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■32727 / inTopicNo.13)  バトラーのジェンダー・トラブル(;´・ω・)
  
□投稿者/ うましか -(2023/08/27(Sun) 22:37:06)
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■32652 / inTopicNo.14)  パノフスキーの「イデア」(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/08/23(Wed) 21:03:21)
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■32612 / inTopicNo.15)  東大出版会J・J・ギブソンの継承(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/08/22(Tue) 00:18:41)
    ◇ 『シリーズ:知の生態学の冒険 J・J・ギブソンの継承』

    https://www.utp.or.jp/search/s17855.html

    第8巻 排除:個人化しない暴力へのアプローチ

    が未刊(;´・ω・)


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■32540 / inTopicNo.16)  飯野勝己訳のJ.L.オースティン(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/08/18(Fri) 21:49:32)
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■32500 / inTopicNo.17)  祝! 岩波文庫ベイトソン全三冊揃う
□投稿者/ うましか -(2023/08/15(Tue) 21:42:21)
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■32477 / inTopicNo.18)  『ジェンダー・トラブル』の身体なるもの
□投稿者/ うましか -(2023/08/14(Mon) 21:18:31)
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■32476 / inTopicNo.19)  森山至貴のクィア・スタディーズ入門
□投稿者/ うましか -(2023/08/14(Mon) 20:50:32)
    ◇ 森山至貴『LGBTを読みとく − クィア・スタディーズ入門 −』,2017年

    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480069436/

    *******

    2017年に出ていたんだなー(;´・ω・)

    私が持っているのは、2019年、第八刷。



    そして今は2023年か(´-`).。oO 




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■32438 / inTopicNo.20)  Re[4]: 医学研究者、性同一性障害を語る
□投稿者/ 田秋 -(2023/08/12(Sat) 15:50:05)
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■32433 / inTopicNo.21)  医学研究者、性同一性障害を語る
□投稿者/ うましか -(2023/08/12(Sat) 10:00:32)
    https://medicalnote.jp/contents/151005-000004-SFQMBC

    1 性同一性障害とは
    2 トランスジェンダーの概念はなぜ生まれたか―性同一性障害の歴史的背景
    3 性同一性障害を自覚する子どもへの対応
    4 性同一性障害の診断と治療方法
    5 性同一性障害の原因
    6 性同一性障害に対する医療の役割と社会的サポート

    なお、以上の記事を書いた康純氏によるその後の説明を補足しておきます。

    https://www.kgn.or.jp/index.html


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■32429 / inTopicNo.22)  岩熊幸男Leibnizの内包論理
□投稿者/ うましか -(2023/08/11(Fri) 22:45:16)
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■32428 / inTopicNo.23)  山口修二「純理」の論理学研究(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/08/11(Fri) 22:36:47)
    2023/08/11(Fri) 23:11:54 編集(投稿者)

    ◇「「論理学批判」としての『純粋理性批判』の研究」

    https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-11710003/

    *******

    >1760年代のカントは「内包的論理学」の立場に立っていた。1770年の教授就任論文『可感界と可想界の形式と原理について(De mundi sensibilis atque in telligibilis forma et principiis,以下「就任論文」と略記)に至って、カントは、それまでの「内包的論理学」に代えて、「外延的論理学」を採用する。この変化はカントの思考の或る決定的な変化に、すなわち形而上学の領域の発見に対応しているのである。
     「就任論文」は、感性と知性とを原理的に区別することを主眼とする。これによって、感性的認識を含まない純粋知性のうちに、形而上学の領域を割り当てることが意図されている。「外延的論理学」の採用は、この意図が要求するものにほかならない。このことは次の二点から明らかである。
     (1)空間時間を感性の形式として悟性概念から峻別するためには、「外延的論理学」の観点から概念を取り扱うことが必要であった。すなわち、空間時間が純粋直観としてそれから区別されるところの概念とは、多様を「自分の下に」含む表象としての概念(これが「外延的論理学」の視点である)なのである。
     (2)感性的なものを一切含まない知性的概念が、いかにして一切の感性的なものを包括する普遍性を得ることができるのか。これは、主語としての感性的なものが、述語としての知性的概念の下に論理的に包摂されることによって可能である、というのが「就任論文」におけるカントの解答である。これは判断における述語と主語の「外延的」解釈に全面的に依存した考えである。<

    *******

    「内包的論理学」から「外延的論理学」へ(;´・ω・)ムズイ沼…


    【追記】

    例 )「金属は物体である」という判断を判断たらしめる形式について 〔山口,p.13参照〕

    ・「物体」が「金属」の「内に含まれる」(enthalten in)という概念の包含関係とみなすのが <内包的論理学>

    ・「金属」が「物体」の「下に含まれる」(enthalten unter)という概念の上下関係とみなすのが <外延的論理学>






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■32319 / inTopicNo.24)  統覚の根源的・綜合的統一(予習)T−2
□投稿者/ うましか -(2023/08/06(Sun) 23:32:15)
    2023/08/06(Sun) 23:32:52 編集(投稿者)

    ◇ カント『純粋理性批判』

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節
     第一三項
     第一四項 
    第二節 〔第二版〕純粋悟性概念の超越論的演繹
     第一五項 
     第一六項 統覚の根源的・綜合的統一について

    *******

    ◇ 我思考す〔Das:Ich denke〕≠ニいうことは、あらゆる私の表象に伴うことができる≠フでなければならない。何故なら、さもなければ私の内では、全然思考され得ないものまでも表象されることになるからであるが、これは、そうした表象が不可能であるか、それとも少なくとも私にとっては無いものであるかのいずれかと同じことに他ならない。
    全ての思考に先立ち与えられていることのできるような表象は、直観≠ニ呼ばれる。それ故、直観の全ての多様なものは、この多様なものがそこで見出されるのと同じ主観における我思考す≠ニいうこととの或る必然的な連関を持っている。
    しかし、我思考すというこの表象は、自発性≠フ作用である。換言すれば、この表象は感性に属するものとみなされることはできない。

    --- No. 32286 からの続き ---

    ◇ 私は、この表象を、それを経験的な統覚≠ゥら区別するために、純粋な統覚〔reine Apperzeption〕〔*1〕=A或いはまた根源的な統覚〔urspruengliche Apperzeption〕≠ニ名づけるが、それは、この統覚が自己意識〔Selbstbewusstsein〕であって、そのような自己意識はあらゆる他の諸表象にも伴い得なければならず、全ての意識において同一のものであるところの我思考す≠ニいう表象を産み出すので、いかなるものによってもそれ以上伴われ得ないからである。

     *1 中山元訳2では、Apperzeptionを「自己統合の意識」と訳す。

    ◇ 私はまた、このような統覚の統一〔Einheit〕を自己意識の超越論的な統一≠ニ名づけるが、それは、そのような統一に基づいて、ア・プリオリな認識が可能であることを表示するためである。何故なら、或る種の直観において与えられる多様な諸表象は、それらがことごとく一つの自己意識に属するとまでいかないなら、ことごとく私の&\象となるまではいかないであろうからである。

    ◇ 換言すれば、私の諸表象として(たとえ私がそれらをそのようなものとして意識していないだろうとしても)それらの諸表象は、それらがその下でのみ一つの普遍的な自己意識においてまとまり合うことのできる¥件に、なんとしても必然的に従っていなければならないのである。というのも、さもなければ、それらの諸表象はあまねく私の属するとまではいかないであろうからである。この根源的な結合から、多くのことが結論されてくる。


    † 原佑訳上巻、p.255〜p.256参照。
    † その他に、中山元訳2、p.116〜p.117、石川文康訳上巻、p.186〜p.187を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    T−1 No.32286、T−2 No.32319

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