| みなさまこんにちは。 横置きレス、失礼しますm(_ _)m 思い出したこと書きます。
昔お世話になってた方のブログで、 個人の意識を、川の流れと小石で喩えられてた記事を思い出しました。 (今はもうブログがなくなってると思います)
水の流れがあって、小石にぶつかると、ふわっとそこに特有のかたまりみたいなのできるでしょう? あれが、個人の意識みたいな感じだったかと思うんですけど、 その時は何をおっしゃってるのか私にはちゃんと理解できなかったけど、 今から考えれば、パニチェさんの大海と渦の構図と同じかんじで述べられてたのかな、と 思いました。 knowing itselfさんの構図で言えば、制限された水、が、ふわっとなってる形態かも、って思いました。
knowing itselfさんは、 例えば、みんなの意識は、本当は一つ、と考えられてますか? そして、人間であるうちに、本当は一つを本人が確証することは可能と考えられてますか?
議論したくてじゃなくて、どうお考えなのか興味あって聞いています ! もしよかったら教えてくださると嬉しいです。
※ 一つとしての意識、は、あるとすれば、もはや私の慣れ親しんだ認識と次元が違うのでしょうね。 でも、言葉で伝えようとしたら、意識ってなっちゃって、 そしたら、やっぱり、私の慣れ親しんだ認識を意識とイコールで考えがちで、 言葉って、便利だけど、大変だな、って思いました。 でも、、、やっぱりいろんな方の考えてることを聞けるの楽しいです。 いろんなみなさま、ありがとうございます !!
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