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■4015 / inTopicNo.13)  田秋さんへ
  
□投稿者/ pipit -(2020/07/14(Tue) 22:54:04)
    いえいえ、『純粋理性批判』での最高善の箇所、
    初めて目を通しました!(最後らへんの記述なんです)

    きっかけをありがとうございます!

    おつかれさまです(*^^*)
引用返信/返信 削除キー/
■3994 / inTopicNo.14)  pipitさんへ
□投稿者/ 田秋 -(2020/07/14(Tue) 19:50:26)
    お忙しい中、丁寧なお返事ありがとうございました。

    >それはこの世界では人間の自由はある程度は道徳的な法則によって動機づけられると同時に、ある程度はこれに制約されることによって、すべての人々の幸福の原因となるはずだからである。
    >
    > 理性的な存在者は、このような原理に導かれて、自分自身の福祉と、他者の永続的な福祉の創始者となるはずだからである。』

    この辺りを読み、カントさんが「独裁者になろう!」とは言ってないようで安心しました。

    pipit家の家事進行の阻害をしてしまい、申し訳ありませんでした。
引用返信/返信 削除キー/
■3993 / inTopicNo.15)  Re[36]: おくったがわさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/14(Tue) 19:48:54)
    ■3947
    おくったがわさま、ありがとうございます。あなた、ひょっとして論理学系? ちなみにわたし、感性系。

    カントのは、ニーチェが言うように【しかし残念ながら、この簡潔な言葉をもってではなく、むしろあんなに廻りくどく、勿体らしく、かつドイツ語的な深意と虚飾癖とをもってしてしたので、】難になってる?それともそいうじゃない?

    で、pipitさまの、>ちなみに経験的実在論は、カント哲学を表現するときにも使うかも。カントは自分の説は、超越論的観念論であり、また経験的実在論でもある、みたいに言ってた覚えがあるよ<
    について考えてる。

    メルロは〔素朴的意識の実在論は、経験的実在論であって、超越論的実在論ではない〕って見ているみたい。メルロは、カントの実在論はメルロの「経験的実在論」じゃなくて、「超越論的実在論」って見ているみたいなので、そこんとこいま考えてる。

    カントの、って、難しそうね。






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■3988 / inTopicNo.16)  最高善についてのカントの記述2
□投稿者/ pipit -(2020/07/14(Tue) 19:37:33)
    No3978に返信(pipitさんの記事)
    > 最高善の概念も時系列的に変化してるかもですが、
    > 『純粋理性批判』に載ってる、最高善についての文章を引用します。
    >
    > カント自身の文章を、中山元先生が訳したものです。
    >
    > 『ところで叡智的な世界、すなわち道徳的な世界の概念においては、道徳のすべての障害、
    > すなわち人間のもつ自然な〈心の傾き〉を無視するのであるが、
    > この道徳世界においては、道徳性と比例的に結びついた幸福の体系というものが必然的なものであると考えねばならない。
    >
    > それはこの世界では人間の自由はある程度は道徳的な法則によって動機づけられると同時に、ある程度はこれに制約されることによって、すべての人々の幸福の原因となるはずだからである。
    >
    > 理性的な存在者は、このような原理に導かれて、自分自身の福祉と、他者の永続的な福祉の創始者となるはずだからである。』
    >
    > 『純粋理性批判7』カント、中山元先生訳、p184<

    この文章の続きを引用します。

    『しかしみずからにも[幸福という]報酬をもたらす道徳性という体系は、
    たんなる理念にすぎないものであって、
    これが実現されるために必要な条件は、
    すべての人がなすべきことをなすことである。

    すなわちすべての理性的な存在者が、
    あたかもみずからの行動が最高の意志から生じたかのように、
    すなわち個人のすべての選択意志をそのうちに含むかそのもとに包括する意識から生じたかのようにふるまうことが必要なのである。

    すべての人はみずから自由を行使する際に、道徳的な法則にしたがうことを義務づけられているが、他人はこの法則にしたがって行動しないかもしれない。
    その場合は、世界の事物の性格から考えてみても、行動そのものの原因と、
    行動と道徳の関係から考えてみても、その人の[道徳的な法則にしたがって]行動した結果が、幸福とどのような関係になるかは、規定されない。
    そして自然を根底とするだけでは、幸福になる価値のある存在であろうとする不断の努力が、幸福になれるという希望と、上述のように必然的に結びつくことを、理性は認識できない。
    むしろ道徳的な法則にしたがって命令する最高の理性が、同時に自然の原因として根底におかれているならば、初めてこのような必然的な結びつきが生まれることを期待しうるだけなのである。

    このような[最高の理性という]叡智体の理念をわたしは、最高善の理想と名づける。
    この叡智体においては、道徳的に完全な意志が、最高の浄福と結びついて、世界のすべての幸福の原因となるのであり、
    この理念は人間の道徳性と、すなわち幸福に値する存在であろうとすることと正確に対応している。

    だからこの根源的な最高善の理想のうちにおいてのみ、純粋な理性は、最高善から派生した二つの善の要素、叡智的な世界すなわち道徳的な世界の二つの要素が、
    実践的に必然的に結びつくための根拠をみいだすことができる。』

    ここでいったん投稿します。

    文庫本7巻ということで、初めて目にする箇所です!

    きっかけつくってくださった田秋さんに感謝です♪
引用返信/返信 削除キー/
■3984 / inTopicNo.17)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/14(Tue) 19:05:22)
    再びこんばんは!
    田秋さんのご質問は難しくて宿題にしてしまいましたm(_ _)m
    のに、一晩明けてもちゃんとわからなくてすみません。

    ご質問は、「自分のために世界がある状態」はカントの文言か?ということでしたね。
    残念ながら私は『実践理性批判』を持ってないので、直接確かめることはできないのですが、この文章は石川先生がカントの定義する幸福を、石川先生なりに表現し替えたものかもしれないな、と、私は思いました。
    ちゃんとわからなくてすみませんm(_ _)m

    意のままになる、ことを、カントがその人にとっての幸福と考えたとしたら、
    意のままになってるのに、道徳も実践できてる状態が、カントの理想の最高善だったのかなあ?と今の時点では思っています。
    論語で『心の欲する所に従えども矩を踰えず』とか、
    仏教用語なのかな?『自利利他円満』などが、
    道徳と幸福の両実現状態に重なるイメージを私は持っています。

    でももしかしたら、、、道徳がんばったら、神様が道徳完成のゴールで祝福してくれるイメージをカントが持ったのか、、、そこらへんは私にはまだわかりませんm(_ _)m

    わからないことが巨大にある私でよければ、一緒に考えさせてもらいますので、
    またふとしたことでもよかったらコメントしてくださいね(o^^o)

    ありがとうございます!
引用返信/返信 削除キー/
■3980 / inTopicNo.18)  pipitさんへ
□投稿者/ 田秋 -(2020/07/14(Tue) 17:42:50)
    お返事ありがとうございます。pipitさんのトピックは人気があり書き込みも多く、僕の書き込みはなんか圧死しても仕方がないなと思ってました。

    哲学がわからないことにかけてはここの住人のベスト3(ワースト?)に入ると自負しています。しかしながら他の二人は誰かと考えると・・・
    言いなおします。僕は哲学がわからないグランプリです。
    以後やさしくご教授くださいまへ。
引用返信/返信 削除キー/
■3978 / inTopicNo.19)  最高善についてのカントの記述1
□投稿者/ pipit -(2020/07/14(Tue) 17:30:15)
    最高善の概念も時系列的に変化してるかもですが、
    『純粋理性批判』に載ってる、最高善についての文章を引用します。

    カント自身の文章を、中山元先生が訳したものです。

    『ところで叡智的な世界、すなわち道徳的な世界の概念においては、道徳のすべての障害、
    すなわち人間のもつ自然な〈心の傾き〉を無視するのであるが、
    この道徳世界においては、道徳性と比例的に結びついた幸福の体系というものが必然的なものであると考えねばならない。

    それはこの世界では人間の自由はある程度は道徳的な法則によって動機づけられると同時に、ある程度はこれに制約されることによって、すべての人々の幸福の原因となるはずだからである。

    理性的な存在者は、このような原理に導かれて、自分自身の福祉と、他者の永続的な福祉の創始者となるはずだからである。』

    『純粋理性批判7』カント、中山元先生訳、p184

    次に続きます。しばらく後で投稿します。
    みなさまおつかれさまです。
引用返信/返信 削除キー/
■3976 / inTopicNo.20)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/14(Tue) 17:20:06)
    田秋さん、こんにちは!

    > pipitさんの少し前の書き込みに
    >
    > >カント入門』石川康文先生.ちくま新書、p217〜220
    > >カントの考える最高善についての記述からの抜粋引用です。
    > >石川先生の文章です。
    > >『(略)完全な幸福とは、世界において理性的存在者が一切を意のままになしうる?状態を言う。わかりやすく言えば、世界のために自分があるのではなく、自分のために全世界がある状態である(略)。
    >
    > というのがありましたね。この最後の部分「自分のために全世界がある状態である」ですが、何か独裁者の理想形のように感じたのですが、、、カントさんがそう仰ってるのですか?
    >
    > 石川さんの筆の運びは後で神さまを引っ張り出すための無理な布石のようにも見えます。
    >
    > 文意の捉え方が頓珍漢だとしたらすみません・・・m(_ _)m<

    いえいえ、変だな〜という印象を受けられても、全然不思議じゃないと私は思います(o^^o)
    抜粋引用の仕方も、私はいつも悪いのだと思います。すみませんm(_ _)m

    私自身、哲学素人(学問として哲学を学んだことがない。大学の一般教養で哲学は一コマとったけど、先生は一年間ずっとチンパンジーの行動について話していた印象が。私の記憶違いかなぁ(^_^;))で、西洋哲学に興味もったのもここ数年だし、なにより私はまだ『純粋理性批判』も通読できてないし、田秋さんが話題にだしてくださった解説箇所の『実践理性批判』なんか家にも持ってない。。。
    状態なので、私の言うことは信じないでくださいね。
    勉強途中の拙い私見ということを前提にしてください。

    まず、話題は、最高善について、つまり最高の『善』なんですね。
    カントにとって、道徳としての『善』は、幸福の追求より優先されるものみたいです。
    幸福のために善行為する、というのは、カントにとっては道徳的行為とならないみたいなんです。
    幸福になれないなら善行為しない、ということになるので。
    その基本形がありつつ、善にもランクあるかな〜って、カントが考えたら、
    まず最上善(これは完璧に道徳的行為ができるということかなと想像してます)というのが、善の上にあり、
    その最上善より上にくるのが、最高善(最上善に加えて幸福の実現も叶ってる)というのが最高ランクの善だと考えたのかな、と、私は思っています。

    それで、幸福って、自らの希望・欲求が叶う状態とカントは考えたのかな?
    善、の基本形(自己中心性を脱して何よりも道徳が最優先)はガッチリ崩さず、しかも希望が叶う、なんて状態が現実にあると捉えるためには、理性は神様の存在措定を要求する、と、カントは考えたのかな、と、私は今の時点では思っています。
    でも全然勉強してないところなので、大きく違ってたらすみませんm(_ _)m

    カントの記述は、時とともに、変化してるみたいですが、ここでは『純粋理性批判』に載ってる、カント自身の最高善についての文章を引用してみますね。

    小分けに分けて、引用していきます。

    とりあえず、ここで、一旦投稿します。

    書き込み嬉しいです、ありがとうございます!

引用返信/返信 削除キー/
■3968 / inTopicNo.21)  石川先生の文章を読んで
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/14(Tue) 13:08:53)
    こんにちは pipitさん 引用ありがとうござい。石川先生の文章に触発された私見を書き込みしますね。

    > 後で引用しますと言ってた箇所を引用します。
    >
    > 『カント入門』石川康文先生.ちくま新書、p217〜220
    > カントの考える最高善についての記述からの抜粋引用です。
    > 石川先生の文章です。
    > 『(略)完全な幸福とは、世界において理性的存在者が一切を意のままになしうる状態を言う。わかりやすく言えば、世界のために自分があるのではなく、自分のために全世界がある状態である(略)。
    > しかるに、もともと世界はわれわれの願望や計画で創造されたものではない(われわれは世界の創造者ではない)。
    > したがって、それは現実には不可能である。
    > 加えてまた、すでに十分見たように、道徳法則自体には徳と幸福を結合する根拠は含まれていなかった。
    > 徳の研鑽は幸福を約束しないのである。


    カントの考えは普遍宗教であれば互換性があるはずなので、仏教に置き換えます。叡智界・物自体と直通するのは、道徳法則を自由意志によって遵守する場合だけです。道徳法則を内面で感じうること自体が、物自体の根拠になっています。ここで、道徳法則を「戒」に置き換えますね。

    カントにおいて物自体にあたるのは、自由と神と霊魂の不滅でしたが、いくら道徳法則を自由意志で厳密に実行しても、それが幸福につながることはないので、道徳法則の遵守がそのまま究極の幸福でもあるような、最高善の約束のためには、神の存在と霊魂の不滅が要請される。これは仏教に置き換えるとわかるような気がします。いくら戒が重要だとわかっても、戒を守るだけで今生だけで、苦から解放されることはない。そもそも戒を完全に守ること自体が不可能に近い。戒を守ることは確かに平和と喜びをもたらすが、とうてい究極の幸福とはいえない。

    「戒」を守ることが、人間にとっての最高・究極の幸福と完全にイコールになる世界があるためには、「涅槃」と「輪廻」の存在が要請される。


    > それでもなお、理性は依然としてわれわらに最高善の促進を命じている。
    > ゆえに、理性が自己矛盾におちいらないためには、最高善はどうしても可能でなければならない。
    > そのことから理性はみずから、世界の創造者にして、同時に徳と幸福の結合の根拠を含む存在者、すなわち神の存在を要請する。
    > このように、最高善の概念を介して、道徳は必然的に宗教にいたる。
    > 幸福への希望とともに宗教は始まるのである。
    > その意味で、純粋理性こそが信仰の源である。
    > このような純粋理性に源をもつ信仰は、現存するどの信仰とも異なるものである。
    > カント自身、それを「まだ普通にもちいられていない概念」と弁えつつ、「純粋実践理性信仰」と呼んだ。
    > その意味では、カントは単に宗教について論じただけでなく、また既存の宗教を批判しただけでなく、理性宗教というまったく新しい宗教をみずから提唱し、それを基礎づけたと言うことができる。
    > ひとつだけ注意しなければならないのは、「要請」とは理性の言葉で「信仰」を表現したものだということである。純粋理性こそが信仰の源だからである。したがって、それは神の存在証明ではないということである。(略)
    > 』
    > 抜粋引用終了

    >
    >
    >
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■3947 / inTopicNo.22)  Re[36]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ おくったがわ -(2020/07/13(Mon) 23:31:30)
    「カント哲学の核心『プロレゴーメナ』から読み解く」という本がとても分かりやすく思いました。
    以前、黒崎政男という人の本を読みましたが、内容はあまり憶えてません。
    中山元さん訳の「純粋理性批判」の論理学の部分は読みました。
    以上です。
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■3942 / inTopicNo.23)  Re[36]: 見えるものと見えないもの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/13(Mon) 21:37:16)
    3938 >メルロは、見えないもの、について、どんなこと言ってるの?<

    【〈感覚〉としての赤と、「どんな」赤かと言うときの赤とは区別されなければならない。〈どんな〉という質のうちには、すでに赤という純粋印象と、例えば空間・時間のある広がりを覆うという〈印象の機能〉との二つの契機が含まれる。従って〈認識する〉ということは、つねにある与件を、ある機能において、またある関係のなかで、つまり、それが私にとって意味をもち、しかじかの構造を呈示する「かぎりにおいて」把握する、ということである。知覚したことと、常識的な言葉で述べるその報告と、知覚経験との区別、話された知覚と、生きられている知覚との区別ぐらいはしておくべきであろう。】

    わたし、このようなことだと思ってます(メルロのひとつの記述の抜粋だけど)。

    >悪魔ちゃんは、見えないもの、について、どんな意見もってるの?<
    精神(あるいは意識)っていうの、見えないもの。こんな感じ。


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■3940 / inTopicNo.24)  Re[35]: おくったがわさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/13(Mon) 21:05:49)
    ちょっと気なったので

    おくったがわさま、あなた、カントの書物あるいはカントについての書物読んだことあります?
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