| ピピットさん、こんにちは。レスありがとうございます。
私も調べてみました。輪廻転生に関しては初期仏教でも説かれており、スッタニパータでも(方便かどうかはともかく)以下のように説かれています。
「647 前世の生涯を知り、また天上と地獄を見、生存を滅し尽くすに至った人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ」
但し、カルマによる現世の出生より、現世での行為を重視していたことは次の有名な説法で明らかですね。
「653 生れによって〈バラモン〉になるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである。」
あと、中村元選集第15巻原始仏教の思想1によると、輪廻の主体を想定する思想の代表的なものは「パーヤーシ経」で、コーサラ国のセタヴィヤーという都市のパーヤーシ王という来世や輪廻転生を信じない王とクマーラ・カッサパ尊者の問答で、逐次反駁された王が仏教に帰依する物語が説かれています。物語の最後にカッサパ尊者は物心二元論を以下のように説法します。
「カッサパの主張。この身体と体温と識別作用とをともなっているときは、軽く柔軟で動的である。しかるにこの身体が寿命と体温と識別作用をともなっていないときには、重く、硬く、静的である。あたかも螺貝が、人と努力と風とか加わらなければ、音を響かせないように、身体も寿命と体温と識別作用とがはたらかなければ活動を起こさない。このことは生きている人の身体と死人の屍体とを比較してみればわかる。このような相違が認められる以上、人間は単なる肉体ではない。その他に輪廻の主体が存する、と考えなければならぬ。」
上記は生体と死体の違いをもって輪廻転生の主体の存在を推測しているようですね。
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