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■32312 / inTopicNo.25)  電通ダイバーシティ・ラボ(;´・ω・)
  
□投稿者/ うましか -(2023/08/06(Sun) 16:46:06)
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■32286 / inTopicNo.26)  統覚の根源的・綜合的統一(予習)T−1
□投稿者/ うましか -(2023/08/05(Sat) 22:27:16)
    2023/08/05(Sat) 22:28:57 編集(投稿者)

    ◇ カント『純粋理性批判』

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節
     第一三項
     第一四項 
    第二節 〔第二版〕純粋悟性概念の超越論的演繹
     第一五項 
     第一六項 統覚の根源的・綜合的統一について

    *******

    ◇ 我思考す〔Das:Ich denke〕≠ニいうことは、あらゆる私の表象に伴うことができる≠フでなければならない。

    ◇ 何故なら、さもなければ私の内では、全然思考され得ないものまでも表象されることになるからであるが、これは、そうした表象が不可能であるか、それとも少なくとも私にとっては無いものであるかのいずれかと同じことに他ならない。

    ◇ 全ての思考に先立ち与えられていることのできるような表象は、直観≠ニ呼ばれる。

    ◇ それ故、直観の全ての多様なものは、この多様なものがそこで見出されるのと同じ主観における我思考す≠ニいうこととの或る必然的な連関を持っている。

    ◇ しかし、我思考すというこの表象は、自発性≠フ作用である。

    ◇ 換言すれば、この表象は感性に属するものとみなされることはできない。


    † 原佑訳上巻、p.254〜p.255参照。
    † その他に、中山元訳2、p.116、石川文康訳上巻、p.186を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    T−1 No.32286



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■32285 / inTopicNo.27)  大橋容一郎の「新カント学派」(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/08/05(Sat) 21:40:06)
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■31913 / inTopicNo.28)  リヒテンベルクの雑記帳(・∀・)
□投稿者/ うましか -(2023/07/26(Wed) 00:45:47)
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■31912 / inTopicNo.29)  互盛央えがく「エスの系譜」(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/07/26(Wed) 00:33:22)
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■31864 / inTopicNo.30)  200x年、世界は、、、(;゚Д゚)(゚Д゚;)
□投稿者/ うましか -(2023/07/22(Sat) 02:27:23)
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■31831 / inTopicNo.31)  Re:加賀野井「メルロ=ポンティを読む」2
□投稿者/ うましか -(2023/07/18(Tue) 21:09:34)
    No.31804

    *******

    >第8回 あなたの痛みで私は泣いていた ─ 他者と癒合的社会性をめぐって ─

    https://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/1378

    この回、興味ぶかいですね(;´・ω・)

    >幼児は、自律した「私」として意識的に世界との関係を取り結ぶはるか以前から、匿名の私として、その身体図式を整えながら、世界に住みつき、世界を世界たらしめつつ、すでに決定的な形で世界に関わっている。身体図式の未整備な私は、まだ統一的な意識によって住まわれてはいないし、この皮膚内に閉じ込められてもいない。おかげで、幼児はやすやすと他人の生を生きたり、同時に複数の存在であったりすることができるのだ。他の子供の傷口を見ながら、それを自分の痛みと感じて泣いてしまったり、自分が幾人もの人間になって互いに話をしてみたり、事例をあげればきりがない。幼年期は、まずはこうした自他未分化の状態から始まるわけだが、ワロンはこれを称して「癒合的社会性sociabilit&#233; syncr&#233;tique」と呼ぶ。<


    うましかとしては、「匿名の私」というのは過剰な感じがします。

    先ず固有名が与えられる。これは或る意味、先験的。与えられた固有名に指示されること、ここで「Nは私である」→「私はNである」、、、とか(;´・ω・)チガウカナ

    *******

    一人称が他の人称より何らかの意味で優位だという私の先入観(;´・ω・)


    さーアナタは今日からNですよ〜(゚Д゚ ) 命名

    Nはね−、Nはねー (Nを自称)

    Nはねーじゃなくてボクって言いなさい! (# ゚Д゚)母怒る

    Nはねー → ボクはねー 学習する( ノД`)シクシク…

    ボクはねー Nっていうんだ (ボクはNです、自己紹介)


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■31804 / inTopicNo.32)  Re: 加賀野井「メルロ=ポンティを読む」
□投稿者/ うましか -(2023/07/16(Sun) 23:21:13)
    No31801に返信(うましかさんの記事)
    > ◇ 加賀野井秀一「メルロ=ポンティを読む」(白水社のwebマガジン「web ふらんす」)
    >
    > ・https://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/536
    >
    > バックナンバー
    >
    > 第1回 多摩都市モノレールと「ああそうか体験」
    > 第2回 失楽園と始源へのノスタルジー
    > 第3回 「知覚」への投錨と「地の上の図」
    > 第4回 「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」
    > 第5回 「神の盲目」と「アリストテレスの錯覚」
    > 第6回 アヴェ・ヴェルム・コルプス ─ 演奏家と身体と眠り ─
    > 第7回 他者はどのようにして認識されるのか ─ 記号解読と幼児のほほえみ ─
    > 第8回 あなたの痛みで私は泣いていた ─ 他者と癒合的社会性をめぐって ─
    > 第9回 メルロ=ポンティとジャック・ラカン ─ 鏡像段階をめぐって ─
    > 第10回 知覚から言語へ ─ 二人の間に、偶然にも愛の言葉がもたらされたら ─
    > 第11回 偏倚を示す哲学者のスタイル ─「駆け抜ける悲しみ」から「器官なき身体」へ ─
    > 第12回(最終回) 「我、アルカディアにもあり」 ─ メルロ=ポンティのノスタルジックな優しさ ─

    *******

    >第8回 あなたの痛みで私は泣いていた ─ 他者と癒合的社会性をめぐって ─

    https://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/1378

    この回、興味ぶかいですね(;´・ω・)

    >幼児は、自律した「私」として意識的に世界との関係を取り結ぶはるか以前から、匿名の私として、その身体図式を整えながら、世界に住みつき、世界を世界たらしめつつ、すでに決定的な形で世界に関わっている。身体図式の未整備な私は、まだ統一的な意識によって住まわれてはいないし、この皮膚内に閉じ込められてもいない。おかげで、幼児はやすやすと他人の生を生きたり、同時に複数の存在であったりすることができるのだ。他の子供の傷口を見ながら、それを自分の痛みと感じて泣いてしまったり、自分が幾人もの人間になって互いに話をしてみたり、事例をあげればきりがない。幼年期は、まずはこうした自他未分化の状態から始まるわけだが、ワロンはこれを称して「癒合的社会性sociabilit&#233; syncr&#233;tique」と呼ぶ。<


    うましかとしては、「匿名の私」というのは過剰な感じがします。

    先ず固有名が与えられる。これは或る意味、先験的。与えられた固有名に指示されること、ここで「Nは私である」→「私はNである」、、、とか(;´・ω・)チガウカナ




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■31802 / inTopicNo.33)  子どもの発達段階と「私という意識」の形成
□投稿者/ うましか -(2023/07/16(Sun) 22:54:10)
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■31801 / inTopicNo.34)  加賀野井秀一「メルロ=ポンティを読む」
□投稿者/ うましか -(2023/07/16(Sun) 22:41:36)
    ◇ 加賀野井秀一「メルロ=ポンティを読む」(白水社のwebマガジン「web ふらんす」)

    https://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/536

    バックナンバー

    第1回 多摩都市モノレールと「ああそうか体験」
    第2回 失楽園と始源へのノスタルジー
    第3回 「知覚」への投錨と「地の上の図」
    第4回 「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」
    第5回 「神の盲目」と「アリストテレスの錯覚」
    第6回 アヴェ・ヴェルム・コルプス ─ 演奏家と身体と眠り ─
    第7回 他者はどのようにして認識されるのか ─ 記号解読と幼児のほほえみ ─
    第8回 あなたの痛みで私は泣いていた ─ 他者と癒合的社会性をめぐって ─
    第9回 メルロ=ポンティとジャック・ラカン ─ 鏡像段階をめぐって ─
    第10回 知覚から言語へ ─ 二人の間に、偶然にも愛の言葉がもたらされたら ─
    第11回 偏倚を示す哲学者のスタイル ─「駆け抜ける悲しみ」から「器官なき身体」へ ─
    第12回(最終回) 「我、アルカディアにもあり」 ─ メルロ=ポンティのノスタルジックな優しさ ─
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■31784 / inTopicNo.35)  青山「指示の因果説と起源の本質説」
□投稿者/ うましか -(2023/07/15(Sat) 23:02:13)
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■31779 / inTopicNo.36)  「全我論」再び(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/07/15(Sat) 21:55:45)
    No.29627

    *******

    > No.29623(パニチェさん)

    >今、ふっと思うのは「独我論(唯一無二の〈私〉だけが独在する)」と「全我論(全ては〈私〉であり〈私〉以外のものはない)」のアンチノミー。

    全我論! (・∀・) これはおもしろいですねーこういう書き方があったんだなー

    ただ、うましかの場合、(永井均とアンチノミーを度外視すれば、)"全ては〈私〉であり〈私〉以外のものはない"こそ、独我論とおもえます。全ては私であり、私以外のものがないからこそ、私は唯一無二なのだ、と。

    だとすれば、全ては一であり、もはや私という概念、言葉すら必要としないということ…

    もっともそれでは社会生活を営めるとは到底おもえませんが(;´・ω・)

    <

    *******

    「全ては一であり、」「私という概念、言葉すら必要としな」かった。

    ただ、感覚器だけが機能していればよかった(´-`).。oO




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