(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■11278 / inTopicNo.85)  うれしいひな祭り
  
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/03(Wed) 20:07:58)
    knowing itselfさんこんばんは。

    今日は、ひな祭りです。
    でも、もう直ぐおしまいです。
    ホントに世は無常ですね。

    https://www.youtube.com/watch?v=hFxXuWYcqNY

    長らく阿弥陀様の本願について書き込みしてきましたが、
    仏教って、なんて因果応報の緻密なロジックなのかと改めて思いました。

    対するキリスト教は、やはり、三位一体の慈愛に満ちたある種エネルギーのようなものかなと思います。

    イエス様の十字架による贖罪によって、このように日々生かされている事の幸せ。

    大変、有難いと感じています。

    どのみち、自力での修業は、自分は無理だと思うので、神仏の他力に頼んで
    生きていきたいと思います。




引用返信/返信 削除キー/
■11274 / inTopicNo.86)  Re[13]: 三位一体とイエス
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/02(Tue) 20:45:28)
    正信偈の意味・内容をわかりやすく解説したサイトがありましたので上げておきます。やはり、仏教なので縁起の因果、つまり空に基づいた知恵なのだと改めて感じました。

    https://www.youtube.com/watch?v=5t7167tKnRQ
引用返信/返信 削除キー/
■11273 / inTopicNo.87)  Re[12]: 三位一体とイエス
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/02(Tue) 20:30:32)
    knowing itselfさんこんばんは。
    励ましのメッセージありがとうございます。

    > ■No11268に返信(勿忘草さんの記事)
    >>ちなみに、私は、イエス様の贖罪の救いも信じますが、実は、毎日、自然と「南無阿弥陀仏」と唱えているのです。
    >>
    >>すると身体全体が温かく自律神経が休まる気がするので、自然に唱えてしまいます。
    >
    > いい習慣だと思います。意味内容はもちろんですが、音自体にも秘密があるのでしょうか。南無妙法蓮華経も音自体にパワーがありますね。

    確かに、音の効果は、あると思います。
    実は、南無妙法蓮華経でも試してみたのですが、南無阿弥陀仏ほどには、身体の暖かさを感じることが出来なくて、結局、今夜も南無阿弥陀仏になってしまうんです。

    『阿弥陀仏の本願』についてのサイトがありましたので上げておきます。

    https://xn--udsw7h21snjj.jp/jodohongan.html#section3

    さて、お釈迦様は、なぜ、この世にお生まれになったのでしょうか。
    親鸞聖人は「正信偈」の中で、

     如来所以興出世
     唯説弥陀本願海

    と、おっしゃられています。
    これは、つまり、お釈迦様が、この世にお生まれになった理由は、ただ、阿弥陀如来さまの本願を、この私に、説くためであったとされています。

    そして、南無阿弥陀仏とは、幸せになれる特効薬であり、南無阿弥陀仏をとなえる者を極楽浄土に生まれさせ、成仏させるという救いが完成したのです。
引用返信/返信 削除キー/
■11272 / inTopicNo.88)  Re[11]: 三位一体とイエス
□投稿者/ knowing itself -(2021/03/02(Tue) 19:43:19)
    No11268に返信(勿忘草さんの記事)
    > ちなみに、私は、イエス様の贖罪の救いも信じますが、実は、毎日、自然と「南無阿弥陀仏」と唱えているのです。
    >
    > すると身体全体が温かく自律神経が休まる気がするので、自然に唱えてしまいます。
    >
    >

    いい習慣だと思います。意味内容はもちろんですが、音自体にも秘密があるのでしょうか。南無妙法蓮華経も音自体にパワーがありますね。

    ちなみに南無〜のキリスト教バージョンを考えてみると、南無神さま、南無キリスト、南無YHWH、南無三位一体、などが一応ありえても、いずれもキリスト教の本質からズレるように思います。南無アッバ(父、お父さんの意)というのがしっくりくる感じです。これだと主の祈りの簡易版ともいえるし、父に対する子の位置をプレゼントされるという、キリストを媒介にした三位一体の交わりへの参加の意味が強調されます。


引用返信/返信 削除キー/
■11271 / inTopicNo.89)  Re[10]: 三位一体とイエス
□投稿者/ knowing itself -(2021/03/02(Tue) 19:25:02)
    勿忘草さん こんばんは

    > しばしば、仏教特に浄土真宗とキリスト教はよく似ていると言われます。
    >
    > それは、行為や功績によって救われるのではなく、絶対者(浄土真宗では阿弥陀如来、キリスト教ではキリスト)の側の働きへの信仰、信心(信受)によって救われるということです。けれども、3点は違うと思います。
    >
    > 1キリスト教は天地創造の神を認めるが、浄土真宗には天地創造の神は存在しない。
    >
    > 2キリスト教の場合、イエス・キリストという具体的な歴史的人物による十字架の贖いという行為に救いの根拠が置かれているが、浄土真宗における法蔵菩薩・阿弥陀如来は具体的な歴史的人格ではなく、超時間的な理念的存在であり、また救いの根拠は贖いではなく修行者の功徳の回向による。
    >
    > 3キリスト教には黙示録における世の終末と新天新地の希望が記されているが、浄土真宗には特に終末論やその後の世界についての展望はない。つまり、キリスト教における「神の国」は終末において現実化するものであるのに対し、浄土真宗の浄土はあくまで他界であり終末が存在しないので終末において現実化するということはない。


    そうだと思います。

    キリスト教において、「地」はそこから逃れるべきもの、消えた方がいいもの、ただ否定すべきものではないんですね。「地」は神に創造された良きものです。もちろん「天」は究極によきものです。浄土系仏教ならお浄土にあたるのが「天」でしょうか。その「天」と「地」が合体して一つになり、最後の完成をみるのが終末ですね。


    > やはり、天地創造と、キリストの受難と贖いをもってはじめて罪人の私も救われたと思うし、終末のキリストの再臨を思えばこそ、この歴史が無意味な反復ではなく何がしかの完成、目標に向かい神の計画の意味のあるものだと思うことができます。
    >
    > もし、仏教のように神の天地創造はなく偶然によるのなら弱肉強食、自然の非情さの説明も納得はできるのですが、それでも、神の愛を信じたいと思います。
    >
引用返信/返信 削除キー/
■11268 / inTopicNo.90)  Re[10]: 三位一体とイエス
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/01(Mon) 19:08:09)
    ちなみに、私は、イエス様の贖罪の救いも信じますが、実は、毎日、自然と「南無阿弥陀仏」と唱えているのです。

    すると身体全体が温かく自律神経が休まる気がするので、自然に唱えてしまいます。


引用返信/返信 削除キー/
■11267 / inTopicNo.91)  Re[9]: 三位一体とイエス
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/03/01(Mon) 18:48:52)
    knowing itselfさん こんばんは。
    私も何かと忙しくて、せっかく書き込みしていただいたのにレスが遅れてしまい
    申し訳ございません。
    それにしても、三位一体は、奥が深いなあと感じているところです。

    >>三位一体から始まって、三位一体に終わると思います。
    >
    > そうはいっても、三位一体は空念仏やお題目のようなものではないです。三位一体のど真ん中にイエスがいる、精神と身体の統合体としての人間でもあるイエスが三位一体のど真ん中にいることが要をなす。精神と身体の統合体としての人間という意味では、われわれ人間と寸分も違わない。
    >
    > ここが誤解されています。イエスは偶像崇拝の対象だという批判は成り立たない。精神と身体の統合体としての人間を最大限に高評価し愛することを偶像崇拝とは言わんでしょう。私やあなたも彼も、仲間も仲間でない者も、異国人も異教徒も、その意味で人間イエスと同じく、特別の関心が注がれるべき精神と身体の統合体。
    >
    > キリスト教は身体軽視、身体蔑視だというのも誤解。精神と身体の統合体が三位一体のど真ん中にいるというのがイエスの福音だから、身体が蔑視のはずはない。身体の復活がキモ中のキモであるのもこの点と関連する。

    私も、そう思います。
    もし、十字架上およびそれまでの様々な弟子たちの裏切りなどを思うと身体があったから私も感情移入出来るのであって、なかったらこれほどまでにキリスト教に心酔していなかったと思います。


    しばしば、仏教特に浄土真宗とキリスト教はよく似ていると言われます。

    それは、行為や功績によって救われるのではなく、絶対者(浄土真宗では阿弥陀如来、キリスト教ではキリスト)の側の働きへの信仰、信心(信受)によって救われるということです。けれども、3点は違うと思います。

    1キリスト教は天地創造の神を認めるが、浄土真宗には天地創造の神は存在しない。

    2キリスト教の場合、イエス・キリストという具体的な歴史的人物による十字架の贖いという行為に救いの根拠が置かれているが、浄土真宗における法蔵菩薩・阿弥陀如来は具体的な歴史的人格ではなく、超時間的な理念的存在であり、また救いの根拠は贖いではなく修行者の功徳の回向による。

    3キリスト教には黙示録における世の終末と新天新地の希望が記されているが、浄土真宗には特に終末論やその後の世界についての展望はない。つまり、キリスト教における「神の国」は終末において現実化するものであるのに対し、浄土真宗の浄土はあくまで他界であり終末が存在しないので終末において現実化するということはない。

    やはり、天地創造と、キリストの受難と贖いをもってはじめて罪人の私も救われたと思うし、終末のキリストの再臨を思えばこそ、この歴史が無意味な反復ではなく何がしかの完成、目標に向かい神の計画の意味のあるものだと思うことができます。

    もし、仏教のように神の天地創造はなく偶然によるのなら弱肉強食、自然の非情さの説明も納得はできるのですが、それでも、神の愛を信じたいと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■11217 / inTopicNo.92)  三位一体とイエス
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/27(Sat) 07:51:20)
    > 三位一体から始まって、三位一体に終わると思います。

    そうはいっても、三位一体は空念仏やお題目のようなものではないです。三位一体のど真ん中にイエスがいる、精神と身体の統合体としての人間でもあるイエスが三位一体のど真ん中にいることが要をなす。精神と身体の統合体としての人間という意味では、われわれ人間と寸分も違わない。

    ここが誤解されています。イエスは偶像崇拝の対象だという批判は成り立たない。精神と身体の統合体としての人間を最大限に高評価し愛することを偶像崇拝とは言わんでしょう。私やあなたも彼も、仲間も仲間でない者も、異国人も異教徒も、その意味で人間イエスと同じく、特別の関心が注がれるべき精神と身体の統合体。

    キリスト教は身体軽視、身体蔑視だというのも誤解。精神と身体の統合体が三位一体のど真ん中にいるというのがイエスの福音だから、身体が蔑視のはずはない。身体の復活がキモ中のキモであるのもこの点と関連する。
引用返信/返信 削除キー/
■11196 / inTopicNo.93)  旧約聖書とイエスキリストの関係
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/25(Thu) 19:56:37)
    旧約聖書とイエスキリストの関係については次のように考えます。

    旧約聖書には膨大な登場人物が出てきますが、この登場人物はイエスキリストという一人の俳優が演じる役柄とみるべきです。アブラハム、イサク、ヤコブ、エサウ、モーセ以下多数。普通は役柄にしか意識が向かわない。真に意識を向けるべきは、役柄を演じている素顔の俳優である、イエスキリスト一人。

    そのイエスキリストは100パーセント神であると同時に100パーセント人間。100パーセント人間のところは、旧約聖書の名宛人である人間一般とオーバーラップする。イエスキリストが救済へと選ばれているなら、人間一般も救済へと選ばれている。
引用返信/返信 削除キー/
■11194 / inTopicNo.94)  Re[7]: 地獄のないこと
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/25(Thu) 19:36:44)
    勿忘草さん こんばんは。

    >>カルバンと二重予定説を過度に結びつけて、二重予定説が聖書解釈で最重要のように論じることには、抵抗を感じます。マックスウェーバー、日本では小室直樹などが、強調したから、その影響が強すぎるのではと思っています。
    >
    > そうですね。
    > 小室直樹ファンの方は、どうしても二重予定説を信奉しているようです。
    > イエス様は、この世から地獄をなくすために来られたとすれば、三位一体の愛の
    > 交わりこそが神の本質と考えてよろしいでしょうか。

    そうだと思います。単純ですが、三位一体から始まって、三位一体に終わると思います。

    三位一体の神は時間を超越した永遠の次元にありますが、被造物宇宙はリニアーな時間上に展開します。救われる人間と滅びる人間が、被造物創造以前に決まっているという言い方は、超時間と時間上の二つのレベルを混同しているち思います。救われるとは、三位一体の神と交わって時間を超越した永遠の次元に入ることなので、それをもって被造物創造以前のレベルに入るとはいえますが、リニアーな時間の流れを前もってガチガチに「決定」したということではないでしょう。

    滅びる人間が結果的に時間を超越した次元に入ることができないとしても、それは、リニアーな時間の流れを、事前にガチガチに「決定」したのではないでしょう。


引用返信/返信 削除キー/
■11187 / inTopicNo.95)  Re[6]: 地獄のないこと
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/24(Wed) 19:49:59)
    knowing itselfさん こんばんは。
    いつもいろいろ教えていただき感謝致します。

    >>二重予定説でないことは、確実ということですね。
    >>
    >>次の解説もありましたので、参考までにあげておきたいと思います。
    >>
    >>https://www.youtube.com/watch?v=qfdOFIlH4FU
    >
    > この方も、人間には自由意志はあるとしていますね。神の恵みと自由意志、その兼ね合いがどうなっているかはわからないとしても、どちらもあると。カルバンも自由意志を否定したわけではないとする人は、結構いるのではないでしょうか。
    >
    > カルバンは著作の中で、二重予定説には軽く触れるのみで、中心テーマとして手厚く論じているわけではないと言う人もいます。
    >
    > カルバンと二重予定説を過度に結びつけて、二重予定説が聖書解釈で最重要のように論じることには、抵抗を感じます。マックスウェーバー、日本では小室直樹などが、強調したから、その影響が強すぎるのではと思っています。

    そうですね。
    小室直樹ファンの方は、どうしても二重予定説を信奉しているようです。
    イエス様は、この世から地獄をなくすために来られたとすれば、三位一体の愛の
    交わりこそが神の本質と考えてよろしいでしょうか。



引用返信/返信 削除キー/
■11185 / inTopicNo.96)  Re[5]: 地獄のないこと
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/24(Wed) 19:04:51)
    勿忘草さん こんばんは

    > 二重予定説でないことは、確実ということですね。
    >
    > 次の解説もありましたので、参考までにあげておきたいと思います。
    >
    > https://www.youtube.com/watch?v=qfdOFIlH4FU

    この方も、人間には自由意志はあるとしていますね。神の恵みと自由意志、その兼ね合いがどうなっているかはわからないとしても、どちらもあると。カルバンも自由意志を否定したわけではないとする人は、結構いるのではないでしょうか。

    カルバンは著作の中で、二重予定説には軽く触れるのみで、中心テーマとして手厚く論じているわけではないと言う人もいます。

    カルバンと二重予定説を過度に結びつけて、二重予定説が聖書解釈で最重要のように論じることには、抵抗を感じます。マックスウェーバー、日本では小室直樹などが、強調したから、その影響が強すぎるのではと思っています。


引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -