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■2464 / inTopicNo.25)  意識の超難問
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/07(Sat) 16:15:52)
    2020/03/07(Sat) 16:25:46 編集(投稿者)

    こんにちは。

    No2460に返信(Floraさんの記事)
    > 色々とありがとうございます。

    いえいえ、どういたしまして。

    > ここでおっしゃる<私>とは個体ですか、それとも全体としてでしょうか?

    これ、カキコし出すとめちゃめちゃ長くなるので、サクっとカキコしますね。
    全体か個々かと言えば個々です。
    ただ“先言”というのは言葉に先んじて存在するという意味で、(言語の機能からして原理的に)言葉で言い表せない存在です。

    意識の難問(物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、どのようにして主観的な意識体験というものが生まれるのかという問題)ではなく、意識の超難問(何故、私はこの私なのか?)の対象とする〈私〉です。

    言葉にすると「私」も「自我」も「固有」も「何故、私はこの私なのか?」という問いも、もちろん「比類なき先言の<私>」という表記も全て一般化され、万人に共通する対象となってしまいます。

    意識の超難問の対象とする私とは比類のないもの。誰にもあてはまらない、多くの意識が存在する中で私のみが(比類なき)この私であるという言葉に表記できないものという意味で〈 〉付きで〈私〉と表記しています。

    「過去から現在において無数とも言える多くの意識が存在した、あるいはする中で、何故、今ここにある意識だけが他の意識ではなくこの私なのか?」で言うところの<私>です。

    スルーしてもらっても全然構いませんが、もし興味があれば、Panietzsche Roomの探究というコーナーの「〈私〉の哲学」に掲示板でのやり取りも含めてまとめてあります。

    > ユングなんかも「集合的無意識」とか言っていますよね。この辺なんか量子力学か!と思いますもん。

    マクロでは脳という同じ器官を有している者同士であること、ミクロでは量子的もつれってことでしょうね。
    前者のマクロとは、例えば超音波で世界を捉えるコウモリと人間では集合的無意識は生まれようがないが、人間の脳という同一の構造だからこそ生じる集合的無意識というような意味です。

    > ヤフーのアバターを思い出してしまうんですが、ダークグラスにくわえタバコ、ギター(持っていましたっけ?ーかなりあやふや)、クラプトンのイメージと重なってしまうような感じでした。

    あははは。覚えてもらっているとは光栄です。
    手にもった行灯はニーチェ著「悦ばしき知識 第125番」に登場する狂気の人間。真昼に堤燈行灯をもって「神は死んだ」と群衆の中で騒ぐ狂人と永劫回帰の象徴としての風車を持たせてありました。(笑)

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panietzsche.gif
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■2460 / inTopicNo.26)  Re[56]: ニーチェ好き
□投稿者/ Flora -(2020/03/05(Thu) 00:55:27)
    こんにちは

    色々とありがとうございます。



    > 私(パニチェ)には「比類なき先言の<私>」が以前として謎のまま残るのですが。。。

    ここでおっしゃる<私>とは個体ですか、それとも全体としてでしょうか?

    ユングなんかも「集合的無意識」とか言っていますよね。この辺なんか量子力学か!と思いますもん。
    >
    >>ところで、おそらく何度も書かれているとは思いますが、パニチェさんが数ある哲学者の中で、特にニーチェに魅せられた理由はなんでしょうか? よろしかったら教えてください。
    >
    > ちょい口幅ったい物言いになりますが正直にカキコしますね。
    > ニーチェに出会う前から私のアイデンティテイーというか信念がニーチェ的やったというか同類やったのだと思います。
    > ・人格神(言葉や感情をもった人のような神)に否定的だったこと。
    > ・初期仏教の十四無記を支持していたこともあり、死後やあの世よりも、今の生を中心に考えるべきやと思っていたこと。
    > ・右に倣え的な発想が大嫌いだったこと。
    > これをハッキリとした言葉で語ってくれたのがツァラトゥストラでありニーチェです。
    >
    > で、何故ニーチェ以前に上記のような変人になっていたのかと言えばそれは“育ち”のせいだと思います(笑)。

    どうもありがとうございます。
    ヤフーのアバターを思い出してしまうんですが、ダークグラスにくわえタバコ、ギター(持っていましたっけ?ーかなりあやふや)、クラプトンのイメージと重なってしまうような感じでした。

引用返信/返信 削除キー/
■2447 / inTopicNo.27)  ニーチェ好き
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/01(Sun) 13:37:20)
    2020/03/01(Sun) 13:42:29 編集(投稿者)

    おはようございます。

    No2445に返信(Floraさんの記事)
    > 光栄です^^。また私のうろ覚えの部分を書き出してくださりありがとうございました。

    どういたしまして。こちらこそ光栄です。

    > 私もわかりませんが、やはり私達の体は宇宙と同じ物質でできており、その体はたとえ「私」でもコントロールができない部分がありますよね。これはシュレディンガーの言うように「私」の意識ではなく、自然の法にしたがっているからなのですよね。
    > 「王手!」となったのは、私の中ではやはり、量子のもつれ、量子情報です。これで勝負が決まった感じがしましたもん。

    同意です。あとここはスルーしてもらったらいいのですが。。。
    私(パニチェ)には「比類なき先言の<私>」が以前として謎のまま残るのですが。。。

    > ところで、おそらく何度も書かれているとは思いますが、パニチェさんが数ある哲学者の中で、特にニーチェに魅せられた理由はなんでしょうか? よろしかったら教えてください。

    ちょい口幅ったい物言いになりますが正直にカキコしますね。
    ニーチェに出会う前から私のアイデンティテイーというか信念がニーチェ的やったというか同類やったのだと思います。
    ・人格神(言葉や感情をもった人のような神)に否定的だったこと。
    ・初期仏教の十四無記を支持していたこともあり、死後やあの世よりも、今の生を中心に考えるべきやと思っていたこと。
    ・右に倣え的な発想が大嫌いだったこと。
    これをハッキリとした言葉で語ってくれたのがツァラトゥストラでありニーチェです。

    で、何故ニーチェ以前に上記のような変人になっていたのかと言えばそれは“育ち”のせいだと思います(笑)。

引用返信/返信 削除キー/
■2445 / inTopicNo.28)  Re[54]: アドヴァイタ
□投稿者/ Flora -(2020/03/01(Sun) 05:26:38)
    こんばんは〜


    >>そういえばシュレディンガーは、『生命とは何か』のエピローグにて、ウパニシャッドのブラフマン=アートマンを挙げていましたね。量子力学者はやはり粒子と波動の二重性、つまり重ね合わせの部分を東洋哲学に見たのかも知れませんね。
    >
    > 同意です。よく本を読まれてますねぇ〜。私もその本を読みました。
    > ってか、ひょとすると興味をひかれるところが似てるのかもしれませんね。^^

    光栄です^^。また私のうろ覚えの部分を書き出してくださりありがとうございました。

    > 上っ面の理解でしかないのですが質量を生み出すヒッグス場を考えても、生命の側面である新陳代謝や散逸構造を考えても、私たちは全体構造(運動)の一部であることは明らかだとは思います。
    >

    私もわかりませんが、やはり私達の体は宇宙と同じ物質でできており、その体はたとえ「私」でもコントロールができない部分がありますよね。これはシュレディンガーの言うように「私」の意識ではなく、自然の法にしたがっているからなのですよね。

    「王手!」となったのは、私の中ではやはり、量子のもつれ、量子情報です。これで勝負が決まった感じがしましたもん。

    ところで、おそらく何度も書かれているとは思いますが、パニチェさんが数ある哲学者の中で、特にニーチェに魅せられた理由はなんでしょうか? よろしかったら教えてください。

    >
引用返信/返信 削除キー/
■2436 / inTopicNo.29)  アドヴァイタ
□投稿者/ パニチェ -(2020/02/27(Thu) 08:37:57)
    おはようございます。

    No2432に返信(Floraさんの記事)

    > はい、そうですね。
    > そういえばシュレディンガーは、『生命とは何か』のエピローグにて、ウパニシャッドのブラフマン=アートマンを挙げていましたね。量子力学者はやはり粒子と波動の二重性、つまり重ね合わせの部分を東洋哲学に見たのかも知れませんね。

    同意です。よく本を読まれてますねぇ〜。私もその本を読みました。
    ってか、ひょとすると興味をひかれるところが似てるのかもしれませんね。^^

    『このような洞察そのものは決して新しいものではありません。私の知る限り最も古い記録は約2500年あるいはもっと以前にさかのぼります。古代インドの聖典ウパニシャッドのつくられた時代の初期から、「人と天は一致する」(アートマン=ブラフマン。人間の自我は普遍的な全宇宙を包括する永遠性それ自体に等しい)という認識がインドの哲学思想において、神を冒涜するものどころか森羅万象の最も深い洞察の神髄であると考えられていました。人間が言葉を使うようになって以来、ヴェーダンタ哲学の学派に属するあらゆる人びとの精進は、実にあらゆる思想の中で最も偉大なこの思想を心中に会得することにありました。(シュレディンガー著「生命とは何か エピローグ」よりの引用)』

    上っ面の理解でしかないのですが質量を生み出すヒッグス場を考えても、生命の側面である新陳代謝や散逸構造を考えても、私たちは全体構造(運動)の一部であることは明らかだとは思います。


引用返信/返信 削除キー/
■2432 / inTopicNo.30)  Re[52]: ボーアの紋章
□投稿者/ Flora -(2020/02/25(Tue) 23:29:03)
    こんにちは

    >デンマークの最高勲章を授与された時にボーアが選んだ紋章が太極図を取り入れたものであったのは有名ですね。

    ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A2

    はい、そうですね。
    そういえばシュレディンガーは、『生命とは何か』のエピローグにて、ウパニシャッドのブラフマン=アートマンを挙げていましたね。量子力学者はやはり粒子と波動の二重性、つまり重ね合わせの部分を東洋哲学に見たのかも知れませんね。
引用返信/返信 削除キー/
■2428 / inTopicNo.31)  ボーアの紋章
□投稿者/ パニチェ -(2020/02/25(Tue) 17:16:33)
    こんにちは。

    No2427に返信(Floraさんの記事)

    > そうですね。彼のウェッブサイトやユーチューブ等を見ていますと、タブーとされてきた、禅のイメージ付等もなさったりして、全く別のアプローチをなさるようですね。宗教は形而上から形而下へ・・・ということなんだと思いますが、彼はおそらく個々の身近な問題(形而下)から、うまく行けば、祖師さんではないけれど(!)絶対真理(形而上)へ持っていきたいのではないかと感じます。タブーも何も人間が決めたことなので、すべてをぶち破ったらいいと思っています。愚さん、ひたすら元気そうですね^^

    同意。ほんと元気そうで何よりです。
     
    > PS.お話はちょっと戻るんですが、N.ボーアも東洋哲学に傾倒していたようですね・・

    デンマークの最高勲章を授与された時にボーアが選んだ紋章が太極図を取り入れたものであったのは有名ですね。

    ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A2

    ********** 以下、wikipediaより引用 **********

    ボーアは、量子論の解き明かした粒子と波動の二重性、位置と速度の間の不確定性などの世界像を「相補性」と名付け、後半生には量子物理学と東洋哲学に類似性があるとして東洋哲学、特に易経を研究していた。さらに、次のようにも言っている。「原子物理学論との類似性を認識するためには、われわれはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない。」その傾倒ぶりは、偉大な功績により、デンマーク最高の勲章であるエレファント勲章を受けた時、「紋章」に選んだのが、陰と陽、光と闇の互いが互いを生み出す様を表した東洋の意匠、太極図であったことからもうかがえる。その紋章は、デンマークのフレデリクスボー城に、世界の王室・元首の紋章とともに飾られている。

    ******************** 引用終わり ********************
引用返信/返信 削除キー/
■2427 / inTopicNo.32)  Re[50]: 不二一元
□投稿者/ Flora -(2020/02/25(Tue) 16:17:02)
    こんにちは

    愚さんを見てると以下のツァラトゥストラの冒頭のシーンとかぶります。^^

    >『見よ!蜜をあまりに多く集めすぎたミツバチのように、わたしは自分の知恵に飽き果てている。わたしは差し出される手を必要とする。わたしは贈与し分与したい、人間たちのなかの賢者たちが、いま一度その愚かさを、そして貧しい者たちが、いま一度その豊かさを、喜ぶようになるまで。そのために、わたしは深みへ降りて行かなくてはならない、おまえが夕方、海の背後に沈み行き、なお外界に光をもたらすとき、するように。おまえ、溢れるほどの豊かな天体よ!わたしは人間たちのところへ下って行こうとするのだが、この人間たちの呼び方によれば、わたしは、おまえと同じように、没落しなくてはならない。(ツァラトゥストラの序説1より)』

    そうですね。彼のウェッブサイトやユーチューブ等を見ていますと、タブーとされてきた、禅のイメージ付等もなさったりして、全く別のアプローチをなさるようですね。宗教は形而上から形而下へ・・・ということなんだと思いますが、彼はおそらく個々の身近な問題(形而下)から、うまく行けば、祖師さんではないけれど(!)絶対真理(形而上)へ持っていきたいのではないかと感じます。タブーも何も人間が決めたことなので、すべてをぶち破ったらいいと思っています。愚さん、ひたすら元気そうですね^^ 

    PS.お話はちょっと戻るんですが、N.ボーアも東洋哲学に傾倒していたようですね・・
引用返信/返信 削除キー/
■2393 / inTopicNo.33)  Re[49]: 不二一元
□投稿者/ パニチェ -(2020/02/15(Sat) 10:08:27)
    おはようございます。

    No2385に返信(Floraさんの記事)

    > ご存知かとは思うんですが、愚さんのURLを貼っておきますね。
    > https://kbkai.at.webry.info/
    > 最近ユーチューバーにもなられたようで、色々な質問に随時答えられているようですね。
    > https://youtu.be/SRxp-pptXmU

    ありがとうございます。知りませんでした。
    YouTubeはさっそく2本ほど見ました。
    相変わらずご健在ですね。

    愚さんを見てると以下のツァラトゥストラの冒頭のシーンとかぶります。^^

    『見よ!蜜をあまりに多く集めすぎたミツバチのように、わたしは自分の知恵に飽き果てている。わたしは差し出される手を必要とする。わたしは贈与し分与したい、人間たちのなかの賢者たちが、いま一度その愚かさを、そして貧しい者たちが、いま一度その豊かさを、喜ぶようになるまで。そのために、わたしは深みへ降りて行かなくてはならない、おまえが夕方、海の背後に沈み行き、なお外界に光をもたらすとき、するように。おまえ、溢れるほどの豊かな天体よ!わたしは人間たちのところへ下って行こうとするのだが、この人間たちの呼び方によれば、わたしは、おまえと同じように、没落しなくてはならない。(ツァラトゥストラの序説1より)』
引用返信/返信 削除キー/
■2385 / inTopicNo.34)  Re[48]: 不二一元
□投稿者/ Flora -(2020/02/12(Wed) 03:57:30)
引用返信/返信 削除キー/
■2360 / inTopicNo.35)  不二一元
□投稿者/ パニチェ -(2020/02/08(Sat) 10:51:20)
    こんにちは。勝手ながらちょいトピを移動させてもらいました。
    ここにストックしておきたい内容になりそうなので。。。都合悪ければ言って下さい。^^

    No2354に返信(Floraさんの記事)
    > >>クリシュナムルティの難しいところは「何もしない」ということでしょうか。
    > >>だから例えば禅のように、座禅等をして無の境地になるという、ある意味目的意識を持った行/動も否定していることなんだと思います。(ただ私は宗教/禅)等もまったく無知なので、訂正していいただきたく思います。

    >>残念ながら、私はJ.クリシュナムルティのことも禅で言われる「無為の真人」や「悟り」に関してもFloraさんのカキコを訂正できるだけの知識がありません。以降はあくまでも私の想像というか推論を述べてみます。
    >>あるがままの自己や世界が不二で、かつ唯一無二の法(真理)であるとするなら、自己を運んで(小我であるところの自己意識をもって)何事かを為したりすることは、法から遠ざかる行/動となるってことでしょうかねぇ〜。

    > そうですよね。。。クリシュナムルティはビカミング(なりゆくこと)を否定していますよね。つまり、なりたい自分を設定して、そこに近づくという行程といえばいいのでしょうか? 一方禅では(私の解釈は全く頓珍漢かも知れません)、悟る自分、悟った自分を設定して、その方便が座禅だったり、ムームー言ったり、ということをしていますよね。その部分の兼ね合いというのでしょうか、解できずにいます。なりたい自分には時間が経過しますよね。でも実際は「今」しかないという教えが禅のもありませんか? 私の場合むちゃくちゃ勘違いをしている可能性大なのですが。(-_-;)

    クリシュナムルティも坐禅もアドヴァイタ(不二一元)という実相を体得することだと解釈しています。以下、文体は断定的にカキコしますが、ずっと推論です。^^
    「自分が何かになる」とか「悟る自分」や「悟った自分」というのはあくまでも自分という呪縛から解放されていない。
    自己が空であるということは世界そのものと同一であるということ。アドヴァイタが実相であるなら悟らなくとも悟っても、そもそも自己は空であって自己がなにかになるとか、自己が何かを悟るというものではない。
    では何故、坐禅が必要かというと、主に左脳が司る言語や思考によって不可分であるはずの実相を分断化しており、この活動を鎮静化することで身をもって知ることができるってことのように思います。
    悟らなくても悟っても実相としては何も変わらないが、それに気付けるかどうかみたいな。。。

    ただ上記には多少の違和感を未だに持っています。
    それは〈私〉(比類なき先言の<私>)と無我とか空とか真我との整合性です。
    品川区東照寺の接心会に参加されていた密教行者ゴウさんとは3年くらいYahoo!掲示板やこのBBSで議論をしていたのですがあのようなことになり残念です。
    ゴウさんによれば〈私〉は真我と同一であるとのことでした。これは山下良道氏(ワンダルマ仏教僧)や藤田一照氏(曹洞宗国際センター第2代所長)も同じことを永井均氏との対論である「〈仏教3.0〉を哲学する」の中で述べていました。

    私は未だ得心できていませんが。。。
    急に私の探究テーマを持ち出したこともあり、興味のないところや、分からないところはスルーいただいても結構です。^^

    転法祖師!気が向いたら横レスしてぇ〜♪

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■2222 / inTopicNo.36)  ブラフマン
□投稿者/ パニチェ -(2020/01/07(Tue) 15:47:43)
    バガヴァットギーターでも〈私〉は真我(ブラフマン)ってことになってるみたい。
引用返信/返信 削除キー/

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