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■11795 / inTopicNo.73)  Re[54]: 読書について
  
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/10(Sat) 11:22:40)
    本を読んでも、著者よりわかることは基本的にありえない。何十年の体験や思索を一冊の本に盛り込んでいる場合はなおさら。安直に本を読んでわかったつもりになってはいけない。

    逆に本を書くことは特別なことではない。誰でも、20冊では収まらない本を書ける潜在的な能力をもっている。本を残している人だけが書くべき内容をもっているわけではな。
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■11806 / inTopicNo.74)  この世に偶然なんてない、あるのは必然だけ
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/04/10(Sat) 20:20:14)
    knowing itselfさんこんばんは

    アニメにも出てくるこの言葉ですが

    「この世に偶然なんてない、あるのは必然だけ」

    つまり、偶然はあり得ない、すべては起こるべくして起こっていると考えた方が自然だと思います。

    例えば、お湯を沸かそうとガス台でやかんに水を入れて点火すれば、必然的にお湯は沸きます。偶然に沸いたり、沸かなかったりということはありません。

    論理で決まっているので偶然はありえない必然的ということです。

    このことは、カルバンの予定説も宇宙は、論理で出来ているので偶然ではなく
    必然的に最後の審判が来るのだと思います。

    そして、やかんが沸くように、初めから、救われる人と滅びる人が、宇宙の初めから神が決めている論理に従って施行されると考えた方が、やはり、自然な気がします。

    人は、いずれ誰もが死ぬことが、必然的で決まっているように、神の救済の有無も、神の論理に従って、初めから予め決まっているように思えます。

    そして、この神の論理を修行によって悟られたのが、仏陀だったと思います。

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■11807 / inTopicNo.75)  Re[56]: この世に偶然なんてない
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/04/10(Sat) 20:35:08)
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■11813 / inTopicNo.76)  Re[55]: 読書について
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/04/10(Sat) 23:23:33)
    No11795に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 本を読んでも、著者よりわかることは基本的にありえない。何十年の体験や思索を一冊の本に盛り込んでいる場合はなおさら。安直に本を読んでわかったつもりになってはいけない。
    >
    > 逆に本を書くことは特別なことではない。誰でも、20冊では収まらない本を書ける潜在的な能力をもっている。本を残している人だけが書くべき内容をもっているわけではな。

    knowing itselfさん、こんばんわ。
    正直言いますと、貴方の書かれた上述に関しては、
    真っ向から反対したいと思います。

    時間の問題があるのですよ。

    永遠に時間があるのなら、貴方のカキコしたようなことが出来るのですが、
    人間の命には限りがあって時間はないのです。
    よって、私が書物に対する思いは、貴方とは全く逆です。

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■11826 / inTopicNo.77)  偶然と必然
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/11(Sun) 16:33:25)
    勿忘草さん こんにちは

    > 「この世に偶然なんてない、あるのは必然だけ」
    >
    > つまり、偶然はあり得ない、すべては起こるべくして起こっていると考えた方が自然だと思います。

    偶然を認めない方が不自然だと思います。西洋哲学の歴史でもそこまで極論を言っている人はそれほど多くはないと思います。科学においても、偶発性、偶然、カオスを認める方が自然でしょう。

    > 例えば、お湯を沸かそうとガス台でやかんに水を入れて点火すれば、必然的にお湯は沸きます。偶然に沸いたり、沸かなかったりということはありません。

    こういう事例に当てはまる基本的な科学法則であれば、偶然は無視しても何ら問題はないと思いますが。

    > 論理で決まっているので偶然はありえない必然的ということです。
    >
    > このことは、カルバンの予定説も宇宙は、論理で出来ているので偶然ではなく
    > 必然的に最後の審判が来るのだと思います。

    キリスト教神学の中でも、カルバン派はかならずしも主流派、定説ではないですし、そのカルバンの二重予定説を小室直樹的に理解する立場はさらに少数派だという印象です。

    > そして、やかんが沸くように、初めから、救われる人と滅びる人が、宇宙の初めから神が決めている論理に従って施行されると考えた方が、やはり、自然な気がします。
    >
    > 人は、いずれ誰もが死ぬことが、必然的で決まっているように、神の救済の有無も、神の論理に従って、初めから予め決まっているように思えます。
    >
    > そして、この神の論理を修行によって悟られたのが、仏陀だったと思います。

    仏教としてはかなり異説だと思います。このような立場の仏教徒は、ほとんど思い当たりません。
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■11827 / inTopicNo.78)  Re[56]: 読書について
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/11(Sun) 16:38:42)
    マジカルモンキーさん こんにちは

    > ■No11795に返信(knowing itselfさんの記事)
    >>本を読んでも、著者よりわかることは基本的にありえない。何十年の体験や思索を一冊の本に盛り込んでいる場合はなおさら。安直に本を読んでわかったつもりになってはいけない。
    >>
    >>逆に本を書くことは特別なことではない。誰でも、20冊では収まらない本を書ける潜在的な能力をもっている。本を残している人だけが書くべき内容をもっているわけではな。
    >
    > knowing itselfさん、こんばんわ。
    > 正直言いますと、貴方の書かれた上述に関しては、
    > 真っ向から反対したいと思います。
    >
    > 時間の問題があるのですよ。
    >
    > 永遠に時間があるのなら、貴方のカキコしたようなことが出来るのですが、
    > 人間の命には限りがあって時間はないのです。
    > よって、私が書物に対する思いは、貴方とは全く逆です。

    人間の持ち時間が有限であることを受け入れても、私の読書論は有効だと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■11829 / inTopicNo.79)  存在そのものと存在するもの
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/11(Sun) 17:28:34)
    人間及び人間がその中で生きる物質宇宙。これらは存在するもの。これに対して、存在するものに存在性を分与する存在そのもの。この二元性で考えます。存在そのものとは神のことだね。

    宇宙にあるものはすべて、存在するものである時点で、必然なんです。存在そのものは、何の必然性もなしに存在性を分け与えることはない。偶然で、たまたま存在するものとされたということは、キリスト教的にはない。存在することは良いことなので、存在性を与えられている時点でいいね!なんです。ただ永遠不滅の存在そのものではない存在するものは必ず滅びます。キリスト教の救いとは、存在そのものに結び合わされて一つになること。この一つになることに向けて、自由意志が必須の役割を担う。逆からいうと、その自由意志の濫用も不可避で、それが罪の意味。
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■11830 / inTopicNo.80)  物質と生命
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/11(Sun) 17:47:32)
    物質と生物を比べると、生物の行動に特有なのは自由度の大きさ。その中でも人間の自由度は最大。物質宇宙の中で行動することは、そこにおける理法に従わざるをえない。なので物質ほど必然の世界。これが生物の行動が加わると、展開や結果における偶然性は高まる。


    > 人間及び人間がその中で生きる物質宇宙。これらは存在するもの。これに対して、存在するものに存在性を分与する存在そのもの。この二元性で考えます。存在そのものとは神のことだね。
    >
    > 宇宙にあるものはすべて、存在するものである時点で、必然なんです。存在そのものは、何の必然性もなしに存在性を分け与えることはない。偶然で、たまたま存在するものとされたということは、キリスト教的にはない。存在することは良いことなので、存在性を与えられている時点でいいね!なんです。ただ永遠不滅の存在そのものではない存在するものは必ず滅びます。キリスト教の救いとは、存在そのものに結び合わされて一つになること。この一つになることに向けて、自由意志が必須の役割を担う。逆からいうと、その自由意志の濫用も不可避で、それが罪の意味。
引用返信/返信 削除キー/
■11831 / inTopicNo.81)  Re[57]: 読書について
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/04/11(Sun) 18:58:04)
    No11827に返信(knowing itselfさんの記事)
    > マジカルモンキーさん こんにちは
    >
    >>■No11795に返信(knowing itselfさんの記事)
    > >>本を読んでも、著者よりわかることは基本的にありえない。何十年の体験や思索を一冊の本に盛り込んでいる場合はなおさら。安直に本を読んでわかったつもりになってはいけない。
    > >>
    > >>逆に本を書くことは特別なことではない。誰でも、20冊では収まらない本を書ける潜在的な能力をもっている。本を残している人だけが書くべき内容をもっているわけではな。
    >
    > 人間の持ち時間が有限であることを受け入れても、私の読書論は有効だと思います。

    はい、こんばんわ、knowing itselfさん

    頑なに反対している理由は、貴方の読書論だと、おそらく散財すると思います。
    資産、財産を失うという事です。
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■11833 / inTopicNo.82)  Re[58]: 読書について
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/11(Sun) 19:46:20)
    そのようにお考えなら、ご自分のやり方で本を読んでいかれたらいいと思います。
    読書論でこれ以上やり取りしても無意味です。
引用返信/返信 削除キー/
■11835 / inTopicNo.83)  Re[59]: 読書について
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/04/11(Sun) 20:15:37)
    No11833に返信(knowing itselfさんの記事)
    > そのようにお考えなら、ご自分のやり方で本を読んでいかれたらいいと思います。
    > 読書論でこれ以上やり取りしても無意味です。

    不味いですって。

    誰も読まないオリジナル文章をひたすら書いて、
    本が理解できないから、同じ本を何度も読んでいたら、
    時間だけがひたすら過ぎ去ってしまいますよ。
    散財には法則があって、芸術のような文化にハマると
    ひたすら、資金が飛んで行ってしまいます。

    貴方の言っている事の逆をしないといけない。
    昔はパトロンって言うのがあって、お金のない執筆家や芸術家は
    資産家に囲ってもらうしか方法がなかったんです。




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■11837 / inTopicNo.84)  Re[59]: 物質と生命
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/04/11(Sun) 20:21:48)
    knowing itselfさんこんばんは。

    なかなか、自分の井の中から出られず二重予定説の呪縛から抜け出せずにいます。

    > 物質と生物を比べると、生物の行動に特有なのは自由度の大きさ。その中でも人間の自由度は最大。物質宇宙の中で行動することは、そこにおける理法に従わざるをえない。なので物質ほど必然の世界。これが生物の行動が加わると、展開や結果における偶然性は高まる。

    偶然性というのも、人間が未だに解明できないからたまたま、そう命名しているだけではないのかなと思ったりします。

    非常に不思議なことに、自然界はカオス状態に見えるにもかかわらず、複雑で不規則な図形の自己相似性による「フラクタル理論」やローレンツの力学系の初期値の僅かな差異によってその後の系の状態が大きく異なってしまう「バタフライ効果」
    等、実は、人間には分かりえない偶然というものも、科学により次第に解明されつつあり、そのような論理によって成り立つことが分かって来ています。

    (でも、人間は、神ではないので、決して偶然と言われる全ては解明出来ない事でしょう。)

    >>人間及び人間がその中で生きる物質宇宙。これらは存在するもの。これに対して、存在するものに存在性を分与する存在そのもの。この二元性で考えます。存在そのものとは神のことだね。

    仰る通りです。

    >>宇宙にあるものはすべて、存在するものである時点で、必然なんです。存在そのものは、何の必然性もなしに存在性を分け与えることはない。偶然で、たまたま存在するものとされたということは、キリスト教的にはない。

    これも、同意です。

    >>存在することは良いことなので、存在性を与えられている時点でいいね!なんです。

    なるほど、そうかもしれませんね。

    >>ただ永遠不滅の存在そのものではない存在するものは必ず滅びます。キリスト教の救いとは、存在そのものに結び合わされて一つになること。この一つになることに向けて、自由意志が必須の役割を担う。逆からいうと、その自由意志の濫用も不可避で、それが罪の意味。

    自分自身も自由意思が必要だとは思いますし、そうでなかったら神の操り人形になってしまって、きっと、神様も面白くないことだと思います。

    むしろ、自由意思があって、進んで神を選び信仰することを、神は望んでおられるように思います。

    そのように、いつまでも、愛の三位一体の神を選び続ける人生が送れるようになりたいものです。(勿論、死んでからも)
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