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■11897 / inTopicNo.1)  Re[66]: 読書論
  
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/15(Thu) 19:19:39)
    マジカルモンキーさん


    > ある書物Aがあります。
    >
    > ある人物P、Qがいます。
    >
    > 人物Pは、裕福で、書物Aを読みました。…@
    > 人物Qは、極貧で、書物Aを読みました。…A
    >
    > 私の言っている事はのAの事で、
    > 書物Aの著者は、人物Qのために書いています。
    >
    > これで私の言っている事が理解できましたか?

    私としては、普遍的な内容をもつ書物は、読者の経済的事情は一切問わないと思う。裕福でも極貧でも、そういうことで区別しません。
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■11895 / inTopicNo.2)  神の全知と人間の自由
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/15(Thu) 19:14:58)
    キリスト教でも、宇宙内部の時間は直線になぞらえられます。過去→現在→未来。この直線を進むように、被造物世界は展開していく。対するに、神は超時間、永遠のNow。人間の行動は時間という直線上を動くが、神の眼からは直線上のすべてが等距離で、無時間にすべてが一望の下にある。

    これが神の全知だとされています。被造物の時間と神の時間(超時間・無時間)は全く異質で混同してはいけないと。

    さて、どんなに膨大な直線時間上の点における人間の行動も、神からは等距離だとしても、これは点における人間の自由意志を否定し奪うものではない。自由意志をもちつつ直線時間を動いていく人間を神は見ている、ということです、各点において人間は自由意志をもっている。

    意志のないロボットが直線時間を動くの見ているのでは決してない。

    もう一ついうと、自由意志否定の人間はありえないというのは真の人間でもあるイエスを考えれば自明だと思いますが。福音書のイエスは自由意志のない操り人形のようですか?そんなわけないね。イエスは人間の行動モデル、プロトタイプですよ。
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■11894 / inTopicNo.3)  Re[66]: 必然性について
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/15(Thu) 18:56:19)
    勿忘草さん こんばんは

    > 世の中の現象の一切は必然であり自由は幻想だが、人間はこの幻想によって努力し続けるように宿命づけられている、とも言えます。
    >
    > とは言え、価値創造の自由を獲得する超人へと向かう必然性が永遠回帰の内にあらかじめ組み込まれており、超人は罪悪感や自責の念のみならず徒労感からも完全に自由である子供のようになります。
    >
    > つまり、カオス的世界の「必然性」を「美として肯定」する「運命愛」こそが、この予定説のような必然性の呪縛から自由になって「超人」へと変身させるのではと思います。
    >
    > なので、あらかじめ決まっている必然性の運命を芸術による美のように受け入れ、子供のように戯れ愛することこそが、運命の必然性から自由に抜け出す「超人」に成るのだと思います。

    ありうる思想的な立場だと思います。


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■11878 / inTopicNo.4)  読書論
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/04/14(Wed) 21:31:39)
    no11870の続き

    knowing itselfさん

    わかってもらうまで書き続けるぜ。
    ★★ 書物には霊的な愛が流れている ★★

    ある書物Aがあります。

    ある人物P、Qがいます。

    人物Pは、裕福で、書物Aを読みました。…@
    人物Qは、極貧で、書物Aを読みました。…A

    私の言っている事はのAの事で、
    書物Aの著者は、人物Qのために書いています。

    これで私の言っている事が理解できましたか?




736×490 => 600×399

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■11876 / inTopicNo.5)  Re[65]: 必然性について
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/04/14(Wed) 21:15:11)
    knowing itselfさん こんばんは。

    ニーチェのツァラトゥストラでも予定説のような自由意思と必然との矛盾の問題があると思います。

    それは、精神の三段階の変化を述べる際、服従を生きがいとする駱駝から獅子へと変容した精神は「自由をかち取って」支配者となり、彼には「新しい創造のための自由の創造」が可能となると、自由の提唱者というニーチェ像が築かれてきたと思います。

    けれども、必然性の内なる自由の感情は、永劫回帰してカオス的世界の必然性を美として肯定しようとする「運命愛」へと昇華します。

    世の中の現象の一切は必然であり自由は幻想だが、人間はこの幻想によって努力し続けるように宿命づけられている、とも言えます。

    とは言え、価値創造の自由を獲得する超人へと向かう必然性が永遠回帰の内にあらかじめ組み込まれており、超人は罪悪感や自責の念のみならず徒労感からも完全に自由である子供のようになります。

    つまり、カオス的世界の「必然性」を「美として肯定」する「運命愛」こそが、この予定説のような必然性の呪縛から自由になって「超人」へと変身させるのではと思います。

    なので、あらかじめ決まっている必然性の運命を芸術による美のように受け入れ、子供のように戯れ愛することこそが、運命の必然性から自由に抜け出す「超人」に成るのだと思います。


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■11871 / inTopicNo.6)  Re[64]: 必然性について
□投稿者/ 通りすがり -(2021/04/14(Wed) 17:17:04)
    No11857に返信(勿忘草さんの記事)
    > knowing itselfさんこんばんは
    >
    >>松山英樹が日本人で初めてマスターズを制覇しましたが、プレーする前から優勝することが予め決定されていたということはないと思います。ゴルフに限らず、球技はかなり自由度、意外性があり、前もって順位やゲーム展開が厳密なシナリオに書き込まれていたとは、到底考えられません。が、予め決定されていたのではないにしても、起こってしまったゴルフの展開と結果は必然というべきで、それ以外にはありえません。自由度や偶発性はたっぷりあるにしても必然であるとはいえるかもしれません。
    >>
    >>ゴルフなどのスポーツどころか、現代人の生活、行動、文明はそれらとは比較できないくらいはるかに複雑です。
    >>自由度と偶発性に翻弄されているといっていいでしょう。しかし、現象は起きたとおりにしか起きない。その意味では必然ですね。
    >
    > そうなんです。
    > 偶然というのは、人間が未だその論理が解明できないただそれだけのことで現象は
    > 仰る通り、起きたとおりにしか起きない、あくまでも必然なんだと思います。
    >
    > なので、二重予定説もきっと、人間に解明できないだけの話で、予め必然的に現象として決まっているのだと思います。
    >
    > まあ、それもこれも、その終末が実際来たら明確に判明することなのだと思いますけども。
    >
    > 神は、全能で、イエス様が、弟子のユダが裏切ることが予知出来たように、すべてを見通せるし、未来も予知できるということだと思います。
    >
    > 勿論、ユダも自由意思に従って、損得を計算してイエス様を売ろうと考えたのでしょうけども、それが、結果的に、裏切ることが、神様には、分かっていたので、まるで、初めから決まっているように見えると言う事なのだと思います。



    「神の摂理」という言葉は出てこないのかしら
引用返信/返信 削除キー/
■11870 / inTopicNo.7)  読書論
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/04/14(Wed) 13:54:31)
    読書論が気になってしょうがないです。

    私は、不登校生専門の家庭教師をしていましたが、
    その経験により、『書物には霊的な愛情が注がれている』という結果なんです。

    つまり、小学生の女子の交換日記のように、
    文章のやり取りには「愛」が必須なんですよ。
    著者側に愛がない、読者側に愛がない場合、
    私は読書はできていないと言ってもいいと思います。

    私も若い頃、この本がいいよと薦められた経験があります。
    その本は厚みもなく、誰でも読める本だったのですが…、
    当時は全く理解できませんでした。

    そして、それから年齢を重ね、
    愛だの、思いやりだの解釈が深まったから、
    ああ、あの本のあの文章はこういう意味だったんだなと思い返します。

    人間は不思議なもんで、毎回言いますが、
    無意識に欲しいものを手に入れているパターンが多いです。

    当時で購入した物品を買って損したわと思った事があるかもしれないが、
    時間が流れ、あの時のあれって、こういう意味だったのか?と
    振り返る場合が多いと思います。

    そうなった場合、無意識で考えていることが現実になるという事になりますね。
引用返信/返信 削除キー/
■11858 / inTopicNo.8)  Re[64]: 必然性について
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/13(Tue) 20:36:50)
    勿忘草さん こんばんは

    この事例だと、松山英樹の優勝を神が予め決めていたということはないと思います。他のプレイヤーの優勝という結果もありえたでしょう。松山英樹が早々と脱落という展開も当然ありえた。プレイヤーの自主的な能力の働きにかなりの部分委ねられていた。

    それでも結果はご覧の通りで、それが必然といえばいえます。必然とはそういう意味です。今回のプレーの前から、ましてや松山英樹が生まれる前から神によって寸分の誤差もなく計画予定されていた説は、ないと思います。

    キリスト教神学的には、神と人間の協働という立場が妥当たと考えます。
引用返信/返信 削除キー/
■11857 / inTopicNo.9)  Re[63]: 必然性について
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/04/13(Tue) 20:11:58)
    knowing itselfさんこんばんは

    > 松山英樹が日本人で初めてマスターズを制覇しましたが、プレーする前から優勝することが予め決定されていたということはないと思います。ゴルフに限らず、球技はかなり自由度、意外性があり、前もって順位やゲーム展開が厳密なシナリオに書き込まれていたとは、到底考えられません。が、予め決定されていたのではないにしても、起こってしまったゴルフの展開と結果は必然というべきで、それ以外にはありえません。自由度や偶発性はたっぷりあるにしても必然であるとはいえるかもしれません。
    >
    > ゴルフなどのスポーツどころか、現代人の生活、行動、文明はそれらとは比較できないくらいはるかに複雑です。
    > 自由度と偶発性に翻弄されているといっていいでしょう。しかし、現象は起きたとおりにしか起きない。その意味では必然ですね。

    そうなんです。
    偶然というのは、人間が未だその論理が解明できないただそれだけのことで現象は
    仰る通り、起きたとおりにしか起きない、あくまでも必然なんだと思います。

    なので、二重予定説もきっと、人間に解明できないだけの話で、予め必然的に現象として決まっているのだと思います。

    まあ、それもこれも、その終末が実際来たら明確に判明することなのだと思いますけども。

    神は、全能で、イエス様が、弟子のユダが裏切ることが予知出来たように、すべてを見通せるし、未来も予知できるということだと思います。

    勿論、ユダも自由意思に従って、損得を計算してイエス様を売ろうと考えたのでしょうけども、それが、結果的に、裏切ることが、神様には、分かっていたので、まるで、初めから決まっているように見えると言う事なのだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■11847 / inTopicNo.10)  Re[65]: 読書について
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/04/12(Mon) 20:36:42)
    No11845に返信(floraさんの記事)
    > ■No11842に返信(マジカルモンキーさんの記事)

    > 何度もすみません。シェークスピアという人物の歴史という意味ですか?

    そうです。
引用返信/返信 削除キー/
■11845 / inTopicNo.11)  Re[64]: 読書について
□投稿者/ flora -(2021/04/12(Mon) 20:05:46)
    No11842に返信(マジカルモンキーさんの記事)

    こんにちは

    > >>シェークスピアが生存していた時代の貴族が、
    > >>何をして散財して没落したのか?という内容だった気がしますね。
    > >>ソリタリーだったら、しかたがないのですが…。
    >>
    >>シェークスピアのどの戯曲か教えていただけないでしょうか?
    >
    > はい、こんにちわ、floraさん。
    >
    > 私の話は戯曲の話ではなく、シェークスピアの人物の歴史だったと思います。
    > もしかしたら、番組『世界ふしぎ発見』かもしれません。

    何度もすみません。シェークスピアという人物の歴史という意味ですか?




引用返信/返信 削除キー/
■11844 / inTopicNo.12)  必然性について
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/12(Mon) 19:28:16)
    勿忘草さん こんばんは

    松山英樹が日本人で初めてマスターズを制覇しましたが、プレーする前から優勝することが予め決定されていたということはないと思います。ゴルフに限らず、球技はかなり自由度、意外性があり、前もって順位やゲーム展開が厳密なシナリオに書き込まれていたとは、到底考えられません。が、予め決定されていたのではないにしても、起こってしまったゴルフの展開と結果は必然というべきで、それ以外にはありえません。自由度や偶発性はたっぷりあるにしても必然であるとはいえるかもしれません。

    ゴルフなどのスポーツどころか、現代人の生活、行動、文明はそれらとは比較できないくらいはるかに複雑です。
    自由度と偶発性に翻弄されているといっていいでしょう。しかし、現象は起きたとおりにしか起きない。その意味では必然ですね。
引用返信/返信 削除キー/

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