| 悪魔ちゃんさんこんにちは! ジメジメだね、今日湿度計で99パーセントって出てたよ。 あの表示ホントなのかな〜
> わたしが関心がるところは以下のところ。 > > 【彼は人間のうちに一つの新しい能力、《先天的》綜合判断の能力を発見したことを誇りとした。・・・「いかにして《先天的》綜合判断は可能であるか」とカントは自問した。――そして彼は果たして何と答えたか。一つの能力によって、と。しかし残念ながら、この簡潔な言葉をもってではなく、むしろあんなに廻りくどく、勿体らしく、かつドイツ語的な深意と虚飾癖とをもってしてした】 > > この部分をわたし言いかえると。 > > カントは、「《先天的》総合判断」という、人間のうちに、新しい「一つの能力」を発見した。さらに、「いかにして《先天的》綜合判断は可能であるか」と自問した。そしてカントは廻りくどく、勿体らしく、かつドイツ語的な深意と虚飾癖とをもってして、答えた。 > ニーチェは思った。まわりくどく言わなくてもはっきり、一つの能力によって、って言えばいいじゃん、と。 > > 「一つの能力」は「《先天的》総合判断」のことだから、 > > 「いかにして《先天的》綜合判断は可能であるか」に対する答えは、「《先天的》総合判断」という能力を人間はもっているから。となる。これって、廻っちゃってる。<
廻っちゃってる、って、いい表現だね すごく状態を顕わしてる言葉に思えるね。
> そこで、【「一つの能力によって」――とカントは言った。しかし一体これは答えであるか。説明であるか。或いは、却って問いの繰り返しにすぎないのではないか】に、つながるんじゃないかしら。<
> ここでは《先天的》って訳してあるけど、私が読んだ小牧治氏の「カント」の『純粋理性批判』のなかでも「先天的綜合判断」って書いてある。中島さんのでは「超越論的」と訳すべきだ、的みたいだけど。先人たちは「先天的」って訳してたんだなー、て。<
うん。それぞれの時代の人が一所懸命考えて漢字を当てていったこととか想像する時があるよ。 明治時代の人が西洋哲学に出会った時とかね そういえば、メルロさんはいつの時代の人なのかなー
> 先天的、先験的、ア・プリオリ、の意味について、わたしのあるんだけどまたいつか。あ、それと「客観」もね。 > > お忙しいところ、ごめんでした。<
こちらこそいつも貴重な経験をありがとう。 悪魔ちゃんさんにとっていいふうに思える情報、何も提供できずにごめんね
タイピングとか無理しないでね、 本当にありがとうです。
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