| コトバンクのなかで、「感情」について、いろんな人のいろいろな見方が書かれてあるけど、いくつか書き写して見ます。
1.古代ギリシアの哲学者たち 《善と悪、快pleasureと苦painについて論じる中で、ここの感情に言及した。個々の感情は善と快を求め、悪と苦を避けようとする行動とともに論じられた。》
2.プラトン 《感情を快を求める働きであるとし、知的なもの、怒り的なもの、欲望的なものに3分した。》
3.アリストテレス 《彼の『ニコマコス倫理学Nicomachean Ethics』によると,快と苦を伴う心の状態を感情pathyとよび,肉体的欲求や怒り,恐怖など11の感情名を列挙している。また,彼は『形而上学Metaphysics』において,人は驚異wonderによってものを考え始めると述べた。つまり,すべての思考にはきっかけとなる何かが必要であるが,それは新しい認識成立の契機,すなわち驚異を感じることで人間の思考が開始されると考えたのである。》 また、《動物の欲望の対象は食と性という快である。その快が妨げられて苦が生じる場合には,まず苦を取り除かねばならない。この苦を取り除く力は,欲望ではありえない。苦を取り除こうとする力から怒りが生じ,闘争が起こる。勝利すれば喜びが生じ,敗北すれば悲しみが生じる。怒り的感情とは,希望をもって問題解決に努力するという能動的な心の作用である。欲望的感情として「愛と憎しみ」「欲望と忌避」「喜びと悲しみ」の六つの感情が考えられた。また怒り的感情については,「希望と絶望」「怒り」「恐れと大胆」の五つがあるとされた(『神学大全Summa Theologiae』)。》
4.《快に向かい苦から離れようとする傾向が欲望だけで説明されるという考えは,デカルトに受け継がれた。スコラ哲学においては,快-不快pleasure-unpleasureの判断がなければ欲求は生じないことから,感情に先立ってまず対象の快-不快を評価する判断作用があると考えられた。》
5.デカルト 《デカルトは『情念論Les Passions de l'ame』(1649)において,対象の出現による驚愕admiration,対象の快-不快によって生じる愛loveと憎しみhatred,次いでそれらから生じる欲求desire,欲求を実現しようとする行動の結果として生じる喜びjoyと悲しみsadnessの六つの感情passionが基本的感情であるとした。デカルトの感情理論は感情の出現に順序がある点,またとりわけ感情出現の原点として,それ自体では快でも苦でもない,生理的な覚醒に近い驚愕が認識のきっかけになると考えた点に特徴がある。怒りは基本的感情とはされていない。怒りは強力な感情ではあるが,快の対象を得ることができなかった,あるいは不快な対象から逃れることができなかったことによって結果的に生じるから,悲しみの一種であるとされた。》 また《「身体が精神に影響を与えるのであって,その逆ではない」と述べる一方で,「脳における観念の印象が血流を変え,それが熱を生じて再び脳に戻り,脳内の印象を強める」》
6.スピノザ 《スピノザSpinoza,B.はデカルトの感情理論を批判した。まず驚きは認知的であるとして感情から除外し,さらに好き・嫌いは対象の快苦の性質によって生じる感覚つまり対象の性質であるとして,感情から排除した。スピノザによれば基本的感情は,欲望・喜び・悲しみの三つしかない。》 また《「感情とは身体の変化もしくはその変化の観念である」と述べているが,具体的な身体の変化については記述していない。》
近代では、ヒューム、スミス、ダーウィン、ジェームズなどの見方が紹介されている。
そして、《現代は、神経系における情報処理という観点から感情研究が行われる時代であるといえるであろう。》 って書いてあった。
わたしが気になったところだけね。
コトバクンのなかには、ニーチェのが出てこなかったので、前にパニさんに聞いたんだけど、ありがと。
で、わたしの、どうしようかな〜、ってなるんだけど、これにかんしては後で。
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