| 勿忘草さん こんにちは
>>悪にみえる現象が起こることを、神は望んでいないが、現象が起こること(自然のメカニズムや人間の自由意思の乱用・過失などが相まって)は許している。なぜか。最終的には悪を至高の善に変えることを示すため。 逆にいうと、悪のようにみえても、介入せずに発生を許しているのは、悪を上回る善が必ず実現できる徴しだということですね。 > > へえーっ、そのように感じられるとは、なかなか出来ないことだと思います。 > これは、つまり、悪を上回る善が予定されているということですね。
この意味では、たしかに予定だと思います。ただ、悪の発生について事前に詳細かつ完全に知悉しているかについては、そこまではしていないのではと思います。悪はあくまで自由意思の乱用から発生するのではないでしょうか。アダムの堕罪がそもそも自由意思の乱用ですね。
最初から救われない人間を確定させているのではなく(偶発性カオス性は折り込み済み?)、自由意思を最後の最後まで乱用する人間は救いから漏れる可能性がある、ということだと思います。
神が時間を超越しているという点については、その通りだと思います。
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