| デカルトの心身二元論に老いて我思うゆえにわれあり、とする我=心の実体論をカントは批判しています。心は物質とは異なった心という純粋な実体であるというデカルトの説を批判しています。「私」が「私の身体」なしに自立的に存在することはできない。つまりここから「魂の不死」を導くのは誤謬推理である、と見ていますが自我の実体性については物自体の世界であり不可知論なのだということになります。もちろん唯物論的一元論にも批判的であることになります。私もカントを踏襲していますが、不可知論だからといって思考停止するのではなく自我について自由に思索していい、と考えています。自我=自由意志とみています。 カントの空間唯一説によれば現実の三次元空間は唯一無二の空間であり、非決定論的自由意志の根拠となっています。マクタガートのA系列の時間の矛盾からその実在性を否定し、B系列=A系列+C系列なので必然的にB系列も否定され、残るはC系列のみとなります。C系列は無数の三次元空間の羅列であり、四次元空間と同一です。するとそこにおいては映像フィルムのように過去も未来も実在することになり、自由意志の存在は否定されることになります。C系列は決定論的運命の支配する世界なのですから自由意志の存在余地はありません。 話は飛びますが、リベットの実験でも自由意志の存在が否定された、とのことのようですが動作の0.35秒前に脳の決定する準備電位が決まっており自由意志は存在しないことがその根拠のようです。しかし近年のリベットの実験によれば脳の無意識的決定は動作の0.2秒前に拒否することができるので、自由意志は存在するという説に変わってきたようですね。 カントの空間唯一説では未来は空間として実在しませんから未来は私達が創造していくものだ、という考え方になり、リベットはそれを裏付けているようにみえます。
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