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■2769 / inTopicNo.85)  Re[12]: 色即是空と〈私〉について
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/04/29(Wed) 07:41:14)
    おはようございます。レスありがとうございます。

    No2768に返信(パニチェさんの記事)
    >>擬人的な喩えを使ってみますね。空さんと色さんがいます。人間は色さんと付き合うしかありません。その色さんは実は空さんだった。空さんの他に別人の色さんがいるわけではない。しかし色さんも以前どおりの色さんです。色さんと付き合う人間には、空さんの性格がそのまま立ち現れます。色さんを通して示される「相依性縁起」は空さんも全く同じくもつといえます。この意味で、まさに色と空は不二です。ここまでは、パニチェさんと同じだと思います。
    >>ただknowing itself は、空は色を通さなくても、色が消滅しても、なお存在するものでないかという疑問をもっています。「相依性縁起」とはあくまでも、色の中で、色を通して、色自身として発見できる認識形式であって、空にはそういう手がかりすらないのではないかと。
    >>確かに、空は世界の全体運動ですが、それは色と一体になっているから、色の側から空を体験するとそうなるのだと思います。異論はありません。ただもっと厳密にいうと、空は運動の主体ということになるのだと考えています。
    >
    > 空が運動の主体ということに同意します。
    > ここで少し、議論を戻させて下さい。
    >
    > パニチェは空と色については理屈ではこのように考えていますが、空の全体性、つまり無分別であることと、〈私〉の〈私〉性は折り合いがつきません。
    > knowing itselfさんは色は無自性としても、全体運動の主体としての空には自性を認めますか?
    > それとも自性、無自性の有無を超えたものと考えますか?

    空は少なくとも無自性ではないと考えています。実質的には自性を認めています。

    色と空の関係をどう理解するかという般若心経的なアプローチと<私>からの肉薄法に、どこか折り合いのつかなさを感じていることは前にも述べました。しかし前者にも否定困難な圧倒的真理性を認めざるをえません。前者と後者が別々のルートではなく、頂上で一点合流するとするなら、空と<私>は同じものに違いないだろうと。その方向での探求途上にあるのがknowing itself ということですね。発想はものすごく単純になっています。
引用返信/返信 削除キー/
■2768 / inTopicNo.86)  Re[11]: 色即是空と〈私〉について
□投稿者/ パニチェ -(2020/04/28(Tue) 14:20:56)
    こんにちは、レスありがとうございます。

    No2764に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 擬人的な喩えを使ってみますね。空さんと色さんがいます。人間は色さんと付き合うしかありません。その色さんは実は空さんだった。空さんの他に別人の色さんがいるわけではない。しかし色さんも以前どおりの色さんです。色さんと付き合う人間には、空さんの性格がそのまま立ち現れます。色さんを通して示される「相依性縁起」は空さんも全く同じくもつといえます。この意味で、まさに色と空は不二です。ここまでは、パニチェさんと同じだと思います。
    > ただknowing itself は、空は色を通さなくても、色が消滅しても、なお存在するものでないかという疑問をもっています。「相依性縁起」とはあくまでも、色の中で、色を通して、色自身として発見できる認識形式であって、空にはそういう手がかりすらないのではないかと。
    > 確かに、空は世界の全体運動ですが、それは色と一体になっているから、色の側から空を体験するとそうなるのだと思います。異論はありません。ただもっと厳密にいうと、空は運動の主体ということになるのだと考えています。

    空が運動の主体ということに同意します。
    ここで少し、議論を戻させて下さい。

    パニチェは空と色については理屈ではこのように考えていますが、空の全体性、つまり無分別であることと、〈私〉の〈私〉性は折り合いがつきません。
    knowing itselfさんは色は無自性としても、全体運動の主体としての空には自性を認めますか?
    それとも自性、無自性の有無を超えたものと考えますか?

引用返信/返信 削除キー/
■2765 / inTopicNo.87)  Re[3]: 川の流れと小石
□投稿者/ knowing itself -(2020/04/27(Mon) 20:05:18)
    No2762に返信(pipitさんの記事)
    こんばんは。レスありがとうございます。

    > knowing itselfさんは、
    > 例えば、みんなの意識は、本当は一つ、と考えられてますか?

    はい、そう考えています。

    > そして、人間であるうちに、本当は一つを本人が確証することは可能と考えられてますか?

    人間が自分の意識だけにリアルさを感じていることが、そのことの証拠だと考えています。

    > 議論したくてじゃなくて、どうお考えなのか興味あって聞いています !
    > もしよかったら教えてくださると嬉しいです。
    >
    > ※ 一つとしての意識、は、あるとすれば、もはや私の慣れ親しんだ認識と次元が違うのでしょうね。

    意識の本質であるリアルさはまったく同じだと思います。そのリアルの中味がネガティブなものばかりで埋まっているのがほとんどの人間で、中味が至福、平和に満ちているのが本来の一つの意識。リアルさの中味からいえば次元が違うといえますが、リアル感そのものは同一平面だと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■2764 / inTopicNo.88)  Re[10]: 色即是空と〈私〉について
□投稿者/ knowing itself -(2020/04/27(Mon) 19:49:46)
    No2761に返信(パニチェさんの記事)

    こんばんは。返信ありがとうございます。

    > ここ平行線になりそうですが、もう一度返信してみますね。^^
    > すみません、パニチェの書き方「相関関係で成立する世界全体」がまずいことに気付きました。これは「世界全体が相依性縁起によって成立している」という意味ではなく、「世界全体イコール全体運動(世界=全体運動=全体性)が相依性縁起である」という意味です。
    > パニチェも同じく「色こそが相関関係で成立している」と考えています。
    >
    > 空とは宇宙とか世界全体(全体運動=全体性)のことであり、宇宙とか世界全体は不可分な全体運動である、その全体運動のありかたが相依性縁起と解釈しています。
    > で、単体に見えるかのような色は複数のものが相依って(相関関係上に)成立する無自性(単体では自性が無い)かつ無常(生滅する)の存在であるという意味です。
    > 例えて言うなら、相依性縁起は相転移のような運動形式を表し、氷、水、水蒸気がそれぞれ色というような解釈です。
    >
    > >>また色即是空は色と空が不二であることも示しており、色と空を区別してしまうのはむしろ私たちの分別智によるものであって、無上正等覚は無分別智であると理解しています。
    >>色の本体は空と寸分の差異もなくイコールだと考えています。空の自己制限形・限定縮小バージョンが色です。制限を完全に廃棄すれば、色という必要はなくなるので空だけですが、制限が残る間は、色と空の不二はこの意味において成り立つとみなします。
    >
    > ここを読むとパニチェの言っていることと同じだと思えるんですが。。。

    擬人的な喩えを使ってみますね。空さんと色さんがいます。人間は色さんと付き合うしかありません。その色さんは実は空さんだった。空さんの他に別人の色さんがいるわけではない。しかし色さんも以前どおりの色さんです。色さんと付き合う人間には、空さんの性格がそのまま立ち現れます。色さんを通して示される「相依性縁起」は空さんも全く同じくもつといえます。この意味で、まさに色と空は不二です。ここまでは、パニチェさんと同じだと思います。

    ただknowing itself は、空は色を通さなくても、色が消滅しても、なお存在するものでないかという疑問をもっています。「相依性縁起」とはあくまでも、色の中で、色を通して、色自身として発見できる認識形式であって、空にはそういう手がかりすらないのではないかと。


    確かに、空は世界の全体運動ですが、それは色と一体になっているから、色の側から空を体験するとそうなるのだと思います。異論はありません。ただもっと厳密にいうと、空は運動の主体ということになるのだと考えています。

引用返信/返信 削除キー/
■2762 / inTopicNo.89)  川の流れと小石
□投稿者/ pipit -(2020/04/27(Mon) 17:16:55)
    みなさまこんにちは。
    横置きレス、失礼しますm(_ _)m
    思い出したこと書きます。

    昔お世話になってた方のブログで、
    個人の意識を、川の流れと小石で喩えられてた記事を思い出しました。
    (今はもうブログがなくなってると思います)

    水の流れがあって、小石にぶつかると、ふわっとそこに特有のかたまりみたいなのできるでしょう?
    あれが、個人の意識みたいな感じだったかと思うんですけど、
    その時は何をおっしゃってるのか私にはちゃんと理解できなかったけど、
    今から考えれば、パニチェさんの大海と渦の構図と同じかんじで述べられてたのかな、と
    思いました。
    knowing itselfさんの構図で言えば、制限された水、が、ふわっとなってる形態かも、って思いました。

    knowing itselfさんは、
    例えば、みんなの意識は、本当は一つ、と考えられてますか?
    そして、人間であるうちに、本当は一つを本人が確証することは可能と考えられてますか?

    議論したくてじゃなくて、どうお考えなのか興味あって聞いています !
    もしよかったら教えてくださると嬉しいです。

    ※ 一つとしての意識、は、あるとすれば、もはや私の慣れ親しんだ認識と次元が違うのでしょうね。
    でも、言葉で伝えようとしたら、意識ってなっちゃって、
    そしたら、やっぱり、私の慣れ親しんだ認識を意識とイコールで考えがちで、
    言葉って、便利だけど、大変だな、って思いました。
    でも、、、やっぱりいろんな方の考えてることを聞けるの楽しいです。
    いろんなみなさま、ありがとうございます !!
引用返信/返信 削除キー/
■2761 / inTopicNo.90)  Re[9]: 色即是空と〈私〉について
□投稿者/ パニチェ -(2020/04/27(Mon) 08:37:00)
    2020/04/27(Mon) 09:52:04 編集(投稿者)

    おはようございます。レスありがとうございます。

    No2759に返信(knowing itselfさんの記事)
    > こんばんは。レスありがとうございます。
    >>全体運動は物質的な運動に限ったものでない(例えば喜怒哀楽などの感情や苦、意識の志向性なども含む)と今のところ考えているので、
    > これは同意です。どちらも含めて空を超える内容はないとknowing itselfは考えています。

    > >>空も相関関係によって規定されるなら、色との区別がつかなくなると思います。色と空はイコールではなく差別化しなければ意味がないと。
    >>ここ少し違います。空が相関関係によって規定されるのではなく、空が全体運動、つまり相関関係で成立する世界全体のことであると考えているとうことです。空が実相であり、実相は相依性縁起である、と。
    > 相関関係で成立する世界全体が空だとします。その場合、色はどうなりますか?knowing itself は色もというか、色こそが相関関係で成立していると考えます。だから色と色は不二となるともいえそうですが、差別化しないと空の真義が曖昧になると感じています。空が本当に実相であるなら、相関関係によって初めて成立するのは妥当だろうかという問題意識をもっています。

    ここ平行線になりそうですが、もう一度返信してみますね。^^
    すみません、パニチェの書き方「相関関係で成立する世界全体」がまずいことに気付きました。これは「世界全体が相依性縁起によって成立している」という意味ではなく、「世界全体イコール全体運動(世界=全体運動=全体性)が相依性縁起である」という意味です。
    パニチェも同じく「色こそが相関関係で成立している」と考えています。

    空とは宇宙とか世界全体(全体運動=全体性)のことであり、宇宙とか世界全体は不可分な全体運動である、その全体運動のありかたが相依性縁起と解釈しています。
    で、単体に見えるかのような色は複数のものが相依って(相関関係上に)成立する無自性(単体では自性が無い)かつ無常(生滅する)の存在であるという意味です。
    例えて言うなら、相依性縁起は相転移のような運動形式を表し、氷、水、水蒸気がそれぞれ色というような解釈です。

    >>また色即是空は色と空が不二であることも示しており、色と空を区別してしまうのはむしろ私たちの分別智によるものであって、無上正等覚は無分別智であると理解しています。
    > 色の本体は空と寸分の差異もなくイコールだと考えています。空の自己制限形・限定縮小バージョンが色です。制限を完全に廃棄すれば、色という必要はなくなるので空だけですが、制限が残る間は、色と空の不二はこの意味において成り立つとみなします。

    ここを読むとパニチェの言っていることと同じだと思えるんですが。。。

    >>>>やはり究極の自己と一体化するところの形而上学的な主体(梵)を空と考えておられるということでしょうか
    > >>形而上学的というより、リアルな主体でしょう。
    >>ここ確認です。究極の自己が空であるという意味ですか。
    > そうです。真我も同じ意味で使っています。

    究極の自己が空であるとして、空は世界とか宇宙ということでしょうか。
    梵我一如を支持しておられるのであればそうなると思うのですが、もしそうでないのなら空を究極の自己以外で表現することは可能ですか。


    No2760に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 直前投稿で「空の自己制限形・限定縮小バージョンが色です」との私見を述べましたが、上記マッハの主張における「感性界」「感性的諸要素」「感覚器官のうちに現れるもの」は、私見の定義によれば「色」となります。

    同意しますし、マッハの言っていることはそういうことだと思います。

    > 一方、マッハの「真の実在である物」はどうかというと、これも「空」とはいいがたく、制限をより多く外してはいても、私見ではやはり「色」ではないかと。

    ここも同意します。マッハのいう「真の実在である物」が空だとは私も思っておりません。

    > 物質的な運動は、全体運動である空を超える内容を一切持っていないのではないでしょうか。物質的な運動は全体運動を抽出した仮構と理解しています。

    ここもう一度教えて下さい。普通に読めば「全体運動である空を」とknowing itselfさんも言っておられるので、あまり差異は感じないのですが。。。
    空を超えるものは存在しないということは分かるのですが、knowing itselfさんの言っておられる空が(究極の自己であるということは分かりますが)パニチェにはイマイチ分かりません。

    究極の自己がブラフマンであれば宇宙でしょうし、ブラフマンに神格のようなものを想定され帰依する対象であれば、ヴィシュヌ神系列の神々(クリシュナ神、ラーマ神)またはシヴァとかそういう神になります。
    そういった感じで(究極の自己が何であるか)のイメージが残念ながら掴めません。
    knowing itselfさんにとって究極の自己である空とは何ですか?

引用返信/返信 削除キー/
■2760 / inTopicNo.91)  Re[8]: 色即是空と〈私〉について
□投稿者/ knowing itself -(2020/04/26(Sun) 20:49:58)
    >>「物質」そのものを体験したり直知した人間は、超のつく一流科学者を含めて今迄誰ひとりなかったのではないかと考えています。「物質」を巡る観察体験の共有可能性・再現可能性を前提にして、観察体験の数量化・法則による通約化こそが真理を開いていくという信念に基づく成果が科学だと考えます。物質的な運動は、全体運動である空を超える内容を一切持っていないのではないでしょうか。物質的な運動は全体運動を抽出した仮構と理解しています。
    >
    > かつてマッハが述べた我々が観察する世界は感性的諸要素が相互に関数的に依属し連関しあいながら絶えず離合集散しているとし、これまで真の実在である物に対して、単なる現象として軽視されてきた感性界こそ究極の実在とした、世界について我々が知りうることはすべて、必ず感覚器官のうちに現れるものであり、我々の感覚器官が進化すれば、今とは違った関数的依属関係のうちにあらわれてくるかもしれないという意味であれば、

    直前投稿で「空の自己制限形・限定縮小バージョンが色です」との私見を述べましたが、上記マッハの主張における「感性界」「感性的諸要素」「感覚器官のうちに現れるもの」は、私見の定義によれば「色」となります。一方、マッハの「真の実在である物」はどうかというと、これも「空」とはいいがたく、制限をより多く外してはいても、私見ではやはり「色」ではないかと。

    >「物質」そのものを体験したり直知した人間は、超のつく一流科学者を含めて今迄誰ひとりなかったのではないかということに同意します。また、理論負荷性も含めknowing itselfさんの上記の科学定義には賛成です。

引用返信/返信 削除キー/
■2759 / inTopicNo.92)  Re[8]: 色即是空と〈私〉について
□投稿者/ knowing itself -(2020/04/26(Sun) 19:47:51)
    こんばんは。レスありがとうございます。

    > 全体運動は物質的な運動に限ったものでない(例えば喜怒哀楽などの感情や苦、意識の志向性なども含む)と今のところ考えているので、

    これは同意です。どちらも含めて空を超える内容はないとknowing itselfは考えています。


    >>空も相関関係によって規定されるなら、色との区別がつかなくなると思います。色と空はイコールではなく差別化しなければ意味がないと。
    >
    > ここ少し違います。空が相関関係によって規定されるのではなく、空が全体運動、つまり相関関係で成立する世界全体のことであると考えているとうことです。空が実相であり、実相は相依性縁起である、と。

    相関関係で成立する世界全体が空だとします。その場合、色はどうなりますか?knowing itself は色もというか、色こそが相関関係で成立していると考えます。だから色と色は不二となるともいえそうですが、差別化しないと空の真義が曖昧になると感じています。空が本当に実相であるなら、相関関係によって初めて成立するのは妥当だろうかという問題意識をもっています。



    > また色即是空は色と空が不二であることも示しており、色と空を区別してしまうのはむしろ私たちの分別智によるものであって、無上正等覚は無分別智であると理解しています。

    色の本体は空と寸分の差異もなくイコールだと考えています。空の自己制限形・限定縮小バージョンが色です。制限を完全に廃棄すれば、色という必要はなくなるので空だけですが、制限が残る間は、色と空の不二はこの意味において成り立つとみなします。


    > >>やはり究極の自己と一体化するところの形而上学的な主体(梵)を空と考えておられるということでしょうか
    >>形而上学的というより、リアルな主体でしょう。
    >
    > ここ確認です。究極の自己が空であるという意味ですか。

    そうです。真我も同じ意味で使っています。


引用返信/返信 削除キー/
■2757 / inTopicNo.93)  〈私〉と多世界解釈について
□投稿者/ パニチェ -(2020/04/26(Sun) 08:57:58)
    お久しぶりです、エフニさん。お元気そうで何よりです♪

    No2754に返信(エフニさんの記事)
    > すいません返事が遅れまして。m(__)m
    > 携帯電話でパソコンサイトにアクセス出来るアプリの、支払い方法を変更するのに、えらい手間がかかってしまいました。

    いえいえ、とんでもない。レスは逃げませんので、いつでもタイミングが合う時、時間のある時で結構です。

    > 「わたし」に関しては、私は15年前と変わらず、ヤージナバルキヤのアートマン、シャンカラのブラフマン(アートマン)をベースにしたスタンスで考えています。
    > そして他者の「わたし」はモナドの概念で説明可能かな、思っています。
    > もちろん内実ではなく形式のことですが。
    > 虻川孝雄と「わたし」が必ずしも同一でないことも有り得る、虻川孝雄は無数にいるが、そのなかのこの虻川孝雄が「わたし」であった、という考えに、多世界解釈を応用しています。

    No2755に返信(エフニさんの記事)
    > そして、トマス・アクィナスやハイデガーの「存在」。
    > 「存在者」現象させる地平として「存在」。
    > 言ってみれば、ヤージナバルキヤのアートマン、シャンカラのブラフマン(アートマン)と同じものなのですが、それを「わたし」とするのも以前と変わっていません。
    > 「わたし」をめぐる考察の大前提に「自己と他者」の、哲学的ゾンビ問題を含めた、懐疑論があります。
    > アートマンや「存在」、モナド、多世界解釈などを、懐疑論へのアプローチの素材としています。

    ここちょっと教えて下さい。
    パニチェは〈私〉は多世界解釈を否定する、あるいは排除する根拠となると考えています。
    何故なら、多世界解釈が現実とするなら〈私〉は〈私〉以外の〈私〉を今知らない、よって多世界解釈は現実ではなく空論である、と。
    多世界解釈を認めることは〈私〉ではなく私に似た他者を認めることになりますが、そうなると〈私〉が世界とともに分裂したことにはならない。
    多世界解釈は〈私〉とか自己同一性とかをあまり考えない唯物論的な発想ではないか?と考えているのですが、エフニさんはここのところをどのように考えておられますか。

    > しかし新参加の方は、非常に学識豊かな方で、ニークラって色んな方がロムしているのだな、と再確認した次第です。

    そうなんです。充実したレス交換ができており、knowing itselfさんには感謝です。

引用返信/返信 削除キー/
■2756 / inTopicNo.94)  Re[7]: 色即是空と〈私〉について
□投稿者/ パニチェ -(2020/04/26(Sun) 08:33:56)
    おはようございます。レスありがとうございます。

    No2746に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 「物質」そのものを体験したり直知した人間は、超のつく一流科学者を含めて今迄誰ひとりなかったのではないかと考えています。「物質」を巡る観察体験の共有可能性・再現可能性を前提にして、観察体験の数量化・法則による通約化こそが真理を開いていくという信念に基づく成果が科学だと考えます。物質的な運動は、全体運動である空を超える内容を一切持っていないのではないでしょうか。物質的な運動は全体運動を抽出した仮構と理解しています。

    かつてマッハが述べた我々が観察する世界は感性的諸要素が相互に関数的に依属し連関しあいながら絶えず離合集散しているとし、これまで真の実在である物に対して、単なる現象として軽視されてきた感性界こそ究極の実在とした、世界について我々が知りうることはすべて、必ず感覚器官のうちに現れるものであり、我々の感覚器官が進化すれば、今とは違った関数的依属関係のうちにあらわれてくるかもしれないという意味であれば、「物質」そのものを体験したり直知した人間は、超のつく一流科学者を含めて今迄誰ひとりなかったのではないかということに同意します。また、理論負荷性も含めknowing itselfさんの上記の科学定義には賛成です。

    全体運動は物質的な運動に限ったものでない(例えば喜怒哀楽などの感情や苦、意識の志向性なども含む)と今のところ考えているので、空を超えるかどうかはknowing itselfさんが空(空や全体運動)をどのように捉えておられるかによると思っています。

    > 空も相関関係によって規定されるなら、色との区別がつかなくなると思います。色と空はイコールではなく差別化しなければ意味がないと。

    ここ少し違います。空が相関関係によって規定されるのではなく、空が全体運動、つまり相関関係で成立する世界全体のことであると考えているとうことです。空が実相であり、実相は相依性縁起である、と。
    また色即是空は色と空が不二であることも示しており、色と空を区別してしまうのはむしろ私たちの分別智によるものであって、無上正等覚は無分別智であると理解しています。

    >>やはり究極の自己と一体化するところの形而上学的な主体(梵)を空と考えておられるということでしょうか
    > 形而上学的というより、リアルな主体でしょう。

    ここ確認です。究極の自己が空であるという意味ですか。
    knowing itselfさんが言われるところの空とはどのようなものかがパニチェは把握できていないようです。

    > 個人的には、「衆生本来仏なり」が大乗仏教の要点だと思っていますが、<私>の探究こそが「衆生本来仏なり」の真意をはっきりさせると確信しています。

    なるほど、そういう意味で折り合いがつくということですね。了解しました。


    No2747に返信(knowing itselfさんの記事)
    > <私>の探究は、ある意味では、端的さ・リアルさから迫っていく手法です。

    同意です。これ以上リアルな存在はないでしょう。

    > 他方、「色即是空・空即是色」は端的さ・リアルさというより、普遍性・一般性を追い求める方向。端的さ・リアルさはむしろ削りとっていく、その端的さ・リアル感こそが自我なんだから、否定しなさいとなる傾向がある。
    > <私>と「色即是空・空即是色」がどこかしら噛み合わなさを感じるのはこういう理由からです。

    なるほど。自信はないですが一旦は理解しました。
    上記の理屈はパニチェは〈私〉と無我や真我(梵我一如のところの真我)の折り合いがつかない理由になっています。
    つまり<私>は、ある意味では、端的さ・リアルさから迫っていく手法でが、無我や真我は誰にでも当てはまる(一切衆生悉有仏性)普遍性・一般性を追い求める方向であるため、〈私〉と無我や真我は折り合いが悪い、と。

引用返信/返信 削除キー/
■2747 / inTopicNo.95)  Re[6]: 色即是空と〈私〉について
□投稿者/ knowing itself -(2020/04/25(Sat) 11:33:05)
    <私>の探究は、ある意味では、端的さ・リアルさから迫っていく手法です。

    他方、「色即是空・空即是色」は端的さ・リアルさというより、普遍性・一般性を追い求める方向。端的さ・リアルさはむしろ削りとっていく、その端的さ・リアル感こそが自我なんだから、否定しなさいとなる傾向がある。

    <私>と「色即是空・空即是色」がどこかしら噛み合わなさを感じるのはこういう理由からです。
引用返信/返信 削除キー/
■2746 / inTopicNo.96)  Re[5]: 色即是空と〈私〉について
□投稿者/ knowing itself -(2020/04/25(Sat) 11:21:31)


    こんにちは。レスありがとうございます。

    > >>「空」つまり全体運動は六不(不生、不滅、不垢、不浄、不増、不減)なるもの。
    >>「空」が六不だというのは、完全同意です。運動というのは物質的な運動ではないですよね?
    >
    > 物質的な運動も含め、この世界(宇宙)の全体運動を空として捉えています。

    「物質」そのものを体験したり直知した人間は、超のつく一流科学者を含めて今迄誰ひとりなかったのではないかと考えています。「物質」を巡る観察体験の共有可能性・再現可能性を前提にして、観察体験の数量化・法則による通約化こそが真理を開いていくという信念に基づく成果が科学だと考えます。物質的な運動は、全体運動である空を超える内容を一切持っていないのではないでしょうか。物質的な運動は全体運動を抽出した仮構と理解しています。


    >密教的には大日如来ですし、梵我一如では梵が全体運動=空という解釈ですが、knowing itselfさんが言うところの「色に当てはまる性質が相依性縁起、空は相関関係を超える」をもう少し詳しく説明いただければ有難いです。

    空も相関関係によって規定されるなら、色との区別がつかなくなると思います。色と空はイコールではなく差別化しなければ意味がないと。


    > やはり究極の自己と一体化するところの形而上学的な主体(梵)を空と考えておられるということでしょうか

    形而上学的というより、リアルな主体でしょう。



    > knowing itselfさんの中で、〈私〉と大乗仏教の折り合いがついているというところを、

    個人的には、「衆生本来仏なり」が大乗仏教の要点だと思っていますが、<私>の探究こそが「衆生本来仏なり」の真意をはっきりさせると確信しています。

引用返信/返信 削除キー/

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