| 2019/08/08(Thu) 10:24:44 編集(投稿者)
責任には二つあります。個人としての責任と共同体社会としての責任いわば社会的責任です。原爆投下はアメリカの一大統領の個人的責任というだけではなく彼を選んだ国民にも責任があります。過去はそれでよいでしょう。しかし未来における核爆弾の使用はどの国のどこの国民でも行う可能性があります。未来の選択には私たちは誰でも責任を負っているのです。だからこそ広島と長崎で起きた悲惨な出来事に対して責任を持つ必要があるのです。未来の選択の過ちは過去の忘却に原因があります。過去を反省するということは未来に責任を負うということです。個人としても社会としても未来の選択に責任をもつことが必要でしょう。
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