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■4635 / inTopicNo.61)  Re[12]: 〈私〉について 9
  
□投稿者/ minori -(2020/07/27(Mon) 18:06:30)
    パニチェさん、先ほどは特化した分の説明もありがとうございました。
    時間ができたので、今日のうちにレスします。
    何人もの方が来られているようですので、minoriの分はいつでも結構ですよ。


    > 分かりました。また途中で違和感を表現できる言葉が見つかればカキコして下さい。
    > 戻って考えましょう。^^

    はい、ありがとうございます。

    > ■No4606に返信(minoriさんの記事)
    >>>> >7.厳密に言えば私の直接経験で知り得る世界に存在しているのは物や人(物体としての)など五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)で知りうるものだけであり、その意味では私のような人間は直接的には私しか知らず、独我論的な世界である→ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」のひとつのテーマである独我論。
    >
    >>>> 五感を通じて知りうるものは人によって違う。
    >>>> なので、その意味で、私のような人間は直接的には私しか知らない。
    >>>> そのようなことですか?
    >
    >>>上記のレスの前半は「超リアル探究」なので、人によって違うかどうかは不可知です。
    >>>「直接経験」として私のような人間は私しか知らないということであれば、その通りですが、どうでしょうか(あの眼の図をイメージして下さい。あれは万人に共通する図ではなくminoriさんのみの図として考えて下さい。何故なら、あの図の眼から見えている世界には他者の身体は含まれていますが、他者の私秘性はminoriさんの私秘性が世界に含まれないように含まれません。)。
    >
    >>とてもざっくりしたことを言います。
    >>自分以外の他者が存在しているかどうかもわからない、というような話ですか?
    >>すみません、よくわからないんです。
    >
    > 自分以外の人が存在しているかどうか分からないという話ではなくて。。。^^;
    > minoriさんの直接経験(マッハ的光景)から知りうることは、他者にも私秘性があるかどうかは直接知り得ないので(不可知)、私秘性を伴った自分のような存在は直接的には自分しか知らない。世界はそういう起点から広がっているという意味で独我論であるということですが、如何でしょうか?
    >
    > あの眼の図をイメージして下さい。あの図は万人に共通する図ではなくて、minoriさん自身の図です。minoriさんの眼から見た世界にはminoriさんの私秘性が含まれていないのと同様に、他者の(あるかもしれない)私秘性も含まれていません。世界に含まれているのは他者の身体性や声や匂いなどなどだけです。よってminoriさんが知っているのは私秘性を伴ったminoriさんだけで、そういう人間はminoriさんはminoriさんしか知り得ないということです。


    今度はわかったと思います。
    (minoriから見える)世界に含まれているのは他者の身体性や声、匂いなどだけで、他者の(あるかもしれない)私秘性は含まれていない、ということ。
    そして。私秘性を伴った自分のような存在は直接的には自分しか知らない、ということ。
    どうでしょうか?


    > 「〈仏教3.0〉を哲学する U」で他者問題が未解決なままなのは、こういうところなんですが。。。

    永井さんが、「仏教は平面的でつまらない」とかおっしゃってるのがそれなんですかね?

    >>>PS.次はいよいよ言語で語れない部分について伝える試みに突入しようと思っていますが、>先を急がず一歩一歩、場合によっては立ち止まったり、戻ったりしつつ、できるだけ共通認識をはかりたいと思います。
    >>>ちなみに「私」が〈 〉付な理由は非言語的、または言語に先んじる(アプリオリな)存在であるためです。
    >>>そんな訳で、先の唯一無二性も含め「比類なき先言の〈私〉」とパニチェは呼んでいます。
    >
    >>・・・
    >>>ちなみに「私」が〈 〉付な理由は非言語的、または言語に先んじる(アプリオリな)存在であるためです。
    >>・・・
    >>↑この部分についてはわかります。
    >
    > すみません。正直言いますね。パニチェはまだminoriさんが理解しているとは思えないのです。
    > でも、参考までにminoriさんがどのように、または何故〈私〉は非言語的、または言語に先んじると考えているか、言葉に表現できる範囲で教えてもらえれば有難いです。

    分割するのが難しい領域を扱うからだと思いますよ。
    それは言語化するのが難しいと思います。
    非二元の「気づき」というのを、非二元が全く知らない人に説明するのは難しいことであるようにです。

    > いえいえ、とんでもない。まだ〈私〉の説明の半分にも来てないのです。富士山で言えば4合目くらいです。^^
    > minoriさんが理解が乏しいのではなくて、説明の半分以上がまだなされてないからだとパニチェは思います。
    > 時期尚早ってことです。おそらく〈私〉が分かったとminoriさんが考えているから、「何故、不思議なのか」分からないのだとパニチェは判断しています。
    >
    > 先のminoriさんの回答にもよりますが、おそらく〈私〉が分かったという判断を一旦、棚上げにしてもらって、もっとも難解というか伝えにくい非言語的な部分の説明を終えてから、「人間がそれぞれ違う、というのの何が不思議なのか、私には理解できません」という判断をいただければ有難いです。
    >
    > もし、まどろっこしいとか、面倒くさいということであれば、これまでとしますが、如何でしょうか。
    > 次に進むには上記の独我論的な部分に合意いただけるかどうか、それに加えて多分「〈私〉が分かった」というところを破棄または棚上げしてもらう必要があると思います。


    なんていうか・・そんな、パニチェさんのおっしゃる〈私〉についての全貌が見えています、なんていうつもりはまったくないですよ。
    自分なりに理解したつもりの点が違ってれば指摘してもらったほうがいいに決まってますし、わからないところは質問もしています。
    ですので、破棄でも棚上げでも何の問題もありません。

    御迷惑でなければ、続きお願いします。
    理解が不可能すぎる場合はこちらから降ります。
引用返信/返信 削除キー/
■4634 / inTopicNo.62)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/27(Mon) 17:55:43)
    お返事嬉しいです、ありがとうございます。

    >>どうして、『時』というハンドルネームにされたのでしょうか?
    >
    > 思い当たる特段の理由らしき理由はありませので、運命でしょうか。でも、思い出すと、中学の卒業アルバムの一言を書く所にも「時」という文字を使っていたようですので、やはり、運命でしょうか(笑)<

    そうなんですね。
    私は、時さんの名前を拝見するたびに、仏典で出てくる『時』を思い出し、
    私には、時、とか、時間とかが、ちゃんと理解できてないので、
    お聞きしたくなりました。
    教えていただいてありがとうございます。

    時、って、わたしにはまだすごく不思議なものです。

    > 所で pipitさんは、預流果は達成可能な感じでしょうか?達成なんて書きますと、仏陀に叱られそうですが。<

    がんばるぞ!と書きながら、
    書いてる最中から、
    少なくとも今生では無理やな、と思ってしまいます(^_^;)

    私は怠けがひどすぎます。

    時さんは、預流果に達することが人間に可能と思われてますか?

    私は、そんな段階なんです。
    可能と、言ってもらったからって、私自身が証明するしかないのに、
    可能と言って欲しい、そんな段階なんです。。。
引用返信/返信 削除キー/
■4633 / inTopicNo.63)  Re[21]: pipit さんへ
□投稿者/ 時 -(2020/07/27(Mon) 17:44:49)
    pipitさんへ

    > こんにちは!pipitと申します。
    > よろしくお願いします

    こちらこそよろしくお願いします。あちらでは、柔軟な投稿をされる方だなぁと思って拝見しておりました。

    > どうして、『時』というハンドルネームにされたのでしょうか?

    思い当たる特段の理由らしき理由はありませので、運命でしょうか。でも、思い出すと、中学の卒業アルバムの一言を書く所にも「時」という文字を使っていたようですので、やはり、運命でしょうか(笑)

    所で pipitさんは、預流果は達成可能な感じでしょうか?達成なんて書きますと、仏陀に叱られそうですが。
引用返信/返信 削除キー/
■4632 / inTopicNo.64)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/27(Mon) 17:28:30)
    横レスすみませんm(_ _)m

    時さんへ

    こんにちは!pipitと申します。
    よろしくお願いします

    時さんに聞きたかったことがあるんです。

    どうして、『時』というハンドルネームにされたのでしょうか?

    すみません、前から、由来がなんか気になってまして
    もし可能なら教えていただければ嬉しいです。

    もし、秘密(*^_^*)なら、あきらめます!


引用返信/返信 削除キー/
■4631 / inTopicNo.65)  長部第二十三・パーヤーシ経
□投稿者/ pipit -(2020/07/27(Mon) 17:13:05)
    みなさま、こんにちは。
    たまたま手元に『パーヤーシ経』があります。
    (長部第二十三 パーヤーシ経)

    私見述べますに、
    パニチェさんの引用箇所、
    >『この身体(ayu)が寿命と体温と(usma)識別作用(vinnapa)とをともなっているときには、軽く柔軟で動的である。あやかも螺貝(sankha)が、人(purisa)と努力(vayama)と風(vayu)とは加わらなければ、音を響かせないように、身体も寿命と体温と識別作用とがはたらかなければ活動を起こさない。このことは生きている人の身体と死人の屍体とを比較してみればわかる。このような相違が認められる以上、人間は単なる肉体ではない。そのほかに輪廻の主体が存する、と考えなければならぬ。(16;17;18;19)(中村元選集第15巻「原始仏教の思想」P.655)』<

    は、経文を読んでの中村元先生の感想が混じって、主体が存する、という言葉がでてきたのかな、と、思いました。

    私が読むに、クマーラカッサパ尊者の主張は、
    『王族よ、この根拠によって、あなたはつぎのように考えるべきです。〈このことによっても、他の世界はある。化生の生けるものはいる。善行・悪行の業の果報はある〉と』
    までの言語化がギリギリであり、そのフレーズが繰り返されているようです。

    主体があると言ってるのと同じだ、と思って当たり前なのかもですが、
    一応、主体がある、とは、経文では文章化されていないようにpipitには思える、という細かい情報をお伝えしておきます。

    これは王様が犯罪者を死刑にする時、死ぬ者を観察しても霊魂が抜けていくのも見ることはできなかったし、そうでありながら、死んだ身体は感じる能力がなくなってる。それゆえに私は〈他の世界はない。化生の生けるものはいない。と考えるのだ言うのに対し、
    尊者が、法螺貝も人と努力と風が伴わなければ鳴らないように、
    人間も動き感じるためには、寿命と熱と識を伴わなくてはならないのです、と、返す場面のようです。

    経文の一部分を抜粋引用します。
    引用開始
    『(略)
    王族よ、ちょうどそのように、この身体も、寿命を伴い、熱を伴い、識を伴っているときは、進みもし、退きもし、立ちもし、坐りもし、臥しもし、眼によっても色を見、耳によっても声を聞き、鼻によっても香を嗅ぎ、舌によっても味を味わい、身によっても法を識ります。
    しかし、この身体が、寿命を伴わず、熱を伴わず、識を伴っていないときは、進まず、退かず、立たず、坐らず、臥さず、眼によっても色を見ず、耳によっても声を聞かず、鼻によっても香を嗅がず、舌によっても味を味わわず、身によっても触れられるものに触れず、意によっても法を識りません。
    王族よ、この根拠によっても、あなたはつぎのように考えるべきです。〈このことによっても、他の世界はある。化生の生けるものはいる。善行・悪行の業の果報はある〉と」』
    『原子仏教11』中山書房仏書林、片山一良先生訳、p83.84より引用

    あと、『パーヤーシー経』を多分、全文が読めるサイトのアドレスを貼りますね。

    光明寺経蔵 (いつも利用させていただいて本当にありがたいです(^人^))

    https://komyojikyozo.web.fc2.com/

    『長部』

    「大篇」

    「パーヤーシ経」

    中村先生がハイライトしてるのは、
    【法螺貝吹きの譬喩】

    という箇所かと思われます。

    一応、上記引用文では識を主体と読めなくもないけど、
    変わらない識が転生するという見解を持った比丘が、釈尊にめっちゃ叱られてる経典もあるようです。
    時さんもお出しになられてた、
    『大有明経』です。
    こちらは、光明寺経蔵さんの

    『中部』

    『根本五十篇』

    『小双品』

    『大有明経』

    で読めます。
    ちょっと分節し過ぎて、読みにくいかもですけど(^_^;)


引用返信/返信 削除キー/
■4630 / inTopicNo.66)  Re[19]: 〈私〉について 8-7
□投稿者/ 時 -(2020/07/27(Mon) 17:10:58)
    パニチェさんへ

    返信をありがとうございます。

    教えていただきありがとうございます。長部23経「パーヤーシ経」だったのですね。

    実は過去にパーリ原典の直訳に挑戦したことがあったのですが、頑張ったつもりだったのですが私では無理でしたので、他の方の日本語訳を基準に学びましたが、長部23経「パーヤーシ経」のその部分には「人間は単なる肉体ではない。そのほかに輪廻の主体が存する、と考えなければならぬ。」の一文がパーリの原文にもないように思います。ですが、釈尊の対機説法と言う事ではなくて尊者カッサパの対機説法と言う事でも、その部分にはあまり拘らないようにしたいと思います。

    今現在の心境としましては、

    >>「我という形而上学的原理を想定しないという点では、説一切有部は仏教本来の立場に忠実であった。

    という仏教本来の立場に忠実な立ち位置を取るのが、私としては一番しっくりとくるでしょうか。(これが一番正しいとは思っていませんが)

    ただ、現在においてお寺の僧侶の説法でニコニコしながら「お釈迦様は2500年前に空だと説かれました。」なんていうのを耳にしますと、なんといいますか(笑)

    今回は、お付き合いをありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■4624 / inTopicNo.67)  Re[18]: 〈私〉について 8-6
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/27(Mon) 15:06:54)
    こんにちは♪時さん。レスありがとうございます。

    No4619に返信(時さんの記事)
    > お調べいただき、ありがとうございます。

    どういたしまして。

    >>「我という形而上学的原理を想定しないという点では、説一切有部は仏教本来の立場に忠実であった。しかし、経典の中には、なんらかの意味において、我に類する原理を想定するような思想も表明されていたし、小乗諸派のなかには、このような思想傾向を発展せしめたものもある。すなわち小乗諸派では有情の輪廻を認めたから、輪廻の主体を想定せざるをえず、しかし、仏教は無我説であるから、ただちに実体としてのアートマンを認めることもできない。そこで、我とは異なるが、それと類似したなんらかの輪廻の主体を想定した。そうして、それによって生存主体(有情)の連続、因果応報の可能なるゆえんを説明しようとした。(中村元選集第20巻「原始仏教から大乗仏教へ」P.118)」

    > ここで少し気になりましたのが、「経典の中には、なんらかの意味において、我に類する原理を想定するような思想も表明されていたし、」というところでしょうか。私の学びました原始仏典の中にはこの個所は見つけることができませんでした。上記の表明されている我に類する原理を想定するような思想の記載がある、経典名等、もしもご存じでしたら教えていただければ幸いです。ただ「私」についての記載があるのは、

    中村元選集には「パーヤーシ経」が引用されていました。ご存知だとは思いますが、コーサラ国のセータヴィヤーという都市に居住するパーヤーシ王と尊者クマーラ・カッサパとの法論で、最終的にはパーヤーシ王を仏教に帰せしめるにいたったという内容になっているようです。カッサパの最終的な主張は以下のようなものです。

    『この身体(ayu)が寿命と体温と(usma)識別作用(vinnapa)とをともなっているときには、軽く柔軟で動的である。あやかも螺貝(sankha)が、人(purisa)と努力(vayama)と風(vayu)とは加わらなければ、音を響かせないように、身体も寿命と体温と識別作用とがはたらかなければ活動を起こさない。このことは生きている人の身体と死人の屍体とを比較してみればわかる。このような相違が認められる以上、人間は単なる肉体ではない。そのほかに輪廻の主体が存する、と考えなければならぬ。(16;17;18;19)(中村元選集第15巻「原始仏教の思想」P.655)』

    > 「私は存在する」「この私が存在する」「私は存在することになろう」「私は存在しないことになろう」「私は有色なる者として存在しないことになろう」「私は無色なる者として存在しないことになろう」「私は有想なる者として存在しないことになろう」「私は無想なる者として存在しないことになろう」「私は非想非非想なる者として存在しないことになろう」というこのことは妄想です。

    > 妄想は病です。妄想は腫瘍です。妄想は矢です。比丘よ、あらゆる妄想というものを超えたがゆえに、寂静なる牟尼といわれるのです。(中部140経「界分別経」)

    > 等々といった仏典は在るようですが、もちろんこれ(私に関して)は、出世間から観た世間での法だと思います。

    同意です。なんか久々に仏教を学ぶ機会に恵まれています。感謝!^^

    > 部派仏教は「無常・苦・無我」のみが真実であり、他は虚妄であると主張し、大乗仏教は「縁起=空」のみが真実(第一義諦)であり、他は虚妄(方便)であると主張しました。・・・断見と常見の見本市のように観えています。そのまま矛盾が生じないままに教えを守れればよかったのになぁなんて、ぼんやりとですが思っています。

    > 後世の龍樹は中論で空を説いたようですが、その冒頭の帰敬序にて八不を説き、続いて

    > 戯論の寂滅という吉祥なる縁起のことわりを説きたもう仏陀を、諸々の説法者のうちで最も優れた人として敬礼する。と括り、最終の偈では、

    > 一切の見解を断ぜしめるために憐愍をもって正しい真理を説き給うた仏陀に我は今、帰命し奉る。と締め括っています。

    > 各人の中で戯論や妄想が終焉を迎え、論争が静まればよいですね。^^

    激しく同意します!^^

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引用返信/返信 削除キー/
■4619 / inTopicNo.68)  〈私〉について 8-5
□投稿者/ 時 -(2020/07/27(Mon) 13:36:40)
    パニチェさんへ

    こんにちは♪ ご返信をありがとうございます。

    > 時さんは興味ないとは思いますが、私の想像というのも頼りないので、私自身の後学のため唯識(八識説)のルーツを調べてみました。

    お調べいただき、ありがとうございます。

    > 「我という形而上学的原理を想定しないという点では、説一切有部は仏教本来の立場に忠実であった。しかし、経典の中には、なんらかの意味において、我に類する原理を想定するような思想も表明されていたし、小乗諸派のなかには、このような思想傾向を発展せしめたものもある。すなわち小乗諸派では有情の輪廻を認めたから、輪廻の主体を想定せざるをえず、しかし、仏教は無我説であるから、ただちに実体としてのアートマンを認めることもできない。そこで、我とは異なるが、それと類似したなんらかの輪廻の主体を想定した。そうして、それによって生存主体(有情)の連続、因果応報の可能なるゆえんを説明しようとした。(中村元選集第20巻「原始仏教から大乗仏教へ」P.118)」

    ここで少し気になりましたのが、「経典の中には、なんらかの意味において、我に類する原理を想定するような思想も表明されていたし、」というところでしょうか。私の学びました原始仏典の中にはこの個所は見つけることができませんでした。上記の表明されている我に類する原理を想定するような思想の記載がある、経典名等、もしもご存じでしたら教えていただければ幸いです。ただ「私」についての記載があるのは、

    「私は存在する」「この私が存在する」「私は存在することになろう」「私は存在しないことになろう」「私は有色なる者として存在しないことになろう」「私は無色なる者として存在しないことになろう」「私は有想なる者として存在しないことになろう」「私は無想なる者として存在しないことになろう」「私は非想非非想なる者として存在しないことになろう」というこのことは妄想です。

    妄想は病です。妄想は腫瘍です。妄想は矢です。比丘よ、あらゆる妄想というものを超えたがゆえに、寂静なる牟尼といわれるのです。(中部140経「界分別経」)

    等々といった仏典は在るようですが、もちろんこれ(私に関して)は、出世間から観た世間での法だと思います。

    > 「ある所伝によると、大衆部の経典の中には根本識というものが説かれ、化地部はこれを名づけて<窮生死蘊>と呼び、また正量部は<果報識>、上座部は<有分識>というものを立てたという。ともかく、このような思想にもとづいて後の唯識哲学においてはアラーヤ識という原理が想定されるにいたったのである。(同書P.120)」

    > そんなに間違ってなかったみたいです。^^

    はい。そのようですね。(^^)v

    > 少し補足しますと、原始仏教では非我(我ならざること)を立てていたので輪廻の主体は識としても矛盾は生じなかった。ところが説一切有部をはじめ大乗にいたる諸派はアートマンを否定する無我(我を有せざること)を立てたために新たな輪廻の主体を想定せざるをえなくなったのだと思われます。

    部派仏教は「無常・苦・無我」のみが真実であり、他は虚妄であると主張し、大乗仏教は「縁起=空」のみが真実(第一義諦)であり、他は虚妄(方便)であると主張しました。・・・断見と常見の見本市のように観えています。そのまま矛盾が生じないままに教えを守れればよかったのになぁなんて、ぼんやりとですが思っています。

    後世の龍樹は中論で空を説いたようですが、その冒頭の帰敬序にて八不を説き、続いて

    戯論の寂滅という吉祥なる縁起のことわりを説きたもう仏陀を、諸々の説法者のうちで最も優れた人として敬礼する。と括り、最終の偈では、

    一切の見解を断ぜしめるために憐愍をもって正しい真理を説き給うた仏陀に我は今、帰命し奉る。と締め括っています。

    各人の中で戯論や妄想が終焉を迎え、論争が静まればよいですね。^^
引用返信/返信 削除キー/
■4618 / inTopicNo.69)  Re[16]: 〈私〉について 10
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/27(Mon) 12:54:08)
    2020/07/27(Mon) 13:02:59 編集(投稿者)

    以下、忌憚なく返信しますね。
    その方が今後の〈私〉の説明にプラスだと思いますので。。。

    No4615に返信(minoriさんの記事)
    > なにかですね。今のところのざっくりとした印象としては・・・
    > パニチェさんのおっしゃる〈私〉というのは、「個人としてのパニチェさん」と「非個人としての気づき 的なもの」が一緒に表現されているような印象があります。

    多分、違います。^^

    > もちろんそれがいいとか悪いとかではないですよ。
    > 今のところ、そんなふうなことを感じている、ということを独り言風に書いてみました。
    > 今後のやりとりの役にたてばいいかな、と感じ。

    〈私〉は棚上げしてもらった方が今後のレス交換が分かりやすいと思います。
    できるだけ先入観とか、想像や類推を排除してもらった方がいいと思います。

    その方がどこかの地点で「ハッ」と分かるかもしれません。
    それはパニチェのこととしてではなく、minoriさんのこととして分かるという意味です。
    分かってしまえば、これほど自明で当たり前でシンプルなものはないと思います。

    非言語的なこれからの説明は最も重要で、ここまでの説明はその布石かつ土台となります。
引用返信/返信 削除キー/
■4617 / inTopicNo.70)  Re[17]: 〈私〉について 12
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/27(Mon) 12:42:33)
    2020/07/27(Mon) 12:44:23 編集(投稿者)

    No4616に返信(minoriさんの記事)
    >>>>>上のパニチェさんの文中にある「私秘性」ですが、これは、「私にしかわからないこと」という意味でいいですか?

    > >>>はい。内的世界とか、単純に心の中とかそういう理解で結構です。
    > >>>あのマッハ的光景の手間にある世界を見ている意識とか主体のことです。

    >>>「私秘性」というのは、手前にある世界を見ている意識とか主体のこと、なんですね。

    > >そうです。

    > しつこく再確認です。( ´艸`)
    > 「私秘性」というのは、手前にある世界を見ている意識とか主体のこと。

    そうです。全然、しつこくないですよ。
    すみません。正確に言えば私秘性とは手前にある世界を見ている意識とか主体の特性です。
    (これもしつこいようですが〈私〉の特性ではありません。〈私〉はしばらく忘れて下さい。^^)
    何度でも確認して下さい。^^

    > 了解しました。

    > では、もとの投稿へのレスを明日にでもさせていただきます。
    > パニチェさん、お手数をおかけしてすみません。

    とんんでもないです。^^ ノ
引用返信/返信 削除キー/
■4616 / inTopicNo.71)  Re[16]: 〈私〉について 11
□投稿者/ minori -(2020/07/27(Mon) 12:31:14)
    > >>>上のパニチェさんの文中にある「私秘性」ですが、これは、「私にしかわからないこと」という意味でいいですか?

    >>>はい。内的世界とか、単純に心の中とかそういう理解で結構です。
    >>>あのマッハ的光景の手間にある世界を見ている意識とか主体のことです。

    > >「私秘性」というのは、手前にある世界を見ている意識とか主体のこと、なんですね。

    >そうです。


    しつこく再確認です。( ´艸`)
    「私秘性」というのは、手前にある世界を見ている意識とか主体のこと。

    了解しました。

    では、もとの投稿へのレスを明日にでもさせていただきます。
    パニチェさん、お手数をおかけしてすみません。


引用返信/返信 削除キー/
■4615 / inTopicNo.72)  Re[15]: 〈私〉について 10
□投稿者/ minori -(2020/07/27(Mon) 12:25:41)
    なにかですね。今のところのざっくりとした印象としては・・・
    パニチェさんのおっしゃる〈私〉というのは、「個人としてのパニチェさん」と「非個人としての気づき 的なもの」が一緒に表現されているような印象があります。
    もちろんそれがいいとか悪いとかではないですよ。

    今のところ、そんなふうなことを感じている、ということを独り言風に書いてみました。
    今後のやりとりの役にたてばいいかな、と感じ。
引用返信/返信 削除キー/

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