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■2497 / inTopicNo.13)  Re[69]: 特異点
  
□投稿者/ Flora -(2020/03/16(Mon) 22:03:24)
    こんにちは

    色々とありがとうございます。図を見てちょっと頭に浮かんだことがあったので
    書かせて頂いていいでしょうか?

    > 眼から世界を見ているこの図は客体として(外側から)描かれているため実際にはこのような構図は存在しない(リアルではマッハ的光景となる)。

    クリシュナムルティの観察するものは、観察されるという言葉を思い出しました。
    他を観察している自分を自分が観察しているという、2つに分離している自分。

    > ただ世界がそこから開けている、世界のどこにも属さず、ありえない特別な点であるということを示し、まさに世界が開闢するビッグバン宇宙論の物理学が成立しない大きさがゼロで質量が無限大の特異点と類似することを示すには分かりやすい図ではある。
    >
    > 不思議なことにこの「特異点」という呼び方を永井均氏も採用している。
    > 偶然の一致???

    または、自分は特異点にいる、つまり時間のない場所です。
    仏教(禅?)でいうと即今というのでしょうか・・・

    もし眼があり、そこから広がる空間に自分が存在しないという解釈なら、
    なんとなくニュアンスがわかるような気がしました。
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■2491 / inTopicNo.14)  特異点
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/14(Sat) 10:06:38)
    2020/03/14(Sat) 10:10:20 編集(投稿者)

    眼から世界を見ているこの図は客体として(外側から)描かれているため実際にはこのような構図は存在しない(リアルではマッハ的光景となる)。

    ただ世界がそこから開けている、世界のどこにも属さず、ありえない特別な点であるということを示し、まさに世界が開闢するビッグバン宇宙論の物理学が成立しない大きさがゼロで質量が無限大の特異点と類似することを示すには分かりやすい図ではある。

    不思議なことにこの「特異点」という呼び方を永井均氏も採用している。
    偶然の一致???
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■2490 / inTopicNo.15)  独我論
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/14(Sat) 10:02:23)
    他者や物質も含めたこの世界が「桶の中の脳」「水槽の脳」や「一炊の夢(邯鄲の夢)」のようなバーチャルであったとしても、それを体験している主体は世界の接点、あるいは外側に存在し、主体は世界には属さない。

    映画マトリックスで覚醒した実在する私はバーチャル世界の外に位置する。
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■2489 / inTopicNo.16)  マッハ的光景
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/14(Sat) 10:00:30)
    エルンスト・マッハが描いた「マッハ的光景」。

    現象学の起点となった私たちがまさに世界を見ているそのものの光景。

    この手前に世界の限界としての〈私〉が存在する。

    それは世界の接点であるが世界には属さない。
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■2488 / inTopicNo.17)  カニッツァの三角形
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/14(Sat) 09:59:19)
    自己の究極は“空(属性が無い)”であるが故に言語にかからない。

    言語の限界を示すことによって「カニッツァの三角形」のように言語外に浮き上がる。
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■2487 / inTopicNo.18)  超現実論
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/14(Sat) 09:01:41)
    2020/03/14(Sat) 11:40:46 編集(投稿者)

    脳や遺伝子など物質に(科学の対象が「自然の斉一性」に限定されいる限り原理的に)還元できない「比類なき先言の<私>」が他の如何なる存在よりも確たるものとして、今、ここに、存在することが二元論のこれまた確たる根拠となる。

    仮にそれを「魂」と呼ぶとして、魂の存在をもってしても意識の超難問(なぜ私は私なのか?)は解決しない。

    この問いを解決する手段は「なぜ今この瞬間は今なのか?」と同じくありえないのかもしれない。

    むしろこの問いは答えを出す問いではなく「比類なき先言の<私>」を炙り出すための手段である可能性が高い。

    言語の網目を逃れる、カニッツァの三角形のような主体。

    ウィトゲンシュタインが言語の限界を示すことによっで炙り出した「語りえないもの」のひとつ。

    『私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。(ウィトゲンシュタイン著「論理哲学論考5.6」より)』
    『主体は世界に属さない。それは世界の限界である。(同5.632)』
    『だがしかし表明しえぬものが存在する。それは自らを示す。それは神秘的なものである(同6.522)』

    『語りえぬものについては、沈黙しなければならない(同7←結論)』

    『維摩一黙其声如雷(維摩の一黙、雷の如し)』(大乗仏典「維摩経」より)
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■2485 / inTopicNo.19)  科学と言語の網の目をくぐる主体
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/14(Sat) 08:33:45)
    こんにちは。

    No2482に返信(Floraさんの記事)
    > 言語習得の際には脳が必要だということですね?ただこの脳がパニチェさんやフローラというすでに特化された仕様あるかどうか?ということでしょうか? 

    人間が用いる言語を習得するためには言語野(ブローカ野やウェルニッケ野)と呼ばれる部位は重要だとは思います。
    で、脳や遺伝子がパニチェやフローラさんというすでに特化された仕様あるとも言えますが(結論から言えば)物理や脳科学に還元できない主体が言語以前に存在しているというようなことです。
    何故なら科学は言語と同じく自然の斉一性の網の目にかからない存在(主体)であるからです。言語論的に言えば言語による一般化の網の目にかからない主体です。

    マッハ的光景(添付画像)の手前にある存在のことです。
    それは自我や人格、精神や意識、自己や自分という万人に共通するラベルでもなければ、私やパニチェという言葉でもない。「私は・・・である」という表現で示されるところの私の属性でもない主体。
    やっぱ伝えられないかもしれませんね。^^

    > フローラという個体を特化するには、記憶や知識をまとめていく主軸が必要でありそれが集まって自己形成になるということですよね?つまり串にさしていくおだんごのようです。この主軸(串)がなければ単なるバラバラなおだんごということで、そこにはフローラという属性はなくなりますよね・・・ 個人的にはこの連続性が形成できない場合は、自己形成は難しいと感じています。

    属性はなくなりますが「フローラさんが右手を上げようと思えば上がる」まさにその主体が串だと思います。属性はなくても私秘性はあり、本当に痛みがあるかどうかを(痛がることで他者には痛みがあるように騙すことができますが自分は騙せません)知ることのできる存在です。これらも串に刺す団子だと思われますか?

    > 多重人格障害に関してはどこかで読んだのですが、一度に現れる人格は1つだけであり、多重の人格もすべて同一人物だという精神科医の記事を読んだことがありました。

    幼少の頃に受けた虐待など、耐えられない経験が継続する場合に精神の崩壊を避けるために別人格を生み出し、耐えきれない経験や記憶を背負わせる、ある種の危機回避システムが解離性同一障害(多重人格障害)だと言われていますね。
    何をもって同一人物とするかによりますが唯物論あるいは機械論的な西洋医学の医者なら身体の同一性をもって同一人物とするんでしょうが、この発想にはパニチェは懐疑的です。精神医学的には解離性同一障害には分裂したそれぞれの人格を知る内的自己救済者(Inner Self Helper)という主人格があるそうで、これをもって同一人物というなら同意します。

    > ないです(自爆)かといって私=わたしというのを理解してるわけでもなく、この辺は遺伝子とか、量子トンネルとか関係があるような感じもしますが・・・

    自己形成には遺伝子も関与するでしょうね。受精によって細胞分裂する際には脳どころか体の器官さえありませんから。

    > この本途中までしか読んでいないのですが、非常に興味深いです。
    > https://www.amazon.co.jp/%E9%87%8F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E3%81%A7%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E3%82%B8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB-%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%AA-ebook/dp/B015FKYIAC

    面白そうな本ですね。

    > かえって役不足で申し訳ないです。ごめんなさいね。
    > どなたか参加してくださるといいと思うのですが。

    とんでもないです。こちらこそお付き合いいただきありがとうございます。
    パニチェ的にはこのレス交換は物凄く興味をそそられます。^^
    ニークラ参加者では転法祖師やエフニさんとはこのテーマで延々と議論したことがあり、何について話しているかを知っている人たちです。

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■2482 / inTopicNo.20)  Re[62]: 言語以前(先言)の〈私〉
□投稿者/ Flora -(2020/03/12(Thu) 19:09:10)
    こんにちは

    >一般的に考えられている自己は言語によって形成される(自他の境界認識や記憶が継続することによる自己同一性)ということにつては同意します。
    >問題は言語習得以前にも自分に特化された何者かがあるかどうかだと思います。
    >以下は興味本位からで他意のない質問です。
    >言語を習得する以前にも言語を習得する主体が必要となります。
    >それが他の誰でもなくFloraさん(名前ではなくFloraさんに特化した主体)であったことになると思いますが、それは言語以前にもFloraさんに特化された何者かがあることの根拠になるとは思いませんか?

    言語習得の際には脳が必要だということですね?ただこの脳がパニチェさんやフローラというすでに特化された仕様あるかどうか?ということでしょうか? 

    フローラという個体を特化するには、記憶や知識をまとめていく主軸が必要でありそれが集まって自己形成になるということですよね?つまり串にさしていくおだんごのようです。この主軸(串)がなければ単なるバラバラなおだんごということで、そこにはフローラという属性はなくなりますよね・・・ 個人的にはこの連続性が形成できない場合は、自己形成は難しいと感じています。

    >例えば解離性同一障害(多重人格障害)や、継続的な(短期)記憶を構築できない(主に海馬の損傷などによる)人にも自己と呼ばれるものはあると見受けられますがこのことにつてはどう思われますか?

    多重人格障害に関してはどこかで読んだのですが、一度に現れる人格は1つだけであり、多重の人格もすべて同一人物だという精神科医の記事を読んだことがありました。
    >あとFloraさんは意識の超難問(なぜ私は私なのか)については、このような疑問を持たれることありませんか?

    ないです(自爆)かといって私=わたしというのを理解してるわけでもなく、この辺は遺伝子とか、量子トンネルとか関係があるような感じもしますが・・・

    この本途中までしか読んでいないのですが、非常に興味深いです。
    https://www.amazon.co.jp/%E9%87%8F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E3%81%A7%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E3%82%B8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB-%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%AA-ebook/dp/B015FKYIAC

    >問ばかりでごめんなさい。もちろんスルーでも構いません。

    かえって役不足で申し訳ないです。ごめんなさいね。
    どなたか参加してくださるといいと思うのですが。

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■2481 / inTopicNo.21)  言語以前(先言)の〈私〉
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/12(Thu) 12:17:39)
    こんにちは。

    No2467に返信(Floraさんの記事)
    > そうですね。自己連続性というのは連続させる主軸となる「自己」がなければ成立しませんよね。ではその自己つまり私はどこからくるのか? 私はやはり言語による思考があってそれで成立するような感じがします。

    一般的に考えられている自己は言語によって形成される(自他の境界認識や記憶が継続することによる自己同一性)ということにつては同意します。
    問題は言語習得以前にも自分に特化された何者かがあるかどうかだと思います。

    以下は興味本位からで他意のない質問です。
    言語を習得する以前にも言語を習得する主体が必要となります。
    それが他の誰でもなくFloraさん(名前ではなくFloraさんに特化した主体)であったことになると思いますが、それは言語以前にもFloraさんに特化された何者かがあることの根拠になるとは思いませんか?

    > 私は実戦経験もなく頭の中でしか構築できないのですが、先に書いたことと重複してしまいますが、やはり言語がなくては思考できず、すなわち経験をつなぎ合わせる自己は形成できないのじゃないかと考えています。つまりA派です。

    例えば解離性同一障害(多重人格障害)や、継続的な(短期)記憶を構築できない(主に海馬の損傷などによる)人にも自己と呼ばれるものはあると見受けられますがこのことにつてはどう思われますか?
    あとFloraさんは意識の超難問(なぜ私は私なのか)については、このような疑問を持たれることありませんか?

    質問ばかりでごめんなさい。もちろんスルーでも構いません。

引用返信/返信 削除キー/
■2467 / inTopicNo.22)  Re[60]: 探究中テーマ
□投稿者/ Flora -(2020/03/08(Sun) 18:30:30)
    こんにちは

    >一般的に言われるところの自我や自意識、思考やエピソード記憶など、自己連続性は、言語とともに形成されていると思います。
    >“物心がつく”時期というのは「思い出」がはじまる時期ですから、言語習得(言語的記憶とされるエピソード記憶が可能となり蓄積されはじめる時期)と一致するでしょうし、ボディーランゲージや動物の鳴き声など他者や他の個体とのコミュニケーションに用いる手段も含めて言語とするなら、自我や自意識、所謂“自他の境界認識”というのは言語とともに明瞭になっていくグラデーション的なものだと考えています。

    そうですね。自己連続性というのは連続させる主軸となる「自己」がなければ成立しませんよね。ではその自己つまり私はどこからくるのか? 私はやはり言語による思考があってそれで成立するような感じがします。

    >で、ここからが現在探究中の内容なのですが・・・
    これまでの文章(以後も同じですが)は誰にも共通する自我や自意識について語っていることになり、〈私〉を言い表せていません。少なくとも「比類なき先言の<私>」というのは上記の言語によって形成される自我や自意識以前に存在する対象と考えています。

    >言語を習得する以前から存在している主体のことで、〈私〉にだけしかありえない存在のことです。パニチェ(〈私〉や私と紛らわしいので以後パニチェと表記します)はその存在に関しては何よりも確実に存在する、あるいは存在そのものとも言える「今、ここにあるもの」と確信?しています(それが現実としてあります・・・B)。
    >永井均氏はこの言語によって語ろうとする対象が変質してしまう状況を「独在と頽落の終わることなき拮抗運動」と呼びます。

    >ところが、永井均氏や「〈仏教3.0〉を哲学する」共著者である禅宗の僧侶藤田一照氏や山下良道氏、さらに私とYahoo!掲示板やニーチェクラブで数年に渡ってこのテーマで議論していた密教の修行者ゴウさんは、「比類なき先言の<私>」と真我(全体)が同じであると語っています。(パニチェはこの主張・・・Aには未だ違和感があります)

    Aは、おそらくクリシュナムルティのいう「基底」(Ground)、アリストテレスのいう「不動の動者」と一致するような気がします。

    ただ愚さんは「基底」の奥にもっと何かがあるような気がする・・・と以前おっしゃっていたと思うんですが、パニチェさんのおっしゃるのはこれでしょうか? BではなくおそらくAαに該当するような・・・

    >もしFloraさんの表記される「自他のない私」が他の誰でもなくFloraさんだけに特化される原因というか対象について述べられているなら、パニチェの「比類なき先言の<私>・・・B」と同じような対象でしょうし、梵我一如の真我のことであれば・・・Aと同じです。

    私は実戦経験もなく頭の中でしか構築できないのですが、先に書いたことと重複してしまいますが、やはり言語がなくては思考できず、すなわち経験をつなぎ合わせる自己は形成できないのじゃないかと考えています。つまりA派です。


引用返信/返信 削除キー/
■2466 / inTopicNo.23)  探究中テーマ
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/08(Sun) 09:10:42)
    2020/03/08(Sun) 13:03:16 編集(投稿者)

    おはようございます。返信ありがとうございます。

    No2465に返信(Floraさんの記事)
    > 哲学オンチのワタシですので、ご勘弁いただきたいのですが、拝読させていただきました。

    ありがとうございます。全然哲学オンチだとは思いませんし、私はFloraさんの返信に興味を惹かれるので返信しますが、いつでもスルー可(笑)です。
    Floraさんの興味がなくなれば、その時点で返信なしにしてもらって構いません。^^

    > それとパ二チェさんの12章で「我思う、故に我あり」に言及なさておりましたね。'Cogito, ergo sum' というのは、ご存じの通りデカルトが自分で書いたものではなく、フランス語の『方法序説』から友人がラテン語や訳し、これもご存知のとおり、ラテン語は主語を省く(特に一人称)ので、直訳すれば「思う ゆえに あり」となります。一方デカルト自身がラテン語で書いた『哲学の原理』には同じ文章ですが、'[Ego] cogito, ergo sum'と)必要ではない、一人称単数のego(まさしくエゴですね)、をわざと挿入しているんです。
    > ギリシャ語やラテン語に詳しい友人に聞いたところ、egoを入れるのは<私>というものを強調したいときに作為的に使うんだそうです。ですから単に我が思ってこの我があるというスローガン的なメッセージというよりは、この私が考えるから、この私が存在する、逆に言えば思考がなければ、自己は存在しないとも取られ、先に書いた「先言の私というのは、自他のない私」という私の勝手な解釈とつながるのかな・・とか感じました。

    ありがとうございます。とても参考になります。
    一般的に言われるところの自我や自意識、思考やエピソード記憶など、自己連続性は、言語とともに形成されていると思います。

    “物心がつく”時期というのは「思い出」がはじまる時期ですから、言語習得(言語的記憶とされるエピソード記憶が可能となり蓄積されはじめる時期)と一致するでしょうし、ボディーランゲージや動物の鳴き声など他者や他の個体とのコミュニケーションに用いる手段も含めて言語とするなら、自我や自意識、所謂“自他の境界認識”というのは言語とともに明瞭になっていくグラデーション的なものだと考えています。

    で、ここからが現在探究中の内容なのですが・・・
    これまでの文章(以後も同じですが)は誰にも共通する自我や自意識について語っていることになり、〈私〉を言い表せていません。少なくとも「比類なき先言の<私>」というのは上記の言語によって形成される自我や自意識以前に存在する対象と考えています。

    言語を習得する以前から存在している主体のことで、〈私〉にだけしかありえない存在のことです。パニチェ(〈私〉や私と紛らわしいので以後パニチェと表記します)はその存在に関しては何よりも確実に存在する、あるいは存在そのものとも言える「今、ここにあるもの」と確信?しています(それが現実としてあります・・・B)。
    永井均氏はこの言語によって語ろうとする対象が変質してしまう状況を「独在と頽落の終わることなき拮抗運動」と呼びます。

    ところが、永井均氏や「〈仏教3.0〉を哲学する」共著者である禅宗の僧侶藤田一照氏や山下良道氏、さらに私とYahoo!掲示板やニーチェクラブで数年に渡ってこのテーマで議論していた密教の修行者ゴウさんは、「比類なき先言の<私>」と真我(全体)が同じであると語っています。(パニチェはこの主張・・・Aには未だ違和感があります)

    もしFloraさんの表記される「自他のない私」が他の誰でもなくFloraさんだけに特化される原因というか対象について述べられているなら、パニチェの「比類なき先言の<私>・・・B」と同じような対象でしょうし、梵我一如の真我のことであれば・・・Aと同じです。

    > 言葉が自我、個人を作ったのでしょうか。 それによってホモサピエンスはここまで進化してきたのですから、功罪、両方あるのでしょうか

    両方あるなんだと思います。自他の境界認識があるからこそ個体としての四煩悩(我癡、我見、我慢、我愛)が生じるのでしょうし、言葉によって今ここにないはずの過去や未来という時間的なラベリングが発生し、これに伴って後悔や不安、憂いなどという「今に生きている動物」には見られない苦悩が発生します。

    一方では個や種(人間)の存続のための文化・文明が芽生えたのでしょうし、思考や論理が人間の特権というか人間たらしめる源泉としてあるのだと思います。

    > アバター懐かしいです^^。アトリビュート3つお持ちだったんですね。犬はドーベルマンですすか?ニーチェの国ドイツの品種ですよね^^

    さすがです!その通り♪

    > 重複しますが、哲学とは無関係の私ですが、ちょっと感じたことを書かせていただきました。私の失礼がないことを願っています。^^;

    失礼なんてとんでもない。ほんとそのようなお気遣いは無用です。^^
    何なりと思われたこと、感じたことを忌憚なく(気が向くかぎり)カキコして下さい。

引用返信/返信 削除キー/
■2465 / inTopicNo.24)  Re[58]: 意識の超難問
□投稿者/ Flora -(2020/03/07(Sat) 23:47:04)
    こんにちは

    >スルーしてもらっても全然構いませんが、もし興味があれば、Panietzsche Roomの探究というコーナーの「〈私〉の哲学」に掲示板でのやり取りも含めてまとめてあります。

    哲学オンチのワタシですので、ご勘弁いただきたいのですが、拝読させていただきました。

    > ただ“先言”というのは言葉に先んじて存在するという意味で、(言語の機能からして原理的に)言葉で言い表せない存在です。

    第二章の最後に「比類なき先言の私」という表現がありましたね。。ボームの『創造性について 』の26ページの中頃からヘレン・ケラーに関する記載があるんですが、
    言葉によって観念が成り立つようですね。つまり思考=自我でしょうか・・・。 そういう観点からいくと(私は哲学オンチですので、ご勘弁願いたいのですが)
    「先言の私というのは、自他の区分のない全体としての私と取れるような感じがしています。

    それとパ二チェさんの12章で「我思う、故に我あり」に言及なさておりましたね。'Cogito, ergo sum' というのは、ご存じの通りデカルトが自分で書いたものではなく、フランス語の『方法序説』から友人がラテン語や訳し、これもご存知のとおり、ラテン語は主語を省く(特に一人称)ので、直訳すれば「思う ゆえに あり」となります。一方デカルト自身がラテン語で書いた『哲学の原理』には同じ文章ですが、'[Ego] cogito, ergo sum'と)必要ではない、一人称単数のego(まさしくエゴですね)、をわざと挿入しているんです。

    ギリシャ語やラテン語に詳しい友人に聞いたところ、egoを入れるのは<私>というものを強調したいときに作為的に使うんだそうです。ですから単に我が思ってこの我があるというスローガン的なメッセージというよりは、この私が考えるから、この私が存在する、逆に言えば思考がなければ、自己は存在しないとも取られ、先に書いた「先言の私というのは、自他のない私」という私の勝手な解釈とつながるのかな・・とか感じました。

    言葉が自我、個人を作ったのでしょうか。 それによってホモサピエンスはここまで進化してきたのですから、功罪、両方あるのでしょうか・ 

     
    >> ユングなんかも「集合的無意識」とか言っていますよね。この辺なんか量子力学か!と思いますもん。

    >マクロでは脳という同じ器官を有している者同士であること、ミクロでは量子的もつれってことでしょうね。
    >前者のマクロとは、例えば超音波で世界を捉えるコウモリと人間では集合的無意識は生まれようがないが、人間の脳という同一の構造だからこそ生じる集合的無意識というような意味です。

    そうですよね。潜在的に人類や、または太陽系外知的生物体とも共有している意識があると思いますが、私たちの脳のつくりでは人間の意識しか共有できない、つまり他は解読できないというようなニュアンスかなと感じました。

    >> ヤフーのアバターを思い出してしまうんですが、ダークグラスにくわえタバコ、ギター(持っていましたっけ?ーかなりあやふや)、クラプトンのイメージと重なってしまうような感じでした。

    >あははは。覚えてもらっているとは光栄です。
    手にもった行灯はニーチェ著「悦ばしき知識 第125番」に登場する狂気の人間。真昼に堤燈行灯をもって「神は死んだ」と群衆の中で騒ぐ狂人と永劫回帰の象徴としての風車を持たせてありました。(笑)

    アバター懐かしいです^^。アトリビュート3つお持ちだったんですね。犬はドーベルマンですすか?ニーチェの国ドイツの品種ですよね^^

    重複しますが、哲学とは無関係の私ですが、ちょっと感じたことを書かせていただきました。私の失礼がないことを願っています。^^;

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