(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■11876 / inTopicNo.97)  Re[65]: 必然性について
  
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/04/14(Wed) 21:15:11)
    knowing itselfさん こんばんは。

    ニーチェのツァラトゥストラでも予定説のような自由意思と必然との矛盾の問題があると思います。

    それは、精神の三段階の変化を述べる際、服従を生きがいとする駱駝から獅子へと変容した精神は「自由をかち取って」支配者となり、彼には「新しい創造のための自由の創造」が可能となると、自由の提唱者というニーチェ像が築かれてきたと思います。

    けれども、必然性の内なる自由の感情は、永劫回帰してカオス的世界の必然性を美として肯定しようとする「運命愛」へと昇華します。

    世の中の現象の一切は必然であり自由は幻想だが、人間はこの幻想によって努力し続けるように宿命づけられている、とも言えます。

    とは言え、価値創造の自由を獲得する超人へと向かう必然性が永遠回帰の内にあらかじめ組み込まれており、超人は罪悪感や自責の念のみならず徒労感からも完全に自由である子供のようになります。

    つまり、カオス的世界の「必然性」を「美として肯定」する「運命愛」こそが、この予定説のような必然性の呪縛から自由になって「超人」へと変身させるのではと思います。

    なので、あらかじめ決まっている必然性の運命を芸術による美のように受け入れ、子供のように戯れ愛することこそが、運命の必然性から自由に抜け出す「超人」に成るのだと思います。


引用返信/返信 削除キー/
■11878 / inTopicNo.98)  読書論
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/04/14(Wed) 21:31:39)
    no11870の続き

    knowing itselfさん

    わかってもらうまで書き続けるぜ。
    ★★ 書物には霊的な愛が流れている ★★

    ある書物Aがあります。

    ある人物P、Qがいます。

    人物Pは、裕福で、書物Aを読みました。…@
    人物Qは、極貧で、書物Aを読みました。…A

    私の言っている事はのAの事で、
    書物Aの著者は、人物Qのために書いています。

    これで私の言っている事が理解できましたか?




736×490 => 600×399

content_d36422ec567547902db265231b8e5541bcb6130d.jpg
/89KB
引用返信/返信 削除キー/
■11894 / inTopicNo.99)  Re[66]: 必然性について
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/15(Thu) 18:56:19)
    勿忘草さん こんばんは

    > 世の中の現象の一切は必然であり自由は幻想だが、人間はこの幻想によって努力し続けるように宿命づけられている、とも言えます。
    >
    > とは言え、価値創造の自由を獲得する超人へと向かう必然性が永遠回帰の内にあらかじめ組み込まれており、超人は罪悪感や自責の念のみならず徒労感からも完全に自由である子供のようになります。
    >
    > つまり、カオス的世界の「必然性」を「美として肯定」する「運命愛」こそが、この予定説のような必然性の呪縛から自由になって「超人」へと変身させるのではと思います。
    >
    > なので、あらかじめ決まっている必然性の運命を芸術による美のように受け入れ、子供のように戯れ愛することこそが、運命の必然性から自由に抜け出す「超人」に成るのだと思います。

    ありうる思想的な立場だと思います。


引用返信/返信 削除キー/
■11895 / inTopicNo.100)  神の全知と人間の自由
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/15(Thu) 19:14:58)
    キリスト教でも、宇宙内部の時間は直線になぞらえられます。過去→現在→未来。この直線を進むように、被造物世界は展開していく。対するに、神は超時間、永遠のNow。人間の行動は時間という直線上を動くが、神の眼からは直線上のすべてが等距離で、無時間にすべてが一望の下にある。

    これが神の全知だとされています。被造物の時間と神の時間(超時間・無時間)は全く異質で混同してはいけないと。

    さて、どんなに膨大な直線時間上の点における人間の行動も、神からは等距離だとしても、これは点における人間の自由意志を否定し奪うものではない。自由意志をもちつつ直線時間を動いていく人間を神は見ている、ということです、各点において人間は自由意志をもっている。

    意志のないロボットが直線時間を動くの見ているのでは決してない。

    もう一ついうと、自由意志否定の人間はありえないというのは真の人間でもあるイエスを考えれば自明だと思いますが。福音書のイエスは自由意志のない操り人形のようですか?そんなわけないね。イエスは人間の行動モデル、プロトタイプですよ。
引用返信/返信 削除キー/
■11897 / inTopicNo.101)  Re[66]: 読書論
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/15(Thu) 19:19:39)
    マジカルモンキーさん


    > ある書物Aがあります。
    >
    > ある人物P、Qがいます。
    >
    > 人物Pは、裕福で、書物Aを読みました。…@
    > 人物Qは、極貧で、書物Aを読みました。…A
    >
    > 私の言っている事はのAの事で、
    > 書物Aの著者は、人物Qのために書いています。
    >
    > これで私の言っている事が理解できましたか?

    私としては、普遍的な内容をもつ書物は、読者の経済的事情は一切問わないと思う。裕福でも極貧でも、そういうことで区別しません。
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>

このトピックに書きこむ

過去ログには書き込み不可

Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -