバンと二重予定説を過度に結びつけて、二重予定説が聖書解釈で最重要のように論じることには、抵抗を感じます。マックスウェーバー、日本では小室直樹などが、強調したから、その影響が強すぎるのではと思っています。
    >
    > そうですね。
    > 小室直樹ファンの方は、どうしても二重予定説を信奉しているようです。
    > イエス様は、この世から地獄をなくすために来られたとすれば、三位一体の愛の
    > 交わりこそが神の本質と考えてよろしいでしょうか。

    そうだと思います。単純ですが、三位一体から始まって、三位一体に終わると思います。

    三位一体の神は時間を超越した永遠の次元にありますが、被造物宇宙はリニアーな時間上に展開します。救われる人間と滅びる人間が、被造物創造以前に決まっているという言い方は、超時間と時間上の二つのレベルを混同しているち思います。救われるとは、三位一体の神と交わって時間を超越した永遠の次元に入ることなので、それをもって被造物創造以前のレベルに入るとはいえますが、リニアーな時間の流れを前もってガチガチに「決定」したということではないでしょう。

    滅びる人間が結果的に時間を超越した次元に入ることができないとしても、それは、リニアーな時間の流れを、事前にガチガチに「決定」したのではないでしょう。


引用返信/返信 削除キー/
■11196 / inTopicNo.9)  旧約聖書とイエスキリストの関係
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/25(Thu) 19:56:37)
    旧約聖書とイエスキリストの関係については次のように考えます。

    旧約聖書には膨大な登場人物が出てきますが、この登場人物はイエスキリストという一人の俳優が演じる役柄とみるべきです。アブラハム、イサク、ヤコブ、エサウ、モーセ以下多数。普通は役柄にしか意識が向かわない。真に意識を向けるべきは、役柄を演じている素顔の俳優である、イエスキリスト一人。

    そのイエスキリストは100パーセント神であると同時に100パーセント人間。100パーセント人間のところは、旧約聖書の名宛人である人間一般とオーバーラップする。イエスキリストが救済へと選ばれているなら、人間一般も救済へと選ばれている。
引用返信/返信 削除キー/
■11217 / inTopicNo.10)  三位一体とイエス
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/27(Sat) 07:51:20)
    > 三位一体から始まって、三位一体に終わると思います。

    そうはいっても、三位一体は空念仏やお題目のようなものではないです。三位一体のど真ん中にイエスがいる、精神と身体の統合体としての人間でもあるイエスが三位一体のど真ん中にいることが要をなす。精神と身体の統合体としての人間という意味では、われわれ人間と寸分も違わない。

    ここが誤解されています。イエスは偶像崇拝の対象だという批判は成り立たない。精神と身体の統合体としての人間を最大限に高評価し愛することを偶像崇拝とは言わんでしょう。私やあなたも彼も、仲間も仲間でない者も、異国人も異教徒も、その意味で人間イエスと同じく、特別の関心が注がれるべき精神と身体の統合体。

    キリスト教は身体軽視、身体蔑視だというのも誤解。精神と身体の統合体が三位一体のど真ん中にいるというのがイエスの福音だから、身体が蔑視のはずはない。身体の復活がキモ中のキモであるのもこの点と関連する。
引用返信/返信 削除キー/
■11267 / inTopicNo.11)  Re[9]: 三位一体とイエス
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/01(Mon) 18:48:52)
    knowing itselfさん こんばんは。
    私も何かと忙しくて、せっかく書き込みしていただいたのにレスが遅れてしまい
    申し訳ございません。
    それにしても、三位一体は、奥が深いなあと感じているところです。

    >>三位一体から始まって、三位一体に終わると思います。
    >
    > そうはいっても、三位一体は空念仏やお題目のようなものではないです。三位一体のど真ん中にイエスがいる、精神と身体の統合体としての人間でもあるイエスが三位一体のど真ん中にいることが要をなす。精神と身体の統合体としての人間という意味では、われわれ人間と寸分も違わない。
    >
    > ここが誤解されています。イエスは偶像崇拝の対象だという批判は成り立たない。精神と身体の統合体としての人間を最大限に高評価し愛することを偶像崇拝とは言わんでしょう。私やあなたも彼も、仲間も仲間でない者も、異国人も異教徒も、その意味で人間イエスと同じく、特別の関心が注がれるべき精神と身体の統合体。
    >
    > キリスト教は身体軽視、身体蔑視だというのも誤解。精神と身体の統合体が三位一体のど真ん中にいるというのがイエスの福音だから、身体が蔑視のはずはない。身体の復活がキモ中のキモであるのもこの点と関連する。

    私も、そう思います。
    もし、十字架上およびそれまでの様々な弟子たちの裏切りなどを思うと身体があったから私も感情移入出来るのであって、なかったらこれほどまでにキリスト教に心酔していなかったと思います。


    しばしば、仏教特に浄土真宗とキリスト教はよく似ていると言われます。

    それは、行為や功績によって救われるのではなく、絶対者(浄土真宗では阿弥陀如来、キリスト教ではキリスト)の側の働きへの信仰、信心(信受)によって救われるということです。けれども、3点は違うと思います。

    1キリスト教は天地創造の神を認めるが、浄土真宗には天地創造の神は存在しない。

    2キリスト教の場合、イエス・キリストという具体的な歴史的人物による十字架の贖いという行為に救いの根拠が置かれているが、浄土真宗における法蔵菩薩・阿弥陀如来は具体的な歴史的人格ではなく、超時間的な理念的存在であり、また救いの根拠は贖いではなく修行者の功徳の回向による。

    3キリスト教には黙示録における世の終末と新天新地の希望が記されているが、浄土真宗には特に終末論やその後の世界についての展望はない。つまり、キリスト教における「神の国」は終末において現実化するものであるのに対し、浄土真宗の浄土はあくまで他界であり終末が存在しないので終末において現実化するということはない。

    やはり、天地創造と、キリストの受難と贖いをもってはじめて罪人の私も救われたと思うし、終末のキリストの再臨を思えばこそ、この歴史が無意味な反復ではなく何がしかの完成、目標に向かい神の計画の意味のあるものだと思うことができます。

    もし、仏教のように神の天地創造はなく偶然によるのなら弱肉強食、自然の非情さの説明も納得はできるのですが、それでも、神の愛を信じたいと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■11268 / inTopicNo.12)  Re[10]: 三位一体とイエス
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/01(Mon) 19:08:09)
    ちなみに、私は、イエス様の贖罪の救いも信じますが、実は、毎日、自然と「南無阿弥陀仏」と唱えているのです。

    すると身体全体が温かく自律神経が休まる気がするので、自然に唱えてしまいます。


引用返信/返信 削除キー/

次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>

[このトピックに返信]
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -