TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■36406 / inTopicNo.13)  記憶
  
□投稿者/ おくたがわ -(2024/02/03(Sat) 13:55:06)
    2024/02/03(Sat) 18:58:00 編集(投稿者)

    NHK-BSのヒューマニエンスで「記憶」について。
    以前から自分が思っていたことに適合する話をしていたので書きます。

    あるできごとに関する記憶は、まず海馬の神経細胞に保存されるが、個々の要素が(いわば点として)保存され、それらを結ぶ線がネットワークとして出来事全体の記憶になっている。

    そのネットワークが別な出来事の中の要素(点)と結ばれてしまうことがある。記憶違い。記憶の塗り替わり。
    例:去年の会議の記憶の中に、もっと以前の出席者の記憶が結ばれてしまうー 去年出ていなかった人が出ていたように記憶される。

    この配線ミスが記憶の想起によってむしろ起きやすくなるとのこと。

    何かを思い出そうとするとき、いったんネットワークの結びつき(線)が弱まる仕組みがあり、そこで配線変更が起きやすくなる。そして変更されたままネットワークが強化される。

    ********

    何故こんな仕組みになっているのかについては、
    動物にとって記憶のアップデートが必要だから、との説明。
    危険ありと記憶した場所が、安全で食物のある場所に変わることもある、そのとき速やかに記憶が変更できる。
    そういったメリットがデメリットを大きく上回るからと。

    ここから自分の解釈ですが、
    おそらく人以外の動物は、実際にその場所に行くことなしにその場所を想起するということが無い(もしくは少ない)、従って、その場所に行き、確かめ得た内容に従って、記憶(ネットワーク)がアップデートされる。
    そのとき古いネットワークをいったん弱めて、新しいものに組みなおすことにメリットが大きい(現在の現実に対応した記憶に組みなおせる)

    しかし人間は、新しい情報に触れない場合にも「思い出して」しまう。
    このとき、ネットワークが弱まれば、現実に対応しない配線(ミス)が起きやすくなる。
    しかも、その後ネットワークが強化される仕様になっている。

    人間の場合、他の動物に比べるとデメリットの比重が大きくなっているのでは。

    人間は、現実の確認なしに記憶だけを想起する機会が多くなったが、未だそれに適応しきれていないのでは。

    ****
    番組では、犯罪を目撃した人の中にある犯人の記憶が、事後的にマスコミが容疑者として流した人物(実際は濡れ衣)の像と入れ替わって、確かにその人物を犯人として目撃したという記憶になってしまった例が上がっていた。

    **********

    以前ヤフー掲示板の投稿者で、過去のできごとを何回も蒸し返して他者を非難するタイプの人間が何人かいた。
    それを見ていて、
    過去のことを思い出す度に記憶の塗り替わりが起き、しかも強化されているのではないか、という仮説を考えていたのでした。
    今回の番組がその説明になっているように思えたので。

引用返信/返信 削除キー/
■36404 / inTopicNo.14)  Re[27]: 『青色本を掘り崩す』
□投稿者/ おくたがわ -(2024/02/03(Sat) 11:20:35)
    No36314に返信(パニチェさんの記事)
    > おはようございます、おくたがわさん。横レス失礼します。

    いえ、パニチェさんあてのつもりの投稿でした^^

    >>**永井均さんのX(ツイート)引用**
    >>永井均@hitoshinagai1 2023年12月4日
    >>あと、『ウィトゲンシュタインの誤診ー青色本を掘り崩す』は「哲学」というものが知りたい(を学びたい)人にとっても必読。青色本のこの箇所は殆んど唯一無二だから。「哲学」の伝統を継承したのではなく、いきなり「哲学」をしてしまった人からでなければ学べない「哲学」というものがあるのさ。
    >>***
    >
    >>と永井さんが自賛(?)していたので『青色本を掘り崩す』を買って読んでいます。
    > >『言語哲学〜』より前に買ったが、あちらを先に読んでしまった。
    >>『青色本を掘り〜』は自分には難しい。けれど何故か面白い(今半分くらい)。ウィトの『青色本』自体も試し読みの範囲は面白く感じたので買った(大森訳)。(ヨドバシが30%ポイント還元セールだったので『言語哲学〜』と一緒に)
    >
    > へぇ〜。そんなことをツイートしてるんですね。知りませんでした、というかツイッター時代からXはほとんど見てないです。
    > どうも書くのも読むのも短文ってのは苦手です。^^;

    今は有料で文字数制限なしにできるみたいですが、使っているのは一部の利用者だけですね。永井さんも制限ありのままでやってる。
    今気づきましたが、ツイッターは日本人向きなのかな。同じ環境を共有してるんだから詳しく全部書かなくてもわかるでしょ、的な、いわゆるハイコンテキスト。
    個々人の違いがあるのを前提に擦り合わせながら話すのは短文では難しい。

    > 『青色本を掘り崩す』は私も持っています。読み込んだと言えるほど精読してないですが。。。
    >
    >>ちょうど『青色本を掘り〜』についてパニチェさんに意見を聞きたい部分があったのですが、今パニチェさんから出ている質問と紛らわしくなるかもしれないので、また今度にします。
    >
    > 全然、大丈夫ですよ、私でよければ何なりとどうぞ。
    > むしろ永井均氏やウィトゲンシュタイン、〈私〉関連でレス交換できるのはパニチェにとってもラッキーです。
    > 但し、初期と違って最近の永井氏は言ってることがよく分からないこともあり、『青色本を掘り崩す』に関してもよく分からないところもあります。
    > せっかく質問いただいても「私にも分かりません」という返信になることも大いにありえますが、それでもご容赦いただけるならレス下さい。

    実は、野矢さんの「論考を読む」にかかってまして、これを読み終わってから「青色本」とその後半を対象にしたという「掘り崩す」を読み直すという方針にしました。こちらから話を振っておいてすみません。先延ばしさせてください。m(_ _)m
    パニチェさんにとって大事な問題が関係すると思われますので、思い付きで書くのは避けたいとも思い。
引用返信/返信 削除キー/
■36352 / inTopicNo.15)  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2024/02/02(Fri) 00:34:24)
    おくたがわさん、こんばんは(^ ^)

    No36348
    >>山口先生は、超越論的論理学の思考規則は、経験的ではないアプリオリな思考内容を持たなくてはならない、と考えられているみたいとpipitは読みました。<<
    >
    > 自分もそう読みます。
    > それがすなわち純粋悟性概念(カテゴリー)ということでしょうか?<

    そうだとpipitは思うのですが、これまた微妙な話題で、
    その純粋な思考規則(純粋悟性概念/カテゴリー)の内容が、
    対象との一致において真偽を論じることが可能な内容として存するためには、
    その使用が直観的対象への場合に限定されている、
    とカントは言っているのかなとpipitは考えています。

    カントの文章(山口修二先生訳)では、

    『超越論的論理学において我々は悟性を孤立させて(上述の超越論的感性論において感性を孤立化させたように)、我々の認識から、もっぱら悟性に起源を持つところの思考の部分を取り出す。
    しかし、この純粋認識の使用は、その条件として、純粋認識が適用されうるところの対象が直観において与えられているということに基づいている。
    なぜなら、直観がなければ我々のあらゆる認識には客観が欠けることになり、この場合認識はまったく空虚だからである。』(A62,B87)
    (『カント超越論的論理学の研究』p63より引用)

    とあり、使用条件をはずれると内容は【空虚】(独leer、英empty)ということかな、の思いました。
    ※引用文章最後の箇所の原文と原文をDeepLで英訳したものをコピペします。(記号省略)

    Denn ohne Anschauung fehlt es aller unserer Erkenntnis an Objekten, und sie bleibt alsdann vollig leer.

    For without perception, all our knowledge lacks objects, and it then remains completely empty.

    pipitの今の段階の私見なのですが、
    純粋悟性概念の内容の源泉は悟性なのですが、悟性が概念生成の段階において純粋直観を使用して概念に内容を持たせているので、内容と対象の一致を確かめられるのは経験的直観の対象に限定されることになるのではないかと、そんなふうに考えています。
    、、、カントって黙々とこんなこと考えてるかもなんて変人に思えます(−_−;)

引用返信/返信 削除キー/
■36349 / inTopicNo.16)  Re[26]: 言語とは像、箱庭的装置、代理物
□投稿者/ おくたがわ -(2024/02/01(Thu) 15:50:10)
    No36318に返信(knowingitselfさんの記事)
    knowingitselfさん、お返事ありがとうございます。

    >>『言語哲学がはじまる』は分かりやすく、論考の関連部分が読みやすくなったと感じるので、『論理哲学論考を読む』も購入して読むことにしました。ご紹介ありがとうございました。
    >
    > ちくま学芸文庫版を所持していますが、面白いですよ。

    同じものを入手して読み始めました。期待にたがわずスッキリと解読・解説されていると感じます。

    > あと、論理哲学論考の邦訳は岩波文庫から野矢さん訳で出ていますが、この訳注がいいですね。
    > わずか数十ページながら、論理哲学論考における、ほぼすべての重要な概念の解説にもなっています。

    本としてはセレクションで全体の1/2程度の抜粋しか持っていなくて、現在kindle読み放題で丘沢静也訳は読めますが、ずっと登録しているつもりはないので、岩波文庫を買おうかなと思っていたところでした。knowingitselfさんの評価が高いということで、買うことに決定しました。情報ありがとうございました。またよろしくお願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■36348 / inTopicNo.17)  Re[23]: Re:pipitさんへ
□投稿者/ おくたがわ -(2024/02/01(Thu) 15:41:17)
    No36306に返信(pipitさんの記事)
    返事遅くなりました、すみません。
    > 2024/01/27(Sat) 20:57:07 編集(投稿者)
    >
    > No36276
    > (悪魔ちゃん)
    > >いま、こういうの書いてるときに思ったんだけど、さらに、『だから』の前も気になるところね。<
    >
    > おくたがわさん、悪魔ちゃんこんばんは!
    > 横レス失礼します。m(_ _)m
    >
    > 悪魔ちゃんの感想・考察まで行くもっと手前のことなんだけど、
    > カント的『だから』は、こんな感じかな?というpipitの私見を書きます。
    >
    >
    > @空間が純粋直観として対象全般にアプリオリに関わるゆえ、経験的直観において空間が経験的になるように、
    > A思考が純粋思考として対象全般にアプリオリに関わるゆえ、経験的思考において特定の概念が経験的なものになる、という構図もあり得るかもしれない・・・
    > という意味での【だから】かな、と思いました。
    > @【だから】A
    >
    > 当該箇所B81(中山元訳独自番号089)を解説した山口修二先生の解説文を抜粋引用します。
    > 『カント超越論的論理学の研究』p63より
    > (山口修二先生の解説文)
    > 『「アプリオリに諸対象に関係する」ような概念、すなわち「純粋悟性認識」が存在することは、現時点ではいまだ「期待」にとどまっている。「対象を完全にアプリオリに思考する」ことはいかにして可能なのか。この課題に答える学として「超越論的論理学」は構想されているのである。』
    > 引用終了
    > --------------
    >
    > 山口先生の他箇所の解説で、おくたがわさんが考察されている箇所に対応してると思われる文章も見つけたので引用します。同本p61.62より引用。
    >
    > 『「それなくしてはいかなる対象も思考されないような諸原理」を示すこと。「超越論的論理学」の構想の中心はここにある。
    > (略)
    > この思考規則は、「一般論理学」における思考の論理的形式のように、一切の思考内容の捨象によって見い出されるものではない。
    > なぜなら、求められているのは、思考を思考たらしめる普遍的条件ではなく、思考が内容を持つための普遍的条件であるかぎり、それは、一切の思考内容の捨象によってではなく、むしろ、思考一般が必ず持つべき「内容」として見いだされねばならないからである。
    > すなわち、「超越論的論理学」の思考規則は、それ自体「内容」を含んでいなければならない。
    > この「内容」は、我々の思考が内容ある思考であるかぎり常に必ず含むべきものである以上、思考の普遍的内容である。
    > そのかぎり、「超越論的論理学」の思考規則は、いかなる経験によっても見出されることのない、アプリオリな思考内容を持つものでなければならない。
    > (略)
    > 「超越論的論理学」の規則は、我々が何か(対象)を思考するとき同時にそれを思考していなければ我々は実は何も思考していないことが判明する、そのような思考「内容」として提示されなければならない。
    > 思考のこのような普遍的「内容」は、明らかに経験的・感性的なものではなく、したがって、まさに「純粋悟性認識」の内容であり、「純粋思考」の「対象」である。
    > (略)』
    > 引用終了

    素晴らしい情報ありがとうございます。

    > 山口先生は、超越論的論理学の思考規則は、経験的ではないアプリオリな思考内容を持たなくてはならない、と考えられているみたいとpipitは読みました。

    自分もそう読みます。
    それがすなわち純粋悟性概念(カテゴリー)ということでしょうか?
引用返信/返信 削除キー/
■36318 / inTopicNo.18)  Re[25]: 言語とは像、箱庭的装置、代理物
□投稿者/ knowingitself -(2024/01/28(Sun) 14:22:23)
    おくたがわさん レスありがとうございます

    > 『言語哲学がはじまる』は分かりやすく、論考の関連部分が読みやすくなったと感じるので、『論理哲学論考を読む』も購入して読むことにしました。ご紹介ありがとうございました。

    ちくま学芸文庫版を所持していますが、面白いですよ。気づきや発見があったら、ぜひご教示をお願いします。

    あと、論理哲学論考の邦訳は岩波文庫から野矢さん訳で出ていますが、この訳注がいいですね。
    わずか数十ページながら、論理哲学論考における、ほぼすべての重要な概念の解説にもなっています。
引用返信/返信 削除キー/
■36314 / inTopicNo.19)  Re[26]: 『青色本を掘り崩す』
□投稿者/ パニチェ -(2024/01/28(Sun) 08:01:32)
    おはようございます、おくたがわさん。横レス失礼します。

    No36309に返信(おくたがわさんの記事)
    > 昨年あたりから、X(ツイッター)を見るときはまず永井均さんを見ています。それだけを見ることも多い。

    そうなんですね。

    > **永井均さんのX(ツイート)引用**
    > 永井均@hitoshinagai1 2023年12月4日
    > あと、『ウィトゲンシュタインの誤診ー青色本を掘り崩す』は「哲学」というものが知りたい(を学びたい)人にとっても必読。青色本のこの箇所は殆んど唯一無二だから。「哲学」の伝統を継承したのではなく、いきなり「哲学」をしてしまった人からでなければ学べない「哲学」というものがあるのさ。
    > ***

    > と永井さんが自賛(?)していたので『青色本を掘り崩す』を買って読んでいます。
    >『言語哲学〜』より前に買ったが、あちらを先に読んでしまった。
    > 『青色本を掘り〜』は自分には難しい。けれど何故か面白い(今半分くらい)。ウィトの『青色本』自体も試し読みの範囲は面白く感じたので買った(大森訳)。(ヨドバシが30%ポイント還元セールだったので『言語哲学〜』と一緒に)

    へぇ〜。そんなことをツイートしてるんですね。知りませんでした、というかツイッター時代からXはほとんど見てないです。
    どうも書くのも読むのも短文ってのは苦手です。^^;
    『青色本を掘り崩す』は私も持っています。読み込んだと言えるほど精読してないですが。。。

    > ちょうど『青色本を掘り〜』についてパニチェさんに意見を聞きたい部分があったのですが、今パニチェさんから出ている質問と紛らわしくなるかもしれないので、また今度にします。

    全然、大丈夫ですよ、私でよければ何なりとどうぞ。
    むしろ永井均氏やウィトゲンシュタイン、〈私〉関連でレス交換できるのはパニチェにとってもラッキーです。
    但し、初期と違って最近の永井氏は言ってることがよく分からないこともあり、『青色本を掘り崩す』に関してもよく分からないところもあります。
    せっかく質問いただいても「私にも分かりません」という返信になることも大いにありえますが、それでもご容赦いただけるならレス下さい。


引用返信/返信 削除キー/
■36312 / inTopicNo.20)  音楽
□投稿者/ おくたがわ -(2024/01/27(Sat) 23:38:48)
    2024/01/28(Sun) 06:57:34 編集(投稿者)

    以前ドラマで流れて、聞き覚えはあるものの曲名を知らなくて気になっていた曲を、先週のクラシックTVで扱っていた。ガブリエル・フォーレ『シシリエンヌ(シチリアーノ)』 忘れないように。

    クラシックTV清塚ピアノ
    https://www.youtube.com/watch?v=aGz8t6bopT8
    フルート
    https://www.youtube.com/watch?v=TYREhwfgSSY
    チェロ
    https://www.youtube.com/watch?v=0YEqATIaGJw

    フルートが胸に迫ると思ったが、チェロもいいな

    *********

    先週の題名のない音楽会
    サン=サーンス:『動物の謝肉祭』の「亀」が、
    他の有名な曲を下敷きにしている、それは何でしょう?
    https://www.youtube.com/watch?v=nXcpn0c7FL4

    横山由依「きらきら星」と言いながらハミングしたメロディーは『星に願いを』 大人っぽく振舞っていたが、天然ボケ健在
    武内絵美アナ「私、曲名とかは分からないんですけど、♪チャー チャチャチャチャ チャーチャーチャチャチャチャ」と『天国と地獄』のメロディーを
    正解だが、武内さんが司会になってから、この番組で演奏されてる。

    *****
    今週の題名のない音楽会
    モーツァルトが天才と言われる理由が分かる3曲、という趣向。

    私(おくたがわ)は、クラシックについての感性は無いと思って来て、その理由の一つが、モーツァルトでは短調が好きなこと。モーツァルトの長調をわかる感性がないのだと。
    ところが、
    「モーツァルトの天才性がわかりやすいのは短調です」と鈴木優人さん

    まあでも、自分はそれが分かっていたわけではなく、情に強く訴える短調の方が分かりやすいだけだと思う。
引用返信/返信 削除キー/
■36309 / inTopicNo.21)  『青色本を掘り崩す』
□投稿者/ おくたがわ -(2024/01/27(Sat) 22:06:23)
    昨年あたりから、X(ツイッター)を見るときはまず永井均さんを見ています。それだけを見ることも多い。

    **永井均さんのX(ツイート)引用**
    永井均@hitoshinagai1 2023年12月4日
    あと、『ウィトゲンシュタインの誤診ー青色本を掘り崩す』は「哲学」というものが知りたい(を学びたい)人にとっても必読。青色本のこの箇所は殆んど唯一無二だから。「哲学」の伝統を継承したのではなく、いきなり「哲学」をしてしまった人からでなければ学べない「哲学」というものがあるのさ。
    ***

    と永井さんが自賛(?)していたので『青色本を掘り崩す』を買って読んでいます。『言語哲学〜』より前に買ったが、あちらを先に読んでしまった。
    『青色本を掘り〜』は自分には難しい。けれど何故か面白い(今半分くらい)。ウィトの『青色本』自体も試し読みの範囲は面白く感じたので買った(大森訳)。(ヨドバシが30%ポイント還元セールだったので『言語哲学〜』と一緒に)

    ちょうど『青色本を掘り〜』についてパニチェさんに意見を聞きたい部分があったのですが、今パニチェさんから出ている質問と紛らわしくなるかもしれないので、また今度にします。
    (永井さんは「『純粋理性批判』を掘り崩す」を今ネット連載しているらしいので『〜掘り崩す』という省略は使えない)

    ***
    ヤフー以来ずっと週末は用事があるので投稿していなかったが、一か月ほど土日を休むことにしたので投稿できます。
    その間できるだけ本も読みたい。
引用返信/返信 削除キー/
■36308 / inTopicNo.22)  Re[24]: 言語とは像、箱庭的装置、代理物
□投稿者/ おくたがわ -(2024/01/27(Sat) 21:58:39)
    No36307に返信(knowingitselfさんの記事)
    こんばんは。
    野矢さんは無限に関する本を以前読んでから敬遠していたのですが、『言語哲学がはじまる』は分かりやすく、論考の関連部分が読みやすくなったと感じるので、『論理哲学論考を読む』も購入して読むことにしました。ご紹介ありがとうございました。
    今後とも、色々なことをご教授いただけるとうれしいです。

    > みなさん こんばんは
    >
    > 野矢さんによると、もちろん彼に限らないはずですが、ウィトゲンシュタインの言語哲学において「言語」とは、
    > 現実にたいする代理物、箱庭的装置、像にあたる。単純にいえばそうなっていると思います。
引用返信/返信 削除キー/
■36307 / inTopicNo.23)  言語とは像、箱庭的装置、代理物
□投稿者/ knowingitself -(2024/01/27(Sat) 20:44:52)
    みなさん こんばんは

    野矢さんによると、もちろん彼に限らないはずですが、ウィトゲンシュタインの言語哲学において「言語」とは、
    現実にたいする代理物、箱庭的装置、像にあたる。単純にいえばそうなっていると思います。
引用返信/返信 削除キー/
■36306 / inTopicNo.24)  Re[22]: Re:「論理学」っていうの
□投稿者/ pipit -(2024/01/27(Sat) 20:33:51)
    2024/01/27(Sat) 20:57:07 編集(投稿者)

    No36276
    (悪魔ちゃん)
    >いま、こういうの書いてるときに思ったんだけど、さらに、『だから』の前も気になるところね。<

    おくたがわさん、悪魔ちゃんこんばんは!
    横レス失礼します。m(_ _)m

    悪魔ちゃんの感想・考察まで行くもっと手前のことなんだけど、
    カント的『だから』は、こんな感じかな?というpipitの私見を書きます。


    @空間が純粋直観として対象全般にアプリオリに関わるゆえ、経験的直観において空間が経験的になるように、
    A思考が純粋思考として対象全般にアプリオリに関わるゆえ、経験的思考において特定の概念が経験的なものになる、という構図もあり得るかもしれない・・・
    という意味での【だから】かな、と思いました。
    @【だから】A

    当該箇所B81(中山元訳独自番号089)を解説した山口修二先生の解説文を抜粋引用します。
    『カント超越論的論理学の研究』p63より
    (山口修二先生の解説文)
    『「アプリオリに諸対象に関係する」ような概念、すなわち「純粋悟性認識」が存在することは、現時点ではいまだ「期待」にとどまっている。「対象を完全にアプリオリに思考する」ことはいかにして可能なのか。この課題に答える学として「超越論的論理学」は構想されているのである。』
    引用終了
    --------------

    山口先生の他箇所の解説で、おくたがわさんが考察されている箇所に対応してると思われる文章も見つけたので引用します。同本p61.62より引用。

    『「それなくしてはいかなる対象も思考されないような諸原理」を示すこと。「超越論的論理学」の構想の中心はここにある。
    (略)
    この思考規則は、「一般論理学」における思考の論理的形式のように、一切の思考内容の捨象によって見い出されるものではない。
    なぜなら、求められているのは、思考を思考たらしめる普遍的条件ではなく、思考が内容を持つための普遍的条件であるかぎり、それは、一切の思考内容の捨象によってではなく、むしろ、思考一般が必ず持つべき「内容」として見いだされねばならないからである。
    すなわち、「超越論的論理学」の思考規則は、それ自体「内容」を含んでいなければならない。
    この「内容」は、我々の思考が内容ある思考であるかぎり常に必ず含むべきものである以上、思考の普遍的内容である。
    そのかぎり、「超越論的論理学」の思考規則は、いかなる経験によっても見出されることのない、アプリオリな思考内容を持つものでなければならない。
    (略)
    「超越論的論理学」の規則は、我々が何か(対象)を思考するとき同時にそれを思考していなければ我々は実は何も思考していないことが判明する、そのような思考「内容」として提示されなければならない。
    思考のこのような普遍的「内容」は、明らかに経験的・感性的なものではなく、したがって、まさに「純粋悟性認識」の内容であり、「純粋思考」の「対象」である。
    (略)』
    引用終了

    山口先生は、超越論的論理学の思考規則は、経験的ではないアプリオリな思考内容を持たなくてはならない、と考えられているみたいとpipitは読みました。

引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -