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■4656 / inTopicNo.49)  Re[18]: 〈私〉について 15
  
□投稿者/ minori -(2020/07/28(Tue) 08:56:44)
    パニチェさん、では早速に。


    > >>次に「私は〜である」または「私は〜」と言い表してみます。
    > >>パニチェはminoriさんのプライベートは知らないので一部外れているところもあるとは思いますが、全て言い当てているものとして下さい。
    > >>そして以下の表明の逆も考えることとし、逆をもって独在論的なminoriさんの存在を言い当てているか否か(他者でも言いえることや、可能性としてそのようにありえるなら、言い当ててないこととします)を判断下さい。カキコしなくとも頭の中でやってみて下さい。
    >
    > >>(例)私は人間である → 人間は私である
    > >>私は女性である → はい
    > >>私は日本人である → はい
    >
    > >>(役割や立場、職業)
    > >>私は母である → はい
    > >>私は妻である → はい
    > >>私は教師である → いいえ
    >
    > >>(性格や趣味嗜好)
    > >>私は優しい → いつでもではないという気がします。
    > >>私はシャイである → これもいつでもではないような気がします。 
    > >>私は哲学が好きだ → 決めかねます。興味はあるけど難解すぎて嫌にもなりますので。
    >
    > >>(名前)
    > >>私は赤井みのりである → はい(本名はそれとは違うけど)
    >
    > >>(その他)
    > >>私は新宿区新宿1−1−1に住む赤井みのりであり、母でもあり、妻でもあり、教師でもあり。。。以下これまでの言明。。哲学が好きな人間であり、女性であり、日本人である → そうであるところと違うところ、わからないところ、決めかねるところがあります。
    >
    > >>私はマッハ的光景の手前に存在する独在的な存在である → 今はその設定で考えています。(つもりと言ったほうがいいかもですが。)
    >
    > >>私は気付きである → そうです。

    →の先に答えを書きました。


    > >>最後にこれはどうでしょうか?
    > >>三角形は三点を結ぶ直線によって描かれる図形である →
    >
    >>minoriは、三角形という形について既知ですし、上に言われていることに異論はないです。
    >>もし、minoriが三角形というもの、直線というものを知らなかったとしたら、「三角形?それなんですか?」という答えになると思います。
    >
    > もっとシンプルに考えて下さい。^^
    >
    > 「三角形は三点を結ぶ直線によって描かれる図形である → 三点を結ぶ直線によって描かれる図形は三角形である」ってことですが逆も含めて三角形を言い当てていますか?

    言い当てていますね。 →の先の答えは、「はい」になります。

    >
    > >>PS.今回も含め、今後レス交換の途上で「〈私〉が分かった!」と思えたら、そのようにカキコして下さい。
    >
    >>今はわからないです。
    >
    > >>次の返信である種の公案(禅問答)めいた質問を投げかけ、その答えによってminoriさんがパニチェの言うところの〈私〉に気付かれたかどうか判定させていただきます。
    >
    >>お〜、そうなんですか。
    >>自信はないですが、やってみたいです。
    >
    > いえ、minoriさんが「〈私〉が分かった!」と思えた時に行う公案ですので、次の返信ではやりません。ごめんなさい。^^;


    これですね。実はさっき、家事しながらふと気づいたんですよ。
    minoriは、〈私〉を知らないはず、なぜならまだ4合目までしか説明していないから、というパニチェさんの言葉があったのになぜ公案? 考えて見たらへんじゃないですか?って書こうと思い、ここを開けたら既にレスがあり、minoriが読解を間違えてたというのに気づきました。
引用返信/返信 削除キー/
■4655 / inTopicNo.50)  Re[17]: 〈私〉について 15
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/28(Tue) 07:54:33)
    レスありがとうございます。

    No4654に返信(minoriさんの記事)
    >>私秘性を伴い、何人も何物も並び立つことのできない、そこから世界が開闢する地点であるところのマッハ的光景の手前に独我論的に存在する唯一無二性のことを今後は「独在性」「独在的」とします。

    >>minoriさんは独在的な存在です。
    >>ここまでよろしいでしょうか?

    > はい。

    >>次に「私は〜である」または「私は〜」と言い表してみます。
    >>パニチェはminoriさんのプライベートは知らないので一部外れているところもあるとは思いますが、全て言い当てているものとして下さい。
    >>そして以下の表明の逆も考えることとし、逆をもって独在論的なminoriさんの存在を言い当てているか否か(他者でも言いえることや、可能性としてそのようにありえるなら、言い当ててないこととします)を判断下さい。カキコしなくとも頭の中でやってみて下さい。

    >>(例)私は人間である → 人間は私である
    >>私は女性である →
    >>私は日本人である →

    >>(役割や立場、職業)
    >>私は母である →
    >>私は妻である →
    >>私は教師である →

    >>(性格や趣味嗜好)
    >>私は優しい →
    >>私はシャイである →
    >>私は哲学が好きだ →

    >>(名前)
    >>私は赤井みのりである →

    >>(その他)
    >>私は新宿区新宿1−1−1に住む赤井みのりであり、母でもあり、妻でもあり、教師でもあり。。。以下これまでの言明。。哲学が好きな人間であり、女性であり、日本人である →

    >>私はマッハ的光景の手前に存在する独在的な存在である →

    >>私は気付きである →

    >>どうでしょうか?

    > そうであるところと、違うところ、自分でも迷うところもありますが、それはそれとして置いておいていいんですね?

    いえ、ここは置いておかずに、違うところと迷うところを教えて下さい。^^

    >>最後にこれはどうでしょうか?
    >>三角形は三点を結ぶ直線によって描かれる図形である →

    > minoriは、三角形という形について既知ですし、上に言われていることに異論はないです。
    > もし、minoriが三角形というもの、直線というものを知らなかったとしたら、「三角形?それなんですか?」という答えになると思います。

    もっとシンプルに考えて下さい。^^

    「三角形は三点を結ぶ直線によって描かれる図形である → 三点を結ぶ直線によって描かれる図形は三角形である」ってことですが逆も含めて三角形を言い当てていますか?


    >>PS.今回も含め、今後レス交換の途上で「〈私〉が分かった!」と思えたら、そのようにカキコして下さい。

    > 今はわからないです。

    >>次の返信である種の公案(禅問答)めいた質問を投げかけ、その答えによってminoriさんがパニチェの言うところの〈私〉に気付かれたかどうか判定させていただきます。

    > お〜、そうなんですか。
    > 自信はないですが、やってみたいです。

    いえ、minoriさんが「〈私〉が分かった!」と思えた時に行う公案ですので、次の返信ではやりません。ごめんなさい。^^;

引用返信/返信 削除キー/
■4654 / inTopicNo.51)  Re[16]: 〈私〉について 14
□投稿者/ minori -(2020/07/28(Tue) 07:21:43)
    パニチェさん、レスありがとうございます。


    > まずは復習と言葉の定義を行います。
    >
    > 私秘性を伴い、何人も何物も並び立つことのできない、そこから世界が開闢する地点であるところのマッハ的光景の手前に独我論的に存在する唯一無二性のことを今後は「独在性」「独在的」とします。
    >
    > minoriさんは独在的な存在です。
    > ここまでよろしいでしょうか?


    はい。

    > 次に「私は〜である」または「私は〜」と言い表してみます。
    > パニチェはminoriさんのプライベートは知らないので一部外れているところもあるとは思いますが、全て言い当てているものとして下さい。
    > そして以下の表明の逆も考えることとし、逆をもって独在論的なminoriさんの存在を言い当てているか否か(他者でも言いえることや、可能性としてそのようにありえるなら、言い当ててないこととします)を判断下さい。カキコしなくとも頭の中でやってみて下さい。
    >
    >
    > (例)私は人間である → 人間は私である
    > 私は女性である →
    > 私は日本人である →
    >
    > (役割や立場、職業)
    > 私は母である →
    > 私は妻である →
    > 私は教師である →
    >
    > (性格や趣味嗜好)
    > 私は優しい →
    > 私はシャイである →
    > 私は哲学が好きだ →
    >
    > (名前)
    > 私は赤井みのりである →
    >
    > (その他)
    > 私は新宿区新宿1−1−1に住む赤井みのりであり、母でもあり、妻でもあり、教師でもあり。。。以下これまでの言明。。哲学が好きな人間であり、女性であり、日本人である →
    >
    > 私はマッハ的光景の手前に存在する独在的な存在である →
    >
    > 私は気付きである →
    >
    > どうでしょうか?


    そうであるところと、違うところ、自分でも迷うところもありますが、それはそれとして置いておいていいんですね?


    > 最後にこれはどうでしょうか?
    > 三角形は三点を結ぶ直線によって描かれる図形である →


    minoriは、三角形という形について既知ですし、上に言われていることに異論はないです。
    もし、minoriが三角形というもの、直線というものを知らなかったとしたら、「三角形?それなんですか?」という答えになると思います。


    > PS.今回も含め、今後レス交換の途上で「〈私〉が分かった!」と思えたら、そのようにカキコして下さい。

    今はわからないです。

    > 次の返信である種の公案(禅問答)めいた質問を投げかけ、その答えによってminoriさんがパニチェの言うところの〈私〉に気付かれたかどうか判定させていただきます。

    お〜、そうなんですか。
    自信はないですが、やってみたいです。
引用返信/返信 削除キー/
■4652 / inTopicNo.52)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/28(Tue) 06:56:02)
    おはようございます。
    今のわたしには、時さんのコメントの内容をいただくには値しないのですが、
    それでも、
    時さんのおっしゃりたいこと、わたしの心に入りました。

    とても貴重な思考回路をありがとうございます。

    できないという石を置いてるのは、わたし。
    という文章が、頭に浮かんできました。

    テーリーガータを読み返してみようと思います(o^^o)

    ありがとうございます!
引用返信/返信 削除キー/
■4651 / inTopicNo.53)  Re[15]: 〈私〉について 14
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/28(Tue) 06:26:15)
    2020/07/28(Tue) 06:43:08 編集(投稿者)

    おはようございます、minoriさん。レスありがとうございます。

    No4643に返信(minoriさんの記事)

    >>では、ここからは非言語的な部分に突入しますので、これまでの一方的な説明を変更して質問&回答形式を一部採用しつつ進めたいと思います。

    >>質問への回答に関しては分からないことは「分からない」と返してもらえれば結構です。
    >>あくまでもminoriさんのこととして考えていただくための質問&回答形式です。^^

    >>ではまず、「私」という言葉が指し示す対象ってminoriさんはどのように考えておられますか?


    > 社会生活上では、身体や心を持つ一人の人間というのが「私」ですね。
    > 社会生活上で人と話す時に、「私さ〜、○○してきたよ。」とか話す時の「私」というのは、それです。

    > minori(本名は、○○ 〇〇ですが。)にとっての「私」は。
    > 「気づいているもの」「気づき」です。
    > 今、目の前にpcがあり、その後方にソファーがあり、その後方に壁があります。
    > それに気づいています。その、気づいているのが「私」です。


    まずは復習と言葉の定義を行います。

    私秘性を伴い、何人も何物も並び立つことのできない、そこから世界が開闢する地点であるところのマッハ的光景の手前に独我論的に存在する唯一無二性のことを今後は「独在性」「独在的」とします。

    minoriさんは独在的な存在です。
    ここまでよろしいでしょうか?


    次に「私は〜である」または「私は〜」と言い表してみます。
    パニチェはminoriさんのプライベートは知らないので一部外れているところもあるとは思いますが、全て言い当てているものとして下さい。
    そして以下の表明の逆も考えることとし、逆をもって独在論的なminoriさんの存在を言い当てているか否か(他者でも言いえることや、可能性としてそのようにありえるなら、言い当ててないこととします)を判断下さい。カキコしなくとも頭の中でやってみて下さい。


    (例)私は人間である → 人間は私である
    私は女性である →
    私は日本人である →

    (役割や立場、職業)
    私は母である →
    私は妻である →
    私は教師である →

    (性格や趣味嗜好)
    私は優しい →
    私はシャイである →
    私は哲学が好きだ →

    (名前)
    私は赤井みのりである →

    (その他)
    私は新宿区新宿1−1−1に住む赤井みのりであり、母でもあり、妻でもあり、教師でもあり。。。以下これまでの言明。。哲学が好きな人間であり、女性であり、日本人である →

    私はマッハ的光景の手前に存在する独在的な存在である →

    私は気付きである →

    どうでしょうか?


    最後にこれはどうでしょうか?
    三角形は三点を結ぶ直線によって描かれる図形である →


    PS.今回も含め、今後レス交換の途上で「〈私〉が分かった!」と思えたら、そのようにカキコして下さい。
    次の返信である種の公案(禅問答)めいた質問を投げかけ、その答えによってminoriさんがパニチェの言うところの〈私〉に気付かれたかどうか判定させていただきます。
引用返信/返信 削除キー/
■4650 / inTopicNo.54)  pipit さんへ
□投稿者/ 時 -(2020/07/28(Tue) 03:20:27)
    pipit さんへ

    > 私は、テーリーガータに出てこられるような比丘尼さまに出会ったことがあれば嬉しいなー、と、時に想像します。

    > 時さまのおかげで、がんばろ、って改めて思いました。
    > できることからがんばってみます。

    ご存じかもしれませんが、中部85経「ボーディ王子経」の一節に

    じつにウダカ・ラーマプッタのみに信があったのではない。私にも信が存在する。
    じつにウダカ・ラーマプッタのみに精進があるのではない。私にも精進が存在する。
    じつにウダカ・ラーマプッタのみに念があるのではない。私にも念が存在する。
    じつにウダカ・ラーマプッタのみに定があるのではない。私にも定が存在する。
    じつにウダカ・ラーマプッタのみに智があるのではない。私にも智が存在する。

    というものがありますね。アーラーラ・カーラーマ(無所有処)に続いて、菩薩時代の仏陀の師であったウダカ・ラーマプッタの事ですが、彼は非想非非想処を説きました。その時の仏陀の思いだろうと思います。

    ウッタマー尼のみに信があったのではない。私にも信が存在する。
    ダンティカー尼のみに精進があるのではない。私にも精進が存在する。
    パターチャーラー尼のみに念があるのではない。私にも念が存在する。
    ウッタラー尼のみに定があるのではない。私にも定が存在する。
    キサー・ゴータミー尼のみに智があるのではない。私にも智が存在する。

    出来ることしかできませんので、がんばってみましょう♪

    ご返信をありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■4647 / inTopicNo.55)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/27(Mon) 23:14:32)
    時さんへ

    返信ありがとうございます

    > ご存じかとは思いますが、四向四果は(預流向・預流果・一来向・一来果・不還向・不還果・阿羅漢向・阿羅漢果)ですね。このうち仏陀不在の現代においては、不還果までは可能だと思います。その場合、条件があるように思います。・原始仏典だけを法とすること。・日本のお寺での修業は瞑想等も含めて行わないこと。まとめますと、仏典を拠り所にして独学で実践として学ぶことでしょうか。私はこのように思います。
    >
    > 預流果(三結を完全に断じた状態で七回の転生以内に阿羅漢果になる事が決定した状態)ですね。
    >
    > 三結は、(有身見・疑・戒禁取見)です。
    > 有身見は、(私と言う不変の存在があると言う見解の事。邪見。邪思推)です。
    > 疑は、(過去・現在・未来の各種の自己について思考(邪思推)する事。善なる諸法に関しての疑い)です。<


    あ、疑について読んだことあったけど、書いていただいた内容であったことを忘れてました。
    内容として、おもしろいですね。


    > 戒禁取見は、(シキタリや苦行等、何かに拘り囚われる事。約束事への固執)です。
    >
    > これらを断じると言う事で、原始仏典に記載がある定義どおりの理解が起これば、簡単ではないかもしれませんが、十分に可能なお話だと思います。過去私が仏教を学びだした頃に、不還果の方との出会いがありました。(出会ったころは、一来果でした。)勿論これも証明等はできないことですが、時として今でもその方との会話を思い出し不思議な時間を過ごします。<

    不思議な時間、いいですね。

    私は、テーリーガータに出てこられるような比丘尼さまに出会ったことがあれば嬉しいなー、と、時に想像します。

    時さまのおかげで、がんばろ、って改めて思いました。
    できることからがんばってみます。
    ありがとうございますm(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/
■4643 / inTopicNo.56)  Re[14]: 〈私〉について 13
□投稿者/ minori -(2020/07/27(Mon) 20:41:34)
    パニチェさん、レスありがとうございます。


    >>今度はわかったと思います。
    >>(minoriから見える)世界に含まれているのは他者の身体性や声、匂いなどだけで、他者の(あるかもしれない)私秘性は含まれていない、ということ。
    >>そして。私秘性を伴った自分のような存在は直接的には自分しか知らない、ということ。
    >>どうでしょうか?
    >
    > そうです、そうです、「超リアル探究(No4559)」からすれば、その通りです!


    よかった。やっと理解できました。 お手数おかけしました。


    > これ正直に言います。
    > やはり、〈私〉が言語表現できないという理由とは違うと思います。

    そうなんですね。


    > ありがとうございます。では〈私〉とか〈私〉が言語表現不可能なこととか、棚上げにして下さい。
    > できれば先入観とか、日常的な常識とか、いったん放り投げて、直接経験(マッハ的光景とか眼の図)だけを念頭にしてもらえれば有難いです。

    はい。

    >>御迷惑でなければ、続きお願いします。
    >>理解が不可能すぎる場合はこちらから降ります。
    >
    > 迷惑なんて、とんでもないです。
    >
    > では、ここからは非言語的な部分に突入しますので、これまでの一方的な説明を変更して質問&回答形式を一部採用しつつ進めたいと思います。
    >
    > 質問への回答に関しては分からないことは「分からない」と返してもらえれば結構です。
    > あくまでもminoriさんのこととして考えていただくための質問&回答形式です。^^
    >
    > ではまず、「私」という言葉が指し示す対象ってminoriさんはどのように考えておられますか?


    社会生活上では、身体や心を持つ一人の人間というのが「私」ですね。
    社会生活上で人と話す時に、「私さ〜、○○してきたよ。」とか話す時の「私」というのは、それです。

    minori(本名は、○○ 〇〇ですが。)にとっての「私」は。
    「気づいているもの」「気づき」です。
    今、目の前にpcがあり、その後方にソファーがあり、その後方に壁があります。
    それに気づいています。その、気づいているのが「私」です。
引用返信/返信 削除キー/
■4640 / inTopicNo.57)   pipitさんへ
□投稿者/ 時 -(2020/07/27(Mon) 19:19:27)
    pipitさんへ

    返信をありがとうございます。

    > 時さんは、預流果に達することが人間に可能と思われてますか?

    > 私は、そんな段階なんです。
    > 可能と、言ってもらったからって、私自身が証明するしかないのに、
    > 可能と言って欲しい、そんな段階なんです。。。

    ご存じかとは思いますが、四向四果は(預流向・預流果・一来向・一来果・不還向・不還果・阿羅漢向・阿羅漢果)ですね。このうち仏陀不在の現代においては、不還果までは可能だと思います。その場合、条件があるように思います。・原始仏典だけを法とすること。・日本のお寺での修業は瞑想等も含めて行わないこと。まとめますと、仏典を拠り所にして独学で実践として学ぶことでしょうか。私はこのように思います。

    預流果(三結を完全に断じた状態で七回の転生以内に阿羅漢果になる事が決定した状態)ですね。

    三結は、(有身見・疑・戒禁取見)です。
    有身見は、(私と言う不変の存在があると言う見解の事。邪見。邪思推)です。
    疑は、(過去・現在・未来の各種の自己について思考(邪思推)する事。善なる諸法に関しての疑い)です。
    戒禁取見は、(シキタリや苦行等、何かに拘り囚われる事。約束事への固執)です。

    これらを断じると言う事で、原始仏典に記載がある定義どおりの理解が起これば、簡単ではないかもしれませんが、十分に可能なお話だと思います。過去私が仏教を学びだした頃に、不還果の方との出会いがありました。(出会ったころは、一来果でした。)勿論これも証明等はできないことですが、時として今でもその方との会話を思い出し不思議な時間を過ごします。
引用返信/返信 削除キー/
■4639 / inTopicNo.58)  Re[13]: 〈私〉について 13
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/27(Mon) 18:40:55)
    No4635に返信(minoriさんの記事)
    > パニチェさん、先ほどは特化した分の説明もありがとうございました。

    どういたしまして。^^

    > 時間ができたので、今日のうちにレスします。
    > 何人もの方が来られているようですので、minoriの分はいつでも結構ですよ。

    お気遣い、ありがとうございます。

    > 今度はわかったと思います。
    > (minoriから見える)世界に含まれているのは他者の身体性や声、匂いなどだけで、他者の(あるかもしれない)私秘性は含まれていない、ということ。
    > そして。私秘性を伴った自分のような存在は直接的には自分しか知らない、ということ。
    > どうでしょうか?

    そうです、そうです、「超リアル探究(No4559)」からすれば、その通りです!

    > 永井さんが、「仏教は平面的でつまらない」とかおっしゃってるのがそれなんですかね?

    パニチェもあの言い回しはよく分からないのですが、パニチェにとっても仏教のつまらないところは、起点である我を深掘りしたり、定義もせずに、無我とか非我なんて軽々しく(笑)言うところです。^^

    >>でも、参考までにminoriさんがどのように、または何故〈私〉は非言語的、または言語に先んじると考えているか、言葉に表現できる範囲で教えてもらえれば有難いです。

    > 分割するのが難しい領域を扱うからだと思いますよ。
    > それは言語化するのが難しいと思います。
    > 非二元の「気づき」というのを、非二元が全く知らない人に説明するのは難しいことであるようにです。

    これ正直に言います。
    やはり、〈私〉が言語表現できないという理由とは違うと思います。

    > なんていうか・・そんな、パニチェさんのおっしゃる〈私〉についての全貌が見えています、なんていうつもりはまったくないですよ。
    > 自分なりに理解したつもりの点が違ってれば指摘してもらったほうがいいに決まってますし、わからないところは質問もしています。
    > ですので、破棄でも棚上げでも何の問題もありません。

    ありがとうございます。では〈私〉とか〈私〉が言語表現不可能なこととか、棚上げにして下さい。
    できれば先入観とか、日常的な常識とか、いったん放り投げて、直接経験(マッハ的光景とか眼の図)だけを念頭にしてもらえれば有難いです。

    > 御迷惑でなければ、続きお願いします。
    > 理解が不可能すぎる場合はこちらから降ります。

    迷惑なんて、とんでもないです。

    では、ここからは非言語的な部分に突入しますので、これまでの一方的な説明を変更して質問&回答形式を一部採用しつつ進めたいと思います。

    質問への回答に関しては分からないことは「分からない」と返してもらえれば結構です。
    あくまでもminoriさんのこととして考えていただくための質問&回答形式です。^^

    ではまず、「私」という言葉が指し示す対象ってminoriさんはどのように考えておられますか?

引用返信/返信 削除キー/
■4637 / inTopicNo.59)  Re[20]: 長部第二十三・パーヤーシ経
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/27(Mon) 18:09:51)
    ピピットさん、以下の情報ありがとうございました。^^

    No4631に返信(pipitさんの記事)
    > みなさま、こんにちは。
    > たまたま手元に『パーヤーシ経』があります。
    > (長部第二十三 パーヤーシ経)
    >
    > 私見述べますに、
    > パニチェさんの引用箇所、
    > >『この身体(ayu)が寿命と体温と(usma)識別作用(vinnapa)とをともなっているときには、軽く柔軟で動的である。あやかも螺貝(sankha)が、人(purisa)と努力(vayama)と風(vayu)とは加わらなければ、音を響かせないように、身体も寿命と体温と識別作用とがはたらかなければ活動を起こさない。このことは生きている人の身体と死人の屍体とを比較してみればわかる。このような相違が認められる以上、人間は単なる肉体ではない。そのほかに輪廻の主体が存する、と考えなければならぬ。(16;17;18;19)(中村元選集第15巻「原始仏教の思想」P.655)』<
    >
    > は、経文を読んでの中村元先生の感想が混じって、主体が存する、という言葉がでてきたのかな、と、思いました。
    >
    > 私が読むに、クマーラカッサパ尊者の主張は、
    > 『王族よ、この根拠によって、あなたはつぎのように考えるべきです。〈このことによっても、他の世界はある。化生の生けるものはいる。善行・悪行の業の果報はある〉と』
    > までの言語化がギリギリであり、そのフレーズが繰り返されているようです。
    >
    > 主体があると言ってるのと同じだ、と思って当たり前なのかもですが、
    > 一応、主体がある、とは、経文では文章化されていないようにpipitには思える、という細かい情報をお伝えしておきます。
    >
    > これは王様が犯罪者を死刑にする時、死ぬ者を観察しても霊魂が抜けていくのも見ることはできなかったし、そうでありながら、死んだ身体は感じる能力がなくなってる。それゆえに私は〈他の世界はない。化生の生けるものはいない。と考えるのだ言うのに対し、
    > 尊者が、法螺貝も人と努力と風が伴わなければ鳴らないように、
    > 人間も動き感じるためには、寿命と熱と識を伴わなくてはならないのです、と、返す場面のようです。
    >
    > 経文の一部分を抜粋引用します。
    > 引用開始
    > 『(略)
    > 王族よ、ちょうどそのように、この身体も、寿命を伴い、熱を伴い、識を伴っているときは、進みもし、退きもし、立ちもし、坐りもし、臥しもし、眼によっても色を見、耳によっても声を聞き、鼻によっても香を嗅ぎ、舌によっても味を味わい、身によっても法を識ります。
    > しかし、この身体が、寿命を伴わず、熱を伴わず、識を伴っていないときは、進まず、退かず、立たず、坐らず、臥さず、眼によっても色を見ず、耳によっても声を聞かず、鼻によっても香を嗅がず、舌によっても味を味わわず、身によっても触れられるものに触れず、意によっても法を識りません。
    > 王族よ、この根拠によっても、あなたはつぎのように考えるべきです。〈このことによっても、他の世界はある。化生の生けるものはいる。善行・悪行の業の果報はある〉と」』
    > 『原子仏教11』中山書房仏書林、片山一良先生訳、p83.84より引用
    >
    > あと、『パーヤーシー経』を多分、全文が読めるサイトのアドレスを貼りますね。
    >
    > 光明寺経蔵 (いつも利用させていただいて本当にありがたいです(^人^))
    >
    > https://komyojikyozo.web.fc2.com/
    >
    > 『長部』
    > ↓
    > 「大篇」
    > ↓
    > 「パーヤーシ経」
    > ↓
    > 中村先生がハイライトしてるのは、
    > 【法螺貝吹きの譬喩】
    >
    > という箇所かと思われます。
    >
    > 一応、上記引用文では識を主体と読めなくもないけど、
    > 変わらない識が転生するという見解を持った比丘が、釈尊にめっちゃ叱られてる経典もあるようです。
    > 時さんもお出しになられてた、
    > 『大有明経』です。
    > こちらは、光明寺経蔵さんの
    >
    > 『中部』
    > ↓
    > 『根本五十篇』
    > ↓
    > 『小双品』
    > ↓
    > 『大有明経』
    >
    > で読めます。
    > ちょっと分節し過ぎて、読みにくいかもですけど(^_^;)

引用返信/返信 削除キー/
■4636 / inTopicNo.60)  Re[20]: 〈私〉について 8-8
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/27(Mon) 18:07:31)
    レスありがとうございます。

    No4630に返信(時さんの記事)

    > 実は過去にパーリ原典の直訳に挑戦したことがあったのですが、頑張ったつもりだったのですが私では無理でしたので、他の方の日本語訳を基準に学びましたが、長部23経「パーヤーシ経」のその部分には「人間は単なる肉体ではない。そのほかに輪廻の主体が存する、と考えなければならぬ。」の一文がパーリの原文にもないように思います。ですが、釈尊の対機説法と言う事ではなくて尊者カッサパの対機説法と言う事でも、その部分にはあまり拘らないようにしたいと思います。

    ここの部分はピピットさんも引用されてましたが時さんの指摘通り原文には「人間は単なる肉体ではない。そのほかに輪廻の主体が存する、と考えなければならぬ。」の一文がないのかもしれませんね。

    > 今現在の心境としましては、

    > >>「我という形而上学的原理を想定しないという点では、説一切有部は仏教本来の立場に忠実であった。

    > という仏教本来の立場に忠実な立ち位置を取るのが、私としては一番しっくりとくるでしょうか。(これが一番正しいとは思っていませんが)

    > ただ、現在においてお寺の僧侶の説法でニコニコしながら「お釈迦様は2500年前に空だと説かれました。」なんていうのを耳にしますと、なんといいますか(笑)

    これも原文がどうなっているかは知らないのですが、空に関してはスッタニパータでも説かれてますね。
    『1119.つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。(スッタニパータ 第五 彼岸に至る道の章)』

    あと、こんな箇所も見つけました。
    『756.見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、〈名称と形態〉(個体)に執着している。「こえこそ真理である」と考えている。(同書 第三 大いなる章)』
    原始仏典から非我説→無我説の転換があったのかもしれません。

    > 今回は、お付き合いをありがとうございました。

    こちらこそ、ありがとうございました。 

引用返信/返信 削除キー/

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