| pipitさん、ありがとう〜。
> カントとしては、人間の理性はどこまでも真理に近づきたい探究心を > 本能として持ってるから、ついつい究極原因まで想像しちゃうと言ってる > のかなと私は思ってます > その本能の実行が、二律背反のアンチノミーを生み出すということかなと思ってますが、 > 究極原因に関するものも、第四アンチノミーとして置かれ、 > カント的には知ることのできない問題としてるみたいです。 > > 御子柴善之先生の『カント哲学の核心 『プロレゴーメナ』から読み解く』 > p209に載ってた4の命題は、 > 『命題 > 世界原因の系列のうちには、何らかの必然的なものがある。 > > 反対命題 > 世界原因の系列のうちでは、何ものも必然的でなく、むしろこの系列のうちでは > 万物が偶然的である。』 > > カント的には上記命題は、二律背反になるものとしてるみたいですね。
そうか〜。「宇宙はなぜあるのか?」の疑問も、第四アンチノミーの範疇になるのですね。 第四は、絶対者の存在はあるかないか、だと思ってたのですが、「宇宙はなぜあるのか?」は、世界原因について知りたく思うこととも関連しますものね。
> 今日、思ってたんですけど、 > 知る、が、インプット、 > 行為する、が、アウトプット、とすると > カントはインプット理性より、アウトプット理性の方がより重要となるんだよ、って、 > 言いたいのかな、と、そんな思いが心に浮かんでいました。
言動としてどう表すかが、頭でどう考えるかより重要というようなことかな?
> ちなみに私も原因を知りたいタイプなんですけど、 > 現象学や実存哲学のような(?)潔く、有る、のみをターゲットにとことん探究する哲学者や思考者の方がおられるんだろうなぁと > 想像しました。 > 哲学界は広いですね〜
pipitさんもそうなんですね。
問題意識の違いもいろいろでおもしろいものなんだな、というのを私はやっと少しずつ感じるようになってきました。
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