| ■No509に返信(パニチェさんの記事)
以下は、danza_espanolaさんからの返信(2018/6/18, Mon 07:17)
> 世界の特異点やと思う。もともとビッグバン宇宙論の用語やけど、そこから世界が開闢している何者も並び立つことのない自分だけの世界にどこにもないような地点かな。(2018/6/14, Thu 07:02)
そうやったね。
パニの考えるところによれば質問者は<私>と同じで「世界の特異点」ということで変わってないね。
独我論は、岩波哲学思想事典によれば、「実在するのは自己とその意識内容だけで、他我や事物は自己の意識内容に過ぎない」となっていて、弱い意味の独我論では外界の事物の存在は認めるということらしいけど、 パニの認識と合っているかな。
いずれにせよ他我の存在を認めないのが独我論の王道なのだけれど、フッサール現象学では(彼は独我論者なのだけれど)、他我について扱っているんだよね。パニはフッサールの『デカルト的省察』の第五省察は読んだかな?
他我問題はおくとして、独我論的モードで言えば、すべては表象(カント的表象)になる。 すべてが自己意識の中に内在しているとすれば、「世界」という枠の概念も無くなる。 世界という概念は「一部と全体」の枠組みの全体であったので、一部も無くなる。 <私>という「一部の点」 もなく、開闢も何もなく、初めから表象のみがある。
そうすると初めも無い。終わりも無い。「死」という観念も消失することになる。 「生」もない。 「<私>とは何者か」と質問する存在は消滅する。 私のロジックでゆくと、独我論モードでは上記のようになるんだよね。 どこかに論理破綻があれば指摘してほしい。
なにやら十牛図のようになってしまったけれど。
ただ、独我論の他我を認めないということについて言えば、意味や価値のすべてを自分自身で創造したという点で無理があると思うんだけどど うだろう。
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