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■2862 / inTopicNo.49)  Re[12]: 輪廻
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/05/11(Mon) 18:17:46)
    ピピットさん、こんにちは。レスありがとうございます。

    私も調べてみました。輪廻転生に関しては初期仏教でも説かれており、スッタニパータでも(方便かどうかはともかく)以下のように説かれています。

    「647 前世の生涯を知り、また天上と地獄を見、生存を滅し尽くすに至った人、──かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ」

    但し、カルマによる現世の出生より、現世での行為を重視していたことは次の有名な説法で明らかですね。

    「653 生れによって〈バラモン〉になるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである。」

    あと、中村元選集第15巻原始仏教の思想1によると、輪廻の主体を想定する思想の代表的なものは「パーヤーシ経」で、コーサラ国のセタヴィヤーという都市のパーヤーシ王という来世や輪廻転生を信じない王とクマーラ・カッサパ尊者の問答で、逐次反駁された王が仏教に帰依する物語が説かれています。物語の最後にカッサパ尊者は物心二元論を以下のように説法します。

    「カッサパの主張。この身体と体温と識別作用とをともなっているときは、軽く柔軟で動的である。しかるにこの身体が寿命と体温と識別作用をともなっていないときには、重く、硬く、静的である。あたかも螺貝が、人と努力と風とか加わらなければ、音を響かせないように、身体も寿命と体温と識別作用とがはたらかなければ活動を起こさない。このことは生きている人の身体と死人の屍体とを比較してみればわかる。このような相違が認められる以上、人間は単なる肉体ではない。その他に輪廻の主体が存する、と考えなければならぬ。」

    上記は生体と死体の違いをもって輪廻転生の主体の存在を推測しているようですね。


引用返信/返信 削除キー/
■2861 / inTopicNo.50)  Re[11]: 輪廻
□投稿者/ pipit -(2020/05/11(Mon) 16:24:00)
    knowing itself さん、こんにちは

    No2860に返信(knowing itselfさんの記事)

    > @夢をまったくみない完全熟睡状態
    >
    > A夢をみる睡眠状態
    >
    > B心と物質が対峙している目覚めの状態
    >
    > ラマナマハルシを始めとする聖賢が好む喩えですが、この3つの状態のうち、@が涅槃にあたり、Aは裸形の心が明らかになる状態、Bが心物二元論、ナーマとルーパが活動している状態にあたると思います。
    >
    > 究極のリアリティは涅槃である@ですが、輪廻転生はAとBを往復することではないでしょうか。<


    あ、おもしろいですね。

    Aは、身体からの刺激との関連で心が働くのではなく、
    基本的には心からの刺激だけで回転するってかんじのイメージでよろしいでしょうか?

    @に、心は、生じていないと考えられてますか??




引用返信/返信 削除キー/
■2860 / inTopicNo.51)  Re[10]: 輪廻
□投稿者/ knowing itself -(2020/05/11(Mon) 12:57:31)
    pipitさん、こんにちは。

    > 以上、輪廻転生の理論としては心物二元論みたいっていう知識的な提供で〜す(^○^)
    > あ、付け足しとして、物質がじわじわできてきて、いろんな動物などが生まれると
    > パーリ仏典の世界観では、普通に動物にも輪廻転生してると考えてるみたいです。
    > 釈尊が前世で鹿だったり鳥だったりする経典もあります。

    @夢をまったくみない完全熟睡状態

    A夢をみる睡眠状態

    B心と物質が対峙している目覚めの状態

    ラマナマハルシを始めとする聖賢が好む喩えですが、この3つの状態のうち、@が涅槃にあたり、Aは裸形の心が明らかになる状態、Bが心物二元論、ナーマとルーパが活動している状態にあたると思います。

    究極のリアリティは涅槃である@ですが、輪廻転生はAとBを往復することではないでしょうか。
引用返信/返信 削除キー/
■2859 / inTopicNo.52)  Re[11]: 〈私〉と涅槃
□投稿者/ knowing itself -(2020/05/11(Mon) 12:43:57)
    パニチェさんこんにちは。レスありがとうございます

    > そう言われてみると、確かに志向性は〈私〉の志向性ですからね。


    >>>><私>の独在性と無数にある多世界・多宇宙論の関係を仄めかしているのではないでしょうか。
    >
    >>個体としてのknowing itselfとしては、今、ここにいる<私>しか知らない。個体として別の存在から<私>を知ることはできませんね。おっしゃる通りだと思います。ただ、人間個体は現時点で70億人以上いるわけです。それぞれの人間個体に即してみれば、われこそが<私>だと言い出してもおかしくない。難問ですが、knowing itself が考えるところでは、<私>は一個だけれど、人間個体と接触する接触の在り方には70億通りあるとなります。
    >
    > そういう意味での多世界なら納得できます。
    > 独我論(独在論)と自然的態度(相互主観性)の合体した世界観が多世界であるということになるでしょうか。

    現象学的な思考との関連を連想しました。現象学はあまり詳しくないので教えていただきたいのですが、現代アドヴァイタと現象学にはどこかしら接点があるかもしれないと前から思っていました。

    <私>と人間個体の関係については、作用と反作用のようなものだと理解しています。無色透明の<私>たる作用と、それが人間個体にぶつかる反作用。普通の場合、反作用だけが<私>と感じますが、本体は作用の方ですね。反作用としての多数の人間個体の間では相互主観性ですね。

    反作用が生じる個体は人間だけでなく、生物全般、ウイルスのようなものも含めることができるかもしれません。
引用返信/返信 削除キー/
■2858 / inTopicNo.53)  Re[11]: 〈私〉と多世界解釈について
□投稿者/ パニチェ -(2020/05/11(Mon) 11:26:37)
    2020/05/11(Mon) 11:36:10 編集(投稿者)

    こんにちは、フローラさん。レスありがとうございます。

    No2857に返信(floraさんの記事)
    > 話をそらしてしまって申し訳ないです。(^^ゞ

    いえいえ、とんでもない。大歓迎です。
    いろんなテーマでレス交換できれば有難いです。今後も何なり横レスをお願いします。

    > 本当ですね。最後の診断の原型がゾロアスター教でそれをベースにユダヤ教、またそこからキリスト教、イスラム教という流れなのでしょうか。ユダヤ教/キリスト教における旧約/新約の契約という部分では、ハムラビ法典を参考にしているのではないかとも感じます。

    そうなんですよ。クリスチャンの方々は否定されると思いますが、旧約聖書は古代聖典を寄せ集めて作られたというのは事実でしょうね。
    「目には目を」はハンムラビ法典にありますし、洪水はギルガメッシュ神話に類似のイベントが記述されているようです。

    > そういえばベーダに出てくる、神々の酒「ソーマ」はゾロアスター教では、「ハオマ」として出てきますよね。 私は同じアーリア人の宗教でも、イランのゾロアスターとインドのバラモンは全く異なるものだと思っておりましたが、やはり共通性があるのですね。

    あ、ほんとすね。知りませんでした。wikipediaによればソーマはゾロアスター教の神酒ハオマと同起源みたいですね。
    やっぱ宗教も哲学と同じく先行している思想や教義から影響を受けたり、一部採用してるようですね。
    それにしても交通も情報伝達手段も限られた時代に遠く離れたところの教義がよく伝わったもんですね。

    > 多神教から、一神教への進化ってすごいですよね。よく古代エジプトのアメンホテプ4世の一神教を模したのではとも言われることがありますが、あれは、厳密には、アメン神とファラオが双方いるわけで分離しておりますものね。ユダヤ教は神は一つ、ゴッド・アールマイティ・スーパースター ですよね。 これで権力が一つに集中し、統制しやすくなるのは事実ですよね。

    ユダヤ教の成立は政治的な意図が感じられます。
    参考までに…。以下に「Panietzsche Room>ニーチェT>アンチクリスト>11.旧約聖書」を転記させてもらいます。

    *************************************
    ユダヤ教に至っては成立さえ政治的であるように思えるところがある。
    旧約聖書でヤハウェはアブラハムにカナンの地(乳と蜜の流れる地という意味。現在のエルサレムを含んだパレスチナ地方)を与えているが、その後の言い回しが必要以上にくどい。

    アブラハムの孫であるヤコブがカナンに戻った時に「私はアブラハムとイサク(アブラハムの子)に与えた地を、お前に与えよう。また、お前ののちの子孫に、その地を与えよう」との啓示がある。

    旧約聖書の成立自体に政治的な意図があった。

    エジプトで奴隷として他民族に支配されていたヘブル人(ユダヤ人)は、本来自分達は神の民であり、我らを支配する絶対唯一の存在は神のみであるという発想の転換をやってのけた。
    旧約聖書によってユダヤ民族の団結と、荒涼とした地で唯一緑が茂るヨルダン川近辺の建国(ユダヤ人の理想郷)を意図していた。
    そのためにハンムラビ法典やギルガメッシュ神話をもとに旧約聖書を作った(旧約聖書寄せ集め説)と考えるのが妥当である。

    ノアの箱舟が漂着したのがアララト山であり、モーゼがヤハウェから十戒を与えられたのがシナイ山であることから、オリンポス神話に影響を受けた山の神と考えることもできる。
    しかし内容の一部はハンムラビ法典(BC17世紀頃)や、ギルガメッシュ神話(メソポヤミアの神話)にある。
    「目には目を」はハンムラビ法典にあるし、洪水はギルガメッシュ神話に類似のイベントが記述されている。

    BC2000年頃、ヘブライ人がカナンの地に住み、モーゼの後継であるヨシュアがカナンに戻ったのがBC1300年頃と言われている。
    ユダヤ人が神から選ばれた民族であり、神はアブラハムに、肥沃な約束の地としてカナンを与えた。
    ユダヤ教はユダヤ人が、ユダヤ人のために、それまでの神話を寄せ集めて聖書をつくり、絶対唯一の民族神を設定したのが起こりである。

    ソロモンの栄華の後、BC928年頃、イスラエル国家は南北に分裂し、北イスラエル王国はアッシリアに、南ユダ王国はバビロニアによって滅亡(BC587)し、ユダヤ人はバビロニアの捕囚となる。
    ペルシャのバビロニア征服によって解放され、再びエルサレムに第二神殿まで建立するにいたったがローマの支配下におかれ、これに反発したシモンなどが武装蜂起するがローマの敵ではなかった。
    この時からユダヤ人の離散が始まる。(AC73年または135年)

    旧約は、あくまでも神とユダヤ人との契約であり、新約になって、初めて神と人類との新しい契約となっている。
    しかしこれはあくまでもキリスト教側の主張であり、ユダヤ教において新約は存在しないし、旧約は旧約ではなく現在も有効な契約である。
    *************************************

引用返信/返信 削除キー/
■2857 / inTopicNo.54)  Re[10]: 〈私〉と多世界解釈について
□投稿者/ flora -(2020/05/10(Sun) 23:03:47)
    パニチェさん、こんにちは

    話をそらしてしまって申し訳ないです。(^^ゞ

    > ■No2850に返信(floraさんの記事)
    > >>インドに南下したアーリア人(ギリシャに南下したアーリア人の一部を含めて)が生んだ輪廻転生思想は、マックス・ウェーバーによれば、ユダヤ教の弁神論と並ぶ、「苦難の意味」を説明する完璧な弁神論であるとされています。

    >>アーリア人はイランへも渡ったと思いますが、ゾロアスター教にも輪廻思想、もしくはバラモン教のように特権階級的な思考はあったのでしょうか?
    >>同じアーリア人が渡ったイランとインドですが、そこから発生した2つの宗教に
    >>共通点はあるのでしょうか?
    >>本論からずれてしまいましたがよろしくお願いいたします。

    > ゾロアスター教については自宅にある宗教事典とwikipedia他の検索した知識しかありませんが、死後は天国か地獄に行き、終末論においては善神が勝利した後の最後の審判でもって永遠の生命が与えられるってことらしいですね。
    > どちからと言うとユダヤ教の原型になっているようです。

    本当ですね。最後の診断の原型がゾロアスター教でそれをベースにユダヤ教、またそこからキリスト教、イスラム教という流れなのでしょうか。ユダヤ教/キリスト教における旧約/新約の契約という部分では、ハムラビ法典を参考にしているのではないかとも感じます。

    > 永遠の命と解脱、天国・地獄と過去世からのカルマによる転生など、善因楽果、悪因苦果は共通していますね。
    > ゾロアスター教はイラン多神教を、バラモン教も古代インドの神々への賛歌である「ヴェーダ」を聖典としていることから多神教であるところは共通しているようです。

    そういえばベーダに出てくる、神々の酒「ソーマ」はゾロアスター教では、「ハオマ」として出てきますよね。 私は同じアーリア人の宗教でも、イランのゾロアスターとインドのバラモンは全く異なるものだと思っておりましたが、やはり共通性があるのですね。

    > もっとも世界各地でアニミズムをルーツとして自然発生的に生じた宗教は多神教であることからして、一神教の方が特殊な宗教であるとは思います。

    多神教から、一神教への進化ってすごいですよね。よく古代エジプトのアメンホテプ4世の一神教を模したのではとも言われることがありますが、あれは、厳密には、アメン神とファラオが双方いるわけで分離しておりますものね。ユダヤ教は神は一つ、ゴッド・アールマイティ・スーパースター ですよね。 これで権力が一つに集中し、統制しやすくなるのは事実ですよね。

    > ゾロアスター教やバラモン教に限らず、民族宗教の教義は、原型となる古代宗教の教義や、民族の歴史や境遇、気候や土地柄などを含む自然環境が影響していると思います。

    同感です。 パニチェさんとエフニさんの対話の流れが逸れてしまい、失礼いたしました。

引用返信/返信 削除キー/
■2855 / inTopicNo.55)  Re[10]: 輪廻
□投稿者/ pipit -(2020/05/10(Sun) 17:18:54)
    経典の引用文の出典は、
    『原始仏教1』片山一良先生訳、中山書房仏林書
    です。


引用返信/返信 削除キー/
■2854 / inTopicNo.56)  輪廻
□投稿者/ pipit -(2020/05/10(Sun) 17:11:42)
    みなさま、こんにちは

    エフニさんのご意見
    >それにも関わらず私が否定派なのは、地球に未だ生命が誕生していないとき、現在人間だけで70億ある魂が、何処に存在していたかを、輪廻転生では説明出来ないからです。<

    知識的な提供いたしますね。
    パーリ三蔵の経蔵の第1番目の経典『梵網経』(大乗経典にも梵網経があるそうですが
    、そちらは私は未読で、私の手元にあるのはパーリ経典の梵網経です)にある記述からすると、
    生命は心の状態だけでも存在してる感じの記述があります。
    経文を引用します。

    『比丘たちよ、いつかあるとき、長い時間が経過したあと、この世界が破壊する時期があります。世界が破壊するとき、生けるものたちはほとんど、アーバッサラに転生します。かれらは、そこでは、心から成り、喜びを食べ物とし、自ら輝き、空中を行き、清浄の中にあって、長い長い間、とどまるのです。
    比丘たちよ、いつかあるとき、長い長い時間が経過したあと、この世界が創造される時期があります。世界が創造されるとき、空のブラフマ神殿が現れます。すると、ある生けるものが、寿命が尽きるか功徳が尽きるかして、アーバッサラの身から死去し、空のブラフマ神殿に生まれかわってきます。
    (略)
    家を捨てて出家すると、熱心によって、努力によって、専心によって、勤勉によって、熟慮によって、心が安定したとき、その過去の生存を思い出してもそれ以上思い出すことのないような、そのような心の統一をみます。そしてかれは、このように言うのです。
    (略)』

    パーリ仏典の世界観では、物質的な世界(宇宙?)も生滅してて、1回の生滅サイクルを1劫(こう)と読んでるようです。
    私は、1劫の生滅にビッグバン→ビッグクランチのイメージを持っています。

    ちなみに、この梵網経では、過去生があるか否かは主題にはなっていないと私は考えています。
    感受に依拠して作られた全ての見解に対して執着をなくすことが肝要ということが主題なのかな、と、考えています。

    梵網経は、我や世界といった形而上学的な62の見解を網羅し、この62種の見解を釈尊が一網打尽的にしりぞける展開になっています。
    修行者が、禅定によって自らの過去を想起し、その想をもとにつくられた見解全部に対して、釈尊は
    『比丘たちよ、これについて、如来が知るところはこうです。『このように捉えられ、このように囚われたこれらの見地は、これこれの行方、これこれの来世をもたらすであろう』と。如来は、それを知り、またそれよりすぐれたことをも知ります。しかもその知ることに執着しません。執着しないから、ただひとり自ら、そこに離脱が見られます。比丘たちよ、如来はもろもろの感受の生起と消滅と楽味と障害と出離を、あるがままに知って、執着なく解脱したのです。』

    と述べられ、

    『比丘たちよ、比丘が、六種の接触場所の生起と消滅と楽味と障害と離脱を、あるがままに知るならば、かれはこれらすべてよりもすぐれたことを知ります。』

    と語られます。

    以上、輪廻転生の理論としては心物二元論みたいっていう知識的な提供で〜す(^○^)
    あ、付け足しとして、物質がじわじわできてきて、いろんな動物などが生まれると
    パーリ仏典の世界観では、普通に動物にも輪廻転生してると考えてるみたいです。
    釈尊が前世で鹿だったり鳥だったりする経典もあります。

引用返信/返信 削除キー/
■2851 / inTopicNo.57)  Re[9]: 〈私〉と多世界解釈について
□投稿者/ パニチェ -(2020/05/10(Sun) 08:47:58)
    こんにちは、フローラさん、レスありがとうございます。

    No2850に返信(floraさんの記事)
    >>インドに南下したアーリア人(ギリシャに南下したアーリア人の一部を含めて)が生んだ輪廻転生思想は、マックス・ウェーバーによれば、ユダヤ教の弁神論と並ぶ、「苦難の意味」を説明する完璧な弁神論であるとされています。
    > アーリア人はイランへも渡ったと思いますが、ゾロアスター教にも輪廻思想、もしくはバラモン教のように特権階級的な思考はあったのでしょうか?
    > 同じアーリア人が渡ったイランとインドですが、そこから発生した2つの宗教に
    > 共通点はあるのでしょうか?
    > 本論からずれてしまいましたがよろしくお願いいたします。

    ゾロアスター教については自宅にある宗教事典とwikipedia他の検索した知識しかありませんが、死後は天国か地獄に行き、終末論においては善神が勝利した後の最後の審判でもって永遠の生命が与えられるってことらしいですね。
    どちからと言うとユダヤ教の原型になっているようです。

    永遠の命と解脱、天国・地獄と過去世からのカルマによる転生など、善因楽果、悪因苦果は共通していますね。
    ゾロアスター教はイラン多神教を、バラモン教も古代インドの神々への賛歌である「ヴェーダ」を聖典としていることから多神教であるところは共通しているようです。
    もっとも世界各地でアニミズムをルーツとして自然発生的に生じた宗教は多神教であることからして、一神教の方が特殊な宗教であるとは思います。

    ゾロアスター教やバラモン教に限らず、民族宗教の教義は、原型となる古代宗教の教義や、民族の歴史や境遇、気候や土地柄などを含む自然環境が影響していると思います。

引用返信/返信 削除キー/
■2850 / inTopicNo.58)  Re[8]: 〈私〉と多世界解釈について
□投稿者/ flora -(2020/05/10(Sun) 03:57:15)
    エフニさん、こんにちは、パニチェさん横失礼します。

    > インドに南下したアーリア人(ギリシャに南下したアーリア人の一部を含めて)が生んだ輪廻転生思想は、マックス・ウェーバーによれば、ユダヤ教の弁神論と並ぶ、「苦難の意味」を説明する完璧な弁神論であるとされています。

    アーリア人はイランへも渡ったと思いますが、ゾロアスター教にも輪廻思想、もしくはバラモン教のように特権階級的な思考はあったのでしょうか?

    同じアーリア人が渡ったイランとインドですが、そこから発生した2つの宗教に
    共通点はあるのでしょうか?

    本論からずれてしまいましたがよろしくお願いいたします。


引用返信/返信 削除キー/
■2848 / inTopicNo.59)  輪廻転生
□投稿者/ パニチェ -(2020/05/09(Sat) 17:59:31)
    こんにちは、エフニさん。レスありがとうございます。

    No2839に返信(エフニさんの記事)
    > インドに南下したアーリア人(ギリシャに南下したアーリア人の一部を含めて)が生んだ輪廻転生思想は、マックス・ウェーバーによれば、ユダヤ教の弁神論と並ぶ、「苦難の意味」を説明する完璧な弁神論であるとされています。

    同意です。奴隷として人間に支配されていたユダヤ民族が本来は神に選ばれた民であるという選民思想を政治的な目的もあり捏造したのと同じく、アーリア人が子孫に至るまで特権階級的な身分を保障するための理屈として前世からのカルマや輪廻転生を創出した側面も大いにあると考えています。

    > ☆それにも関わらず私が否定派なのは、地球に未だ生命が誕生していないとき、現在人間だけで70億ある魂が、何処に存在していたかを、輪廻転生では説明出来ないからです。

    私も同意なんですが、これらの疑問を解消する詭弁として、例えば幸福の科学は星間(恒星系間)の輪廻転生を提唱しています。
    もちろん私は信じてませんけどね。^^


    No2836に返信(エフニさんの記事)
    > パニさんへ。
    > どうぞお気遣いなく、御自由にどうぞ

    ありがとうございます。


    No2840に返信(エフニさんの記事)
    > ああ、すいません、これは私が誤読していました。
    > 失礼致しました。

    いえいえ、とんでもないです。^^

引用返信/返信 削除キー/
■2847 / inTopicNo.60)  Re[10]: 〈私〉と涅槃
□投稿者/ パニチェ -(2020/05/09(Sat) 17:47:22)
    こんにちは、レスありがとうございます。

    No2838に返信(knowing itselfさんの記事)
    > knowing itself の理解・解釈しているラマナ的な世界観によると、日常的な意識状態とは別に「夢をまったくみない完全熟睡状態」があるのではなく、人間は現在進行形で常時「夢をまったくみない完全熟睡状態」であるのに、そうではない何かにフォーカスを合わせて「夢をまったくみない完全熟睡状態」ではないと思い込んでしまっている、ということだと思います。フォーカスを合わせる何かこそが<私>だと感じてしまうけれど、その何かの中味は実は「夢をまったくみない完全熟睡状態」のことで、それこそが<私>の源泉だった。

    なるほど、そういうことですか。まだ読了してないのですが、そのことも念頭に読み進むことにします。
    そう言われてみると、確かに志向性は〈私〉の志向性ですからね。

    > どちらもですね。ラマナマハルシの教えといっても、解釈は当然のことながら人によって異なります。knowing itself の解釈は、一般的に受容されているラマナ説からはみ出るところ、ある側面を強調しすぎるところもあるかもしれません。禅定からの体験理解も大きいですが、禅定としては浅いものだと思います。

    なるほど。知識と実践からの探究はやはり正道ですね。知識や理屈からだと、なかなか〈私〉即真我とか、涅槃の〈私〉性というところまで行きつきません。

    > >><私>の独在性と無数にある多世界・多宇宙論の関係を仄めかしているのではないでしょうか。

    > 個体としてのknowing itselfとしては、今、ここにいる<私>しか知らない。個体として別の存在から<私>を知ることはできませんね。おっしゃる通りだと思います。ただ、人間個体は現時点で70億人以上いるわけです。それぞれの人間個体に即してみれば、われこそが<私>だと言い出してもおかしくない。難問ですが、knowing itself が考えるところでは、<私>は一個だけれど、人間個体と接触する接触の在り方には70億通りあるとなります。

    そういう意味での多世界なら納得できます。
    独我論(独在論)と自然的態度(相互主観性)の合体した世界観が多世界であるということになるでしょうか。

引用返信/返信 削除キー/

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