■31696 / inTopicNo.39) |
動物、人間以外の
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□投稿者/ うましか -(2023/07/10(Mon) 22:20:30)
| 2023/07/10(Mon) 23:03:30 編集(投稿者)
クッツェー本にもあったが、例えば人は、過去のナチによるユダヤ人大量虐殺を「工場畜産において行われているシステム化され機械化された屠殺」(「〈動物のいのち〉と哲学」,p.30)と喩えることもできる。
この喩えは、おそらくは人の命をまるで食肉用の牛か豚を殺すがごとく奪っているという事態に対する道徳的な怒りを含んでいる。私もその怒りに共鳴する。
だが他方、
>「どうして人の命はアリやゴキブリ、猫と違ってそんなに大事にされなければいけないのですか?」( No.31480 参照)
このような問いを発する人にとっては、もしかしたら、人(の命)は食肉用の牛か豚と同様、その人にとって、何らかの目的(欲求)を叶えるためには、奪うことに躊躇いのない存在なのかもしれない。
◇ マルタ・ザラスカ『人類はなぜ肉食をやめられないのか − 250万年の愛と妄想のはてに』,2017年
・http://www.intershift.jp/w_meat.html
躊躇いのない、、、? とはいえ、そこには私はいくぶん懐疑的ではある(;´・ω・)
【追記】
アリ、ゴキブリ、猫、犬、牛、豚、人… これらを等しくみるか、優劣をつけるか。等しくみるとしても、どう等しくみるのか。或いは、或る条件下のもとで価値づけるのか。
うま(゚Д゚;) (;゚Д゚)しか
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