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■11583 / inTopicNo.61)  Re[50]: 神
  
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/26(Fri) 20:45:17)
    人が救われるかどうかは、生まれる前に決まっているとカルヴァンは主張します。

    私もそう思っています。

    そもそも、神様は、我々の時間軸とは別の時間軸の中にいると思われます。
    なので、神様とって、過去も現在も未来もないような気がします。

    でも、投げやりになったり、生まれる前から決まっているのだから、
    何をしても無駄なのだから、伝導なんかしなくても良いとはならないと思います。

    神の福音を伝え続けなければと思っています。
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■11595 / inTopicNo.62)  予定説
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/27(Sat) 13:46:47)
    knowing itselfさん こんにちは。

    間もなく4月になりますが、だいぶ暖かくなって来て、薄着でも寒く感じなくなってきました。

    予定説について、最近、人間の自由意思は、しっかりと与えられているのだけれど、神様は、全知全能なので、どの人が、信仰を持ち、どの人が、裏切り悪に走るのかが分かるということなのかなと。

    つまり、基本、人間の自由意思により、神を選ぶかどうかは、出来るので、信仰生活が可能なのだけれども、神への信仰を守り通す人は、どの人なのかが、神様は、すっかり分かるために、あたかも、宇宙の初めから、誰かを救い、誰かを滅ぼすように見えるということなのかなと思います。

    なので、日々、神を選び取って行くことが大切なのかなと思いました。
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■11614 / inTopicNo.63)  Re[48]: 天罰について
□投稿者/ knowing itself -(2021/03/28(Sun) 16:29:24)
    勿忘草さん こんにちは

    >>悪にみえる現象が起こることを、神は望んでいないが、現象が起こること(自然のメカニズムや人間の自由意思の乱用・過失などが相まって)は許している。なぜか。最終的には悪を至高の善に変えることを示すため。 逆にいうと、悪のようにみえても、介入せずに発生を許しているのは、悪を上回る善が必ず実現できる徴しだということですね。
    >
    > へえーっ、そのように感じられるとは、なかなか出来ないことだと思います。
    > これは、つまり、悪を上回る善が予定されているということですね。

    この意味では、たしかに予定だと思います。ただ、悪の発生について事前に詳細かつ完全に知悉しているかについては、そこまではしていないのではと思います。悪はあくまで自由意思の乱用から発生するのではないでしょうか。アダムの堕罪がそもそも自由意思の乱用ですね。

    最初から救われない人間を確定させているのではなく(偶発性カオス性は折り込み済み?)、自由意思を最後の最後まで乱用する人間は救いから漏れる可能性がある、ということだと思います。

    神が時間を超越しているという点については、その通りだと思います。

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■11619 / inTopicNo.64)  Re[49]: 天罰について
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/28(Sun) 19:36:12)
    knowing itselfさんこんばんは

    今日は、昨日とは打って変わってスコールのような雨が降ったりと春の嵐なのでしょうか。
    それから、スーパームーンの時は、大地震が起きやすいとのことなので、この先、一週間は、災害の備えもしないとと思っています。

    > >>悪にみえる現象が起こることを、神は望んでいないが、現象が起こること(自然のメカニズムや人間の自由意思の乱用・過失などが相まって)は許している。なぜか。最終的には悪を至高の善に変えることを示すため。 逆にいうと、悪のようにみえても、介入せずに発生を許しているのは、悪を上回る善が必ず実現できる徴しだということですね。
    >>
    >>へえーっ、そのように感じられるとは、なかなか出来ないことだと思います。
    >>これは、つまり、悪を上回る善が予定されているということですね。
    >
    > この意味では、たしかに予定だと思います。ただ、悪の発生について事前に詳細かつ完全に知悉しているかについては、そこまではしていないのではと思います。悪はあくまで自由意思の乱用から発生するのではないでしょうか。アダムの堕罪がそもそも自由意思の乱用ですね。
    >
    > 最初から救われない人間を確定させているのではなく(偶発性カオス性は折り込み済み?)、自由意思を最後の最後まで乱用する人間は救いから漏れる可能性がある、ということだと思います。
    >
    > 神が時間を超越しているという点については、その通りだと思います。

    いろいろ教えて戴き、どうにか、ようやく腑に落ちた感じになりました。

    一時は、どのみち、神が地獄や天国行きを決めているのだからと、チョッと投げやりな気もしていたのですが、そうではなく、「自由意思を最後の最後まで乱用する人間は救いから漏れる」ということで、あくまでも、人間の自由意思が大事なのだということで納得しました。

    そうでなければ、イエス様が「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。 (『マタイ伝』4:17)ということが無意味になってしまい、とんだ茶番劇になってしまうので、そんなことは、神様は、なさらないということですね。

    https://www.youtube.com/watch?v=bAnHJ0YFs50
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■11647 / inTopicNo.65)  Re[50]: 天罰について
□投稿者/ knowing itself -(2021/03/30(Tue) 19:13:13)
    勿忘草さん こんばんは


    > 一時は、どのみち、神が地獄や天国行きを決めているのだからと、チョッと投げやりな気もしていたのですが、そうではなく、「自由意思を最後の最後まで乱用する人間は救いから漏れる」ということで、あくまでも、人間の自由意思が大事なのだということで納得しました。
    >
    > そうでなければ、イエス様が「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。 (『マタイ伝』4:17)ということが無意味になってしまい、とんだ茶番劇になってしまうので、そんなことは、神様は、なさらないということですね。

    そう思います。

    > https://www.youtube.com/watch?v=bAnHJ0YFs50

    この方はまだお若いのに、よく勉強されていますね。納得の内容です。
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■11648 / inTopicNo.66)  小室直樹によるアドバイス
□投稿者/ knowing itself -(2021/03/30(Tue) 19:28:24)
    二重予定説→マックスウェーバー→小室直樹という連想から思い出したけれど、小室直樹の読書についてのアドバイスにこういうのがあります。

    これはという本をみつけたら、同じ本を最低10冊買って、最低100回読め。

    もっと若い時にこの教えを知って、実行していれば良かったと思う。

    多読もたしかに必要だが、これはという一冊、たとえば哲学史上の最高レベルの本はそのくらいまでして読む価値があるし、凡人はそれくらいしないと読めない。逆にこのくらい読めば、大学教授に勝るとも劣らないレベルになれる。


引用返信/返信 削除キー/
■11650 / inTopicNo.67)  Re[51]: 天罰について
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/30(Tue) 21:04:28)
    knowing itselfさん こんばんは

    >>一時は、どのみち、神が地獄や天国行きを決めているのだからと、チョッと投げやりな気もしていたのですが、そうではなく、「自由意思を最後の最後まで乱用する人間は救いから漏れる」ということで、あくまでも、人間の自由意思が大事なのだということで納得しました。
    >>
    >>そうでなければ、イエス様が「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。 (『マタイ伝』4:17)ということが無意味になってしまい、とんだ茶番劇になってしまうので、そんなことは、神様は、なさらないということですね。
    >
    > そう思います。
    >
    >>https://www.youtube.com/watch?v=bAnHJ0YFs50
    >
    > この方はまだお若いのに、よく勉強されていますね。納得の内容です。

    そうなんです。私も好きで、よく視聴しています。
    実は、ジャパンミッションチャンネル(JMC) 主のユーティこと三野豊さんは、カルヴァン神学に基づく「選び(予定説)」を信奉する改革派/長老派に属されていると以前コメントされていました。

    そして、三野豊さんは、札幌市生まれの川崎育ちの慶應義塾大卒で、現在、南アフリカでは名門の公立ステレンボッシュの大学院で神学を学んでいるようです。

    なので、予定説には、とても詳しいのだと思います。
    自分自身、神があらかじめ天国行きを決められているのだから、人間には、どうしようもないなあと負っていたのですが、本当はそうではなくて、自由意思が大切なのだと最近、分かってきたところです。


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■11651 / inTopicNo.68)  Re[52]: 天罰について
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/30(Tue) 21:06:47)
    (×)人間には、どうしようもないなあと負っていたのですが、

    (〇)人間には、どうしようもないなあと思っていたのですが、

    入力誤りでした。すみません。
引用返信/返信 削除キー/
■11652 / inTopicNo.69)  Re[52]: 小室直樹によるアドバイス
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/30(Tue) 21:13:46)

    > これはという本をみつけたら、同じ本を最低10冊買って、最低100回読め。
    >
    > もっと若い時にこの教えを知って、実行していれば良かったと思う。

    そうですね。“多読”よりも“精読”なんですね。

    曖昧なままで100冊の本を読んでも、中途半端な知識を使って世界を曖昧に理解するだけで自分の人生は十分だと言っているようなもの。

    多読を誇るより、1冊の書物の精読を始めるべきなのだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■11685 / inTopicNo.70)  Re[53]: 小室直樹によるアドバイス
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/02(Fri) 18:55:58)
    勿忘草さん こんばんは

    >>これはという本をみつけたら、同じ本を最低10冊買って、最低100回読め。
    >>
    >>もっと若い時にこの教えを知って、実行していれば良かったと思う。
    >
    > そうですね。“多読”よりも“精読”なんですね。
    >
    > 曖昧なままで100冊の本を読んでも、中途半端な知識を使って世界を曖昧に理解するだけで自分の人生は十分だと言っているようなもの。
    >
    > 多読を誇るより、1冊の書物の精読を始めるべきなのだと思います。

    そうですね。ただ、一冊の本を100回読めるようであれば、多読力も身につくと思います。逆に、他にたくさん読んでその本を読み返せば新たな発見があるでしょう。


引用返信/返信 削除キー/
■11747 / inTopicNo.71)  三木清「如何に読書すべきか」
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/04/06(Tue) 21:18:02)
    knowing itselfさんこんばんは

    > >>これはという本をみつけたら、同じ本を最低10冊買って、最低100回読め。
    > >>
    > >>もっと若い時にこの教えを知って、実行していれば良かったと思う。
    >>
    >>そうですね。“多読”よりも“精読”なんですね。
    >>
    >>曖昧なままで100冊の本を読んでも、中途半端な知識を使って世界を曖昧に理解するだけで自分の人生は十分だと言っているようなもの。
    >>
    >>多読を誇るより、1冊の書物の精読を始めるべきなのだと思います。
    >
    > そうですね。ただ、一冊の本を100回読めるようであれば、多読力も身につくと思います。逆に、他にたくさん読んでその本を読み返せば新たな発見があるでしょう。

    なるほど、沢山の本を読むと新たな発見があるというのも、そうだと思います。
    これは、三木清の「如何に読書すべきか」のようですね。

    「先ず大切なことは読書の習慣を作るということである。他の場合と同じように、ここでも習慣が必要である。ひとは、単に義務からのみ、或いは単に興味からのみ、読書し得るものではない、習慣が実に多くのことを為なすのである。そして他のことについてと同じように、読書の習慣も早くから養わねばならぬ。学生の時代に読書の習慣を作らなかった者は恐らく生涯読書の面白さを理解しないで終るであろう。」とも書き出しにあります。

    「そのうえ読書は他の娯楽のように相手を要しないのである。ひとはひとりで読書の楽しみを味うことができる。いな、東西古今のあらゆるすぐれた人に接することができるというのは読書における大きな悦びでなければならぬ。」のだとか。

    さらに、「規則的に読書するということを忘れてはならない。」と述べています。

    また、「自分自身の読書法を見出すためには先ず多く読まなければならぬ。多読は濫読らんどくと同じでないが、濫読は明かに多読の一つであり、そして多読は濫読から始まるのが普通である。」と多読を勧めています。

    そして、最後は、「真の読書家は殆どみな濫読から始めている、しかし濫読から抜け出すことのできない者は真の読書家になることができぬ。濫読はそれから脱却するための濫読であることによって意味を有するのである。」のだと。

    そうだと思います。

    教養とは、「或る専門の知識を所有することをいうのではなく、・・・一般的教養を意味している。」

    「そして専門家も一般的教養を有することによって自分の専門が学問の全体の世界において、また社会及び人生にとって、如何なる地位を占め、如何なる意義を有するかに就いて正しい認識を得ることができるのである。」

    それは、正しい認識を得ることであり、専門的知識を補い、相互に高めあうものなのだと。

    「一般的教養も専門によって生きてくるのであって、専門のない一般的教養はディレッタンティズム(好事家)にほかならない。一般的教養と専門とは排斥し合うものでなく、むしろ相補わねばならぬものである。」

    選択する本も「系統的に読むことが大切である。読書も無秩序であっては益がなく順序を追うて読むようにしなければならぬ。」

    ここで、精読については、「繰り返して読むことは細部を味うために必要である。」と繰り返して細部に亙って吟味しつつ批判的に読む必要を説いています。

    一般教養と自分の専門的知識の意義を見出すためにも読書習慣は必要なのだということでしょうか。


引用返信/返信 削除キー/
■11760 / inTopicNo.72)  読書について
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/07(Wed) 19:36:23)
    勿忘草さん こんばんは

    三木清の読書論について、まさに正論という感じですね。

    精読と多読は両輪だと思います。どちらも欠かせない。
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