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■No36594に返信(うましかさんの記事) > 2024/02/19(Mon) 22:58:33 編集(投稿者) > 2024/02/19(Mon) 22:30:39 編集(投稿者) > > knowingitselfさん、floraさん、返信ありがとうございます。 > > >amazonでさっと眺めていたら、あるレビュアーが、「ラッセルやラムジーが理解できなかったのに、自分が理解できるわけがない」と書いてあるのが目に入りました。それをいっちゃおしまいですが。( No.36589, knowingitselfさん) > > (;・∀・)そのレビュー私も昨日読んで吹き出しました > > > > >私もなんとかググって(^^:)、発表された『The Foundation of Mathematics』のPDFのリンクを貼りますね。この出版はラムジーの論考を集められたもののような感じも・・・・ ( No.36587, floraさん) > > 貴重な情報提供、ありがとうございますm(__)m > > ・https://tmypfunam.files.wordpress.com/2018/03/frank-plumpton-ramsey-foundations-of-mathematics-and-other-logical-essays-routledge.pdf > > ↑の情報元、https://tmypfunam.wordpress.com/2018/03/ って経済学の研究者さんのサイトですかねー、2018年3月13日の記事にRamseyの資料が載ってます。 > > ところで、floraさんご紹介pdfの内容は、(比較した場合)部分的に、 > > ・https://www.cambridge.org/us/universitypress/subjects/philosophy/philosophy-texts/f-p-ramsey-philosophical-papers > > に収められていますね。得した気分です。ありがとうございますm(__)m > ちなみに、"F. P. Ramsey: Philosophical Papers"には、勁草書房から翻訳がでています。 > > ・https://www.keisoshobo.co.jp/book/b27000.html > > ところで、 > > >ただ 発表されたのはラムジーの死後の1931年のようでした。 > > これはどういうことなのかな〜(。´・ω・)? No.36580 でも貼ったけど、 > > ・https://philpapers.org/rec/RAMCNO > > >Mind 32 (128):465-478 (1923) > > に発表されたわけじゃないということなのかな。。。(。´・ω・)謎沼 > > 【追記】 > > てきとうに調べてたら > > ・https://journals.openedition.org/ejpap/1504 > > に出会った。 > > 7段目?の、"In September 1923 Ramsey went to the small town near Vienna, 〜"から読んでいくと、"Ramsey’s critical notice of the book was in press at Mind, "とあります。 > > > 【追記2】 > > てきとうに調べて、てきとうに参考にしたつもりが、、、 > > 著者が、Cheryl Misak だった(;゚Д゚)(゚Д゚; ) > > ・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF
File
/
アップ可能拡張子=> /
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/
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/
.png
/.txt/.lzh/.zip/.mid
1) 画像は初期状態で縮小サイズ600×600ピクセル以下で表示されます。
2) ファイル名が不適切な場合は自動変更されます。
3) アップ可能ファイルサイズは1回
2048KB
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■37234
/ inTopicNo.1)
映画の喩え
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□投稿者/ knowingitself
-(2024/05/04(Sat) 09:17:19)
多数の登場人物が出演している映画。この自分はその映画の唯一の観客。
登場人物であるAさんはリアルではどんなに親しくても、映画の登場人物として知りうるのみ。
一方、Aさんもまた多数の登場人物が出演している映画の唯一の観客であり、この自分はAさんの映画の登場人物でしかない。
「映画の唯一の観客」という喩えを出したが、三次元空間でスクリーンを眺める観察主というイメージではない。
わたしがイメージしているのは、厚みのないうすーい二次元のスクリーン。二次元、三次元という語やイメージはあくまで方便なので、二次元といった時点でこれも違うのだが。要するに、次元を書いた直接性。媒介なしの直接性。ここに映画を観る自分がいる。そういうことだ。
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■37216
/ inTopicNo.2)
アヴェヴェルムコルプス
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□投稿者/ knowingitself
-(2024/04/30(Tue) 17:41:31)
私はアニメには疎いが、「シンエヴァンゲリオン」の劇場版で「アヴェヴェルムコルプス」が効果的に使われて、観客を泣かせたと。
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■37215
/ inTopicNo.3)
Re[76]: 「坂部恵におけるロゴスと霊性」
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□投稿者/ knowingitself
-(2024/04/30(Tue) 12:19:29)
坂部恵、モーツァルトの「アヴェヴァルムコルプス」。
どちらも聞いたことがなければ意味をなさない文ではあるが。
坂部恵をいま読んでいる人は少ないかもしれないが、井上忠、大森荘蔵、廣松渉、坂部恵は「駒場の四天王」と呼ばれていたそうだ。山内志朗の先生でもある。
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■37146
/ inTopicNo.4)
「坂部恵におけるロゴスと霊性」
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□投稿者/ knowingitself
-(2024/04/20(Sat) 12:41:27)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sfjp/17/0/17_3/_pdf/-char/ja
坂部恵は日本におけるカント学のパラダイムを変えたとまで言われる才気溢れる哲学者だが、
同じくカントを研究する黒崎政男が坂部恵について論じています。
私的には、目にウロコ。八ページと短いので読んでみてください。
モーツァルトが好きな人もぜひ(笑)
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■37123
/ inTopicNo.5)
貪瞋痴で握りしめる手を緩める
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□投稿者/ knowingitself
-(2024/04/15(Mon) 16:54:31)
善だ、悪だ、カルマだ。
こういうと、他律的に与えられたマニュアルを遵守するよう強制し、守らないと大変なことになると脅すような発想に感じるかもしれない。
まったく違う。
例えば仏教なら、善とは、「貪瞋痴で固く握りしめている手を緩める」。自分のその時の器に応じて、ほんのちょっとでも緩めることができればよい。握った手を完全に手放すことができれば「悟り」だが、それは無理だと思った方がよい。むしろ、実際は手放せていないのに自分だけは手放したと思い込む方が、タチのわるい貪瞋痴ともいえる。
ほとんどの人間は貪瞋痴で握りしめなければ生きていけない因縁にあるので、そのことに同情、共感、苦しみの連帯意識が芽生えること。
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■36887
/ inTopicNo.6)
一神教の捉え方
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□投稿者/ knowingitself
-(2024/03/23(Sat) 14:39:27)
子どもにキリストが存在しているかと問われるなら、すべての人間はキリストに似せて創造されている、受胎した瞬間からそうだというのが、キリスト教というかカトリックの解答になると思う。
宗教のいかん、民族や国籍のいかんを問わない。クリスチャンと非クリスチャンを問わない。
似ているモデルは一つしかないというのが一神教であるともいえる。モデルが幾つもあるとはならない。
人間がそれに似せて創造されたモデルは一つだが、人間や人間集団の多様性と個性は無限といっていい。無限の多様性と個性を可能にするモデルは究極の一。
人間がそこから始まってそこに回帰する究極のモデル。それを涅槃や空と捉えることも可能。
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■36873
/ inTopicNo.7)
無記
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□投稿者/ knowingitself
-(2024/03/20(Wed) 15:54:21)
釈迦は形而上学的な質問に対しては答えを与えずに沈黙を守ったと。
それでは呼吸はどうか。無記どころではないね。無用な形而上学的論争の種でもない。
呼吸なしでは生きていけない、人生を通じて呼吸と共にあるのが人間だ。
釈迦の瞑想修行でもアナパナは基本中の基本であって、避けて通れない筆頭といってもいいでしょう。
仏教を別にしても、呼吸ほど自分で実証、実験、検証の素材にできるものはないかもしれない。
呼吸に比べれば、科学理論も形而上学的な作業に思えてしまう。読書や議論といった作業も、他人の言語活動に頼
る度合いが非常に多いので、呼吸ほど自分で直接的な検証ができない。
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■36858
/ inTopicNo.8)
ストア派とカント
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□投稿者/ knowingitself
-(2024/03/19(Tue) 12:40:27)
カントにストア派の影をみる人は少なくない。
もちろん倫理についてです。
倫理に異様なほど大きな意義を与えているのが、カント哲学。
理論理性についてなら、誰であろうと物自体を認識できない、アンチノミーに陥らざるをえないとマニアックなまでに論述している一方、「善意志」だけは、唯一その回路だけは、物自体に到達できると。
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■36810
/ inTopicNo.9)
永井均著「子どものための哲学」
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□投稿者/ パニチェ
-(2024/03/15(Fri) 21:35:12)
こんばんは、knowing itselfさん。横レス失礼します。
■
No36754
に返信(knowingitselfさんの記事)
> 魂と「私」の問題は、仏教思想の根本にあるものなので、もしその秘密が知りたいなら、まずは般若心経などの仏典や、道元の「正法眼蔵」などを読み、つべこべ言わず座禅を組んで修行すべし、とかつては言われたものですが、そういう旧来の雰囲気をひっくり返したのが永井均「子どものための哲学」であり「翔太と猫のインサイトの夏休み」です。
> 「神さまと神はどう違うのか?」上枝美典 236ページより引用
持ってなかったので「子どものための哲学」を購入しました。
読んでみます。
引用返信
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■36797
/ inTopicNo.10)
Re[71]: 出入りの息はお経そのもの
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□投稿者/ knowingitself
-(2024/03/14(Thu) 16:42:31)
管長のお話だと、余語翠厳禅師もそういうことを書いているそうです。
余語翠厳禅師は二十世紀に活躍した曹洞宗の禅僧。
知ってました?
曹洞宗も幅が広いからね。自分の法系ばかり取り上げて近視眼になる人は少なくないが。
引用返信
/
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■36795
/ inTopicNo.11)
出入りの息はお経そのもの
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□投稿者/ knowingitself
-(2024/03/14(Thu) 12:37:41)
「出入りの息はお経そのもの」by横田南嶺
臨済宗円覚寺の横田南嶺管長による上記フレーズに触れたとき、確かにそうだろうと納得した。
全体の講話を聞いたわけではないが。
呼吸瞑想がお経そのものになるような境地。ここでお経というのは、文字テキストとしての仏教経典ということではなく、ダンマそのものであるお経という含意だと捉えている。
キリスト教なら、祈りと神のことばが完全に一つになる境地
引用返信
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■36754
/ inTopicNo.12)
「神さまと神はどう違うのか?」上枝美典
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□投稿者/ knowingitself
-(2024/03/09(Sat) 16:34:22)
魂と「私」の問題は、仏教思想の根本にあるものなので、もしその秘密が知りたいなら、まずは般若心経などの仏典や、道元の「正法眼蔵」などを読み、つべこべ言わず座禅を組んで修行すべし、とかつては言われたものですが、そういう旧来の雰囲気をひっくり返したのが永井均「子どものための哲学」であり「翔太と猫のインサイトの
夏休み」です。
「神さまと神はどう違うのか?」上枝美典 236ページより引用
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