□投稿者/ pipit -(2020/07/11(Sat) 07:26:48)
| 悪魔ちゃんさん、おはよう(^O^)/
私の今の段階の理解では、カントは、人間は認識する際に、 人間特有の形式を認識過程で使用するゆえに、 アプリオリな総合判断が可能になると言ってるのかなと思ってます。(勘違い可能性あり。) アプリオリな総合判断を可能にした能力とは、 人間の認識能力の仕様に帰すると思ってます。 ニーチェは、人間の認識能力の仕様をカントが発見したことは認めてるけど 人間能力の結果物、は、人間能力により可能、と言っても、 当たり前のことしか言ってないやん、ということかな? 絶対的真理としてのアプリオリな総合判断がカント哲学において成り立ってるわけではなく、 人間にとっての、アプリオリな総合判断が成り立ってるにすぎない、と言ってるのかな、と、思いました。 もしそうなら、カントにとっても違和感ない意見だと思うんだけど、 いろんな箇所で私の解釈が間違えてそうなので、 とりあえず今の段階の私の意見を仮のものとして、私の感想として投稿しますね。
いつも刺激的な引用をありがとう。 ビビりの私は、悪魔ちゃんさんが引用してくれなかったら、 ニーチェさんの文章読むの、少なくともまだまだ先だったかも。
だって、おこられるのって、こわいやん。。。 でも、真理を知りたいとき、怖さを気にする気持ちは障害になるのだろうという気はすごくしてるよ。。。
本当ありがとうね!!
■No3797に返信(悪魔ちゃんさんの記事) > pipitさま > ちょっと訂正です。ごめんなさい。 > わたし、<カントは人間の或る一つの能力を”発見した”って、ニーチェは言ってるんだと思うんだけど>って書いたけど、この、<言ってる>っていうところ、「認めてる」に変更する。 > >
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